1988年11月2日ー昭和9年ベーブ・ルース来日ー
○○○ちゃんは、本場のアメリカで大リーグを見てきたけれど、
お父様は、甲子園で、大リーグをみた。
ベーブ・ルースとかルー・ゲーリックなど球史に残る
大選手だちだ。
来日したのは、昭和9年11月2日。
小学校の1年生のときだった。
いまでも、父親と一緒に、甲子園球場のネット裏から、
日本のチームとの対戦を見た時の光景は、
くっきり、おぼえている。
ベーブ・ルースは、ホームランを打つとき、
どちらの方向に打つかを、バットで指し示して、
バッター・ボックスに立つので有名だった。
お父様が見たときも、それをやり、見事に指し示した方向に
ホームランを打った。
デッドボールもうけたけれど、全然、痛くなさそうだった。
そして、7年後にアメリカと戦争するなんて!
1988年11月1日ー大正14年山手線全通
JRの山手線は、酔っ払いにとって、きわめて、都合のいい電車だ。
もし、眠ってしまって、くるくる回っても終電にならない限りは、
目的に行くことができる。
ある男、代々木に行くため、池袋からJRに乗った。
時間は午後10時10分。
そのまま、ねむりこんでしまったが、ふと目が覚めると、ちょうど、代々木駅。
なんと、タイミングのよいことと、駅に降り、ふと時計を見ると12時半。
2時間20分も、山手線を、ねたまま、回っていたのだ。
けれども、山手線もはじめから、環状線ではなかった。
全通したのは、神田ー上野間の高架線が開通した大正14年11月1日。
上野公園で祝賀会が行われ、新しい駅の沿線は
紅白のちょうちんが、つらなった。
1988年10月31日ー戦争中「バット」は「金鵄(きんし)」「チェリー」は「桜」にー
ハロウィンは、どうだった。
“バカ”な友だちだけど、みんな楽しそうなヤツだね。
むかしは、外国の祭 りで、日本でもやったのは、
クリスマスくらいのもの。
最近はいろいろとあって、大変だ。
バレンタイン・デーやら「母の日」やら。
みんな、戦後“輸入”されたものだ。
日本ほど、外国の習慣を簡単に、取り入れるところはない。
本当は、国際的なんだろうね。
しかし、戦争中は英語も禁止になったことは知っているだろう。
あのころ、「バット(こうもり)」とか「チェリー(桜)」とかいうタバコがあった。
ところが、昭和15年10月31日に、それぞれ「金鵄(きんし)」とか「桜」と
名前が変わった。
まるで、コドモみたいだ。
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1988年10月30日ー教育勅語・御名御璽ー
「タッカー」 面白かったね。
アメリカには、悪の天才も多いけど、あのように
夢を絶対に、追いつづけるのがいる。
それを、また、アメリカ人は信じているんだ。
ところで、きょうの日付は、戦前に学校にいった者には
忘れることができない。
「明治二三年十月三十日」
そしてこのあとに、こうつづく。
「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」
教育勅語の最後の部分だ。
「御名御璽」は、「天皇の名前と判」という意味。
いちいち、天皇の名前を言うのは、おそれおおいというので、
こういう言葉を使う。
むかしは、教育勅語と御真影(天皇の写真)を守るのが
校長の義務だった。作家・久米正雄の父様も校長だったが、
火事で、どちらも焼けてしまった責任をとって割腹自殺した。
処女作「父の死」は、それをテーマにした。
2010年10月30日
父とよく映画をみにいった。
「タッカー」は本当に素敵な映画だった。
アメリカンドリーム!アメリカに行ったら、どんな夢も実現できる!
そんな風に、幼いころの私は思ったものだ。
御名御璽、「ハリーポッター」のヴォルデモートを連想した。
名前をよぶのは恐れ多いから「名前をよんではいけないあの人」
「例のあの人」などの表現が使われるヴォルデモート。
こんなこと、思えるようになったこの時代は幸せなのかもしれない。
恋人までの距離
ブログネタ:「こんな恋がしたい!」と思う映画ある?
参加中イーサン・ホーク演じるアメリカ人青年と、ジュリー・デルビー演じる
フランス人の女学生、が、列車の中で出会い、
短い間にとても意気投合して、ウィーンで14時間だけ一緒に
過ごすことにする。ウィーンの街を歩きながら、
二人のあいだに恋が芽生えていく様子を描いている。
特別なドラマは存在しないけれども、ウィットに富んだ会話が魅力的で、
それだけで楽しめる映画です。
初対面で、何もしらない男性と、ここまで踏み込んだ会話ができるくらい
意気投合できたら、幸せだろうなぁ
まさに運命の恋!といった感じです。
これを観た時、大学生だったこともあり、
なんとなく似たような環境にいたせいで、
余計忘れられない映画になりました。
でも、この続編が「ビフォア・サンセット 」で9年後という設定で
描かれるのですが、(実際にビフォア・サンライズから9年後に
公開)大人になってしまった2人には、
「ビフォア・サンライズ」のときのようなキラキラした感じが
なくなり、諦め、疲れ、そういったものが見られるのが
リアルでした。
やっぱり、若い時の恋愛は、希望に満ち溢れているから
魅力的なんですね。
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1988年10月29日ー「ヘソ天」「空見ず」は「晴天間違いなし」
秋らしい、さわやかな天気が続いている。
大きな移動性高気圧が、日本を覆っているからだ。
こういう、天気のことを「へそ天」と呼ぶことは、
確か、前に書いたような気がする。
ヘソを出して、寝そべったままでも、確信を持って、
「きょうは晴天」と予報できるので、このようにいわれる。
島根県の大社(たいしゃ)町では、同じように
「晴天間違いなし」の天気のことを、こういうのだそうだ。
「空見ず」
雨が降るかどうか、わざわざ空を見上げて
確かめる必要がないからだという。
山陰や北陸地方では
「弁当忘れても、傘忘れるな」と、よくいう。
それほどに天気が変わりやすい。
だから、かえって「空見ず」のような言葉が生まれ、
そんな天気を貴重がられた。
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1988年10月28日ー氷結した海に閉じ込められたクジラの救出ー
アラスカの氷結した海に閉じ込められている2頭のクジラが、
ついに救出された。
このクジラをエスキモの人が、みつけたのは、この5日のこと。
そのときは3頭だった。
余り早く、海がこおってしまったので、外海にでる暇がなかったらしい。
海にすんでいるのだから、氷の下をもぐっていけばいいはずだが、
クジラは、哺乳動物。
時々、海面に顔を出して、呼吸しないと生きていけない。
けれども、氷がはってしまうと、顔が出せないのだ。
一頭は、氷に鼻をぶっつけ、19日目に死んでしまった。
そこで、ソ連の砕氷船が出動、米ソが力をあわせ、
外海までの水路をつくった。
たっだ2頭のクジラのためと思うけれども、こんなことの
積み重ねが、世界を平和にする。
日本の南極観測隊も、20年以上も前、ソ連の砕氷船に
助けられたことがあるんだよ。
2010年10月28日
今日は、本当に寒かった。
26日深夜に木枯らし1号が吹いた。
突然の冬の訪れに、体がついていかない。
息子は、長靴をはいて傘をさせる雨の日は
少し嬉しそうだが・・・。
33人の作業員が地下700メートルに閉じ込められた、
チリ北部コピアポの鉱山落盤事故。
この事故の救出活動は、世界中が関心をもち
救出成功のときは、メディアの影響か、
世界がひとつになった感覚を味わった。
本当に、こういうことの積み重ねが世界を平和にする。
そう願いたい。
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1988年は、木枯らしが吹いたのが10月14日と、
とても早かった。
1988年10月27日ー定山渓パート2-
定山渓(じょうざんけい)。
お父様が日教組の大会を取材してきたところだ。
札幌から、西へ50キロぐらいのところにある温泉場。
バスで1時間半、タクシーで約40分かかる。
白樺の茂る渓谷の左右に、旅館が立ち並び
中心を流れる豊平川の水はとても冷たかった。
しかし、ところどころから流れ落ちる温泉滝は、うっかりすると、
やけどするほどに熱かった。
江戸時代の末期に、修行僧の定山が、アイヌに教えられ、
この温泉をみつけたという。
キリスト教の宣教師が、南米の未開の地に入り
布教したように、日本の僧も、人跡未踏の地を歩き回り、
宗教を広げた。
熊の出てきそうな、山道を白樺の枯葉を踏みしめて
歩きながら、定山がどんな気持ちで、ここへ来たか考えていた。
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参加中1988年10月24日ー定山渓ー
また、出張してきます。
行き先は、札幌(北海道)の近くの定山渓という温泉。
ただし、ここで開かれる先生たちの組合の大会を取材
するためで、泊まるのは、札幌のホテルです。
北海道は、60年の2月(だったと思う)に、やはり、
同じ大会の取材に行っているので、これで3年ぶり。
前にも1回行ったことがあるから、全部で3回
行くことになります。
なかなか、いいところ、とくに、北の稚内などは、
素敵で、ちょっと日本ばなれした光景がみられるので、
いつか、いこう。
大会は、先生たちが、この1年、自分たちが
教えている学科のことなどで、どういう風にやると、
生徒が、よくわかるか、など、研究の結果を発表
するためのものです。
多分、26日の夜に帰ります。
2010年10月24日
定山渓には、結局父とはいけなかった。
結婚2年目のときに、夫といった。
父が、「いつか、いこう」なんて書いてくれていたことさえ
覚えていなかったので、本当に偶然、定山渓にいったのだ。
父とも行きたかった。
でも、そのかわり、イギリスに2人で行った。
私は態度はひどいものだったが、
それでも、いい思い出。
温泉よりも、イギリスの方がわたしたちらしかった。
