自分の純度チェック】をすることによって、

 

理想の自分・理想の生活に近づくことができると思っています。

 

 

私が自分自身に対してて定義している【自分の純度】とは、

 

自分に嘘をついていない】ということ。

 

やりたいなら、やる

始めたいなら、始める

言いたいなら、言う

行きたいなら、行く、

辞めたいなら、辞める

食べたいなら、食べる

休みたいなら、休む

行きたくないなら、行かない

 

本当は友達でいることに疲れているのに、「お世話になったから」とか「人を嫌うなんて自分が悪い人みたいだ」と、なあなあな付き合いを我慢して続けることも、自分に嘘をついていることになります。

 

「ひどい自分」を見たくないから、結局は「自分のため」に動いていることになる。

 

 

【自分に嘘をつかない】で生きている人のことを「わがまま」「自分勝手」「むかつく」

と思うとき、それは、【本当は私もそうしたい】ということ。

 

 

いますぐ、あなたの理想に向かって、歩みだすことを始めてください。

 

 

「あの人の生活を見ると凹むから」

 

というのは、本当はそうしたい、ということ。

 

全く関心のない人の投稿は発言は、凹みもしないし、刺さりもしない。

 

例えば、私にとっては、数学の得意な人・運動の得意な人・は最初から何も感じないわけで(笑)、それは自分とは距離があまりにも遠いから。

 

でも、少し頑張れば自分にもできそうなことは、

「うらやましい」とかって思うわけです。

 

 

「うらやましい」まではいい。

人間の立派な感情だから。

感情は宝。

感情のない人は生きていない。

 

 

でも、そこから「拗ね」に入ってしまうと、叶えられるはずのことから、どんどん離れてしまうんだ。

 

拗ね、とは、

・うらやましいと思う人から離れていくこと

・うらやましいと思う人の投稿を見ないでおくこと

・人の幸せを喜べないこと

・いいな、と思っても「いいね」が押せないこと

(いいね の数を気にする必要性は全くないですが、こういう状態だと、「いいね」の数に振り回される人生から抜け出せない)

 

 

過去の私が願ったことは、

「人の幸せを心から喜べる人間になりたい」。

 

そう思わせてくれたのは友達だった。

 

人の幸せを心から喜んでいる。

自分の弱さを出して、笑わせてくれる。

まっさらだなあ、と思っていた。

素直に自分もこうなりたい、と望みました。

 

 

そのときの私は、仕事を途中で辞めたことで、自信をなくしていた。

自分には何もない。

そう思っていた。

 

価値観が、まだまだ未熟だった。

都会でばりばりと働く、という価値観に凝り固まっていた。

 

人生の価値観に、思い切り、ゆさぶりをかけてくれたのだ。

 

 

友達は、専業主婦でも、仕事を持っていなくても、幸せそうだった。

 

私もこうありたい。

 

素直にそう思った。

 

 

 

そこから、私は一歩歩み始めました。

 

ひたすらに、ブロック外しを始めました。

 

凝り固まっていること、

思い込んでいることを見つけ、

見つけては外す、見つけては外す、

どんどん楽になっていったんだ。

 

人から嫌われそうなことを、進んでやっていくこと。

それは、

・自分の考えを、嘘をつかずに表現する

・顔や名前を出す

・幸せなときは、幸せだと言う

・好きなように生きる

 

こと。

 

 

でも、これは、自分のためになるだけでなく、結果誰かのためになることにすぐ気が付いた。

なぜなら、そうしている人を見ると、自分は楽になったから。

 

「考えに嘘をつかず、表明している人は、信用できる」と思ったし、

 

顔や名前を出すことで、誰にでも自分を愛することができることを知ったし、

 

幸せなときに幸せだと言っている人を見て、

「幸せになっていいんだ」って思えたし、

 

好きなように生きている人の前例を見て、これでいいんだ、ありがとう、って思ったから。

 

人は誰でも幸せになりたい。

先に幸せを体現している人を見て、私は安心した。

 

「幸せになっていいんだよね。」と。

 

 

だから、

人から嫌われたくなくて、

誰からもなんとも思われないことばかり言ったり投稿する必要なんてないし、

いつもいい人でいる必要なんてない。

 

【自分の純度】を上げて、人の幸せを嘘なく喜べるようになるには、

自分の声をひたすらに聴いていかないといけない。

 

我慢をしすぎて、教育をされすぎて、

その声にすら気が付けなくなっていることもあるよ。

 

でも、小さなサインが日常生活に転がりまくっている。

 

それは、ちょっとした「イらっ」。

 

日常生活の動線で、少しでも「いらっ」とするとき、それはサイン。宝の地図。

 

・時間に追われている

・空間が散らかっている

・子どもが言うことを聞かない

・自分の時間がとれない。。。。etc

 

 

いろいろ理由が出てくるはず。

 

この「理由」を少しずつ解決していくんだけど、かなり見落としやすい小さなレベルの積み重ねであることに気がついた。

 

たとえば、「散らかっている」ことが理由だとしたら、

大がかりな掃除や模様替えレベルの前段階で、小さな埃や汚れがなくなるだけで、空間のエネルギーがかなり浄化される、ということに。

空間のエネルギーが浄化されるからアイデアが湧く。

 

タダでできる小さな整理整頓で、自分の幸せが叶っていく。

 

でも、これは大人になるまで学校では全く教わらず、

そんなことよりも「テストの点数」だから、

どうしても、「生活の満ちる」よりも「仕事」に重点がいってしまう。

 

だからいつまでも、自分の空間・世界が「妥協」の状態になっていて、

そこにかける時間なんてないから「目先の仕事」になってしまう。

 

でも。

こここそが、理想を叶えてくれる糸口だと気が付いた。

 

一歩立ち止まって、見て見ぬふりをしていた、面倒くさいことに、片を付けること。

イライラしている理由を見なかったことにして、ストレス発散をしても、理想はいつまでも叶わない。

それ自体に手をかけ始めなければ。

 

自分をひたすらに見つめて、自分に嘘をつくことをやめること。

人に嫌われることを恐れないこと。

 

ひたすらに自分に集中することができなければ、

人を気にすることからは抜けられない。

 

ひたすらに自分に集中する力がつけば、

人の幸せを心から喜べる人間になれる。

 

人の幸せを心から喜べる瞬間に、

幸せだな、って思う。