英語で育児が楽になる
今日は、英語で育児が楽になる!ということについて書きたいと思います私は、元々高校の英語教師でした。大学・大学院では「教育心理学」を学び、「教科」を通して「教え方」「学び方」「記憶の仕方」「モチベーション」を研究する研究室にいて、私は「英語」を選んでいました。そこから「英語を教える」「英語を学ぶ」楽しさを感じ、研究だけで机上の空論になるのが嫌で、中高英語科の教員免許を取得し、高校で英語を教えることになっていきました。そこで、「大学受験英語」と、とことん関わり、色々な+も-も学び、今に至ります。(はしょりすぎでごめんなさいこのことについてはまた別に書きたいと思います。)今は自分の英語教室で、3歳から様々な年齢の子供たちと一緒に英語を学んでいます。私が英語教室を開いた理由・そして、今も一番お伝えしたいことは英語で育児が楽になるということです。「え?おうちでも英語をやるなんて、育児や家事・仕事だけでも大変なのに、さらにやることが増えて、育児が楽になるどころか、余計大変になるよ!」って思われる方がいるかな、と思うのですが、私は逆だと思っています。それは、私自身が実感し続けていることです。どういうことか、説明したいと思います。子育てや仕事・家事で、もんもん・鬱鬱・不安になったりすることってありますよね?私は、子どもが生まれた頃、不安でいっぱいでした。特に理由もなかったのですが、思考回路が不安に覆われていました。でも、子どもの成長とともに、近所のママ向けのイベントに参加したり、「子育ての現場」にびっしり浸るようになって、見えてきたものがあったのです。それは、「日本特有の労働スタイル・育児の文化」がある、そして、それに多くの人が不安になり、楽しくなくなっている、ということでした。幼稚園までは「個性を伸ばす」文化が流行っているのに、それが小学校入学とともに、反動的に「集団文化」⇒「つまらない」⇒「学力の落ち込み」が出てきて、そのストレスや不安・学歴崇拝文化から、焦りを塾などに丸投げして、小学校高学年あたりから競争が始まる(パターン化)国の物価高騰・給与が上がらない、などの理由から共働きで時間もなく、子どもの勉強を落ち着いてみてあげる時間がない家庭の増加と共に、学校でも勉強が分からない子へのフォローアップも特になく、低学年の時点で勉強についていけなくなる子が増加していることにも気が付きました。このようなパターン化したシナリオがあり、それがものすごく育児を不安・退屈にしていると感じました。どんどん家庭や子どもにとって、厳しい状況が増幅しているということです。この状況を立ち止まって考えることなく、軌道修正することもなく、そのまま受け入れ続けるのは、辛すぎると思います。そんなときに、英語がお守りになる、と感じました。英語で他の国の人と接することができたら、英語で他の国の文化に触れることができたら、思考の幅が広がっていく。今、日本で当たり前のことは、本当に当たり前なのだろうか?逆に、世界で起こっていることは、そのまま正しいと鵜呑みにして日本でも真似すれば良いのだろうか?こうして、「考える」きっかけが、生活の中にもたらされる。英語はその切符になってくれる。外国の人と話すと、食べるものも違う、生活時間・生活スタイルも違う、何を大事に思うかも違う・働き方も違う、全てが違うことを知る。いろいろな「言葉」があり、「言葉」の裏側にある「考え方」がある。今の「当たり前」は、本当にあなたが望んでいたことですか?英語はそれを考えるきっかけになってくれると思っています。4月、我が家では留学生のホームステイを受け入れたのですが、私はちょうどそのとき重度の肺炎で倒れていたので、思うように接してあげることができませんでした。それでも、いや、それなのに、若い留学生からものすごい影響を受けました。それは、「人生を楽しんでいる」姿勢でした。お風呂が気に入った彼女は、毎日お風呂に入ってくれました。そして、お風呂からは、毎日、上機嫌で歌う、美しい歌声が響いていて、私達家族は微笑んでいました。日本でたくさんのことを経験しようと、様々なことに、楽しみながらチャレンジしている姿勢に、私も、色んなことにチャレンジしていこう!と思いました。それに加えて人生観が変わるほどの、身体がしんどい期間だったので、余計にそう思ったわけです。私は、教室でお伝えしていることを、全て自分たち親子で実践してきました。実践して、良いと思ったことだけをお伝えしています。年齢がどんなに小さくても、「英語」をツールに、親と子のあたたかい時間を持つことができます。そこに、「なんで覚えられないの!?」とか「なんで読み間違うの!?」という親の気持ちが入ってしまうのは、親御さんが、日本特有の余裕のない・狭い育児文化の中で焦ってしまっているからです。でも、そこのレールにのっても、お子様達が成長した暁に、幸せを保証してくれるものは、ないです。そうではなく、「英語」というツールを、「親子の貴重な時間」に換えていくのです。(「読む」という「基本」が、「コミュニケーション」と繋がっています。)学校に文句を言うだけ、日本の学校文化に疑問を持つだけ、では、何も変わらない。だったら、世界と交流して考えるきっかけを持つ切符を、自分で手にしていこう。考えることをせずに、5教科7科目を古い価値観でたたきこんで「勉強させる」のでは、子どもたちは、新たな発想を持つことはできない。親の顔色をうかがってする勉強では、決められた内容を覚えることはできても、自分で新たな仕事を生みだしていくパワーやアイデアを手にすることはできない。親にとっても、英語 が、日本の中での育児のもんもんを解決してくれる。光を与えてくれる。鬱屈とした環境で育児をするのはやめよう。自分で切符を手にしよう。だまったまま待っていても、棚ぼた なんて絶対にない。考え方出会う人食べるもの生きる場所働き方全てが「決まっているもの」じゃなくて、自分で作っていけるもの違う世界と交流するにはその世界の「ことば」を手にしなければ、始められない。「スキル」や「人材」のためではなく、「わくわくする人生」のために、英語がある