2025年は、転換の年です。
今度こそ立憲野党による政権交代を実現し、悪政によって痛めつけられた医療・介護・社会保障を立て直し、防衛費倍増をやめさせて国民生活を豊かにするために税金を使わせ、平和憲法を活かした積極外交を行ない、核兵器禁止条約を批准し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。
そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、災害の被災者のための真の復興が行なわれ、世界中の人々が安心して暮らせるようになることを願います。
2月11日、「『建国記念の日』不承認 軍国主義思想の復活に反対し、思想と信教の自由を守る2・11埼玉県民集会」に参加しました。
以下、そこで行なわれた講演「敗戦80年、日本の戦争責任・植民地支配責任を問い直す」の概要をまとめます。講師は加藤圭木一橋大学教授でした。
加藤先生は人々の目線から見た植民地支配を研究していて、著書に『紙に描いた「日の丸」』などがあるそうです。植民地で行なわれていたのは、日の丸の強制、強権的な軍事基地建設、搾取、公害などだそうです。
また、1990年代から現在までは、歴史修正主義が強化された30年だと指摘しました。今の若い学生たちは、1945年以前のことも1945年以後のこともよく知らず、自分たちの受けてきた教育が排外主義的であることも知らないそうです。
加藤先生は1983年生まれで、現在41歳、歴史修正主義が拡大してくる中で生きてきたと述べました。狭山市出身で所沢高校に進学し、在学中に日の丸君が代が問題になったそうです。
先生の父親が小学校の教師で、子どもたちとキャンプへ行って戦後50年をテーマにキャンプファイヤーをやるなど、民主的な教育を実践していたそうです。当時、そのような教師たちの自主的な取り組みがたくさんあったそうです。先生の地元の「狭山ひまわり学校」では、1995年は「戦後50年」、別の年には「性教育」をテーマに議論したそうです。
1997年、日本軍「慰安婦」問題が中学校の教科書に載りました。加藤先生は中学2年生で、授業ではきちんとした説明がされなかったものの、それまでの学びがあったので、女性に対して「ひどいことがあった」ということは認識できたそうです。
なぜ1997年だったかというと、1990年代に被害者が名乗り出て証言し、歴史学者の吉見義明氏が関連史料を発見したことにより、1993年に河野談話で「歴史研究、歴史教育を通じてこのような問題を長く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという決意」が表明されたからだそうです。
しかし、中学校教科書に「慰安婦」が記述されたのは、1997~2001年度のみだったそうです。教科書攻撃が行なわれたためです。
教育学者の藤岡信勝氏は、「自由主義史観研究会」を発足し、1996年から産経新聞に「教科書が教えない歴史」という連載を開始したそうです。このタイトルがキャッチーで、多くの人たちに歴史修正主義が浸透していったそうです。そして、教科書執筆者への脅迫へと発展してしまったそうです。
1997年1月には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、2月には「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足したそうです。この会の当時の会長が安倍元首相だったそうです。
2001年に「つくる会」の中学校教科書が検定に合格しますが、全国の市民が運動して教科書採択を阻止したそうです。
しかし、2002年版の教科書では「慰安婦」記述が後退し、記述したのは3社のみだったそうです。そして、そのうちの1社だった日本書籍は倒産してしまったそうです。
映画『教育と愛国』には、そういった経緯が取り上げられているそうです。
2006年版の教科書の「慰安婦」記述は2社のみで、沖縄戦の記述も後退してしまったそうです。
企業ぐるみの歴史修正主義も見られるようになり、フジ住宅では2013年頃から会社内で中国や韓国を批判する書籍や雑誌記事が置かれるようになり、差別主義的な文書を社内で掲示するなどといったことが行なわれたそうです。
2014年、第二次安倍政権下で教科書検定基準の改訂が行なわれ、2021年4月には政府閣議決定で「従軍慰安婦」ではなく「慰安婦」とすることが決められたそうです。つまり、日本軍の責任を否定するということであり、学問的成果を無視し、学問の自由を侵害するものだと指摘しました。この閣議決定は2022年の教科書検定に影響したそうです。
2024年に令和書籍の『国史』が検定に合格しましたが、この教科書は歴史修正主義で書かれているそうです。「慰安婦」という記述があるかどうかだけでなく、どう記述されているかも重要だと指摘しました。
大学でも、中高で日韓の問題は韓国が悪いと教わってきた学生が多数であり、ヘイトが悪い、侵略が悪いということはわかっていると言うが、それは一部のことだと思っているそうです。政権の立場が歴史修正主義的であるということは知らないそうです。
加藤先生は元所沢高校生として、1999年の国旗国歌法に関する経緯を振り返しました。所沢高校は、1989年に天皇が死去した際に半旗を掲げることに反発があり、国旗国歌を強制することに反対する決議が採択されたそうです。1997年、国旗国歌を強制したい校長と、自由自立を重んじる生徒、保護者、教師が対立したそうです。生徒たちは、毎年日の丸君が代を学ぶ学習会を開いており、侵略に使われたものと認識していたそうです。そして、生徒総会と職員会議で日の丸君が代は使わないと決めていたのに、校長と教頭が卒業式と入学式に使うことを強行したそうです。生徒たちは生徒会主催の卒業記念祭と入学を祝う会を開催し、入学式・卒業式は校長が勝手にやっていると出席しなかったそうです。しかし、生徒たちへのバッシングが起こったそうです。1999年、国旗国歌法が制定され、生徒たちは決議文を再検討することになったそうです。決議文に、国旗国歌の強制に法的根拠はないとしている部分があったからだそうです。4回、13時間の議論を行なったそうです。
このことは、国家権力が一つの学校の民主主義を踏みにじったということだと指摘しました。
2000年代、教育現場で「日の丸君が代」の強制が行なわれ、従わない教員の処分が行なわれたそうです。現場の教師は萎縮し、抑圧され、職員会議は議決機関ではなく補助機関にされてしまったそうです。現在の学生は、「日の丸君が代」が卒業式や入学式に使われるのが当たり前になっており、思想統制が完成してしまっていると指摘しました。若い人が気にしなければいいということではなく、歴史経過に問題があると述べました。
「日の丸君が代」の強制がなぜ問題なのかというと、第一に、「日の丸君が代」に限らず、どのような旗・歌であっても国旗国歌を強制すること自体に問題があると指摘しました。第二に、「日の丸君が代」の歴史的役割、民主主義との関係に問題があると述べました。「日の丸君が代」は侵略と植民地支配を遂行した天皇制による軍国主義の肯定であり、それらへの反省の欠如を示していると指摘しました。
1997年7月26日、「対話集会 日本で民主主義が死ぬ日-「日の丸・君が代」法制化を考える」が開催されたそうです。
反対運動の歴史が継承されていないのは思想統制の成果であり、対立があることすら知らない人が多いと指摘しました。
2006年、第一次安倍政権下で、教育基本法の改正が行なわれ、教育の国家統制が強化されたそうです。
「慰安婦」問題を考える教師への攻撃が行なわれ、性教育への弾圧も同様に行なわれたそうです。
現在は、日の丸はスポーツ競技やSNSでカジュアルに使われており、歴史があることも知らないと指摘しました。
戦後80年をめぐって、考えなければならないことが取り上げられました。
まず、「あの戦争」とは何を指すのかということです。
日米の戦争、対中国15年戦争、この部分だけを見るのでは不十分だと指摘しました。
加藤先生が教えている学生たちが『大学生が推す深掘りソウルガイド』という本を出したそうです。その第1章で、仁川国際空港が紹介されており、空港がある永宗島は、日本の朝鮮侵略の始まりとなった地点だと紹介しているそうです。150年前の1875年、「江華島事件」が起こりました。日本軍が徴発して朝鮮側に1発撃たせ、日本軍が侵攻をし、侵略を正当化したそうです。江華島は永宗島の北の大きな島で、江華島だけでなく永宗島も侵略されたそうです。朝鮮兵35人が殺害され、永宗鎮戦没英霊追慕碑が建てられているそうです。
1894年から1895年の日清戦争、1904年から1905年の日露戦争は朝鮮侵略戦争であり、戦場になったのは朝鮮と中国だと指摘しました。朝鮮民衆が自主的に封建王朝を乗り越えようとしたのを日本軍が制圧し、朝鮮民衆が3~5万人虐殺されたそうです。
1990年代、日韓歴史対話が行なわれ、君島和彦氏は韓国側から見れば「70年戦争」だと述べたそうです。
次に、アジアにとって「戦争」は終わったのかということが問いかけられました。
2024年に起こった韓国の12・3内乱事態は、尹大統領が「非常戒厳」を宣布したことで始まりました。
尹政権とはどのような政権化というと、日本から見ると「史上最悪の日韓関係」を改善したと見られていますが、それは歴史問題をなかったことにしようとすることだと指摘しました。徴用工問題については、韓国政府が日本被告企業に代わって賠償金を支払う「解決策」を示したそうです。軍事独裁政権の流れをくむ保守政権だそうです。反共、親米、親日であり、日米韓の軍事的連携の強化をはかるため、障害となる歴史問題を抑え込もうとしたということです。
その根源はどこにあるかというと、日本の民族分裂政策にあると指摘しました。日本の植民地支配に協力した「親日派」と呼ばれる人たちがいたそうです。1945年の解放後、「親日派」は支持されず、民族解放運動を闘った人たちが中心になって韓国国家建設を目指したそうです。しかし、米国軍政下で「親日派」が復権し、1950年に朝鮮戦争が起こり、「反共」を国是としたそうです。
韓国民主化後、2003年から2008年には進歩派の廬武鉉政権が歴史問題の真相究明を行なったそうです。それに対して「ニューライト」と呼ばれる勢力が台頭し、「自虐史観」であると攻撃したそうです。
尹政権は民主主義を否定し、植民地支配の歴史を歪曲し、人権を踏みにじってきたと指摘しました。そのため、韓国の人々の怒りをかい、弾劾されるに至ったとのことでした。
韓国では、日本が行なってきた植民地支配と民族分裂政策が影響しているそうです。
日本人の中には差別意識が根強く残っており、歴史を学ぶ必要があると指摘しました。
そして、「日本の平和」は朝鮮半島の分裂を前提としており、朝鮮半島では戦争は終わっていないと指摘しました。
加藤先生が教えている学生たちは、『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』という本を大月書店から出版したそうです。
学生たちが、自分たちが歴史を学んだ以上は何かしたいと考え、「モヤモヤ」という言葉を生みだしたそうです。この本は1万2,000部売れたそうです。
なぜあえて出版にしたかというと、手元に置きたくなるような本、親しみやすい本を目指したということと、歴史に関しては体系的な知識が必要だからだそうです。
この本はK-POPファンなどの中で話題になり、取材もされ、続編もつくられたそうです。
『大学生が推す深掘りソウルガイド』は、一般のガイドブックのように見えて歴史が学べる本となっているそうです。
これらの本は授業でも使えるそうです。教師が教えると反発されますが、大学生が語っているということで共感されるそうです。韓国でも関心をもたれているそうです。
こうした学生たちの活動があるということが、希望を持てることとして紹介されました。
以上で報告を終わります。