話合い後帰社、社員と既に広島のMデザイナー心配し駆け付け待機していた。早速試運転の模様と、現場を離れる際確認の喫水を基に排水量計算から船体重量を割り出す。 1割強の計画重量過多を始めて知る。 而もトリム上不利に作用し最早小細工の範囲を超えていた。 尤も大型船含め進水後喫水確認は通常の事、しかし高速艇ではよりシビアー(実測)に搭載品等裏付けを行う。
 
 船体後部改造を視野に重量重心トリム計算から最適トリム(船体姿勢)を求め、社員の天本君・N君には計算を、Mさんには理想のイメージを求め繰返し計算を行った、時間は既に翌日に差掛ろうとしている。 Mさん責任を痛感し一部資金面での協力を申出てくれたが、一切の責任は私が取るとの前提で協力要請の経緯あり。
 
 翌日 「ナカシマプロペラ」K係長に試運転時の状況を電話で伝え再検討を願う。「サーフェスプロペラ」は通常の翼型と違い、クサビ型(ナタ?)断面、我々には予想が付かない、後日再度数値データ提出を約束。
 
 結果 最適トリムと為す様船尾のくぼみ部分を埋めるべく船体改造とプロペラ位置を更に後部迄延長。 従ってシャフトはユニバーサルジョイント(自由回転継手)を介してシャフト延長、主機関を移動させる事なく済ませ、トリムタブに頼る事無く廃止。 中途半端は余計な要因を生む、自問自答し心配のあらゆる要素・要因を除去、一発勝負に賭ける。
 
 最早 二度の失敗は許されない、不成功の場合は当時新築直後の自宅を手放し通常の方式で再度「新船建造」を覚悟、家庭内では家内・両親共に伝えていた。
 
 それら改造案資料を携え対馬の漁協に伺う、再工事と期間延長のお願いし了解を取る。 造船所S専務も同席? 各組合長了解後、専務は私を除き別室での話合いを願い出た、瞬間何事かと不信の念が募る。1時間程話合いの後テーブルに着き「誓約書」のサインを求められる。 専務既に準備し持参の書面、福岡航研工事代金を全額負担と本件解決に付いては「造船所技術と協同」して解決を諮るとの文言。成功の暁にはとの目的をチャッカリ含ませていた。 まな板の鯉サインし、終える。
 
 余談だが、「サーフェス艇」失敗の情報はあらゆる方面に伝わり、思わぬ筋から問い合わせとも付かぬtellが次々、業界での関心が伺われ緊張の度合い益々。
 
 数日後、工事見積りを見て愕然! 私も費用見積りは「設計書」で概算し腹積もりは有ったが2~3倍の額、最早改造より予算不足を取戻すかの金額 数百万。設計金額は経費共 数10万円、予算不足に義理立て些少、 何んの事やらと後悔。
 
 強かな相手は問答無用、誓約書なる錦の御旗が背景。半額支払い、成功し納艇の目途次第、残額支払いを了解願うのが精一杯。  途中から立場は逆転していた。帰途立ち寄り艇体を確認する、空き地に廃タイヤを敷き鎮座の如くポツ~ン。見捨てられたかの如く、 艇と共に捲土重来を期す! であった。
 
 かくして一切の手配を終え工事の進捗状況を見守る段階。 プロペラはピツチが200㎜減っていた、K係長苦心の程を察すると共に「サーフェス」の困難さを知る。係長も又、理論からあらゆるファクターを類推し引用の結果、模索は同様な立場。
 
 しかし船体前部が立上り機関停止の現象は脳裏を離れず、解決手段決定し次回試運転まで四六時中うなされる様な日々となる。 その間当時の心情を思い出すに、歩道を歩行中フラフラッと車道へ体が擦寄る、体が自然に危険へと接近する。 あの状態を「ウツ」と呼ぶのだろうか元々睡眠時間は少いが睡眠不足は時に朦朧状態。
 
 打つ手は打った筈だが、更に予期せぬ事態を想像し推敲は計算確認に費やす。社員の天本君流石に見兼ね、社長一切の些事に構わず解決努力に励んで下さい!
 
 会社での設計業務は普通に為されており数ヶ月専念は彼らが頑張っているお陰。時の次第で私含め僅か3名、彼ら二人で仕事消化はかなりの苦労を強いていた。加勢せねばの気持ちも働くが、現実は厳しく刻々再試運転は迫っていた。
 
 改造工事は5月末完了、6月初めに「公式試運転」が決定。 暦は入梅だが、花曇で陽は射している。例により進水直後、川か運河とも付かぬ航路を海上を目指す。デザイナーのMさん試運転立会いに来たが、らしい長髪はバッサリ丸ボーズ頭にビックリ! 本人何も申さず平然とだが、問わずとも気持ちは察するに余る。
 
 今回 主機関回転もスムーズに上昇、当り前だが先の例もあり本艇の場合当り前ならず最初のハードル。 洋上に出て3/4速にパワーアップ、船長おかしい々と一人呟いている、問い掛けるが首を捻り何か探っている様にも見える。 艇は順調に滑るが如く走っていたので大丈夫感は安心安堵した。 船長は次男だが社長・専務とは性格は対照的的なお人柄、 走行中波頭を越える際船体のショックが無いのが不思議だったと回顧、 波に当たるショック(パンティング)はブレーキンクで抵抗力が増し高速性能を著しく損ねる。 従来の浮力中心と重量中心の位置関係を逆に求め揚力(圧力)扱いが功を奏した結果、船長ならず共皆未経験、五島の監視船のみ。
 
 試運転コースに到着後、船長と計測要員のE主任他計3名乗艇し試運転開始。徐行運転から1/2・3/4・4/4と回転数を上げコースを夫々往復し計測。 3/4辺りから快調の片鱗は成功を予感させるものとなった、 サーフェス独特のルースターテール(後方へ吹上げる水しぶき)を上げており歴史的瞬間は最早成功を確信させる走り。
 
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               小型艇乍ら勇姿に感動の時 歴史を飾る一枚

     (船尾後方「ルースターテール」が「サーフェス」走行の証明)

 
 愈々全開の出力11/10での最大速度を目指す、コース遥か先からルースターテールを視認、頼もしい走りは完全に滑るが如く速い、結果は35.2kt(65.19km/h) ! 海上での速度感は陸上の速度と異なりスピード感はそれ以上に思え怖い。ディーゼル機関での成功は世界的にも歴史的快挙は当時知る由も無く、ただ責任を無事果たせた事に安堵と共に苦労苦心の数々が吹っ飛んだ。 計測要員全員次々に乗艇し有明海最奥の海域を走行し乗り心地に酔う。
 
  その後 事務所に帰り社長・専務に報告し喜ばれていたが本心既に不明な関係。急遽 設計の他スタッフも交え、Mデザイナーと町の居酒屋で成功祝いの酒盛り。互いの健闘を称え無礼講と一気飲み(初の経験)で酔いしれた当夜だった。失敗の時もさりながら、成功の情報もいち早く洩れ伝わるは予想を超える。正直「サーフェスプロペラ」技術克服は当然だが造船所との苦闘譚でもあった。   
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 船尾後方「ルースターテール」を船上より、本艇より数年後の「タイタン型」小豆島 回航時四国大橋通過直後。   超高速は引き波が立たず白い航跡のみ。  
   博多港から小豆島内海湾最奥まで実質3時間半の航海を楽しんだ。
 
 
 「サーフェスプロペラ」はプロペラ下(後)面で水を蹴上げる様に掻きだすが、上(前)面は尖端から切裂く様に上面には空気を必要としており、流入空気が断たれると水中で空転現象が生じる。 機関重量がカタログデータと著しい差と船体後部の窪み(空間)が相乗の効果で真空状態となった。船首が立ち上がったのでは無く、船尾船底が深く引きこまれた原因が判明。 
その後の艇でも船側からの空気流入は見込めず上方からのみ有効は以外な現象と結果だった。

 

 数ヶ月してマスコミ公表を通じ関心と問い合わせ。 JETRO(日本貿易振興機構)海外向け報道で世界各国の報道機関にも取上げられ、米陸軍情報部(海軍では無い)からの問合せには驚く。 防衛庁研究本部(東京・恵比寿)と海上幕僚監部(〃赤坂)、海上保安庁本庁(海上安全局)等々に呼出され質問攻めと賞賛を頂く。 特に海上幕僚監部からは具体的に提案がなされたが、要求の艦船に適合機関機種(当時)が無く。その年「10大新製品」候補になる、ほぼ大手の電子機器が占める。
 
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                            左写真「フクニチ新聞」S59/7/20(1984) 最初のマスコミ報道
掲載記事、同紙は工高時代の「軽飛行機製作」「人力飛行機」、「ドイツ遊学」帰国後の紹介や「㈲福岡航研発足」を発表等々常にマークされた関係で縁は前田建一師以来のお付合い?
 
 取材の神埼記者、丹羽誠一氏(舟艇協会会長)に裏付け取材の上、 記事を書かれたが「サーフェス・プロペラ」の可能性はオフレコの積もりで50kt以上も可能と伝えたが編集で思いっきり宣言の如くセミタイトル扱いの表現には弱った。 
 
以後 50kt以上が目標となる。(怪我の功名?)
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平成元年(1989)    あまがせ(山口県・豊北町)
時速50.2kt(92.9km/h) 日本記録達成
          念願の50kt超え!
※海上マイル 1.852m   (陸上マイル 1.609m) 
達成当日NHK全国ニュースで報道され造船界に衝撃!

 

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 平成3(1991)   バイキング型
    時速52kt(96.3km/h) ディーゼル機関 実用艇
  日本(世界・当時)記録更新 後に詳述の予定
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  平成27年7月筆者撮影と記念のテレホンカード
 平成5年(1993) 漁場監視艇「みょうけん」 新沿岸構造改善事業 : 随意契約
  (福岡・野北)  L:     B:    D:     時速47kt(87km/h)
 私が現認出来る唯一実動の艇、 堤防釣りで人気のスポット。 20数年を経て多少色あせ感は有るが性能・機能共に些かの衰えを感じさせず風格?さえ。船尾甲板上にジェット機の様な空気取入口を設け「サーフェス」性能アップ。 走行中試しにティッシュペーパーを丸めキャビンから真上に投げ上げたが、見事に吸込まれ、効果の程を目にする。
 
 大分・蒲江の造船所で建造し福岡へ回航の際、予て運輸省海上技術安全局(当時)から共同研究を申込まれた時期でもあり、船底にストレィンゲージ(センサー)を貼り付け計測の予定だったが、P.C.のレスポンス(応答速度)が追いつかず失敗。CFRP製船体では国内唯一実績の私共に、 構造基準(案)作成を期待されていた。
 
 船体使用材料は全て運輸省「認定材料」使用が基本。 豊北町監視艇が初の当該検査船で本省検査対象として対応して建造された。 当初各地方支局では受け付けて頂けず九州地方本局(門司)に掛け合い、 以降 本省とコンタクトが常となる。
 
 流石に本省には切れ者が居られる。 過って外国クラスと接触した様な対応は先例・前歴の区別なく柔軟で実質勝負して頂けるのが有り難かった。時は「石原慎太郎運輸大臣」外国から貿易の門戸解放が叫ばれていた時期でも有り、 初めて検査官を「韓国 ・ 香港 ・ 米国」へ連れ出し海外検査を実施に成功。 海運局マター(要件)は門司本局からも、 木村社長案件はどうぞ本省へと回される。 私の場合、前例の有無関係なく新規アイテム導入に迫られての事、対応に困る筈。
 
            
 入札当日、町役場会議室に関係者一同緊張の中、応札の造船所に概要説明。   事前に資料等は配布済み、質疑応答だが何処も黙したまま特殊船だけにリスクを伴い各社、共に慎重。 事業規模から予算は厳しく、CFRP成型加工技術には深い関心は有るが「サーフェス」システムなる新技術に各社設計陣も悩まれた筈。
    
 応札の造船所は、長崎・福岡・山口・熊本何れも五島の監視船で競り合った社。
入札第1回目は予定価格を大幅に越え不成立、引続き2~3回と続けるが結局不成立、予算が足らないのだ。 会場思わず緊張が走る、此れまでも数回経験したが、
今回は予算以上にリスクは私も不安要素、新技術に期待・意欲を示してくれと祈る。
 
 結局 予算に近いS造船所(福岡県・大牟田)と別室で関係者話し合いの上決定。 その前後だったか、事務所から大恩のオヤジ(前田建一師)の奥様亡の知らせ。       公私とも平常な心境では無かった、その夜は落札の社(専務)含め懇親の席が設けられ多勢に無勢でしたたかに呑み過ぎた、トイレで貧血起し後頭部を強打、気絶数分?不明、此処何処??席に戻るも顔ぶれさえ忘れ記憶喪失、虫が知らせたのか。
 
  1~2週間後、起工式を兼ね5漁協組合長や参事一同とS造船所に伺う。
一通り名刺交換や挨拶を終え着席直後、社長開口一番「何で福岡航研に頼まれたんですか? 東京にはM高速艇研究所も有るのに」初対面にも拘らず私を一瞥し皆さんの一同面前イキナリであった。 事情・経緯はご存知無くともこれから監理監督に行く立場の私に、立つ瀬が無いとはこの事。 社長、専務共相当なツワモノに当初からガツーンだった。 帰路、組合長以下同情の言葉は、これからの苦労を暗示。
 
 以降、行く度「敬して遠ざかる」だったが、デザイナーのMさんS造船所決定を知らせた際、呻きとも思える表情の変化に取成した覚え。 その後彼と同道した際、建造中の小型旅客船を見つめ神妙且つ複雑な面持ち、同船は彼デザインに依るもの。
彼に依頼したがキャンセルを伝えられていた船、 流石に私も気が付いた。   
後年 大分県漁協の監視船を随意契約、設計を無断使用し建造は、ど肝を抜く?!
日本広しと云えど業界は「歌舞伎世界」の如く狭い。 噂、情報瞬時に伝わる。
               
 以降 入札に際して応札の造船所・業者選定では意見・希望を伝える事にした。
前回「南海造船所」とは対応が明らかな違い、事業・技術とは別な側面を知るに
及んだが遅きに失した。 気遣いは「サーフェス」の未知なる先行き心配な時。
 
 しかし設計のスタッフの直向で懸命な姿勢に助けられた、詳細設計は造船所所掌、現場指導含め打合せ等で救いだった。 中でもE主任は常日頃コンタクト意気疎通し全て彼を通じての作業はスムーズに運ぶ、一応(年度末)の予定納期に追われ
るが重量重心トリム計算では心配されていたがトリムタブに依拠、実は私も心配。    
 
 CFRPの施工要領など持てる全ての技術を投入、現場・設計陣と協同の作業。 
突貫工事は次第に姿が見えて来る。 ここでFRP(ガラス繊維)船とは鉄やアルミの均質材料と違い材料設計や材料生産から成される、作業精度に拠り結果は大きく異なり、今回CFRP(複合炭素繊維)の積層作業は、艇性能その成果をも左右する。
    
 重量管理が大切だが、予算不足の事業ゆえ何もかもとは、つい遠慮が先に立つ。
肝心な重量計測もそこそこに工事進捗、最早進水時の重査で最終確認する事に。
主機関は主要(指定範囲)性能でメーカー・機種は造船所決定事項M社製、始めての機関カタログデータによる精査・確認で済ませる。 前回はロードセルで実測したがS社に備え無く、時間と予算不足は未知な技術に取組む際様々な事態に直面する。     
 
 造船所は有明海の一番奥に在り、汐の干満差実に6M。 簡単に浮かせ計測とは行かない、干潮の際水面は数キロ先、目の前で流れの様に退潮は聞きしに勝る。 
 
 完成間近と共に数々心配事が募り寝覚めも悪い、話す相手も無く悶々の状態。 机上で計算データ摺り合わせし自問自答、重量重心は船体総重量共に気懸りな
面、喉の小骨以上心配、 高速艇では最も重要だが確認が出来ない。                      
 時は4月末、愈々進水試運転(公式では無い)満潮を期して進水と同時に試運転コースに向う、海上に出るには川を下らなければならない潮の干満を考慮すると
一刻の猶予も無い。 これら地方の造船所は夫々に地域特有の場所的事情が抱えており柔軟に対応は寧ろ当然の事。 造船所管理課長(次男、社長長男、三男専務)
船長操舵で出港、徐行運転を兼ね低速で川口へと向う。
 
 船長の隣でワッチ(周辺視認)20分位い経過やがて海上に差掛り、船速を上げるべくレバーを引きパワーを上げる。  サーフェスプロペラは一般スクリューと違いピッチ(翼角度)はかなり大きく全没状態、初動時は特に過負荷状態となる。
 
 加速は叙々に上げるがレスポンス(応動?)悪く船体は身震いの様に振動は常とは明らかな違い、回転数が6~7割方に達す瞬間、突然船首が立上りエンジン急停止!  皆急な事態に顔を見合わせ瞬時の出来事に動転、しばしボー然と立ちすくむ。
 
 何事か原因不明乍ら、再起動し試みるが同様な状態に諦め半速で試運転予定の  
運河に向う。 全員黙して語らず岸壁に係船、試運転は中止とする。 船体立上り機関停止に様々な要因を考えるか思いが至ら無い、陸上車で造船所に向う。
 
 既に情報は伝わっており、社長・専務共に恐持て顔が更に上気して待っていた。
専務、 アンタ(日頃拒むがしつこく先生呼ばわりに困っていた)この始末はどうする
のかと問いかけ、社長は防衛庁でも出来なかった船をよう手懸けたものだ、と精一杯軽蔑を込めた怒りを露にし。  結局 解決策を早く出す様迫り、改造に当たっては当然工事を伴う、S社では初回取引の場合一切の工事費は現金前払いが条件と重ね重ねだめ押し。 企業経営では当然の事だが、説明会で本事業のリスクを伴う旨は重々説明済み、従って共に協同で新規開発に当る様に要請での入札だった。

 

 加えて公共事業、公表となれば政治問題となる。 長崎県には議員の知り合いも有り当然県相手に訴える事も有りうると断言。 噂で以前JG検査船で予定性能に達せず、船主のクレーム処理から事も有ろうに海運局を訴え裁判沙汰は有名らしい
工事期間中関係メーカーから忠告されていたが、不幸?にも現実当事者となる。
 
 此れまでのS社姿勢と、本事業予算では最早協同の作業は期待出来ない。
従ってビジネスの関係、技術的課題の解決に加え、資金手当てが必要となった。   
 
         次回 ※⑦-3 サーフェス高速艇
          産みの苦しみを経て成功へ
           
 先の五島列島監視艇を終えたその秋、 長崎県庁水産課の紹介で対馬の漁協から相談が持ちかけられた。 五島の艇が配置された後、密漁被害が増えたらしく上対馬の5漁協が協同して在来の漁船で夜間見回りを実施していたが、一向に成果なく、つまり為されるが侭の事態に五島列島の情報が発端、切実さはより深刻だった。
 
 今回広島のデザイナーMさん帯同、比田勝の漁協事務所に伺う。 木造の古びた木造家屋 座敷の1部屋に5漁協組合長揃って待機され早速状況説明を聞く。
当時 各漁協共経営的に疲弊しており一様に苦悩はその場の雰囲気からも感じる。
前回の打合せとは対応が明らかに違い立場はお願いされる側だった。
 
 監視の範囲は対馬の北端部、先端グルリ3~40キロ、而もリアス式で複雑に入組み足(航続距離)は相当程度必要と思われる。 問題は事業予算2千数百万円。
一切をお任せしたいと期待されるが、予算面の制約は即答に応じかね持ち帰る。
 
 Mさんと小倉へのフェリー上で色々思案するも船外機で小型船が思い浮ぶが
航続性能とメンテナンスや故障の頻度を配慮、密漁船と同等以上は望めない。
以前 彼から提案の「サーフェス・プロヘラ推進システム」が互いに思い出された。
未だ皆目その方式が理解出来ず、メーカーから彼が協力拒否された経緯が不明。
 ※以後「サーフェス」と表現(極めて個人的読み) Surface : 表面・平面の意 
  本稿では「水面」を指す、 正確には「サーフェイス」or「サーフェース」と発音? 

 

 事務所で一人資料調べと解決策を模索するが既に方向は定まりつつあった、頭から離れない。 そこで拒否された理由を知りたく岡山「ナカシマプロペラ」を訪ねる。 
同社は以前からプロペラのマッチング(適合性)の問題で計画に際し各船資料提供し計算をお願いしていた。Y課長と初対面のK係長同席、話しを伺うが課長慎重姿勢、
が係長は前向きな風(?)、そこで全責任を負うので協力を請い回答は後日との事。
その際 「サーフェス・プロヘラ」論文コピーを頂き、 以後唯一の手掛かりとなる。   
 
 K係長学者気質と積極性に期待、数日後一応努力するとの返答、係長の決断だった。 しかし可能性を探るべく必要最小限規模の模索は続く、当然漁協への返事も出来ないでいた。 思案・煩悶の中書店で洋書コーナー雑誌を眺めるもガソリン機関のレース艇はヒントにも為らない。 刻々各組合長苦悩の表情も想い出す。
 
 その間 コンセプトを纏める為の検討は継続し数通りの案は出来つつ有るが、
決断に至らず「隔靴掻痒」の気分。 防衛庁技術研究本部(東京・恵比寿)でS37年頃
から数年間研究を知り「東レ」K氏に丹羽誠一(研究当事者:後舟艇協会会長)氏を
紹介願う、以前からCFRP船の普及活動で共に全国巡回を、天草で聞いていた。
 
 氏の「高速艇理論工学」と「丹羽チャート」は技術者必携の書。 恐れ多くもtellで話しを聞くべく伺いたい旨を伝え様としたが「サーフェス・プロペラ」を切り出した途端、困難を極めまして「ディーゼルエンジン」では話にならんっ! 言下に否定と怒りにも似た声で、お叱りとも説教ともつかぬまま断。  (成功後雑誌社通じ取材・試乗の申入れに断。 しかし記事冒頭、上記の件詫びと経緯が詳述される)
 
 先達の話で逆に決意は固まった、決断と同時に即漁協に着手の旨を伝える。
戦後(1945)米海軍で実験するも失敗、責任者はヨーロッパに逃げたとのエピソード。
私の経験上マイナスから出発は毎度の事、類例から現在の状況変化・進化・発達の違いを基に再検討。 ①主機関 ②船型 ③船体構造材料 共に当時とは異なる。
それらベター要素を組合せ取込む事に一点の光明と期待を賭ける事にした。
  
 「サーフェス・プロペラ」とは水中で回転させるスクリューと違い、プロペラが水面下(サーフェス)半分、上半分は水上で回転(空転)させる、それまでの常識を覆す翼理論、昭和17年(1942)スエーデンの学者が理論発表されていた(奇しくも私の生年)。
 
 翼理論は翼断面の上面が負圧70%、下面圧力30%の圧力差で推力(揚力)を得る。
しかし負圧が極度に達するとキャビテーション(水の瞬時蒸発・空洞現象)が発生し
プロペラの異常振動と共に折損に繫がり、速度向上の障害と限界に達していた。
「サーフェス・プロペラ」は下面の圧力のみで推進、従って負圧部分が無いので無限の可能性を秘め業界では垂涎の技術、尤もディーゼル機関(実用上)での事。

 

 高速性能では「ウオータージェット」が想起されるが、内部でのプロペラ(スクリュー)
は同様の現象が起る、直後のノズルで加速し高速を得る。 しかしエネルギー
効率と経済性は可なり非効率であり今回対象とはならない。 
 
 「サーフェス理論」は高速での高性能は知られていたが、ハンプ(滑走状態に入る到達点)越えまでの推力の弱さに実用化の技術的困難を伴い世界では敬遠されていた。問題はどの様な条件(数値的)を満たせば実現可能となるのかであった。
しかし既に門戸(防衛庁実験結果)は閉ざされ「四面楚歌」はキツイ。
後段 米海軍や防衛庁の失敗・挫折は「艱難辛苦」私にも現出。 最初の試運転
直後から路頭に迷うが如く散々もがき苦しみ死をも覚悟の事態に直面! する。
 
 既に「福岡航研」新艇・新技術に着手は周知されたか、メーカー売込出入り頻繁になる(メーカー情報網に驚く)。 最も「ディーゼル機関」の性能向上は著しく各社「カタログデータ」 は毎回数値的な差替えに期待は大きい(事後、失敗・混迷の一因)。     船型はデザイナーMさんのセンスに委ねる。 船体構造・軽量化技術は最先端・自信の誇りあり。 構想は予算規模から逆算、主機関出力と総重量から収束の段階。
 
  愈々仕様概要決定の時が来た、公共工事は年度末3月末日完了が前提。
私共に相談が10月中旬、その間約2ケ月足らずを懸案の事項検討に費やした。
正月も自宅で仕様書・設計書の纏め作業に没頭、昨暮れにはデザイナーMさんに概略L.B.D.機関出力・燃料容量・搭載機器・定員等を伝え最終案をお願い済み。 
 
 付き合わされる彼も大変だったと思うが互いに一匹狼然、24時間全て没頭は
マニヤの世界、果たして提示された図面はセンスと工夫が随所に盛込まれていた。
特筆すべきは船底がステッパー(段付)だった。 船底抵抗と最適走行トリム確保維持の為、しかし強度上は苦しく一部キール部分は全通とすべく変更をお願いする。
以外は鋭角的斬新なスタイルに惚れる。 船尾形状は窪んだ特異な形状だが
サーフェス構造とでも、彼苦心の策(作)。 機関配置上重量重心が極端に船尾に偏っており可動式トリムタブ(動翼)で対処。 このG.A.(一般配置図)、Line(線図)を元にC.Pro.(全体構造図)、M.ship(中央横断面図)を計算書と共に作成。 
積算「設計書」と共に一気呵成の作業約1ケ月、何事も決まれば早い。
 
 やっとの事で作業を終えたのは1月中旬(S59 1984)を過ぎていた、年度末の完成不能は県も承知しているが、建造サイドにすれば大変な作業を強いる事。
入札は1月31日が決定、入札の造船所が心配だった、果たして応じてくれるのか。
 
               実施設計~入札~施工監理~試運転
                      
  船舶の会計検査で挙げた実績は農林水産・本省を通じ全国の水産関係当局に
周知・認知される。 長崎県五島列島の小値賀島の漁協ではアワビ・サザエの養殖で成果と実績を上げ、特産物として都市部へ出荷いわゆる地元基幹産業であり、数年をかけ養殖に努めた成果であった。 しかしこれ等漁獲物の密漁被害に対応が図れず、 高速密漁船対策に県・漁協共に頭を痛めていた。
 
 しかし取締りは現行犯逮捕以外無く。 深夜高速を利用し養殖のアワビ・サザエを酸素ボンベ使用し一網打尽、根こそぎ取去り被害額は一夜に数十~百万円単位。
 
 県の単独事業で会計検査は無いが、会計監査はあり私共に相談が寄せられた。
だが高速艇の実績は皆無で対応に逡巡、 しかし県からは船の専門家、要はプロで技術は全て等しくと思われている。 又会計検査での実績は想像以上の信頼を寄せられ着手の運びとなる。  小値賀島には博多から最南端の福江島までのフェリーが就航、出港は深夜12時頃で翌、早朝小値賀島到着。 朝一から漁協会館で打合せが始まるが、海士(アマ)の組合員ほぼ全員40名余り一同に会し話し合うが、彼等には既に要望の船種と造船所があり最初から取り付くひまなし。 計3度伺ったがまるで人民裁判、相手多数聞く耳持たずは、 一夜波に翻弄され寝不足は心身共に疲労の極。
 
 但し 同席立会いの県、町担当者共に彼等の言に承知せずは当然、 要求が当面の取締り対象の相手造船所だった、 速度は九州地域では抜きんでて速いらしい。    
 
 斯様な経緯の中、 凡そ概略規模・漁船登録や設備と共に性能35kt(ノット:64.8km/h)以上を保証させられる。 当時30kt以上は音速の壁の様に立ちはだかっておりキャビテーションの発生は異常振動発生と共にプロペラ折損破壊に繫がる。 競艇やレジャーボートの世界ではガソリンエンジン走行は荷重度低くかつ航続性能は劣り実用性に乏しい。 本艇ディーゼルエンジン(主機関)耐久性に優れているが重量は大きく。 馬力荷重(△ton/PS)は格段の相違。 荷物を背負い山道を登るが如し。
 
 巷間、保安庁・防衛庁等高速艇が32~33ktとされているが最高最適条件下(燃料・付属機器最少で)、公式試運転は機関出力最大限、短時間だが疑わしい。 実用最大速度28~9ktが精々、世界共通の技術的課題。 戦前の戦艦30ktは戦略面が匂い公式試運転以外戦闘状態での航走再現は不可能、 プロペラ研究技術者談。
  
 一方対象の密漁船は操舵室剥き出しの僅か2~3トンの小型船、ガソリン船外機150~200psを2~3機掛け、デッキサイドにポリタンクを並べ正に命懸けの体制。 又ディーゼル機関の場合燃料制御弁の封切り、消耗品として最大出力を利用。 彼等は陸上から望遠鏡で漁協の動静を逐一無線で互いに連絡、対岸には運搬の陸上部隊がトラックで即販売に向かう、 極めて組織的で海上のヤクザ集団。 
時に現場で出会い戦闘状態となる、 敵はサザエやアワビを投げつつ証拠隠滅を諮り逃亡する。 当該の相手場所(基地)等特定出来ているが現行犯が前提、しかも保安庁の船艇は小回りが利かず、速度も遅くまして情報は洩れている。
但し密漁船は闇夜の静穏なコンディシヨンを狙って来る、 ほぼ全船波浪には弱い。
 
 帰社後、 専門の図書や資料収集の上国内や海外の類似の舟艇を同一テーブルに乗せ数値的比較検討するも旧海軍のチャートテーブル(丹羽チャート:丹羽誠一氏 後述)等含め速度は30kt以下。
 
 最早独自な対策と挑戦以外に方法は無かった、 とは言え高速艇は全くのど素人。
通常船舶は排水量型(ヨット)、 高速艇は滑走型(ボート)2種類に分類され異なる。
例えば旋回の場合、前者は外側に、後者は内側に船体(艇体)が傾く傾向がある。
左様に全く異なった性質は新たな技術の習得を迫られ云わば別分野への取組み。
幸い 予算(設計書)は新規枠で真(誠)の取組みが許された事が勇気付く。
 
 滑走とは、翌理論に近く水面を滑る、浮力と違い揚力と捕らえ問題解決の突破口と考えた。 従来の高速艇で用いる馬力係数、排水量係数、速度係数等々を航空機に置換、翼面荷重(Δ/As)、馬力荷重(Δ/ps)、空気抵抗(Da)、海面下の抵抗(Ds)、シャフトブラケットやフロペラシャフト等有害抗力軽減等々独自の思考経路を創る。 特に滑走艇にも係らず「排水量等曲線図」に基いた船形の係数利用は奇異に感じ、重量重心位置は浮力中心と前後関係に注目走行トリム(仰角)に配慮。 
 
 重量重心と揚力(滑走面圧力)中心との前後位置関係は従来の常識を覆す結果となった。 重量重心は「排水量等曲線図」や「重量重心査定」(重査)によらず、ロードセルで2点実測を基本とした。 「一事が万事」重量軽減と重心位置の算定、空気抵抗対策に尽きる戦いであった、無論 徹夜で孤独な侘しい苦闘の日々。
因みに 本艇の空気抵抗 35ノット走行時 約2トン、抗力は速度の2乗に比例する。
 
 当時 西区の福岡市ヨットハーバーにクルーザーを所有、 整備業者のNさんは業界に詳しく広島の新進ボートデザイナーMさんを紹介される。 後日広島駅付近の喫茶店で打合せ、彼はバイクにヘルメット姿だったが4~50cmのボート模型を大事そうに持参し現れた。 「レジャーボート・ワンオフ艇」や「競艇ボート」等々を手懸ける個人デザイナー、資料からセンスは流石を思わせる。 サーフェス・プロペラ推進方式を推奨されるが以前ナカシマプロペラ(メーカー)に断られた経緯を聞き据え置く。
当方 起案の仕様内容、船体の規模や概要、目的の性能面を伝えデザインを依頼。 いわゆるデザインで機能・性能面は設計と共に私の所掌、一切の責を負う。
 
 問題は船体重量、FRPは重量強度共に高度な技術を駆使しても限界を感じる。
実験で高速艇権威の丹羽誠一氏(丹羽チャート:海軍係数作成者)と「東レ」
26フィートCFRP(炭素繊維複合材)実験艇の例が有り、「東レ」にコンタクトし協力を仰ぐ事とした。 JCI(小型船舶検査機構)ではFRPでの構造基準、CFRP使用に
東京本部承認前提で使用可を確認。 FRP等価の積層構成で計画し構造を決定。
 
 実際 船首船底補強部の最大肉厚4㎜はアルミ構造をも凌ぎ、CFRP製の軽量化と共に剛性は一段と高まり性能面では欠かせない材料となる。 以後CFRPは高速性能と共に国内他社を寄せ付けなかった。 計算が多少複雑な複合則による為と、割高な材料費も合わせ普及を拒み、日本及び世界でも福岡航研のみの実績だった。
 
 何事も新規に取組む場合、従来方式・手法を勘案しつつ周辺技術や全く別分野での類似な現象・事物を視野に検討が常道 「岡目八目」が時に幸運を呼ぶ。  
 
結果 総トン数9.7、 L(全長)13M、B(幅)3.48M、D(深さ)1.55M、主機関350ps2機        
    船型 ボート型ディープVストライプ付、 船体構造 カーボンファイバー製                    
以上の資料と「設計書」予算規模4千数百万円を携え、報告と承認伺いに漁協を
訪ねた。 組合長曰く この玄界灘でボート型とはとんでもない無いと拒否の姿勢。
しかし35ノット達成には必要かつ絶対の条件を主張。 確かに玄界灘は波が荒い
ご尤も乍ら、密漁船調査結果は波浪中の高速走行困難を説明、乗船予定の船長の理解と説得に渋々了解は半日余りの喧々諤々。 私もこれ以上の対応策無く
拒否の場合引下る決意、以前「袋叩き」の経緯も想定し腹を決めていた。                                                                      
             
 入札は福岡、長崎2社、熊本、山口計5社の造船所ガチの勝負、以前造船所からの上から目線は無く、設計の重要性は船速を競う時代を迎え懸命になっていた。   
本艇は 完成の暁、新技術獲得と国内屈指の高速艇建造は各社必死の戦い。
           
 入札結果、熊本・天草の「南海造船」(当時:キャタピラー子会社)に決定、施工監理で一番遠方に通う事となる。 同社の木型は親子の船大工、仕上げは抜群最高の出来だった。 CFRP積層作業は「東レ」K氏を大阪から来て頂き指導を仰ぐ。
FRPに較べ肉厚が薄く、接合部や交接の箇所は従来とは違った技術的配慮と細工等図面に記せず詳細部分は力学的力の分散させるべく事細かに説明、本艇が特別な配慮を要する旨を指導と共にお願いする。
 
 例えば薄い船底含め外板に対して隔壁はせん断力云わば包丁の作用が働き
外板にダメージを与える。 従ってそのコーナ部には捨て張りと大きくRを成すべく「バルーンパテ」で埋め更にオーバーレイ(積層)を施し隔壁の力を船底に分散(線から面)して加わる様構造的配慮は通常船より倍する施工の必要が有る。 高速走行はパンティング(衝撃)圧力が速度に対して2乗倍の強さで加わり本艇の場合回数も格段に増す。 即ち補強の内部構造材が外板には外力を加える如くに作用する。 
 
 一方外板は船底含め全てハイブリッドCFRPで構成、 積層のガラス繊維をコアにCF繊維でサンドイッチ(挟む)してポリエステル樹脂を塗りローラーでシゴキ空気抜きと余分な樹脂を取り除く。 工作が不充分な場合上記の外力に耐えられず、疲労劣化から層間剥離を起こし強度は絶たれ、やがて破壊(事故・沈没)に繋がる。
 
 重量管理では主機関を始め搭載機器はバッテリー等全て計量後に搭載、斯様な手間と作業を負担をお願いしたが、 造船所上げて最大限の努力に感謝。
後年、 陣頭指揮の謹厳実直な工場長、定年退職後私共に参加頂く次第となった
 
 進水当時遅れて到着の私に、造船所設計責任者が最初に「これは違う」と口走る。
浮いた瞬間、 過去経験者のみ気付く浮きなりと軽さが一目りょう然感付く程の違い。 
 
 やがて機関始動時力強い排気音は船体硬さも有り鋼船に近い響きを聞かせる。
速度計測のコースを徐行運転で慣らし運転数回、 コース脇には全員見守る姿。
そして、計測スタート地点を遥かに超えた先より加速しコース進入、 これまで
未経験の速度に瞬間目の前をよぎるが如くに去って行った、成功を確信した瞬間。
速度試験は海流や風を相殺すべくコースを往復、平均の時間から速度を計算する。
結果は38kt(ノット: 70.3km/h)、 JCI検査官同乗「公式記録」はディーゼル機関では
日本最高速の記録を樹立、 而も「CFRP製」船体は世界初の実用艇誕生となった。      
   イメージ 1 
 
       速度計測コース(運河)上での「公式試運転中」の取締艇
     (背景の景色が流れている様子が高速性能を実感させてくれる)
 
 納艇先の漁協では組合長を始め島民全員から祝福と共に感謝され、 当初の責めや苦しみも全て払拭。 以後同艇の威力は「密漁船団」を寄せ付けなくなった。
しかし、無謀な挑戦は偶然な経験の積重ねが良い方向に導き、更なる苦行を呼ぶ。      
 
 そして私も高速艇の専門家として「デビュー?」は素人から一気に駆け上がった。
 
              着手の経緯 苦渋の選択、新たな挑戦 
                           
 本稿は文字通り、農林水産省(当時)の目玉とも言える事業で水産(林)業に関する
幅広く港湾施設や設備に及び、予算は国50%、県15~20%、市町村10~15%の補助金が交付され地元(本稿では漁協)負担僅か15~20%の負担で事業が実施される。
 
 国の補助事業であり実施は全て競争入札が原則、設計監理も同様手続きを伴う。 国から県への「会計検査院」検査は、当然専門知識の私共が説明責任を負う。 
 
 主に漁船建造に係り設計・施工監理を行ったが、基本 漁業協同組合(当時)からの要請に依るものだが、県や市町村の水産課からの声かけが殆ど、福岡市水産課「魚さい処理場」現況調査・基本計画の縁で指名頂き、 しかし形式的な入札会。
 
 19トン型のFRP製「鮮魚運搬船」、設計作業は其相応に馴れていたが、公共事業
では原価見積もりの「設計書」つまり積算金額が全ての如くに扱われる。常に会計検査を意識し書類等は検査直前にシナリオに添い、数字合せ順序付けは不思議。
 
 それら事業は既に漁協と役場で予算決定済、実務は予算枠内に嵌め込む作業。 
県・市町村・漁協・設計者間で真剣な書類のヤリトリは、事業の本旨以上に重要視、民間の商いとは全く別の世界、従って事業予算は実質手続関係で脹らむ。    
 
  「設計書」作成では通常「積算資料」に基くが、土木・建築用で該当部分は少なく
三社見積りが必要だが、材料・船用品は複雑で岸壁・店内・造船所・顧客度の軽重等、複雑な価格体系を有しそれら入手には、時に非常手段を用い困難を極めた。
                    
 一方FRP造船所は、代々船大工の家柄で地元漁師相手に漁船を造っていた匠。 木造船時代からFRP船へと移行は未だ10数年の歴史乍ら、夫々に自負が有り漁法や海域の特性にも精通。 計算された設計には一様に疑念・疑問を持っている。 
彼等の職人気質と、小型FRP船は造船所以上に経験少なく当初から上から目線。
 
 又 FRP船は建造に当り船体成型用型枠が必要で応札の業者(造船所)は自信の船型、型枠を所有が普通。 従って作成の「設計図」「設計書」は全て修正が伴う。
入札は最低3社でガチの勝負、 建設業界の様に機会は少なく地元の面子を掛けた
戦いとでも。 
 
 事務所には各機関・電装品メーカーが仕様書に盛込むべく働きかけと、予算規模を探る動きが活発に行われる。 秘密厳守は当然だが不思議と洩れる。 漁協とは会長・理事・参事や関係組合員との打合せの上、仕様内容を決定されるが。 資料は全て関係各所に配布されるので、 板挟みに立往生も再々は後味が悪い。 
 
 落札の造船所には、着工式・型枠検査・使用材料・作業状態・竣工式等々で監理に向うが、大概役所や漁協関係者同道。 多勢が押掛け事後、慰労の一杯が振舞われる。 問題箇所打合せや現場との詳細摺合わせに追われるが、これら事業は雑事・雑務が多く建造の本質以外に追われ、次第に馴れて其れが仕事と割切る。
 
 
  「会計検査」立会い
 「会計検査」は県が対象、県庁担当部署では、ほぼ1ヶ月(?)は準備に追われる。
従って我々も追加資料作成や詳細の打合せと共に「模擬検査」の質疑に至っては
最早劇団のセリフを覚えるが如き緊張感を憶える。

「検査官」は国の機関乍ら不偏不党「裁判所」と「検察」を兼ねた様な権限は絶対的存在。 検査は前日から現地待機、検査対象は数箇所合わせ行われ、その動静は、質問内容の詳細や人柄まで刻々情報、検査官も得て不得手が有るらしい。

現地(場)調査は場合により工事を伴い現場要員や関係者多数が控えゾロゾロ。
 
 検査会場は講堂、検査官机の前に県・私(真ん前真ん中)・漁協組合長が対面。
資料は各事業の書類が山積み、その書類には数多くの付箋が付けており確認事項は既に事前調査が伺え、緊張の度合いは最高に達する。 後方には観客とも思える他の事業関係者含め数十人が固唾を飲み息を殺して見守っており、まるで
裁判を受けている被告。 尤も私は専門の分野、質問に窮する事無く無事だった。 
当日数時間の遅れにヤキモキ、他の現場では床のコンクリートを剥し基礎の鉄筋
の施工が問題になったらしい。事前提出の工程写真に不信を抱き指示されたとか。
              
 晴れて会計検査、無事通過の実績は我々の想像以上「錦の御旗」となり各県
各地から重宝され指導的立場で継続。 農林水産省・本省にも届き東北まで及ぶ。
   
 しかし私の経験は30数年前の事、当時の公共工事の無理・無駄な作業の数々を目にし体験は現在改善が為されているのか心配になる。 目的とは懸離れた視点と作業は等しく能率に於いて民間企業の自助努力の姿からは想像を超えていた。
国民や市民の大切な税金を「金貨玉条」に非効率が罷り通る不思議の世界。
手続き優先、書類が国家かと問いたくなる。
 
 例えば担当事業の内建造に係る資料は僅か5㎝程度だが「会計検査官」に提出の書類は30cmを越えていた。 斯くも皆さん庁内で摂せと励まれたのだろうと想像。
私には為にする作業にしか思考が及ばない、公共事業の影の部分に思える。
現在PC活用で、相応の合理化はされてる筈だがお役人気質、匠の域に達したか。
 
 追伸 当初福岡県で本事業は始まったが、 此れまで述べた一件は各県等しく
一様な経験。  しかし地元贔屓を差し引いても当該事業は国内先陣を切り、実績はその後各地に及び皆懸命だった事は明記しておきたい。

 

      次回 ※⑥ 密漁監視高速艇 (炭素繊維:CFRP製)    
                               
  これまでの努力の成果は造船不況で立ち止まる事は許されず。 社員夫々手分けして仕事探し市内を駆け巡る日々約1ヶ月余り。 建設コンサルタントより「緑のマスタープラン」なる一種の都市計画に行き当る。 建設省地方市町村整備の為。
 
 以降 公共事業を緒に数年後、 又漁船(FRP船)から高速艇(CFRP)~サーフェス超高速艇(96km/h・ディーゼル機関)~軽飛行機開発(ACM製)、 以後 高速艇建造・販売「東京ボートショー」出展へと次々展開。 業界の注目を集めリードする存在になった。 経過は以後詳述の予定
 

  「緑のマスタープラン」 (都市・道路避難路計画)

 中堅の「Kコンサルタンツ」より頂いたのは建設省主導「緑のマスタープラン」ほぼ町の避難路や避難地(公園・緑地)を確保すべく、  25年後町の在るべき姿を想定し当該市町村のあらゆる現状を把握し基本調査と基本計画。 それら白地図に記載、図書作成の作業。 気候風土、土壌や植生、人口動態、経済環境、地域特性、自然環境等々以外にもあらゆるファクターが集められ、それらデータを元に有機的に関連付けた上に最終の案を決定する。  私が目を見張り最も注目したのは、一見無関係とも思える要因・要素を一枚の「フローチャート」で纏められ、 結果を誘導若しくは結実させる手法は、 さすが建設省歴史の重みと実力を感じた。
 
 担当のN君 寡黙なご仁乍ら黙々としかも着々とこなす姿勢と努力は会社に取り
一方の武器とも云える存在。 後年パソコン・ソフト開発やCADシステム導入に際し
て彼の尽力なくしては有り得なかった。 会社縮小し天本君と僅か3人の時。
 
 N君は資料収集と現地踏査(調査)に出向く一方、 当該市町村の白地図(A0サイズ)に色鉛筆で塗り潰す作業。 流石に我々には苦痛に思え常時女子学生のアルバイト6~7人にお願いする。 1町計60数枚、それ以上か相当な量とバイト代の出費。
福岡県吉富町、 鹿児島県加治木、 加世田市、 知覧町、 川辺町、 笠沙町等薩摩半島一帯。 知覧のお茶苗木は静岡をはじめ全国に出荷を知る。
しかし 余人が人工の手を加える事無く、 後世の状況変化に委ねる姿勢を貫いた。
これら作業でフローチャート作成の手法は、 その後「山篭り」で計画作成に寄与。
 

 「比恵住吉排水区」調査・計画

 福岡市土木部?の事業で「比恵住吉排水区」調査・計画では、後年博多駅中心に水害に遭い私自身博多駅から地下鉄川端駅までヒザまで水に浸かり歩いただけに心痛む一件。 天本君後輩で初期メンバーの一人O君担当。 当時想定最大降雨量60mm./h設定、 現キャナルシティ付近のポンプ場に下水管を通じ貯め川へ排水。
災害当日、想定を超える降雨と水量は御笠川の土手を越え氾濫し被害をもたらし死者一名失った事件、 公共事業の社会的使命に深く心に刻んだ作業。
 
 「福岡市魚さい処理場」の「現況調査」と「基本計画」策定(箱崎埋立地)
 福岡市農林水産局所管の魚さい処理場「現況調査」と「基本計画」策定の作業。
魚市場や魚屋さんからの「残さい」を粉碎と熱処理し家畜飼料を製造、公害対策を兼ねた工場。 現状、処理量の増大と周辺に家屋が迫り悪臭被害が苦情と共に公害を齎しており、 箱崎の埋立地に大規模な新工場を建設する為の裏付資料作成。
調査結果に基付く新規工場の製造能力・規模や最新最適な工場を提示する、責任重大な事業。 予算規模30数億は事前調査した民間施設の5~8倍の予算。
 
 現況調査の一環で、紹介の下関、唐津、佐世保等何れも民間企業の施設を見学
プラントの機械設備、機器類や規模、能力、配置等々工場全体夫々1日で全体把握。
コンサルタンツ某部長常に唐突な指令に戸惑う事再々、工場長からは準備不足と拙い質問に業を煮やされ一喝にたじろぐ始末。 以降天本君とK君二人専任し担当。
計画段階ではコンサル事務所に機器メーカーや建設業者多数の協力を仰ぎ西日本有数の処理場が完成。 今も都市高速道路、箱崎通過の際四角い煙突を見る度に彼らの苦労を思い出す。 煙突の高さ60Mは福岡空港離発着の進入コース上に在り高さ制限から制約、 手前の野球場は悪臭拡散防止の為周辺との隔離スペース。
  
 「下水処理施設」の設計
 福岡市郊外宇美の水処理専門の鉄工所より、熊本・人吉市「下水処理施設」の
水処理設備設計。 久々の機械設計はセキスイ以来であり製図器ドラフターでの
設計製図作業は郷愁にも似た気分。 バッキ槽の旋回式攪拌装置はトラス構造で電磁モーター駆動式、直径18M?程度は恰も天井走行クレーンにも似ている。 
ベルトコンベヤー、スクリュー式糞尿圧縮脱水装置や乾燥装置等一式。 しかし設計とは云え仕様に基ずく製図に近く食う為、 福岡市多多良川沿い施設も同様。 
同社からは、福岡市や前原町、人吉等々数ケ所の「ごみ焼却場」も手懸ける。
 
 事務所存続の為ダボハゼ(福岡独特の表現?)の如く求め、与えられた仕事を消化は常にアウエーの気分。 常に新たな知識や技術の研鑽に追われ、皆若かった。
これら下請け仕事は本来、自ら主導の仕事に非ず悶々且つ隠忍自重の数年。
 
 50t型 タグボートの計画(船体)設計
 その間、各地中小造船所より検査関係の図面・資料作成・検査立会い等細々。
一言で船舶設計と言っても、基本計画(船型計算)、船穀(センコク 船体構造)設計
や機関部、艤装(甲板、居住区)、電気等々に分かれており、㈲福岡航研は船体設計
・構造が専門。 しかし設計技師の無い小型造船所も数あり船舶全てを請け負う。
 
 平戸のY造船所から50G/T型タグボートの設計依頼、基本計画等一隻全て引受。
造船所は設計者不在、海運局(J.G.)検査船は初めての経験。 一般配置図(G.A.)、船型線図(Line)、測度(トン数)計算は計画設計の所掌範囲、我々も同様だったが。 
船舶設計とは云え、計画設計は船舶算法含め真の設計、福岡航研は構造専門。
 
 元徳島造船設計Hさんの指導を頂き手探りの様に船型計算や船体線図に取組。
中古低速ディーゼル機関買入れに下関、船具仕入れは広島・尾道へ同道は、
常に先を知りたがる性分に経営者失格の悪い癖、先は造船所経営?行着くのか。
福岡航研では最初は私自身が手懸け、数回消化しルーチン化後社員に委ねるのが基本。 私に取り教師は専門の書、毎度天神の書店に向い目的の書を数冊。 
 
 素人は言わずもがな初めては通用せず、同等若しくはそれ以上の成果が当り前。 徹夜での推敲の数々が功を奏し、少々の睡眠不足厭わずがカバーしてくれた。
船型計算では船舶算法「シンプソン計算」と「縦横計算」が手続きにも似た面倒な作業だったが。 当時新発売のプログラム電卓、カシオ「fx-201P」が重宝し、その時点業界に先行。 船体線図は飛行機で翼型や胴体で道具共に経験済み、計算との兼ね合いで延々とやり直しは初心者のレベル。 総トン数(総容積)にも配慮が伴う。
しかし、目的の「タグボート」としての性能が最終の目的。 船主は鹿児島だが稼動は北九州の若松「W港湾建設」専属チャーター契約、兄船長、弟機関長の兄弟船。
数年後、福岡回航の際態々事務所前の岸壁に繋船。 お礼に見え感謝と共に自船
の活躍と優先され業務や契約条件を知らされる、設計者冥利に尽きる喜び。
             
この「タグボート」たった1隻の経験で、船舶設計のオールマイター?を自称(マサカ)。
尤もこの一隻は数隻分に相当する推敲を重ね訓練にも似た経験、従って・・・(苦)
 
         
 ジェットスキー
 話は前後するが昭和50年(1975)?前後だったと記憶、 若手の貿易会社を経営する方が訪ねて来られた。 当時流行り始めたサーフィンのグッズやファッション等の輸入販売をされており、 米国を行き来の中でジェットスキーに目を付けて輸入されていた。 又 その数年前に日本小型船舶検査機構(J.C.I.)が設立されジェットスキーも検査対象とされJ.C.I.福岡支部に相談した所、㈲福岡航研を紹介され相談しなさいとの由。 雑誌ポピュラーサイエンス(米)で目にしていた物だが、 果たして検査に耐えうるのか確信を持てぬまま引受けてしまった。 J.C.I.福岡支部も対応に困ってた。
 
 後日 西武のマリン事業部は関東運輸局(輸出入、海外検査の国内側窓口横浜)に相談するも、 ほぼ門前払いだった風。 尤も官庁・お役所相手にはアプローチ(海事事務所)から仁義とも言うべき手法が、一般業者からは伏魔殿の面があり(当時)。
 
 ジェットスキーはメーカーは川崎(カワサキ)重工乍ら米国製(OEM)で、 現物以外は全く資料が無かった。 そこで事務所入口の通路に持込み検査完了の約1ケ月余り預かり、 現物を隈なくスケッチし図面を作成。 概略構造検査用計算書、 エンジン(機関)も分解しクランク軸等強度計算書を添付し、晴れて検査合格、許可証を獲得。 
 
 福岡貿易からは日本では最初に検査証を手にしましたと感謝され、 以後 関東運輸局も追随の形で形式認定された。
現在では全国各地の川面や湾内で走行の様子が伺え、 夏の風景を為している。
 
   さて 港で停泊の船舶を見かける、デッキ下の船体は一様に見えるがその種類は様々で、 目的により構造や配置は夫々に異なり千差万別。 構造屋としてはその内部が恰も透けて見えるが如く設計当時を思い出す。
 
 下部写真は㈲福岡航研カタログの一部に掲載のコンテナー船、 資料等不明につき転載したもの。 東大と共同研究のモーターグライダー(木村設計)に重なっているが、 最小限のモデルで船体の前後と片舷のみを計算対象としたものでデッキサイドにクレーン台座が見られる。 クリックで拡大すれば詳細が御理解頂けるが、極めて不合理な外形形状はコンテナースペースを確保の為。 最近は見かけられるが着手当初(S50 1975)は世界的にも最新?の構造様式、完成時の荷重試験は正直、胃痛に悩んだ。
 
 スパコン利用で助かるのが、 撓みが数値と共に100倍或いは任意倍率で俯瞰し    
イメージ 1  
て可視化。 判別と具体的対処に相応以上の効果があり、絵画を眺める様に見つめ技術屋の感性を磨いてくれる。
                   
 計算データシートの出力結果はこの図から要所云わば患部を特定し数値を追い求める事が出来た。 この時点では未だビームエレメント(梁要素)だったが、 後年ソフトがより進化しパネルエレメント(面要素)となり、更に外力が流れとしてベクトル表示、よりリアルになった。 力は構造材を通じて流れている、ごく当たり前の現象なのだが改めて思考回路も脳内を駆け巡る。 街で見かける建築や橋梁を前につい立止まるがクセ。
        
イメージ 2
 
      液化ガスタンカー(L.P.G.)隔壁を中に前後の艙内をモデル化
    前後左右に分割し、海水圧とサドル部の集中荷重での撓みを可視化
    数値データはダンボール箱4箱、 各部を精査検証をする。
          写真上は、超高速艇船体線図 時速96.3km/h(52kt)  
 
 液化ガスタンカー(L.P.G.)も思出す、艙内に長円形のタンクを設置し支えは前後2ケ所のサドル(台座)に固定、積載物やタンク重量はサドルで集中荷重として船体に負荷される。 波浪によるホギング(+)やサギンク(-)の船体を曲げる作用に加え更に複雑な挙動に晒される。 矢張りスパコンの為せるワザに報われ完成。
 
 N.V.(ノルウエー)クラスではコンテナー船で神戸大丸近くのオフィスに訪ねた時の事。 珍しく?日本人の検査官若い(35歳前後?)菊入さん。 お人柄もユニークだったが、当方持参の計算資料は脇に置き、MidShip(中央横断面図)を広げ、スラスラと数式を図面周囲に書連ね暗算の如くほぼ全部材をチェック。 当方疑問の点は即返ってくる。 全く雑談の如く僅か半日少々で1万トンの船が承認。 ルールブックはその間数度確認のみ、厚さ6~70㎜の原書を丸暗記されてるのか。 しかし持参資料には応力計算で算出部分もある、見慣れぬ数式で同様な解、 天才とは斯様なお方!?              
 
 A.B.(米)クラスは旭洋造船貨物船で東京駅附近、新日鉄本社ビルにオフィス。
6.000トンの船舶、前後船艙ハッチ間の僅かなスペースにデッキクレーン胡座の如く。
スパコンも既にパネルエレメント(面要素)で力の流れと強さがベクトルで表示され、剛性的には両サイドの側壁間をボックスで繋ぎ形成した上にクレーン。 
当然ボックスは相当な捩れモーメント(せん断力)を受ける、通常船体構造は縦や横方向に防撓材を配するが、斜交いの如くベクトルに沿った方向に補強材、12㎜が僅か9㎜厚に減じた。 軽く、しかし強くが技術の使命、設計課長の大丈夫?の声。
安全第一だが余剰で過大な重量負担は造船所・運用側共に肩が凝らぬか心配。
 
余談 A.B.オフィス(新日鉄本社ビル内)と東京駅との間に電源開発本社ビルがあり、
突然だが同窓の小方君を訪ね、同じく同社の新宿御苑勤務の河野君と銀座で一杯ご馳走になった。仕事ではトンボ帰りが殆どで貴重な時間に記憶が濃厚に蘇る。
   (河野君はH28/12月病没を小方君より知らされる H29/8/28記 合掌)
 
 B.V.(仏)はサプライボート(支援船)アルジェリアの船。 時折東支那海で中国の海洋掘削施設で附近を航行の同型船が見られる。 それら施設へ掘削用のパイプや機器類を文字通り供給する大型外洋船、見かけはタグ゛ボートに近い。 私に取り鬼門のフランス語、提供のスペック等々資料全てが・・・であり、辞書片手の設計は別な意味で苦労。 但しルールブックのみ英語版。 計算書は英語で済ませたが、図面記載の用語はフランス語記入、参考図書に助けられたが。 我々は机上の作業であり、現場ではさぞやご苦労では無かったかと気を揉んだ。 
 
 外国クラス船は都合4~50隻近くは手懸けたが、当時国内では恐らく最多数こな
した様に思う。 船舶設計の門外漢だったが「鹿児島ドック」の特殊な立場を基に、又、各社から特殊技術の要請に、其れなりの結果が得られ又相次ぐ勉強に追われたのは幸せだった。 その後「鹿児島ドック」は為替の変動で3隻ドル決済の船が建造中に267円が180円/ドルに下落、多大な負債を抱え敢え無くの結果に。 薩摩男児の如き社員の方々は、これからの時だけに残念、共に戦った様な気持ち。
  
 漁船の徳島造船が建造から撤退閉鎖、 鹿児島ドックも頓挫に福岡航研も経済状況の推移と共に新たな方向転換に迫られた。 
 
 これまで仕事が次々と流れていたので営業面では苦労なく経営も順調だったが、
他にも不渡り手形等が相次ぎ、 手形の買戻しや目の前の仕事確保や運転資金手当てに追われる状態が続く、 会社設立7~8年目頃の事。
      
   運輸省本省の航研マター(案件)
  船舶建造・設計については全て運輸省海上技術安全局、門司九州本局、福岡海運
局の許認可事項であり、ほぼ全てに渡りお伺いの元に作業を進めるのが前提、しかも
手続き毎に海事代理士事務所(民間)に書類申請を願う事が常。
言わばお上の如き存在は個人感情をも具合悪くなる事も当時は再々でした。
 
 所が、私の場合前例の無き案件は多岐に渡り、支局の検査官泣かせが再々で対応
困らせていた。 付いては福岡、門司とお伺いを立てるも、木村(福岡航研)社長は
どうぞ本省(霞が関)と直接にどうぞとなってしまったのです。
流石に本省・担当者の数人(!)は優れ者又は猛者もおられ、実践的判断や高等技術的
決定を果断に裁定(決定)。 従来は相談も憚られるか、テニオハの条文に抵触若しく
は、検査官の能力・理解の範囲を超えた場合は門前払いが常識。
 
 解決を諮ったその数例を紹介。
 ① カーボンファイバー(炭素繊維)製船体構造
  構造材料や資機材等は使用に当たり全て構造基準の適合材(認定材料)が当然、
 本来受付すら叶わぬ事乍ら、 福岡航研では高速艇(小型船舶検査機構・JCI 
 材料試験で強度を実証済)で実績もあり、FRPの積層基準に複合則で等価させた
 資料提出で以後はスムーズに通過。 尚現在に至るもカーボンファイバー(炭素繊
 維)製は福岡航研のみかも。
 
 ② 海外検査
  運輸省検査は国内での行動に限定され、外国の造船所に立ち入っての検査は
 歴史的にも前例は無かった。 時は石原慎太郎運輸大臣が幸いし決断の結果と
 同時に、当時市場開放外国からの圧力も、香港、韓国、米国に連れ出し成功!
 最も所掌は関東運輸局(品川)担当で、建造や材料試験の建造・輸入に漕ぎ着け、
 当然同行し外国での気軽さもあり本音トークも。
 
 ③ 船体構造に直接応力計算(解析)
  通常、船体構造は構造基準に依る部材寸法算定で決定される。 しかし造船
 設計では経験式(経験工学)と思われる超簡単な数式で算出は簡便ではあるが
 オーバースペックの傾向は明らかで、 ド素人(私)で新参者ながら不可思議な
 思いが当然。 航空機やクレーン等の強度は負荷荷重から逆算するが如く決定
 が常識、外国(LR,AB,GL等々)では普通に実施。
 しかし当初は、本省の優れ者に理解の元、応力レベルでの設計が可能となった。 
 
 ④ カーボンファイバー(炭素繊維)構造基準の策定
  本省では福岡航研の艇を始め、将来を予想し構造基準を設ける必要性を考慮。
 付いては国内唯一の実績を買われ本省海上安全局で研究費を予算化するので
 協力要請され、と共に学識経験者として東大・金原教授を紹介。
 
 後日 福岡・九大、春日キャンパスでの複合材料学会会場で挨拶、懇親会で木村
 社長はどちら(大学)のご出身で? ハイ! 博多工業高校機械科の出身デスに驚か
 れてた。 当時航空宇宙学会含め会員の高校(工高)出身は私1人だけだった。
 お陰で全国の大学は東大含めフリーパス、逆に共同研究をと恵まれもした。
 
 ⑤ その他
  本省への問い合わせや訪問は再々となり、細々とした案件等もかなりコナし、
 その幾つかは「通達」等で地方局等に流布。 結果、旧来の判断基準が緩和若
 しくは許容範囲拡がり、業界にはかなりな貢献をしたものと、本省担当者に感謝。
 
 
          
  或る時、下関の林兼造船所局長から電話を頂いた、造船所名は承知するものの、
其れまでに仕事上も関係無く、突然とも言える仕事依頼の件。 設計室は古い学校校舎の広い教室の様な雰囲気。 設計スタッフは100数十人以上か、 圧倒され遠くは霞んだ?如くに見える。 何れもベテランの集団、門外漢の私には気が重かった。
 
 ロイドより私を紹介されての事らしい、 4万トンのオア・キャリヤー(鉱石運搬船)の構造応力解析と設計。 ロイドパス適用で、ロイド船級も始めての事とか。 局長、課長、係長お揃いでの挨拶と打合せ。 課長は福岡造船で世話になったFさんと長崎造船大学で同級生とか少し緊張が解れる。 既に必要図面、スペック(仕様書)も準備一通り説明を頂く。 流石に船はデカイ、 しかしロイドパス(英文)は私も初めて目にする小冊子。 
 
 数ページめくり目にした所、主に直接応力計算に依る構造設計の際規定の書。
既に応力レベルでの設計はL.R.やA.B.で10数隻経験済み、最早ルーチンワークとも言えるレベル。 しかし国内造船所は外国船と応力レベルでの設計は当時殆ど未経験で珍しくなかった。  飛行機設計と「盲蛇に怖じず」「石橋は叩かず渡る」が幸いした。
 
 当然スパコン使用に付いて百万単位の計算料、驚かれたが恐らく通常ルール計算と比較して数百~千トン単位の減トンは見込める。 鋼材と現場加工費当時60万円/トンで充分過ぎる利益を取戻せる額だが。 設計予算の話は現場サイドと経理若しくは財務上の処理で済む事。 概略予算の見積もりに説明と説得が伴う、金の話は不得手で毎度苦労するが、私に営業の才無くは常々自己嫌悪に陥る。
 
 ローディング・コンディション(積載要領)から荷重の算定。 8区画に分けられた船艙は満載でも鉱石の積込みは1区画交互に積載、空艙には船底と両サイド・バラストタンクに海水注入は以外だった。 しかも空艙の浮力の突き上げが最大負荷。
積載の艙内は鉱石と海水圧で相殺され船体への負荷が軽減され応力的に低い。
以外な結果にアレッと思ったが斯様なケースは侭あり、計算する上で面白い。
 
  想定のモデルは隔壁を中心に前後艙内の中央までとし、海水圧力はヒール(横傾斜)を加味した数値設定。 船側船底共に積分比による荷重分布を配分。
従って計算の結果、船底部(二重底)は船艙の前後左右ともフロアー(肋板)やガーダー(縦通材)の板厚が細切れの如く細分化された結果となった。
幸い当造船所は、鋼材カット(切断)は工場設備含み自動化が進んでおり為しえた。
スパコンでの計算は数値と共に撓みに依る変形が俯瞰図で出力されるので、外力と共に負荷の模様が良く解り、詳細な対応の判断が可能となる。
 
 結果は造船所の期待以上の成果に、局長自らお礼に見えた事に尽きる。
その後、関門航路浚渫の定格650トンのグラブ浚渫船の強度計算も委託される。
 
          
  本船は恐らく本邦で最初に船体構造の三次元応力解析の為、スーパーコンピューターを駆使した忘れられない特殊(形状)条件の船で、三菱下関造船所で完成ドックの際、特殊形態と形状に設計陣全員が見学に来られたと、鹿児島への帰途事務所(㈲福岡航研)に立ち寄り鹿児島ドックD部長から自慢だったとワザワザ報告に来られた。
 デッキ上のクレーンデッキ下の補強が不可能と同時に船体中央部2ケ所大きく切欠けたデッキと外板、当事は考えられない船体構造だった。 
 
ロイド110番船 船首前で
 自身設計の船舶を目にする事は珍しい一枚(35歳)、実際33~4歳頃の作業だった。
 因みに時々帰宅途中に立寄られていた福岡造船のH部長(九大造船科卒)は机上に拡げた計画の一般配置図を一見して、 構造の危険性を指摘し手懸けるには手強いと敬遠を示唆された。  
           
 全長150M ・ 幅21M ・ 深さ13.4Mのツインデッカー(2層甲板船)、船艙は前後2区画。 問題は、 各船艙デッキ上中央中心部にデッキクレーンを設置、デッキ上周囲にはティンバー(製材済木材)積載。 しかも右舷片側がUpp.デッキと2ndデッキとも外板がパックリと逆L型に開口、新聞紙ロールをフォークリフトで搬出入の出入り口が前後に2ケ所。 つまり船体構造が左右非対称であり、中央部前後して肩に当たる部分が欠落、縦横強度上では致命的。 又デッキクレーン下部は広い積載スペース確保の為、甲板下部補強が許されない。 其れにも増してノーブラケットでベールキャパシティー(船倉容積)を稼ぐ為、所謂構造屋泣かせの船。
船体斜め後方よりイメージ 1 
右図はデッキクレーンが搭載されている図、クレーン下甲板下の補強は不能で平面な甲板のみでの支持構造。
 上記写真で左舷中央2箇所難題の切欠きが判別できる。
左舷真横イメージ 2 
右図は後年「日本造船学会誌」に発表された類似の船で甲板開口に当たる箇所に
上記写真の様にデッキクレーンが前後夫々計2基設置。 
 
「鹿児島ドック」は以前述べたが、新興の造船所であり市場(船会社)での認知度も低く競争力は船価と共に特殊な分野での特化を果たさなければならなった。
福岡航研もその一翼を担う事となり、幸か不幸か造船界では異例の思考錯誤や技術的革新に付随した苦労を背負う事態を招来した。
招来とは私の方から積極的に「飛んで火に入る・・・」つまり虫だった。    
操舵室内
  試運転で緊張感ただよう操舵室内
100番船で造船所とL.R.(ロイド:英国)規則との調整や確認に懲りた面もあり、隔靴掻痒な状況で熟考の成果を確認もままならず、既に造船所内部の一員の様な立場ともなり。
 
以降、私が直接横浜L.R.や他クラスに出向き打合せや折衝するのが仕事となった。
キープラン(Const.Pro.(全体構造図)、Midship(中央横断面図)、ShellExp.(外板展開図)と共に計算書を事前発送し朝一の便で伺う。 そして一日がかりで打合せ・折衝・お願い様々な場面を演じる最早ルーチンワークの如く、そして建造許可を手にして帰るのであつた。 たった1日で! 普通早くても1ケ月、通常2ケ月は要する、従い設計は常に納期に追われていたが、お陰で実施の構造設計図書作成に時間的ゆとりが生まれたのは幸いでした。
 
 L.R.にすれば珍客の部類。 尤もL.R.の立場で30数枚の図面や計算書を隅々全て洩らさずはチェック大変な作業、キープランのみで問題点をコチラから提示の上云わば相談をするので話は早い、彼らに取り美味しい仕事では無かったかと思う。
しかし、オフィスの入り口は外国を思わせる雰囲気、技術屋には敷居高く感じた。
 
 当該船の担当は英国人長身のルール氏(氏名)、持参の資料を一通り詳細に見て
問題の二層ラーメン計算書の段階で、二次元計算書(断面)の不備を指摘。 三次元(立体構造)での計算を要求、最早手計算では手に負えずコンピュータの世界。 
日立造船本社(当時大阪)の計算室のスーパーコンピュータの利用を決め、汎用ソフトFEMナストラン(ビームエレメント:梁要素)に依る事にしたが。 多大な費用負担に、最小限のモデル(構造範囲)化と構造要素(部材数値)を提出し行う事に。
 
 日立造船とは云え計算専門の部署(情報システム部)、担当係長は数学出。
構造図を元に、荷重やその負荷条件、計算上境界・拘束条件等提示する。 数日後、それら確認のテーブルが届き一部訂正を願い、計算結果を待つ。 二週間 経た頃か、ダンボール50㎝角が6箱送られてきた! 箱を開けるとギッシリしかも数珠繋ぎで連なっていた。 各格点のモーメントやせん断弾力、応力、撓み等がX. Y.Z.軸、夫々にローテーション(回転軸)が事細かく一行にプリント、最早宝探しの気配。
 
 全ての検証は不可能に近く、問題と思われる箇所をピックアップ、それでも数十ヶ所検索に及び、一人で数日徹夜の検証と考証は久々の強行軍。 結果それらからダイジェスト版計算資料を作成、 それでも10数cmの厚さに纏め上げ再度L.R.へ。
 
 ダイジェスト作成の際、①曲げ応力②せん断応力③撓み量は計算されているが
①と②の合成応力が為されて無い事に気付き、当然事前打合せで確認の事項。
 
 日立造船本社に駆けつけ部長判断で会長(永田:当事)室隣の広い会議室に本社勤務の女性40名位い集め手計算に及んだ、私は一日ど真ん中椅子に掛け彼女らの質問に適宜応じる。
スパコンも一歩間違えば大変、スパコンの計算は10数分だが、プリント出力には
一昼夜を要したらしい。 余談乍ら本社前地下鉄で田中角栄逮捕の号外を目に。
 
 再度それら資料を持参し検証の作業、相手はもう一人マッカイヤーが同席、問題箇所の検討は検査では無く最早共同の作業風景とでもの感。 朝一から夕刻残業は異国の人達には異常事態だがお付き合い願った、幸い本船全てに合格の決定。
 
互いに気を許し合う内に、ナゼ日本語を理解し話せないのかと少し皮肉、両人共に苦笑。 やはり微妙な表現やニュアンスの違いに苦労はいささか苦しい本音だった。
 
 ある時造船所工場長が東京出張中で同道頂いた時、何時もの如く彼らと真剣なやり取りに感心され、その夜銀座末広(スエヒロ)で当時珍しかった特大ステーキとワインをご馳走になった。  工場長は九大造船科卒で三井造船船穀部長まで勤めたプロ中のプロ。 今日の模様を一部始終見て驚かれた様子。 曰く永年同じ仕事をして来たが、彼らと臆せず主張し尚且つ納得させる迄粘る姿は始めて目にした、しかも英語での丁々発止に感動、三井で数多くの設計者が居たが一人も居なかったと半ば呆れておられた。 確かに再々訪れるも、私以外出入りの訪問客は殆ど見かけなかった。

 翌年、別件で訪れた際、 関所長から部屋(所長室)に呼ばれ、例の110番船一年後の補償ドックで聊かの瑕疵も無く、完全に稼動を知らされ共に快哉。 検証の際担当のルール氏判断に苦慮、関所長に数回世話になった経緯もあり、L.R.も難題の船だった。
以後 ロイド(L.R.)からの紹介は、造船所相手には上から目線で福岡航研(私)主導。
 
 ※関 所長 (東大出)
 横浜・関内、横浜スタジアム大桟橋通りを挟み西側に面したビル(当時:数年後移転)、
広いワンフロアのオフィスに多数の英国人スタッフを束ねる人柄と姿、英国紳士国際
感覚は日本人離れで育ち良さが際立つ 日頃客人少なく日本人スタッフは珍しく毎回
遠目の会釈程度だったが、JETRO(海外協力機構)の海外向け英字紙で、私の「サ
ーフェ高速艇」の成功記事を知り、訪問の際ロビー玄関先にワザワザ出迎えて真っ先
に所室に案内、紅茶で称賛の声、私との縁は誇りだとも、外人並み表現、身に余る
賛辞忘れられない。 ルールさん関所長に相談の際私含め3人の言葉は全て英語。 
交わす英会話の風景は英国1人対日本2人なのだが、所長と私とも英会話、思い出す
度に可笑しさが込み上げて来た、所長の流暢なクイーンズイングリッシュは本場仕込
 
  
                      ロイドから紹介の一件
 世界には各国夫々に船級協会があり、云わば船舶の安全検査、資格要件等々
それら検査機関の評価により航海区域や保険料率その他各種等々が決定される。 
 
 従って、特に国際航路、船籍国の船舶に対して何れかに入級する必要がある。
(有)福岡航研は船穀(船体構造)設計を造船所(又は船主)の要求された条件を満たすべく設計を実施。 表現すればクラス直接接触の立場で無く国内の前例も無い。   
 
 偶々、ドイツ語が発端でG.L.との折衝をはじめ各国クラスと直接対応する事となり、過ってJ.G.(海運局)やN.K.(日本海事協会)で経験する事の無かった、発想や手順に解決手段を見出し、技術的にも新たな手法で国内での船舶設計事務所で稀有な存在となる。 以後、 幾例かクラスとの当時を思い起こし記述の予定。                         
 因みに、L.R.(ロイド 英国) ・ A.B.(アメリカンビューロー 米国) ・ B.V.(ビューローベリタス 仏) ・ G.L.(ジャーマニッシュロイド 独) ・ N.V.(ノリスケベリタス ノルウエー)以上私が係わったクラス(船級協会)。 ロシアや中国等、他にも有ると思われる。           
 
 本題のL.R.だが一番印象深く又多数設計に係わったクラスであり横浜のオフィスに通い特に関所長は所長室での雑談も思い出。 但し対応の検査官は全て英国人。
 
 L.R.のルールブック(英文原書)は分厚く重い大判、 しかしその頃は専門用語や慣用句等にも馴れ、計算書作成に左程苦労はしなかった様に思う。 最初が鹿児島ドックの100番貨物船で8,000D.W.(積載重量)のノースバルティック(北バルト海)のクラス2。 耐氷構造では上位のクラスで砕氷船に近く, 構造上アイスベルト(外板補強部)やアイスフレーム(中間肋骨)等特別な補強を要求。
 
 しかし、納期や材料発注の為、福岡航研に許された時間は僅か5日間! 
しかも春の連休前、アイスクラスは初めての経験であり用語も見慣れぬ表現に戸惑うばかり。 私は原書片手に計算書作成、天本君Const.Pro.(全体構造図)を始め,
Midship(中央横断面図)、ShellExp.(外板展開図)各人一枚ずつ手分して徹夜作業。
 
 皆、図面に必要な構造要素や部材に次々要求に追い着けず、最早順序良くとは
行かず飛び石伝いの如く睡眠不足も手伝い混乱の極致、全員等しくであった。
最終日の連休明け、一番機に飛び乗り「鹿児島ドック」へ当然手直しに旅館で又々徹夜で修正に費やし、ヤットカットで済ませた。 造船所サイドでアプローバル(建造許可)を取得されたが、その期間(約2ケ月)が後日私共に委ねられる事となった。
 
  後談 恥ずかしながら、完成後の重査(重量重心査定)で125トンの重量オーバー
8.000トンの積載量を満たせず相応のペナルティーを科され造船所に迷惑を掛けてしまった。 時間が足りなかったは弁解ならず、しかし不問は理解されたか大人の扱いに感謝。 アイスクラスの見積もりに計画段階の不備は我々同様だったと思える。