日本にはどこでもある自動販売機。
イタリアではなかなかお目にかかれない。
切符の自販機も少ないくらいである。
あっても以前に述べたように、使い勝手が悪い。食品類の自販
機は、駅などに、コーラやファンタ、ちょっと斬新なところで
アイスの自販機があるくらいである。
その他、学校や職場に行くと、コーヒーやココア、簡単な駄菓
子の自販機が階段の踊り場などに置いてあったりする。
これらをよ~く見ると、
「つり銭出しません」
と大抵小さく注意書きが貼られている。
その不親切な自販機の中でも割りあい親切なものは、
出なかったつり銭が額面上に残る仕組み
になっているので、次の人がその金額を利用できる。
不親切な自販機でもアクドイものは、
つり銭も食べてしまう自販機である。
一回ボタンを押すとそれでおしまい。
例えば、50セント硬貨しかない人と、
20セント硬貨しかない人が、
二人でそれぞれ35セントのものが二つ買えるか
と言うと、前者の自販機はよいが、
後者の自販機では50セント硬貨を持っている人だけが
35セントの物1個を50セント出して買えるだけである。
買えた人、買えなかった人、どちらにも不満が残る。
自販機側は15セント得した事になる。
それでも返金レバーのついていないもの や、
お金は入れたが額面がゼロのままで何も出てこない、
という泥棒自販機についてはいちいち触れないが、
これらの自販機普及率はとても高い。
実際私もこちらでの自販機経験ではトラウマとなって、
自販機を前にすると、どうしても
「胡散臭いもの」「イチカバチカの賭け」
といった不安が拭いきれなくなってしまった。
たいした金額ではないので、大きな社会問題としても取り上げ
られないし、そこまで大袈裟に言いたいわけでもないが、私が
解せないのは、発展途上国でもないのに、未だに
「釣り銭出しません」
という機械を出している、その姿勢である。集金人が釣り銭の
補給をする手間が省ける、というそれだけであろうか。
やはりどこかに見え透いた狡賢い気持ちがあるはずだ。
単なる惰性とは思えない。未だにそういった機械を作っている
会社があるというのは、そういった機械を好んで買う会社があ
るということだ。
だいたい、私は生まれてこのかた日本での自販機で
「つり銭出しません」なんていうのは見たことが無い。
何十年も見たことが無いのだから、何十年前の技術で充分つり銭が確実に出る仕組みが存在したわけだ。
今や自販機製造者にとっては朝飯前の仕組みのはずなのだ。
日本の自販機のように、数十円の購入のために紙幣から投入できたり、硬貨を数枚一度に投入できたり、釣り銭がジャラジャラっと一掴みに取りやすいように戻ってくる自販機が欲しいという高望みはしない。
だがつり銭を出さないというのは、どういうことか。
イタリアでは自販機までもが
「売ってやる」―「買わせてもらいます」
という精神に付随するのであろうか。
普通のお店でも釣り銭があるように出すと、
「細かいの無いの?」
と店員にモロに嫌がられ、財布の中身をのぞかれる傾向がある。
実際に釣り銭が無い場合、釣り銭を調達する売り手は少ない。
だいたいの場合、買い手の方が紙幣を持ってあちこちまわって
細かくしてもらうのが普通である。
自販機も、無言で「細かいのないの?」と言っているのであろうか。
しばしば店員が釣り銭ゴマかすさまを、自販機も見習っているので
あろうか。
また、そういう小さな被害に遇っても、
「しゃぁないなぁ・・・」
で済ませるイタリア人達であるから、イタリア経済がまわって
いくのであろうか。