9日から始まった劇団の「白痴」の稽古を見学しました。「白痴」はドストエフスキーの長編小説ですが、芸術監督によると、チェーホフが「上演を前提に作られた作品」と評したように、ロシアでもたびたび上演されるらしいのですが、あまり質の高い作品はいまだに上演されていないそうです。
芸術監督より、この作品、というより、ドストエフスキーを読むときに注意すべきディーテルは何かと問われました。いくつか、参加者から意見がでましたが、芸術監督は、「モノローグで成り立つ作品、ストーリーではない」とおっしゃた言葉に印象がこめられていますが、セリフ、とりわけモノローグの情動の流れから読みとれる登場人物の精神世界が面白いのだと、指摘するのです。さらに、ロシアでもいまだこの作品が成立していないのは、ダイヤモンドのような輝きに満ちた、ドストエフスキーという存在の結晶ともいうべきモノローグを、俳優が観客に体感させるように表現できていないのだと重ねるのです。昨日の稽古で最後に読まれたユイシュキン公爵の友人の処刑場での体験に関するモノローグは、人間技とは思えない、様々な感動に満ちた、奇跡のテキストでした。たびたび作品の中にあらわれる長いモノローグの中に、ドストエフスキーの本質がこめられているのです。
しばらく読み合わせ稽古が続くようで、一見退屈に思えますが、ドストエフスキーの世界は、一瞬一瞬集中して、無邪気な驚きをもって様々なディーテルを把握しようと努めるならば、本当に様々な発見があるし、逆にそれを怠れば、即刻追放されるということがわかりました。当然ダイアローグの中にも、人間の面白い要素がたくさんつまっており、しばしば稽古場に笑いが起こっていました。昨日は、繊細で、輝きに満ちた、しかし緊張感を伴うドストエフスキーの世界に圧倒されましたが、「カラマーゾフの兄弟」など、他の作品も味読しながら、感情の色、におい、トーンを繊細につかみとるよう訓練して、徐々に慣れていきたいです。
芸術監督から、ドストエフスキーと似たようなスタイルの作家を、日本人で、それも19世紀の作家から探しだせると理解が速いとアドバイスをいただきましたが、正直ぴんときていません。少しネットで調べてみたところ、二葉亭四迷が、ロシアに造詣が深く、ドストエフスキーにも目を通していたかもしれず、作風に影響があったかもしれません。人間の内面を描く作家といえば、まず夏目漱石が思い当たりますが、ドストエフスキーについていろいろ書いていますが、創作手法については一線を画していたとのことです。誰か詳しい人いたら、ぜひ教えてください。いずれにしても、文学に対する素養が全く足らないと実感します。役者としては、心身のメンテナンスも大切ですが、芸術家を志すにあたっては、映画や美術、音楽なども含めた、芸術作品への鑑賞眼を高めることを、生涯のライフワークとして、常に意識し続けることが必要だと再認識しています。