2026年は、正念場の年です。
医療・介護・福祉の制度改悪と負担増にストップをかけ、防衛費倍増をやめさせて庶民の生活を豊かにするために税金を使わせ、外国人や社会的弱者を敵視して真の闘うべき相手から目をそらさせる誤魔化しにだまされず、核抑止の矛盾を明らかにして核兵器禁止条約を批准させ、全産業平均よりも何万円も低い医療・介護従事者の賃金を改善し、最低賃金を大幅に引き上げ、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。
岡山県労働者学習協会のオンライン学習会シリーズ「学びの森」の第5講義が1月15日に行なわれましたが、当日は視聴できず、YouTube版を本日やっと視聴することができました。以下、その概要をまとめます。
第5講義のテーマは「資本主義とは(2)-利潤第一主義の弊害」で、講師は長久啓太先生でした。
まず、NHK朝ドラ「ばけばけ」の主題歌「笑ったり転んだり」が取り上げられました。
この歌は1番と2番があり、日によってどちらが流れるか違うそうですが、1番は「毎日難儀なことばかり」、2番は「日に日に世界が悪くなる」と始まり、朝ドラにしては珍しいネガティブな歌詞で、観ている人の実感に合っていると述べました。
ここ数年を見ても、生活はよくならず、政治は国民生活を省みず、政府は軍拡を行なっていると指摘しました。世界を見ても、トランプ大統領がベネズエラにもイランにも滅茶苦茶をし、極めつけが解散総選挙で、大事な予算審議を1ヶ月空白にしてしまい、「どうなっちゃうんだ」という気持ちだと述べました。
こうした時ほど基本に立ち返り、こうなっている根本原因をつかむ、つまり、資本主義の矛盾、弊害をつかむことが重要だと指摘しました。高齢者が、外国人がと、わかりやすい対決点ではなく、本当の対決点をつかむべきだと述べました。
マルクスは「万国の労働者よ、団結せよ」と呼びかけました。
直接選挙には関係ありませんが、大いに学び、話し合って、私たちの立ち位置を確認することが重要だと述べました。
はじめに、資本主義の限界の一つとして、気候危機を招いたことがあげられました。
資本主義には恩恵もありますが弊害が目立ち、このまま行けば人類の存続が危ぶまれると指摘しました。そして、貧困や格差、長時間労働、女性差別、ケアに冷淡な社会、国民からの収奪など、大本に資本主義経済の論理があると指摘しました。
第1章は、利潤第一主義がもたらす弊害についてでした。
資本主義の特徴は、労働生産物のほとんどが商品であることだと指摘しました。商品とは、売るためにつくられるものです。資本主義がブレーキが利かずに暴走すると、「売れれば何でもオッケー」になると指摘しました。
私たちが生活するためにはお金が必要です。商品をつくり、それを売り買いし、つかうという流れになっています。生産活動と消費活動が分かれ、間に必ず市場が入っていると指摘しました。生産活動の指標が「市場で売れるかどうか」になり、生産と消費が分断されているので商品の背景にある労働が見えにくいと指摘しました。
「資本」とは何かというと、自己増殖を目的として運動するものだと指摘しました。貨幣によって生産手段と労働力を購入し、それらによって生産を行ない、作られた商品を売り、その利益によって貨幣を得ます。この貨幣がより大きくならなければならず、そのために搾取強化が行なわれると指摘しました。搾取強化とは、労働者をより長く働かせたり、賃金を下げたり、労働効率を上げたりすることだそうです。
資本同士は競争をしており、資本を大きくすること自体が目的となっているので、際限なく資本を増やしていくことになると指摘しました。
したがって、「これは社会や人々の生活にとって基本的に欠かせないもの」であれば、「公共分野」、「公共財」として、資本の論理に侵されないようにする必要があると指摘しました。たとえば、農林漁業、水道、医療、介護、福祉、教育、住宅などです。しかし、新自由主義によってこれらの分野も侵されつつあるそうです。
資本の世界では、労働の目的が「価値を増やす」、利潤・数字をあげることなので、社会的に必要な商品やサービスを作り出していても生産されなくことがあるそうです。たとえば、訪問介護の報酬が下げられたことがそれにあたると指摘しました。逆に、社会的に不必要・有害なものでも、利潤を得ることができれば、資本はそこへ投入されていくそうです。たとえば、軍需産業がそれにあたると指摘しました。軍需産業は地球環境を破壊するものですが、世界全体で2014年は約213兆円だったのが、2024年は約380兆円に増えているそうです。
資本主義社会は、長期的に見ればまずいとわかっていても、目の前の利潤獲得に資本が投入されると指摘しました。
そのような社会では、人間評価に能力主義が入り込み、数字や成果に評価が偏ることになるそうです。コスパ、タイパといった効率主義が重視されるということです。
人や仕事を、見えやすい「数字」、「成果」、「効率」で判断すると、働く人は評価にさらされ続けるので苦しいと指摘しました。本来、人は多面的なのに、資本に役立つ能力が評価されやすいとも指摘しました。
勅使河原真衣氏は、著書『働くということ-「能力主義」を超えて』の中で、「私たちの社会は『自立』を目指すばかりで、本来組み合わさってなんぼの人間を『個人』に分解し、序列もつけて『競争』させる。(略)そこかれ生まれるものは、(略)大多数の方々の『生きづらさ』は他ならない」と書いているそうです。
明確な数字で評価され、一人一人分断されて評価されることにより、労働力が非人間化していき、搾取強化が行なわれると指摘しました。また、解雇、倒産のリスクもあると指摘しました。
資本主義は、ケアや自然を「貪り食う」ということも指摘しました。
ケアがなければ労働力が再生産されず、市場は成り立ちませんが、それを女性に押し付けているのが資本主義です。内閣府の2016年のデータで、家事労働の1人当たり年間投入時間は、女性が1,313時間、男性が275時間だそうです。先進国では、女性の家事労働時間は男性の約2倍だそうですが、日本は約5倍だということです。
箕輪明子氏は、雑誌『経済』2021年3月号に寄稿した「ジェンダー平等戦略を改めて考える」の中で、「本来、資本にとって労働力の再生産が不可欠なはずであるのに、資本制においてはそれに必要な社会的越す炉負担を資本が回避するために、家庭内で女性に家事労働を強制してダタで行わせ、女性の家事労働を収奪すると同時に、家事労働を担いつつ賃労働者として働く女性をより『劣った』労働者として差別しながら搾取する構造である」と書いているそうです。
また、資本は「子育て」の成果を「タダどり」するとも指摘しました。子育てには膨大な時間とお金を費やしますが、企業は当然のごとくその子どもを雇い使っていきます。
上野千鶴子氏は、著書『家父長制と資本制』の中で、市場が自然から資源、エネルギーをタダどりし、産業廃棄物を返す一方、家庭からは労働力を吸い上げ、病人や高齢者を家庭に押し付けるということを図式化して示したそうです。
ナンシー・フレイザー氏は、著書『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』の中で、「資本主義経済は、非経済的分野の重要な要素をとことん食い尽くす」と指摘し、「資本主義システムの矛盾は単なる経済危機ではなく、ケア、エコロジー、政治の危機でもある。今日、そのすべての危機が、蔓延している。何もかも、新自由主義(ネオリベラリズム)と呼ばれる企業の長年の暴飲暴食が原因だ」と書いているそうです。
水、食料、資源、自然環境、ケアも、無尽蔵ではありません。自然が崩壊すれば社会も崩壊し、人の生存も不可能になります。その自然を、目先の利潤追求で回避不能なまでに壊しつつあるのが現局面であると指摘しました。つまり、一握りの利益のために、全体の生存条件が奪われようとしているということです。
第二章は、いびつな世界、ここまで進んだ富の格差についてでした。
2025年のオックスファム報告書よると、ビリオネア、10億ドル=約1,500億円以上の富を所有する富裕層の資産が、2024年には2.1兆ドル=約315兆円増加し、15.3兆ドル=約2,295兆円となったそうです。これは、2023年の約3倍のスピードだそうです。また、2023年には世界で2,565人だったビリオネアは、2024年には2,769人へ増加したそうです。2024年には、1人1日当たり約200万ドル=約3億円の資産が増加しているそうです。
一方、世界の貧困を減らすスピードは落ち込んでいるそうです。国際貧困ライン1日当たり6.85ドル=約1,028円より低い所得で暮らす人々は約36億人で、1990年からほとんど変わらず、現在の世界人口の約44%だそうです。
世界の最富裕層1%で世界の富の総額の45%を所有しているそうです。世界の富の半数をごくわずかの最富裕層が所有しているなかで、世界人口の半数近くが貧困線以下で生活しているという歪んだ世界の構図が示されました。
富裕国と貧困国のギャップ、国家間の不平等も拡大しているそうです。
グローバルノースは、人口は世界の5分の1ですが、ビリオネアの68%が居住し、世界の富の77%はノースにあるそうです。グローバスサウスは、途上国、新興国が多いそうです。グローバルノースへの富の集中は、巨大多国籍企業とその独占パワーによって形成されたと指摘しました。巨大多国籍企業は現地の資源を収奪し、労働力を搾取していると指摘しました。
2024年10月28日に公表されたオックスファム報告書「炭素の不平等」では、世界の上位1%の富裕層による二酸化炭素の排出量は、グローバルサウスの貧しい国々に住む5億人の排出量に匹敵すると報告しているそうです。
しかし、気候危機の影響を真っ先に受けるのはグローバルサウスの国々です。富裕層はプライベートジェットやヨットの使用制限をするべきだと指摘しました。
マルクスは、「万国の労働者よ、団結せよ」と呼びかけました。余裕がないと不満は身近な人に行きやすいですが、本来の対立軸がどこにあるのかしっかり見なければならず、そのためにはマルクスの理論が適していると指摘しました。
内田樹氏と石川康宏氏の対談『若者よ、マルクスを読もうⅡ』の中で、内田樹氏は「いまの日本社会は階層の二極化、階層分化が急速に進んでいますよね。(略)このまま二極化が進んでいくと、おそらく10年後、20年後ぐらいに、本当に一握りの超富裕層と圧倒的多数の貧困層に二極化していくことになるだろうと思います。(略)法律や社会制度がすべて富裕層にとって有利なものに改変され、富裕層の支配が恒久化するように作り替えられている。(略)僕も、この二極化趨勢はどこかで止めなければ、人類的なスケールの危機になるだろうと思っています。でも、とりあえずそのための理論的な武器として使えるものというと、マルクスしかない。どこに戻るかというと、『共産党宣言』の最後のところです。マルクスはそこで、『万国のプロレタリアート、団結せよ』と書いていますね。(略)弱者同士で連帯しなければ救われないのだけど、その当の弱者たちが、お互いに競争し合い、奪い合い、足を引っ張り合っており、決して連帯が成立しないように社会の仕組みが作り込まれている。だから、収奪されているもの、疎外されているものは世界的なスケールで連帯しなければいけないという『古い物語』にもう一度行きを吹き込む必要があるんじゃないか。僕はいまの日本の現状をそう考えています」と述べているそうです。
石川康宏氏は同書の中で、「一生懸命夜遅くまで働いている人間がまともに飯も食えない社会っておかしいだろうと、ホントに肌身で思いますね。(略)自分は雇う側ではなく、雇われる側にある。(略)マルクスはその労資関係を、資本家による労働者の搾取という対立面と、互いに別れては生きられない相互依存面の併存すなわち矛盾としてとらえていきました。そして、働くエネルギーの使用から儲けを蓄える人と、『労働の対価』という名目で生活ギリギリの賃金をもらう人では、経済的な立場が違っている。マルクスはそこに、資本主義社会における階級対立の根本を見ていきました。社会の人間をわける一番太い線をそこに引いたのです。ところが、その線のこちら側にいるのに、男と女の労働条件の差別、正規と非正規の格差、民間と公務との差がつくられて、それぞれに諍(いさか)いが煽られます。意図的に分断されるわけですね。本当なら手をつないで、太い線の向こうにいる人たちに対して状況の改善を迫る取り組みをすることが必要なんだけど、太い線がどこにあるかわからなくなっている人が多い。それが仲間割れの要因になるわけです」と述べているそうです。
だから、マルクスを学んでおくことが大事であり、学習することが偽りの対立点に騙されない、惑わされないことにつながると指摘しました。
第三章は、資本の横暴をコントルールする「人びとのたたかい」についてでした。
新自由主義による収奪は、人びとの人権よりも自由な市場経済に価値があるとするイデオロギー・政策であるとの定義が示されました。
新自由主義の本音は、「いちばん大事なことは、市場における自由な競争。これこそが人間の本質、活力の源。生存権とか教育権とか、人間らしく働くルールとか、労働組合、そんなものは競争の障害物。社会保障は競争の敗者によるたかり。自助と共助でなんとかしろ。国に頼らない自立した個人になりなさい。ぜんぶ自己責任」というようなものだろうと指摘しました。
こうした新自由主義は、政策として各国で進められ、考え方としても私たちの中に内面化されてしまっていると指摘しました。
とくに1980年代以降、新自由主義的政策の逆流があり、規制緩和、公共領域の縮小化、公務員削減、官から民へ、緊縮財政、株主優先などが政策として進められたそうです。
このままでは人間もケアも維持できなくなり、社会の持続可能性が失われると指摘しました。社会の持続可能なものにする、万人の基礎的ニーズが満たされなくなるということです。たとえば、子どもを生み育てること、環境破壊や災害などに対する回復力、復元力などです。人々の切実なニーズが「放置」されていると指摘しました。
では、どうするのかというと、「連帯」、「たたかい」を広げようと呼びかけました。
労働運動、社会運動による人権と社会保障の発展、人権の獲得、自由権の拡大、社会権の確立が必要だと述べました。
利潤の追求にストップをかけ、まずは人々の基礎的ニーズや人権が優先される当たり前の社会を取り戻すため、資本の暴走をコントロールするたたかいが必要だということです。
石川康宏氏は、雑誌『経済』2009年1月号に寄稿した「『資本主義の限界』を考える」の中で、「むきだしの資本の論理を、社会全体の安心や安定、平和や豊かさを求めるその国の労働者・国民がどこまで制御し、管理することに成功しているか…つまり、…国民による資本主義の民主的管理がどこまで達成されているか」ということが、社会の成熟度を測るものさしになると述べているそうです。
資本の論理を規制する大きなバリケードが日本国憲法であり、私たちが安心して暮らせる、人権が守られる、日本国憲法どおりの社会にしていくことが、本来の選挙の争点にすべきことだと指摘しました。
太田愛氏の小説『未明の砦』は、労働者の成長を描く作品であり、その中に「力ある人とその近くにいる人たちだけがより豊かになるのではなく、大勢の普通の人たちが生きやすい世界へと変えていくためには、力を持たない私たちが声をあげるところから始めるほかない」と書かれているそうです。
声をあげるのは大変であり、声をあげるトレーニング、学びが必要だと指摘しました。そのためには、声をあげている人たちに出会うことが必要であり、組織、運動が声をあげるトレーニングをする場となると指摘しました。
さいごに、アリシア・ガーザ氏の著書『世界を動かす変革の力』の中から、「変革とは、ごく少数の特別な人たちが、突然、奇跡のように何百万人もの人々を動かして起こる、と信じている人が多い。しかし実際は、何百万人という人々が一定期間、時には何世代にもわたって継続的に関わり、献身的に打ち込んでいるから起きるものなのだ」という言葉が紹介されました。
目の前の現実になかなか変わらない壁のように見えるが、世界中で人々が安心して暮らせる社会を目指してたたかっている人はたくさんいる、そうした人たちとつながって活動していくことが変革の力となると指摘しました。
以上で報告を終わります。