世の中にはいろんな概念がありますが、
 
名前をつけられてはじめて、
これまでぼやんとしていたものが
そこにはっきりと存在するようになる。
 
ということがあると思います。
 

 
 

 



私には3人の子どもがいて、

最初の子が学校に上がってから11年になります。

 

 


この間、ずっと公教育というものに触れてきているわけですが、

 

発達障害と言われているお子さんが

あきらかに増えたように思います。

 


 

自分の子どもで振り返ってみても、

長男のときにはそれほど

幼稚園・小学校側から言われませんでしたが、

 

三男の時代になると、

 

少し集団に溶け込めないと検査を受けろと言われ

 

勉強ができないと問題視され

 

保育園のベテラン保育士からは

小学校に行って確実に困るお子さんだと思います。

くらいの断定を受けました。

 

 

あんたは神なのか?

なんで断定・・?

 

 


 

 



私が子どもの頃は、

それがいいか悪いかは別として、

 

少しじっとしていられない友達もいたし、

やんちゃな子もいたし、

すごく勉強の苦手な子もいたし

みんなとワイワイするのが好きじゃない子もいたけれど

(私も当てはまります)

 

【普通】の枠内で存在できていたように思います。

 

 

もちろん当事者の生きづらさはあったと思いますが・・

 

 


それが、大人から見て

【なんだか扱いづらい子】に

うまく【発達障害】と名前が付き、

広く知られたものですから

 

【扱いづらい子】はすべて

【発達障害】として

存在しなければならなくなってしまったような気がしています。

 

 



 

 



いったん【発達障害】として存在してしまえば

 

何をしても、どんなことを言っても

いい面も悪い面も【発達障害】という名前の範囲で

解釈されてしまうところが恐ろしいのです。

 

 

なんでもかんでも特性があるからだよね、とか

特性でそうなるんだよね、みたいな・・

 

 

 

【問題児】という表現も同じで、

【問題児】と名付けられてしまった時点で、

 

その子は【問題児】として存在することになります。

 

 


【問題児】という色眼鏡でしか見てもらえない。

 

 


 

 

 


誰かとトラブルになったときも、

違う事情があったとしてもそこは注目されず、

 

【問題児】という名前と結びつけて

 

また問題起こした、と早合点するわけです。

 

 

もしかしたら、家族を馬鹿にされてケンカしたとか、

他の子をかばっていたとか、あるかもしれないのにね。

 

 


名前を付けると、

その名前を聞いただけで

その人のことを分かったような気がしてしまい、

 

その名前から連想するものと

その人の言葉、行為、などを

安易に結びつけてしまうために

 

その人自身が見えなくなります。

 

 




 

 



発達障害です、HSPです、うつです、

そう言ってカウンセリングに来られる方もいますが、

 

そこから安易に判断せずに

 

その人自身を見ていけるような

カウンセラーでいたいです。

 

 


その人がどんな体験をし、

どんなふうに感じて、

どんな人生を送ってきたのか

 

それを聴くことなしには

なにも始まらないんですよね。

 

 

 

 

 

 


あなた自身がどんな体験をし、

何を感じて、どう生きてきたか。

 

そんなことに耳を傾け、全力で聴く60分です。

 



 


どんなふうに聞いていくの?

その人自身の言葉を引き出すには?

そんな内容を講座でお伝えしています!







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大阪で公立校スクールカウンセラーと精神科訪問看護師をしています。

息子は3人とも不登校経験あり、フリースクール・通信制高校に通ってます。

矢印野村涼子プロフィール

 

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