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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、以前、東京大学大学院薬学研究科准教授の池谷裕二さんのツイッターに、下記のようなつぶやきがありました。
ヤマアラシは厳寒をしのぐためにモグラの家族の洞穴で生活することになりました。
でも狭い家ではヤマアラシの針が邪魔です。
ある日モグラはヤマアラシに出て行ってくれるよう頼みました。
するとヤマアラシは「ここが嫌なら君たちが出て行けばいい」との返事。
さて、第三者としてどう仲裁すべきでしょう。
先の質問に、男子は「洞穴はもともとモグラの所有物だから、ヤマアラシは滞在する権利はない」と、女子は「ヤマアラシの体を毛布で覆ってあげたらいい」と答える傾向があります。
(11~15歳に対する調査結果)
私たちが、人間関係の問題を解決する方法には2種類あります。
それは、競争的になるか、それとも協力的になるか、です。
先の例で言えば、男子の答えは競争的であり、女子の答えは協力的です。
もちろん、どちらの答えが正しい、間違っている、というわけではありませんが、競争的な解決策では、必ず相手との競争に勝たなければ解決したと納得できません。
たとえば、ヤマアラシが、
「一緒に生活することを許可してくれたんだから、私には居住権がある」
と主張したとすれば、競争がますます激化するだけで、解決には時間がかかるかもしれません。
そして、もしヤマアラシの主張が通ったとすれば、問題は解決しましたが、納得はできないでしょう。
否、モグラにしてみれば、問題は解決していないということになるでしょう。
そして、不毛な戦いが続くことになります。
たとえば、協力的な態度に出たときには、ヤマアラシは、
「迷惑を掛けてすいませんでした」
と素直に出て行ってくれるかもしれません。
結論から言えば、人間関係の問題を解決するには、協力的であった方が有効だと考えられます。
ただ、多くの人たちが、協力的な態度は弱腰な態度であり、相手が図に乗ってくるのではないか、という不安を感じられるのではないでしょうか。
「ヤマアラシがこのまま居座ったらどうしょう?」と。
しかし、人は、協力を求められれば、協力で答えざるを得なくなるものです。
そのためには、毅然とした態度で協力を求める必要があります。
協力を求める態度が卑屈であるとすれば、その態度は決して協力的なのではなく、あくまでも競争的だと言えるのです。
もしこちらの協力的な態度に対して、相手が図に乗ってきたり、あるいは競争的であったりしたとすれば、それは、こちらの言葉は確かに協力的だが、その態度が非常に競争的だからなのです。
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