先の五島列島監視艇を終えたその秋、 長崎県庁水産課の紹介で対馬の漁協から相談が持ちかけられた。 五島の艇が配置された後、密漁被害が増えたらしく上対馬の5漁協が協同して在来の漁船で夜間見回りを実施していたが、一向に成果なく、つまり為されるが侭の事態に五島列島の情報が発端、切実さはより深刻だった。
 
 今回広島のデザイナーMさん帯同、比田勝の漁協事務所に伺う。 木造の古びた木造家屋 座敷の1部屋に5漁協組合長揃って待機され早速状況説明を聞く。
当時 各漁協共経営的に疲弊しており一様に苦悩はその場の雰囲気からも感じる。
前回の打合せとは対応が明らかに違い立場はお願いされる側だった。
 
 監視の範囲は対馬の北端部、先端グルリ3~40キロ、而もリアス式で複雑に入組み足(航続距離)は相当程度必要と思われる。 問題は事業予算2千数百万円。
一切をお任せしたいと期待されるが、予算面の制約は即答に応じかね持ち帰る。
 
 Mさんと小倉へのフェリー上で色々思案するも船外機で小型船が思い浮ぶが
航続性能とメンテナンスや故障の頻度を配慮、密漁船と同等以上は望めない。
以前 彼から提案の「サーフェス・プロヘラ推進システム」が互いに思い出された。
未だ皆目その方式が理解出来ず、メーカーから彼が協力拒否された経緯が不明。
 ※以後「サーフェス」と表現(極めて個人的読み) Surface : 表面・平面の意 
  本稿では「水面」を指す、 正確には「サーフェイス」or「サーフェース」と発音? 

 

 事務所で一人資料調べと解決策を模索するが既に方向は定まりつつあった、頭から離れない。 そこで拒否された理由を知りたく岡山「ナカシマプロペラ」を訪ねる。 
同社は以前からプロペラのマッチング(適合性)の問題で計画に際し各船資料提供し計算をお願いしていた。Y課長と初対面のK係長同席、話しを伺うが課長慎重姿勢、
が係長は前向きな風(?)、そこで全責任を負うので協力を請い回答は後日との事。
その際 「サーフェス・プロヘラ」論文コピーを頂き、 以後唯一の手掛かりとなる。   
 
 K係長学者気質と積極性に期待、数日後一応努力するとの返答、係長の決断だった。 しかし可能性を探るべく必要最小限規模の模索は続く、当然漁協への返事も出来ないでいた。 思案・煩悶の中書店で洋書コーナー雑誌を眺めるもガソリン機関のレース艇はヒントにも為らない。 刻々各組合長苦悩の表情も想い出す。
 
 その間 コンセプトを纏める為の検討は継続し数通りの案は出来つつ有るが、
決断に至らず「隔靴掻痒」の気分。 防衛庁技術研究本部(東京・恵比寿)でS37年頃
から数年間研究を知り「東レ」K氏に丹羽誠一(研究当事者:後舟艇協会会長)氏を
紹介願う、以前からCFRP船の普及活動で共に全国巡回を、天草で聞いていた。
 
 氏の「高速艇理論工学」と「丹羽チャート」は技術者必携の書。 恐れ多くもtellで話しを聞くべく伺いたい旨を伝え様としたが「サーフェス・プロペラ」を切り出した途端、困難を極めまして「ディーゼルエンジン」では話にならんっ! 言下に否定と怒りにも似た声で、お叱りとも説教ともつかぬまま断。  (成功後雑誌社通じ取材・試乗の申入れに断。 しかし記事冒頭、上記の件詫びと経緯が詳述される)
 
 先達の話で逆に決意は固まった、決断と同時に即漁協に着手の旨を伝える。
戦後(1945)米海軍で実験するも失敗、責任者はヨーロッパに逃げたとのエピソード。
私の経験上マイナスから出発は毎度の事、類例から現在の状況変化・進化・発達の違いを基に再検討。 ①主機関 ②船型 ③船体構造材料 共に当時とは異なる。
それらベター要素を組合せ取込む事に一点の光明と期待を賭ける事にした。
  
 「サーフェス・プロペラ」とは水中で回転させるスクリューと違い、プロペラが水面下(サーフェス)半分、上半分は水上で回転(空転)させる、それまでの常識を覆す翼理論、昭和17年(1942)スエーデンの学者が理論発表されていた(奇しくも私の生年)。
 
 翼理論は翼断面の上面が負圧70%、下面圧力30%の圧力差で推力(揚力)を得る。
しかし負圧が極度に達するとキャビテーション(水の瞬時蒸発・空洞現象)が発生し
プロペラの異常振動と共に折損に繫がり、速度向上の障害と限界に達していた。
「サーフェス・プロペラ」は下面の圧力のみで推進、従って負圧部分が無いので無限の可能性を秘め業界では垂涎の技術、尤もディーゼル機関(実用上)での事。

 

 高速性能では「ウオータージェット」が想起されるが、内部でのプロペラ(スクリュー)
は同様の現象が起る、直後のノズルで加速し高速を得る。 しかしエネルギー
効率と経済性は可なり非効率であり今回対象とはならない。 
 
 「サーフェス理論」は高速での高性能は知られていたが、ハンプ(滑走状態に入る到達点)越えまでの推力の弱さに実用化の技術的困難を伴い世界では敬遠されていた。問題はどの様な条件(数値的)を満たせば実現可能となるのかであった。
しかし既に門戸(防衛庁実験結果)は閉ざされ「四面楚歌」はキツイ。
後段 米海軍や防衛庁の失敗・挫折は「艱難辛苦」私にも現出。 最初の試運転
直後から路頭に迷うが如く散々もがき苦しみ死をも覚悟の事態に直面! する。
 
 既に「福岡航研」新艇・新技術に着手は周知されたか、メーカー売込出入り頻繁になる(メーカー情報網に驚く)。 最も「ディーゼル機関」の性能向上は著しく各社「カタログデータ」 は毎回数値的な差替えに期待は大きい(事後、失敗・混迷の一因)。     船型はデザイナーMさんのセンスに委ねる。 船体構造・軽量化技術は最先端・自信の誇りあり。 構想は予算規模から逆算、主機関出力と総重量から収束の段階。
 
  愈々仕様概要決定の時が来た、公共工事は年度末3月末日完了が前提。
私共に相談が10月中旬、その間約2ケ月足らずを懸案の事項検討に費やした。
正月も自宅で仕様書・設計書の纏め作業に没頭、昨暮れにはデザイナーMさんに概略L.B.D.機関出力・燃料容量・搭載機器・定員等を伝え最終案をお願い済み。 
 
 付き合わされる彼も大変だったと思うが互いに一匹狼然、24時間全て没頭は
マニヤの世界、果たして提示された図面はセンスと工夫が随所に盛込まれていた。
特筆すべきは船底がステッパー(段付)だった。 船底抵抗と最適走行トリム確保維持の為、しかし強度上は苦しく一部キール部分は全通とすべく変更をお願いする。
以外は鋭角的斬新なスタイルに惚れる。 船尾形状は窪んだ特異な形状だが
サーフェス構造とでも、彼苦心の策(作)。 機関配置上重量重心が極端に船尾に偏っており可動式トリムタブ(動翼)で対処。 このG.A.(一般配置図)、Line(線図)を元にC.Pro.(全体構造図)、M.ship(中央横断面図)を計算書と共に作成。 
積算「設計書」と共に一気呵成の作業約1ケ月、何事も決まれば早い。
 
 やっとの事で作業を終えたのは1月中旬(S59 1984)を過ぎていた、年度末の完成不能は県も承知しているが、建造サイドにすれば大変な作業を強いる事。
入札は1月31日が決定、入札の造船所が心配だった、果たして応じてくれるのか。
 
               実施設計~入札~施工監理~試運転