これでいいのか 日本の医療 - 命奪う医療崩壊から命守る医療再生へ転換を | すくらむ

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 ※5月12日に開催された「これでいいのか 日本の医療」討論集会(中央社保協・全労連・医療団体連絡会議の共催)での、中央社保協・相野谷安孝事務局長による「問題提起」を紹介します。


 これでいいのか 日本の医療《問題提起》


 はじめに


 歴史的な総選挙から8カ月。「変えてほしい」という切実な国民の要求から、大きな期待と支持を集めて誕生した民主党鳩山政権ですが、急速にその支持を失っています。


 期待から、落胆へ、そして、どうしたら「生活が良くなるか」、政治を「(もっと国民生活に目を向けたものに)変えられるか」という新たな模索がはじまっています。


 とりわけ国民生活をめぐる問題で、一刻も早い改善が求められているのが医療の問題です。手遅れ死亡事件など、いのちも奪うような医療崩壊がすすんでいます。


 医療崩壊をくいとめ、いのちを守る制度の再生を実現する運動が急務です。


 中央社保協では、去る5月7~8日に国民健康保険問題での全国改善運動交流集会を大阪で開催しました。このなかで、公的医療保険制度の土台となる国保制度をめぐって、「いのちを守る緊急行動」を提起しました。


 中央社保協の提起もふまえ、この討論集会は、


 ① 後期高齢者医療制度即時廃止運動を飛躍させる


 ② 高すぎる窓口負担の軽減にむけた共同行動の出発とする


 ③ 国民健康保険や協会けんぽ、健保組合、共済組合等各保険者の現状と課題の交流の場とする


 ことを目的に開催いたします。活発な討論を期待します。


 1,今日の医療問題の根源


 わが国では、健康保険本人は1984年まで、初診時や入院時に定額の一部負担はあったものの、原則無料(10割給付)でした。


 73年から83年の間は70歳以上の高齢者の窓口負担もありませんでした(老人医療費無料)。岩手県の沢内村で始まった老人医療の無料化は、1969年、美濃部革新都政下の東京都が実施。つづいて京都府など他の革新自治体でもつぎつぎと実施され、僚原の火のように全国に広がりました。


 老人医療費無料化は、革新自治体が広がる中で、自治体の制度として実現させたものです。こうした自治体の流れに抗しきれず、ついに73年に国の制度として実施されます。この73年は「福祉元年」といわれました。


 また自営業者や農漁民が加入する国民健康保険は1961年にスタートします。すべての国民が公的保険によって医療を受けられという「国民皆保険制度」の実施でした。スタート当初は5割給付でした(治療費の半分は負担しなければならなかった)。これも、労働者・国民の運動によって実施2年後には世帯主7割給付に引き上げられます。


 医療を提供する体制でも、70年代には1県1医大という医師養成の増大もすすめられ、過疎地もふくめた診療所・病院の体制が整えられていきます。


 ◆「医者にかかれない」は、貧困の問題


 体の具合が悪いときに医者にかかれないという事態は、絶対的な格差の問題であり、貧困の問題です。60年代から70年代にかけての日本は、医療保障制度を拡充することで、こうした格差の縮小と貧困の克服に向かっていたはずです。


 病気やけがをした場合、わが国ではすべての国民が公的な保険制度(健康保険=医療保険)によって治療が受けられるようになっています。これを「国民皆保険制度」といいます。日本国憲法第25条の理念にもとづいて、国の責任で、全国民がなんらかの公的保険に加入し、必要な治療が提供されるしくみです。この皆保険で大事なことは、お金の有る無しにかかわらず、病気やけがの時には適切な治療が保障されているということです。


 「お金が心配で病院にかかれない」といった事態や、保険料を払えずに無保険になってしまう人が生まれていますが、これは、本来、だれもが安心して治療を受けられる日本の国民皆保険制度のもとでは、あってはならない事態です。


 また公的医療保険では、病気やけがの治療のみでなく、病気やけががもとで会社を休んだ場合(休業補償、傷病手当金)、また分娩により臨時の支出を必要とする場合などに、必要な医療給付や手当てが支給されます(ただし、国保には、休業補償や傷病手当金の制度はありません)。


 60~70年代に、憲法25条に立脚した国民と医療従事者の共同の運動が制度を改善・充実させてきたのです。この結果、日本の医療制度は、平均寿命や健康達成度の高さによって、WHO健康達成度調査(2000年)では「総合世界一」という高い評価を受けるにいたります。


 対GDP比で低い総医療費支出にもかかわらず、世界に誇れる医療の水準を築いてきたのは、保険証1枚あれば「いつでも、どこでも、だれでも」医療を受けることができるという国民皆保険制度を半世紀近く続けてきたことと、医療関係者の献身的な努力によるものでした。いわば少ない人数と低い医療費のもとで、医療従事者のがんばりと、患者・国民のがまんに支えられた「総合世界一」だったのです。


 ところがいま、病院に行けば健康保険本人であっても3割負担です。世界の常識に反して病院や診療所での負担が、「常識」にされています。財布の中に一万円札一枚あっても「(支払いが)心配」「病院に行くにも一つの決断が必要」という状況です。保険証を取り上げられたりして手遅れで亡くなる人も増えています。


 医師不足で地域の病院がなくなった、看護師が過労死する、産科や小児科が町に1カ所もないなど、医療を提供する体制も「崩壊」といわれる危機に直面しています。


 医療の保障という面からも、医療を提供する体制という面からも、日本の医療制度は崩壊の危機に瀕しています。医療崩壊の危機とは、「国民の安心・安全を確保する」という国家の一番の役割が損なわれていることを意味します。


 ◆大量に生み出されている無保険者


 国民皆保険の中での無保険者の増大と、無保険がいのちを奪っている事実、国民の安心・安全が損なわれている事実を紹介しておきます。


 全日本民主医療機関連合会(民医連)は、3月11日に「2009年国民健康保険など死亡事例調査報告」を発表しました。昨年1年間に民医連の病院や診療所が係わった人だけで、47名の方が亡くなられています。うち27名はいっさいの保険証を持っていない無保険の人でした。10名は短期保険証や資格証明書が交付されていた人。残りの10名は正規の保険証がありながらも、経済的な理由(重い窓口負担等)によって受診が遅れたと考えられる人でした。


 男女比率では男性が83%と圧倒的で、50代・60代で8割を占めています。27名の無保険者の職業欄では、「無職」「非正規雇用」の文字が目立っています。トヨタの期間工だった47歳の男性は「派遣切り」の嵐が吹き荒れた08年末に失業。その後自覚症状がありながらも所持金に余裕がなく国保に加入しないまま、癌で亡くなっています。40歳でやはり非正規雇用の男性は社会保険に未加入で、受診した時には既に呼吸不全状態。4日後に肺結核で死亡。また、51歳の非正規雇用の女性も社会保険加入を拒否され、救急搬送されるものの、2週間足らずで死亡、肺癌でした。


 また、「正規の保険証」を持っていても治療を受けられずに亡くなられた方が10名もいます。65歳のおそば屋さんを営む男性は国保の保険証を持っていました。自覚症状があったものの受診せず、やっと入院した時には手遅れで2週間後に亡くなっています。高い保険料を払い続けていたのに、いざ病気になっても受診できない、日々の営業に追われる中小業者の一端を見る思いです。


 調査報告書は、こうした事例から、「受診が遮断されている」ときびしく批判しています。


 この事実が示すように、国民皆保険の国で、無保険となる人が大量に生み出されています。無保険は、たんに保険証がないというだけでなく、必要な治療を受けられない状態であり、治療を受ける保障を奪われているということです。


 失業率の高止まりが長年続くなか、国保にも加入しない、加入できない無保険者が急増しています。まさに国民皆保険が崩壊の危機に瀕しています。


 同時に、国保料・税の収納対策として実施されている「制裁措置」の横行も問題です。31万世帯に発行されている資格証明書、さらに保険証を窓口に留め置いて、保険料と引き替えに交付するという「留め置き」があります。こうした対応をおこなっている自治体はかなりの数にのぼり、「留め置き」による〝実質無保険者〟は百万世帯を越えるものと推計されます。


 また保険証を持っていても、この20年来の改悪で世界的にも高額となった窓口負担のために医療機関にかかれない人も増え、命まで奪う事態を生み出しています。


 無保険者の解消、窓口負担の軽減はまったなしの課題です。とりわけ無保険者の問題では、非正規労働者が増加する中で、健康保険の継続なども課題となります。また、医療保険については、「すみやかな国保加入」などといわず、「失職後、再就職までの間、それまでの健康保険加入資格を国と企業の責任で継続する」などの緊急措置が必要ではないでしょうか。


 ◆20数年前から実施された罰則


 国民健康保険(以下、国保)では、20年近く前から保険料の滞納者に資格証明書を交付するという罰則が実施されてきました。資格証明書は保険料を滞納あるいは未納していることの証明書で、これをもって病院にかかると治療費をいったん全額負担しなければなりません。保険料を払えない人が治療費の全額を用意できるわけもなく、これは事実上の無保険です。1992年以降は、有効期限の短い「短期保険証」も出されるようになりました。期限切れとなれば無保険です。


 この国保制度で、無保険による死亡事件が確認されたのは、22年も前の1987年の4月です。金沢市で47歳の女性が、実情を無視した国保料「悪質」滞納者扱いにより保険証を交付されず、医療を受ける機会を失い、手遅れで死亡するという事件がありました。この女性は、資格証明書が交付されていましたが、窓口で医療費の十割負担が必要なため、医者にかかれませんでした。同年10月には京都市南区で53歳の男性が、次いで88年2月にも同区で52歳の男性が、同年6月には札幌市白石区で53歳の男性が、いずれも国保証を交付されず、貴い生命を失っています。


 以来、私たちは、「こうした事件の発生をくり返すな」と運動をすすめ、根底にある貧困の問題を告発してきました。しかし、残念ながら、死亡事件は後を絶たず、無保険や資格証明書などによって医者にかかれず、手遅れで亡くなったという人が、年々増加しています。昨年5月に放映されたNHKの特集番組「セーフティーネット・クライシス」では、およそ1000の救急告示病院へのアンケートで、06・07年の2年間に475人もの人が、資格証明書や無保険のためにいのちを落とした、と報道しています。


 一方、厚労省は昨年末、2008年度の国保料収納率の全国平均がはじめて90%台を割って88%に落ち込んだことを速報として公表しました。「恐れていたことがついに現実となった。制度発足以来、初の80%台という“未知の世界”へ踏み込んだのである」と表現した担当者もいます。厚労省は下落の理由を①08年度の制度改正で収納率の高い後期高齢者層が国保から抜けた②リーマンショック以降の景気悪化③保険者による保険料額の引き上げ、と分析しています。


 保険料をまともに払えば、生活ができなくなるほどの高すぎる保険料が最大の問題です。「無理しても払っている人がいる。そうした努力をしている人々との公平」などという論理はもう通用しません。


 保険料(税)滞納世帯数は、20,8%(0,2%増445.4万世帯)であり、短期証120万、5.6%、資格書31万・1,4%にものぼっています(09年6月1日、厚労省)。毎日新聞の調べでは、世帯所得の四分の一を超える保険料を徴収している自治体が二。世帯所得の五分の一以上の自治体数は、126にものぼります。また「門真国保実態調査」では、資格証明書が交付されている世帯収入は87,6%が年収300万円未満でした。交付世帯は国保加入世帯のなかでも、とくに所得階層が低い世帯であることも全国で共通しています。


 ◆崩壊の危機は、なぜ


 死者も出すような医療崩壊の危機を生み出した原因は、国民のいのちや健康よりも経済を優先させる国の政策的なあやまりです。


 「福祉元年」と名付けられた73年前後に、オイルショック、スタグフレーション(不況と物価高の同時進行)に直面した財界は、70年代半ばから社会保障支出の引き締めを露骨に要求するようになります。労働運動の右傾化と、80年の社公合意による共産党を除くオール与党体制のなかで、81年に第二臨時行政調査会が設置され、社会保障に対する全面攻撃が常態化しました。


 81年の厚生省事務次官による「医療費亡国論」の提唱以来、臨調「行革」、「構造改革」などの路線の下、30年近くにわたって、「医療費抑制」が最大唯一のテーマとして貫かれてきました。しかも抑制は、国の負担と企業主負担の抑制・削減に主眼がおかれ、抑制のために保険料と窓口負担を引き上げるという、国民・患者に痛みを押しつけ、受診を抑制する方法によって抑制がすすめられてきました。


 臨調「行革」といわれた80年代に、医師養成抑制の閣議決定(82年)、老人医療費有料化(83年)、健保本人一割負担(84年)などが実施されます。高齢者の窓口負担はその後の改定のたびに引き上げられました。原則無料の常識が、負担があるのが「当たり前」に変えられていきます。


 とくに医療について、政府は、1987年に「国民医療総合対策本部中間報告」を発表し、「高齢化の進展は今後とも老人医療費を中心に国民医療費の増大を招かざるをえないが、これを支える高い経済成長率はもはや望めない状況にある」として医療費抑制策を強化し、医療給付費の増加が日本の経済発展に悪い影響を与えないように、医療給付費の伸びを「経済の伸びの範囲」に抑えるという目標を提示しました。


 ◆医療費抑制の強化


 こうした社会保障・医療に対する攻撃は、90年代に入って「グローバリゼーション」の名の下に加速します。「経済の成長力・競争力強化を重視」というスローガンのもとにすすめられた「構造改革」は、「医療費抑制策」を最大限に強化しました。


 「構造改革」は、大企業の競争力を強めるという経済的側面にとどまるものではありませんでした。89年11月のベルリンの壁崩壊から始まって、91年のソビエト連邦の消滅にいたる世界的な大激動の時代に、「資本主義の優位性、資本主義万歳」という風潮が高まり、「社会保障イコール社会主義」「ソ連がつぶれたのは社会保障で国民が働かなくなったからだ」といった社会保障への攻撃も強められました。「社会主義的性格を持つ社会福祉は不要」という論調が新自由主義とともに広がったのです。財界・大企業にしてみれば、雇用の確保と賃金の保障、社会保障への負担は不要ということにつながります。


 日本の財界・大企業は、多国籍企業化するにしたがって、「大競争時代」、「企業が国を選ぶ時代」と称して、国のあり方を大企業本位に作り変えることを要求しました。これが、財界の新自由主義に基づく「構造改革」の要望です。そして、国内のさまざまな規制や負担(賃金、税、社会保障)をなくすという財界の要望がストレートに政治に反映する仕組みがつくられました。96年1月、経団連が発表した「魅力ある日本-創造への責任-(豊田ビジョン)」では、「高齢化にともなう社会的コストの増大をどのような財源でまかなうかは今後の大きな課題」「社会保険料の負担のほとんどが企業負担であり、これにより社会的コストの増大をまかなうことは企業への負担をさらに重くすることになり、経済成長にとって好ましくない」「社会保障は総花的なばらまきや自称弱者への助成ではなく自己責任原則を前提としつつ、あらゆる面における国民の相互扶助を通じて真の弱者の救済やハンディキャップの克服をはかるべきである」と、国民の「自己責任」を強調し、企業負担の軽減を政府に露骨に求めています。


 ◆小泉「構造改革」の罪


 こうした財界の要求は、96年の橋本「六大改革」に盛り込まれ、それが小泉「改革」に受け継がれました。橋本「改革」は健保本人負担を2割に引き上げました。2000年代の小泉構造「改革」は攻撃をさらに加速し、毎年社会保障への国庫支出を2200億円削る政策を基本にすえ(「骨太の方針」)、健保本人3割負担を強行しました。


 2000年小泉内閣は、「聖域なき構造改革」を標榜し、さらなる小さな政府をめざし、社会保障費の抑制と社会保障分野の市場開放をすすめました。


 小泉内閣成立前の97年、当時の小泉厚生大臣の下、厚生省が発表した「21世紀の医療保険制度」では、すべての高齢者から保険料徴収する高齢者医療制度や健康保険本人自己負担は3割に、大病院の外来は5割負担、高齢者は1~2割の自己負担とするなどを打ち出しています。小泉内閣の誕生によって、入院の5割負担をのぞき、この政策は実施に移されました。


 医療費抑制策の仕上げとして、08年4月から後期高齢者医療制度をスタートさせ、療養病床の削減策を強行しています。後期高齢者医療制度は、高齢者の医療費を削減することを最大の目的として、75歳という暦年齢で、勝手に「後期(後ろの期)」と名づけられ、今まで入っていた国保や健保から追い出され、保険料は「年金天引き」され、保険料を払えない高齢者からは保険証を取り上げる、健康診断でも、外来医療でも、入院や「終末期」に至るまで、あらゆる段階で、安上がりの差別医療を押し付けられる、という制度です。


 さらに、規制改革と称し、保険給付範囲の縮小、保険業第三分野等財界・外資に新たな市場を提供する混合診療の全面解禁が画策されました。これには立場を越えた医療関係者の反対の声の高まりにより、当時の行革担当相と厚労相間で合意が結ばれ、実質的な全面解禁までは至っていません。しかし、民主党政権下でも、行政刷新会議が中心となって、混合診療全面解禁への動きが活発化していることはみすごせません。


 医療費を抑制するために医師養成数も削減政策がつづけられ、日本の医師数は、OECD諸国で比べると人口1000人あたり2.0人で30カ国中、下位から4番目、OECD平均にするには14万人以上の増加が必要という絶対的な医師不足を招き、地域医療の崩壊を加速させています。


 こうして世界の流れに逆行する日本の医療がつくられ、崩壊の危機に陥っています。国民のいのちや暮らしよりも、財界・大企業のための経済を優先させる国の政策的な過ちの結果です。


 ◆08年の「廃止法案」の可決


 08年4月にスタートした後期高齢者医療制度に対し、老人医療費の無料化を求めた70年代の運動以来30数年ぶりといわれるほどの国民の大運動がわき起こり、運動と世論に押された野党四党の結束で、08年6月6日には参議院で同制度の「廃止」法案が可決されました。一院とはいえ、実施済みの社会保障の制度に対する廃止が議決されたのは史上初めての快挙でした。


 また、医師・看護師を増やせのドクターウェーブやナースウェーブの運動、地域医療の崩壊や自治体病院の廃止・縮小に反対する地域住民の運動も、全国各地で勤務医自身や開業医を含む医療従事者・医療労働者、自治体労働者、住民を中軸に、広範な自治体関係者が参加して、激しく、粘り強く、創意を凝らして、展開されています。運動に押され、政府は、長年の医師養成数削減方針を転換させました。


 2,民主党政権の医療政策動向


 ◆3重の公約違反


 鳩山民主党政権は、公約である後期高齢者医療制度の廃止を実行せず、当面この制度の継続を打ち出し、3年後の2013年4月に後期高齢者医療制度を「新制度」に移行する方針を固め、厚生労働省内の高齢者医療制度改革会議で検討を重ねています。


 中央社保協は、鳩山政権のこの方針を3重の公約違反として、すみやかな公約の実施、後期高齢者医療制度の即時廃止を求めています。


 公約違反の第一は、廃止の先送りです。08年6月に参議院で民主党も賛成して可決された廃止法案は、「即時廃止」をうたっていました。また、三党連立政権合意でも「後期高齢者医療制度は廃止し、医療制度に対する国民の信頼を高め、国民皆保険を守る。廃止に伴う国民健康保険の負担増は国が支援する」と明確に述べていました。


 鳩山首相の言う「悪い制度(09年11月9日、国会答弁)」は、一日でも長く存続させてはまりません。毎日、75歳の誕生日を迎える方は4000人と予測され、後期高齢者医療制度に追いやられています。3年間の引き延ばしは、今後400万人近くの人を同制度に追いやることになります。保険料の滞納を理由に保険証を取り上げられる人々もすでに3万人近く存在します。廃止を3年も待つことはできません。


 第二は、4月からの保険料値上げをそのままにしたことです。昨年末、鳩山政権は廃止までの間、新たな負担増は押さえ込むと約束しました。保険料値上げを抑えるために、国庫補助を行う旨を自治体に通知していました。ところが、この国庫補助は実施されませんでした。この結果、厚労省発表で、31の都道府県(66%)が、最大7.7%もの保険料を引き上げることになりました。


 第三は、検討されている「新制度」の問題です。


 現在、65歳以上の高齢者全員を国民健康保険に加入させる案が有力案として浮上しています。この案は、自民党政権時代の舛添厚労相案に近いもので、厚労省はこの案についてだけ財政試算を出しています。その試算は、65歳以上の高齢者全員を国保に加入させた上で、65歳未満の現役世代と別勘定にする前提で行われています。まさに、後期高齢者医療制度が批判された年齢による差別のしくみ、医療費抑制の仕組みを温存し、65歳以上に拡大するものです。こうした制度が検討されること自体、公約違反です。3重の公約違反を止めて、すみやかに廃止するしかありません。


 ◆「廃止」できない訳


 民主党政権が後期高齢者医療制度を廃止しないのは、30年にわたり続けられてきた医療費抑制政策を転換する政策を持っていないことに起因します。療養病床の廃止・縮小路線を転換できないのも、これが原因です。


 今国会で審議中の「医療保険制度の安定的運営を図るための国民健康保険法等の一部を改正する法律案」は、高校生世代までの無保険の解消という前進面もあるものの、広域化を促進するための財政支援が本質です。そのねらいは、医療費抑制路線の継続にあります。


 同法案では、都道府県が、市町村国保の「広域化方針」を「定めることができる」とし、広域化方針には、「おおむね」、「医療費の適正化」や「保険料の納付状況の改善」の具体策などを盛り込むようにしています。そして、国保への都道府県の負担金(調整交付金)の支出は、その方針にそうよう「務めるものとする」となっています。つまり、収納率や赤字解消の目標が達成できない市町村に対し、国に代わって都道府県が、調整交付金を減らす制裁ができるしくみをつくろうというものです。


 4月22日の小池晃参議院議員の質問で、「国としては(調整交付金を減額しないよう都道府県に)要請したい。しっかり伝えていきたい」(足立信也・厚労政務官)の答弁を引き出していますが、法案の修正には至っていません。


 後期高齢者医療制度を廃止しない理由も、同制度でつくられた「広域連合」を国保の広域化、さらには「協会けんぽ」との統合に活用しようというねらいがあると思われます。


 広域化によって、市町村は徴収業務などに特化され、市民の切実な要望や実態を把握できなくなるばかりか、救済の手立てもなくなります。また、市町村からの一般会計法定外繰り入れも困難になります。


 なによりも住民の声の届かない医療保険運営がすすめられることになります。
政令市ほど保険料が高く、収納率も悪く、資格証明書発行などの制裁率も高い現実をみれば、広域化によって、国保の抱える問題が解決されるとは考えられません。逆に保険料の高騰、制裁や取立ての強化を生むだけではないでしょうか。


 4月7日の同法案の審議で、長妻厚生労働大臣は「保険者機能」を問われ、
「保険者機能は、例えば企業でも地域でも一定の目が届く範囲内、あるいは把握できる範囲内で、そこの例えば予防、保険事業、健康の教育とか、健診の促進とか、何しろ予防に取り組んでいくというようなことで、健康でみなさんがお暮らしになると言うことで、結果としての医療の財政も改善していく」と答弁しました。


 国保の広域は、まさにこの答弁趣旨にも反する、「目の届かない範囲」に保険者を置く政策です。国保こそ、目の届く範囲内で運営されることこそが大切な制度ではないか。すでに現在の市区町村単位でも、この間の合併などで人口規模が拡大し、滞納者へのきめの細かい、丁寧な対応が困難になっています。その結果が、滞納期間による機械的な資格証明書の発行などに結びついています。


 こうした広域化論議と関連して、朝日新聞を中心とする建設国保への攻撃が行われていることにも注意が必要です。


 当然の権利としての国庫補助をやりだまにあげ、「公平性」の名で、長年のたたかいと独自の努力で積み上げてきた「権利としての社会保障」を後退させる攻撃です。国保組合の解体、しいては建設労組の弱体化をねらう攻撃でもあり、広域化への露払い、国保全体への国庫負担をいっそう削減するねらいとも重なります。


 2012年には、診療報酬と介護報酬の同時改定がおこなわれます。一連の改革が、この12年4月をメドとして急ピッチですすめられています。介護保険の抜本改善とも結んだ運動が運動が求められています。


 3,「いのちを救う緊急行動」の提起


 1.後期高齢者医療制度のすみやかな廃止を
 「後期高齢者医療制度」の即時廃止に向け運動を強めます。


 2.無保険の解消と資格証明書の根絶を


 1)無保険者の実態調査
   ○政府への調査を迫る
   ○現場からの告発
   ○とりわけ、非正規労働者、失業者の無保険状態の告発運動


 2)資格証明書の根絶を
   ○悪質な滞納者であることを証明しない限り、資格証明書の発行はできない
   ○機械的な発行が横行している現実
   ○具体的事例で資格証明書の該当者であるかを確認する


 3)国保、介護、後期高齢者、年金問題を一体のものとして、「110番」をはじめとする相談・宣伝活動


 3.国に向けての全国共通の国保の署名にとりくみます。


 【国保改善の要求案】
 ①高すぎる国保料(税)を引き下げ、国庫負担をもとにもどすこと
 ②制裁措置を撤廃し、短期保険証や資格証明書の発行はただちにやめること
 ③無保険者の実態を調査し、早期にその解消をはかること
 ④減免制度を大幅に拡大すること
 ⑤窓口負担を軽減すること。窓口2割負担の実現と高額療養費限度額の引き下げを
 *要求案についての検討をすすめてもらい、全国署名に取り組みます


 4.窓口負担の軽減と一元化に反対する運動


 おわりに


 昨年の総選挙で54年続いた自民党の政治が国民の手によって引きずり下ろされるという、極めて大きな政治的転換がおこりました。自公政権を引きずり下ろしたエネルギーは、一昨年来「一揆」のように広がった後期高齢者医療制度廃止を求めるたたかい、障害者の皆さんが自ら立ち上がった障害者自立支援法をやめさせるたたかい、あるいは生活保護の母子加算、老齢加算の復活を求める当事者の運動。医師、看護師増やせ、地域医療の崩壊をもうこれ以上許さないぞという、ほんとに地域の住民とも一緒になった医療従事者自身のたたかい、まさに無数の各地のたたかいのエネルギーが政権を引きずり下ろしたと確信しています。貧困と格差を拡大してきた構造改革、社会保障破壊の政治への怒りのエネルギーが自公を引きずり下ろしたのです。


 「一揆」と称してもいいような運動が政治と社会を動かしはじめました。100年に一度といわれる金融危機の中で、世界中で新自由主義的な経済運営に批判の目が向けられはじめています。広がった各地の運動を反構造改革、反新自由主義でむすびあわせていく取り組みが求められます。


 7月には参議院選挙があります。格差と貧困を広げ、国民に苦しみを強いてきた「構造改革」路線、医療費抑制路線を転換させる大きな政治戦として、選挙に臨みましょう。真に安全で安心できる医療制度の再生をめざさなければなりません。