◆ パドヴァ市長から日本への激励
イタリアは統一されて150周年ということで、この3月17日はイタリア中で臨時祝日となりました。
(たったの150年なんですよね、イタリアという国になったのは。どおりで、まとまらん訳だ・・・)
各地で催しが行われたのですが、
歴史的な大学都市パドヴァでも、前日の16日から催しがあり、それに私は仕事で参加していました。
催しの行われた町の中心にあるラジョーネ宮。市役所に隣接しています。
多くの市民やマスメディアが集まり、大画面でイタリア統一の際のパドヴァの歴史を振り返る前に、
市長のお話があり、開口一番で、
『今日は、この私達の集いの為に日本人が一人参加しています。
彼女の国で起こった悲惨な出来事の為に皆で黙とうしましょう。』
という言葉があり、皆で黙とうをしました。
催しの関係者は皆胸にイタリア国旗の三色の紋章をつけたのですが、
私の同僚二人は、腕に日の丸の旗も張り付けていました。
私も含めるその他大勢の同僚は、腕に白い腕章を日本への想いのシンボルとしてつけました。
(追悼という意味では黒だろう、という意見だったのですが、
皆黒っぽい礼服だったので、黒では見えないことから、白になりました。)
最初は会議のような、こういうう雰囲気で始まりました。後ろの木馬がデカイんです!
催しが終わり、帰宅の準備をしているところへ、パドヴァ市長とその他の関係者が、
『今回の震災について、心から哀悼の意を表しますよ。元気を出してくださいね。』
と私に直接握手を求めに来てくれました。
この握手は、震災時にイタリアで のうのうとしていた私へではありません。
私という日本人を通して、日本の皆さんに送られたものです。
がんばれ東北、がんばれ日本。
(たったの150年なんですよね、イタリアという国になったのは。どおりで、まとまらん訳だ・・・)
各地で催しが行われたのですが、
歴史的な大学都市パドヴァでも、前日の16日から催しがあり、それに私は仕事で参加していました。
催しの行われた町の中心にあるラジョーネ宮。市役所に隣接しています。
多くの市民やマスメディアが集まり、大画面でイタリア統一の際のパドヴァの歴史を振り返る前に、
市長のお話があり、開口一番で、
『今日は、この私達の集いの為に日本人が一人参加しています。
彼女の国で起こった悲惨な出来事の為に皆で黙とうしましょう。』
という言葉があり、皆で黙とうをしました。
催しの関係者は皆胸にイタリア国旗の三色の紋章をつけたのですが、
私の同僚二人は、腕に日の丸の旗も張り付けていました。
私も含めるその他大勢の同僚は、腕に白い腕章を日本への想いのシンボルとしてつけました。
(追悼という意味では黒だろう、という意見だったのですが、
皆黒っぽい礼服だったので、黒では見えないことから、白になりました。)
最初は会議のような、こういうう雰囲気で始まりました。後ろの木馬がデカイんです!
催しが終わり、帰宅の準備をしているところへ、パドヴァ市長とその他の関係者が、
『今回の震災について、心から哀悼の意を表しますよ。元気を出してくださいね。』
と私に直接握手を求めに来てくれました。
この握手は、震災時にイタリアで のうのうとしていた私へではありません。
私という日本人を通して、日本の皆さんに送られたものです。
がんばれ東北、がんばれ日本。