越谷市東町の金剛寺と稲荷神社、、失われた古墳を求めて⁉ | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

今日から10月!

今年もあと3ヶ月っ!早いっガーン

でも、もう、ジタバタしませんよ。

過ぎるものは過ぎるっ爆笑!(笑)


さてブログは

9月の関東滞在越谷10000歩散歩っ足キラキラ

吉川市の紅白彼岸花を愛でたあと
 


レイクタウンに戻る途中の東町をうろうろ。


以前、越谷市の古墳について調べたとき

今はもう消滅しているけれど

かつて中川右岸のこのあたりにも古墳があったと

書かれていたので

何か古墳の名残はないかなニヤリ

と歩いてみたのでした。


古墳はお寺や神社になってることが多いので

東町のお寺と神社を訪れてみました。




真言宗豊山派五鈷山金剛寺

看板の内容をまとめると

奥州旧街道沿いの古寺。
嘉吉2年(1442年)銘の弥陀三尊板碑、文明10年(1478年)銘の弥陀一尊板碑、江戸時代の寺檀関係古文書などが保存されている。
太子堂にはもと隣村四条村真言宗妙音院に祀られていた首だけの太子像(胎内仏)が納められている。
『新編武蔵風土記稿』によれば、江戸時代にこの太子像は霊験あらたかということで千住宿に移されて信仰を集めたが、その後千住宿や四条村の住民に病災にかかることが多くなったため、再び四条村に戻された。
金剛寺の裏手の畑に小さな塚があって、寛文2年(1662年)銘の二童子が刻まれた文字庚申塔がある。


とのこと。


境内に入ってみると


聖徳太子殿。

隙間から覗いてみた。


ここに聖徳太子の胎内仏が納められてるのかなびっくり


そして

関東のお寺あるあるなのかなニヤリ

私の好きな結晶片岩っぽい巨石がラブラブ



絶対あるよねラブ

特にここは多いかも?


看板にあった

二童子が刻まれた庚申塔の塚、、

塚、、といえば古墳を思わせるけど

それらしきものが見つかりませんでした。

お寺の裏にある


ここがそうなのかな。。キョロキョロ??


続いて


稲荷大神。

最近建て替えられのかな?

とても綺麗な神社キラキラ


古墳だったとこかなー?と

名残を探してみたけど


古い石材、、


前の神社で使われてたものかな?

この


四角いコンクリートも気になるびっくり

周りの砂利に


赤茶色い、、何かが。


ムムム フフフもぐもぐ


古墳だった!という

確実な跡は分からなかったけど

地域の皆様に大事にされてきた古刹や神社巡り

秋の日の散歩、

気持ちぃわぁー爆笑キラキラ!!


金剛寺下矢印
境内のお花の写真がたくさん載ってますスマホ

散歩の続きはこちら下矢印 

 


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