イタリアよもやま話 -88ページ目

日本マニア

イタリアにも「オタク」という言葉はそのまま輸入され、

イタリア人日本マニアの間ではよく使われているが、

えてして否定的な意味はなく、

ポジティヴな意味で使われているようだ。

日本マニアで最も多いのは、アニメマニアだが、

単に日本が大好き、という人も結構いる。

私は仲のよい友達に日本キチガイがいる。

まだ今の皇太子さまが結婚なさっていなかった頃、

彼女はある朝、興奮して電話してきて

「昨夜夢を見たの。私が日本のプリンスと結婚する夢。

どう思う?!」

私は、そこまで文句無しに日本が好きか? と呆れた。

日本マニアによる、こんなサイトページを見つけた。

写真とタイトルだけで、知らない人が見ると

まるで日本では実際によく使われているかのよう。

なんといっても日本大好きって感じのマニアのサイトだから、

日本人をおちょくっているのではない。

それだけにちょっと笑える。

日本人の発明器具

http://www.giapponemania.net/より

イタリアでの日本のテレビ番組


日本からの輸入番組では圧倒的にアニメが多い。
この頃のアニメの主題歌はこちら用のを作ってしまって変えているが、
輸入初期の頃は、そのまま日本の主題歌を使っていたものもあって、
日本語を全く知らない人で、子供の頃に毎日見聴きした
お気に入りアニメの主題歌を、
訳もわからず歌えるイタリア人を私は何人も知っている。
門前の小僧習わぬ経を読む、である。

だいたいイタリアでは自国で作っている番組が少なく、
夜の8時半以降は解説者もいない
映画の流しっぱなし状態の局が多い。
夜中までそんな感じ。
たまに政治評論みたいな事もやるが、
大人も子供も楽しめる「けんか・なじり合い(たまに殴り合い)
になるこが多い。
政治家の出演する番組関係は生放送が多いので、
決着つかないまま時間切れで終ったりする。

ドキュメンタリーは殆ど外国からの借り物。
それも、イタリアの放送局の枠に合わないのか、
なんだかおかしなところで切ったり、
突っ込みが足りないまま、番組が終る。


日本からの輸入番組で、皆によくからかわれるのは、
MAI DIRE BANZAI”(マイ・ディーレ・バンザイ)と題する番組。
直訳して「万歳と絶対に言うな!」
という、いかにも変な題名だが、
この番組は20年近く前の日本の幾つかのお笑いアクション番組
のパッチワークである。
「風雲たけし城」やら、
あの手の番組を15分~20分くらいずつ切り貼りして
一つの番組に仕上げている。 
あのような番組では、いちいち日本語の会話を吹き替えするような
内容でもないからか、番組の方は音量を小さく流しっぱなしにしておいて、
本当の音声で二人のイタリア人のお笑いナレーション音声が入る。
それがまさにおスギとピーコ調で、
番組にちゃちゃを入れるといった形だ。
そう長い番組でもなく、夕方の変な時間帯にやっていたと思うが、
結構みんな見ていて、
「日本人は、よくわからない。マイ・ディーレ・バンザイ
を知ってるか?日本人にあんな馬鹿な面があるとは、信
じられない。あの番組は日本でも人気があるのかい?」
とよく言われる。
彼らはあの番組が日本でも一つの番組として放送されたと思っている。
まさかあの手の番組が、数多く存在しただなんて
思ってもいないようである。
「いえいえ、ああいう面が多分にあるんです、はい。」
と言うしかない。

たけしは、こちらではキタノと呼ばれ、ヴェネツィア映画
祭で受賞した映画監督として知られているが、
彼がビートたけしとしてギャグを連発していたこと、
ましてや、「マイ・ディーレ・バンザイ」で、
お殿様の扮装をしてホッペに真っ赤なほお紅塗って、
大扇子を振っていたなんて、
それをこちらでもみんな見ていたなんて、
わかっていないのではないか。
彼がキタノだと気付いているイタリア人は、
テレビ局の人ですらいないかも知れない。


ちなみに私は、テレビが購入後2年くらいで壊れて(雷のせい)
すったもんだの修理後また2年くらいで壊れたので、(また雷のせい)
それをよい機会にテレビのない生活をすることにした。
ニュースくらいしか見るものないし、
そのニュースも毎日続く戦争の悲惨な映像や交通事故ばかりだし、
見たい時には興味深いもの何もなし、インターネットもあることだし、
不便は全くない。

デザイン変更したのはいいけれど

12月という事で背景デザイン変更しました。

でもそれぞれのデザインで文字枠数が違うんですね・・・・。

なんで!?

文字枠が違うなら、この書き込み用の枠組みもそれに対応して狭くなっ

て             (←こんな風になっちゃうの後で直すの大変)

くれないものかなぁ。。


しかも11月の分もブルドックちゃんになっちゃって。



チップ制度について

イタリアでは基本的にチップ制度はない
イタリア語ではチップの事をマンチャというが、
私の知っている限りでは、
飲食店のお会計の時、紙幣のお釣りで来る細かい硬貨を、
たまに「細かいの、とっといて」といって残すくらいが、
私の周りのイタリア人のすることである。
それもユーロになって、一個の硬貨の価値が上がってからは
きちんとお釣りを貰う人の方が多くなった気がする。

私の周りのイタリア人、と書いたのは、
私には上流階級の友達は少ないので、
その辺のところは統計に出来ないからである。

元来、チップの習慣というのは
経済的に余裕のある上流階級の人が、
自分でも充分出来得ることを、
下層階級の人に代行してもらった際に、
正規の料金の上に、彼らにとってのハシタ金である金額を、
代行した本人直接に直接お駄賃・心づけとしてを与えるものであろう。
そこには上流階級の者の、「誇りや驕り」も充分に匂っている。

貧富の差が非常に激しく、安い賃金で雇用され、
チップがあってこそ、やっと人並みの生活が送れる労働者の多いアメリカでは
習慣化したのも充分うなずけるが、
今現在のイタリアや日本では、ちょっと訳が違う。

日本でも昔から丁稚奉公の子に駄賃を与えたり、
宿屋や料亭の部屋係りに、心付けを与えたりする習慣はあり、
それは今でも残っている。
「心付け」「お祝儀」というのも実に気の効いたネーミングのチップだ。
受け取る側が受け取りやすく、へりくだった気持ちにさせない。

それはイタリアでも同じで、
高級ホテルのポーターや、タクシーが贅沢品だったときの運転手に、
マンチャを渡す習慣はあった。
当時そういうものを利用するのは皆上流階級の人か、お金持ちだった。

法的に階級制度が消えて、貧富の差が前ほどなくなって、
以前は贅沢だったことを誰でも彼でもするようになると、
話は変わってくる。

ところが、イタリアの観光地では、
サービス業の人たちがアメリカ人達が習慣で残すマンチャに甘やかされてしまい、
チップを払わないと、大胆にも請求してくる時すらある。
でもよく見ると、彼らはイタリア人にはマンチャを請求しない。
ひいきしているのでははなく、マンチャの制度がイタリアにはないと
知られているからである。


日本からの観光客の人には、

イタリアでチップ制は慣習としてはないこと、

チップは「気持ち」
としてはあるだけで、
渡さなくてもなんの恥かしいこともないこと、

レストランで、テーブル係りが気に入ってチップを渡すのは自由だが、
その気もないのにチップを請求されても
(請求するくらいだから慇懃無礼な奴だと見てよい) 断わる勇気を持つことと、

イタリア人もそうするように 、レシートを渡されたらその場でよく見て、
頼んでいないもので請求されているものはないか (これがまた多いんだ~)
チェックする習慣をつけるとよいと思う。

なんだか誤解されそうですが・・・

今までの自分のブログをちょっと眺めてみて、

まぁ、呆れるくらいにイタリアについて文句タラタラ

述べているのに気がついた。

いったい何が「イタリアよもやま話」なんだか、

ただのウップン晴らしではないか。

これをイタリア人に読ませたら、

「そんなに不満なら、自分の国へ帰れ!」

と怒鳴られることと思う。

要するに私は自分勝手な性格なんだと思う。

自分が日本でいかに肩身の狭い存在だったか・・・・


数分毎にある通学・通勤電車・地下鉄の

最もギリギリのを選んで、それにも遅れる。

だから学校でも職場でもいつも走りこみセーフ、

最初の数分はゼーゼー言ってて仕事にならない。

手紙は書くけれど、投函せずに鞄の中に入ったまま。


そんな私がこっちではどんなに気楽か!

アポイントメントの時間ギリギリに走りこんだら、

まだ他の誰も居ない。

電車の時間に遅れてしまっても

当の電車がまだ来ていないので、結果的にその電車に間に合う。

で、アポイントメントに遅れても「電車の遅れ」が口実に出来る。

自動販売機に前の人が残した数十セントがあって

自分のたった10セントとかで暖かいココアが飲めたりする。


などなど、数々の恩恵にあずかっているのだ。

ただ、日本人として生まれ育った私には

約束の時間に遅れることは悪、

他人のものを無断で拝借する事は悪、

他人(団体)に迷惑をかけることは最大の悪、

というのが、根本のところにあるので、

自分が受け身の時に限って

そのメカニズムがむくむくと表面化し、

勝手に怒って文句を並べているのである。

この性格は直りそうにないので、

ネタ切れするまで当分は

こんな感じのブログが続くことと思う。




自動販売機


日本にはどこでもある自動販売機
イタリアではなかなかお目にかかれない。

切符の自販機も少ないくらいである。
あっても以前に述べたように、使い勝手が悪い。食品類の自販
機は、駅などに、コーラやファンタ、ちょっと斬新なところで
アイスの自販機があるくらいである。
その他、学校や職場に行くと、コーヒーやココア、簡単な駄菓
子の自販機が階段の踊り場などに置いてあったりする。


これらをよ~く見ると、
「つり銭出しません」
と大抵小さく注意書きが貼られている。


その不親切な自販機の中でも割りあい親切なものは、
出なかったつり銭が額面上に残る仕組み
になっているので、次の人がその金額を利用できる。


不親切な自販機でもアクドイものは、
つり銭も食べてしまう自販機である。
一回ボタンを押すとそれでおしまい。


例えば、50セント硬貨しかない人と、
20セント硬貨しかない人が、
二人でそれぞれ35セントのものが二つ買えるか
と言うと、前者の自販機はよいが、
後者の自販機では50セント硬貨を持っている人だけが
35セントの物1個を50セント出して買えるだけである。


買えた人、買えなかった人、どちらにも不満が残る。

自販機側は15セント得した事になる。
それでも返金レバーのついていないもの や、
お金は入れたが額面がゼロのままで何も出てこない
という泥棒自販機についてはいちいち触れないが、
これらの自販機普及率はとても高い。


実際私もこちらでの自販機経験ではトラウマとなって、
自販機を前にすると、どうしても
「胡散臭いもの」「イチカバチカの賭け」
といった不安が拭いきれなくなってしまった。


たいした金額ではないので、大きな社会問題としても取り上げ
られないし、そこまで大袈裟に言いたいわけでもないが、私が
解せないのは、発展途上国でもないのに、未だに
「釣り銭出しません」
という機械を出している、その姿勢である。集金人が釣り銭の
補給をする手間が省ける、というそれだけであろうか。


やはりどこかに見え透いた狡賢い気持ちがあるはずだ。
単なる惰性とは思えない。未だにそういった機械を作っている
会社があるというのは、そういった機械を好んで買う会社があ
るということだ。


だいたい、私は生まれてこのかた日本での自販機で
「つり銭出しません」なんていうのは見たことが無い。
何十年も見たことが無いのだから、何十年前の技術で充分つり銭が確実に出る仕組みが存在したわけだ。
今や自販機製造者にとっては朝飯前の仕組みのはずなのだ。


日本の自販機のように、数十円の購入のために紙幣から投入できたり、硬貨を数枚一度に投入できたり、釣り銭がジャラジャラっと一掴みに取りやすいように戻ってくる自販機が欲しいという高望みはしない

だがつり銭を出さないというのは、どういうことか。
イタリアでは自販機までもが
「売ってやる」―「買わせてもらいます」
という精神に付随するのであろうか。


普通のお店でも釣り銭があるように出すと、
「細かいの無いの?」
と店員にモロに嫌がられ、財布の中身をのぞかれる傾向がある。
実際に釣り銭が無い場合、釣り銭を調達する売り手は少ない。
だいたいの場合、買い手の方が紙幣を持ってあちこちまわって
細かくしてもらうのが普通である。


自販機も、無言で「細かいのないの?」と言っているのであろうか。
しばしば店員が釣り銭ゴマかすさまを、自販機も見習っているので
あろうか。
また、そういう小さな被害に遇っても、
「しゃぁないなぁ・・・」
で済ませるイタリア人達であるから、イタリア経済がまわって
いくのであろうか。

立体映像 公衆電話ボックス

~CORRIERE DELLA SERA より~

東大の研究で、スターウォーズのレイラ姫がオビワンと話す時のように、

相手の姿が立体映像で見れるものだとか・・・・。

故郷のおばあちゃんとかが、孫の姿を見て、

「あらまぁ、大きくなったねぇ・・・」

と電話に向かって言える時期も、もうすぐなのでしょう。

オビワンの体が透きとおった感じの

立体映像みたいになるのか、

まだ知りませんが、

もしかすると、ネットショッピングよりも

テレフォンショッピングの方が、実物大の物が間近で見れて

便利になるかもしれませんね。









イタリア語の地名

よくよく考えたら、中国に限らず、イタリアでも独特の国名を
イタリア風につける。もちろんアルファベットしかないので、漢字
が充てられる、なんて生ぬるいものではなくて、国や町の名前自体
をイタリアンに変えてしまうという、大胆なものだ!
例をあげてみよう。

日本    GIAPPONE(ジャッポーネ)
中国    CINA(チーナ)
合衆国   STATI UNITI(スターティ・ウニ―ティ)
ブラジル  BRASILE(ブラジーレ)
英国    INGHILTERRA(インギルテーラ)
ドイツ   GERMANIA(ジェルマーニア)
スェーデン SVEZIA(ズヴェーツィア)
デンマーク DANIMARCA(ダニマルカ)
スイス   SVIZZERA(ズヴィッツェラ)
ハンガリー UNGHERIA(ウンゲリ-ア)

どれもカタカナにするとなんだかイタリアレストランのメニュ
ーを見るようだが、この程度なら、まぁ普通である。英語とも似通
うところがある。国名に関してはそれ程ビックリさせられない。
ところが、町の名前になるとちょっと変わる。

パリ     → パリ-ジ
ロンドン   → ロンドラ
ベルリン   → ベルリーノ
ニース    → 二ッツァ
バルセロナ  → バルチェッロ-ナ

この辺はまだいい。
エジンバラ    → エディンブルゴ
チューリッヒ   → ズリ-ゴ
ストックホルム  → ストッコルマ
シュトゥッツガルト→ ストッカルダ

こうなると可愛らしいともいえる。
ところが次のは、ちょっと分からない。

ミュンヘン → モナコ(ディ バビエーラ)
ケルン   → コローニャ

ミュンヘンに限ってはモナコ公国のこともモナコなので
紛らわしい事この上ない。
イタリア語は日本語と似て、最後に必ず母音が来る。しかもややこ
しい事に女性・男性名詞の区別もあるので、町Citta`(女性名詞)
は、しばしばAで終る名前にされるのだろう。どうも合衆国の都市
名や、マイナーな都市名は、そのまま無理して読んでいるところを
見ると、かなり古い時代からイタリアと交流のあった都市には、イ
タリア流の名前が付けられた、あるいはもしかするとローマ時代に
正式にそんな名前が付けられていたのかも知れない。
無学の私のいう勝手な想像だが。

威尼斯(ヴェニス)より

中国で開催されたミスワールドの写真を新聞で見た。
私の関心は、美しいミス達の胸のタスキに!出身国名が中国語でも
書かれてあったのだ。私は香港を除く中国本土にはいまだに行った
事もないし、中国については知識が皆無といってもよいので、
驚いてしまった。

アメリカ合衆国 → 美国
フランス     → 法国
ドイツ       → 徳国

へぇ~、なんで?って感じである。
日本語の≪米国≫(「べいこく」と読んでしまうことも)、≪仏国≫
≪独国≫っていうのも考えてみると変だから、それに比べると中国
語の方がファンタジーがあって相手国に対して親切かもしれない。
興味が涌いたので、他の国も調べてみた。

≪義大利、意大利≫がイタリア、
ちょっと笑えるのが≪奥地利≫オーストリア、
想像しやすいのが≪埃及≫エジプト。


これらの合成熟語は「先頭の音を表す漢字+概念を表す漢字」と
いう法則にのっとって作られたらしい。
皆さんも興味があったら一度ご覧になってください。
中国語の国名サイト


電車男

電車男。

なんだかSF小説じみた不気味な題名だけれど、

日本のネット通じての実際のやりとりが本として出版され、

ベストセラーになっている、という長い記事がありました。

現代の純愛物語だとか。

私は今のところ読めないけれど、

感動的だという面はさておいて、

他人のやりとりを見たり読んだりすることに

興味を惹かれ、面白く思うという現象は、

私たちの本能でしょうか?