今年から、ナラティヴ・セラピーの
カウンセリング・トレーニングコースに参加しています。
 

先週の土曜日で、1クール目が終わったので

内容を振り返る回となりました!

 

 

2月から参加してきたわけですが、

このクールで一番私の心に響いているのは、

 

権力のこと。

 

 

対等なんてありえない、という話です。

 
 
 

 

大学で看護学を学んだとき、

何度となく「患者さんと対等な立場で」と

教わりました。

 

 

実習で自分で看護計画をたてるときも、

一人前の看護師として働く今も、

 

対等で、という言葉は何度も出てきます。

 

 

 

もっと他の場所でも・・

 

子どもの学校でも、担任の先生をはじめ

教頭先生、校長先生、

何度も「子どもたちと対等で」と繰り返す。

 

 

だけどね、私は、

もうずっと前から【対等】のうさんくささに

嫌気がさしていました。

 

 

どういう状態が対等なのか??

どうなれば対等と言えるのか??

 

そんなことをよく考えもせずに

【対等】って独り歩きしていませんか?

 

とりあえず言っとけばいい、みたいなこの雰囲気。

 

 

 

 
これに答えをくれたのが、
ナラティヴの学びでした。
 
 
ナラティヴでは、
力関係をなくすことはできないという前提に立ちます。
 
 
人と人の関係には必ず力関係が生じていて、
自分の発する言葉や雰囲気、行動は
その影響を受けることを免れないということです。
 
 
私たちは、無意識に力をふりかざす生き物です。
 
力を持つ側に立てば、どんな人でも
無意識に力(権力)を振りかざしてしまうのです。
 
 
どんなに対等を目指しても、
対等にはなり得ない。
 
 
この前提に立つことがすべての出発点だと
今は確信しています。
 
 
 
 
・自分と相手は対等ではない
・相手は自由に話せていないんだ
 
という前提に立つことで
 
「他にもなにか思っていることはないですか?」
「今言えていないことがないですか?」
「私の言ったことで修正したい、付け加えたいところはないですか?」
 
という一言を付け加えることもできる。
 
 
カウンセリングの場において、
対人支援の場において、
親子関係であっても、
 
相手が対等な立場で
自由に思いのままに話してくれていると思うのは
大間違いなんですよね。
 
 
もはや神話だと思ってます。
 
 
 

 

 

 

カウンセリングの土台となる理論(ナラティヴ・セラピー)を

学び続けています。

 

対等ではない、というところからスタートするからこそ

安心安全な場を提供できる。

 

そんな場でご自身のことを相談したり

言葉にしたりしてみませんか?

 

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