どこまで続ける歴史の捏造 | キビコジのブログ

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韓国政府が中学、高校の歴史教科書を国定にするということが発表され、物議を醸している。
「よくやるなあ!」と言う率直な感想。韓国内でも批判が続出しているらしい。
国定教科書など今の日本ではとてもできない。

それにしても中国といい、韓国といい、歴史を捏造することがよほど好きみたいだ。
中国は「南京大虐殺」を記憶遺産に登録するためにユネスコの事務局長を軍事パレードに招いたり、相當接待した模様である。最期は選考委員の慎重論を否定したボコバ委員長の鶴の一声で記憶遺産登録が決定されたと伝えられている。

南京大虐殺については東京裁判で日本軍がいかに残虐であるかという証拠とされたが、その後の調査で根拠になる資料が乏しく、また事実関係を否定する証言が数多く明らかになって、今では大虐殺という事実はなかったというのが通説となっている。

韓国は歴史教科書を国定化し、その中で従軍慰安婦や併合時代の記述をどのように書くのか?
すでに「従軍慰安婦」は事実であるかの如く、併合時代の歴史は一方的に日本の植民地支配と断定し強制連行がいかにもあったかの如く表現されるであろうことは想像に難くない。

そもそも中国は王朝が代わるたびに歴史が書き換えられてきた。時の政権は自分たちの政権の妥当性を歴史を書くことでその裏付けとしてきたのである。「歴史」は書かれるものであって、事実を追求するものではない。あくまで政権の都合が優先されるのである。

日本における歴史研究はあくまで事実を検証することに主眼が置かれている。また、学校における歴史教育はこれまで所謂「自虐史観」と言われるように、戦勝国や中国、韓国などに都合のいい歴史が教えられてきた。

「本当の歴史は何なのか?!」今日の日本のテーマである。
これまで保守系論調で一貫した言論を展開してきた産経新聞では「歴史戦」というシリーズの記事の掲載が続いている。今や日本と周辺国との戦いは、軍事力による戦いではなく、「歴史」の真実をめぐっての事実と真実を追求する戦いになっている。


日本は果たして一方的に「悪」だったのか?一方的に悪者であったという断定は自らを傷つけるものでしかない。かといって全面的に日本に正義があったわけでもないだろう。

日本の歴史の通説を覆す、最近話題のベストセラー本がある。
「本能寺の変431年目の真実」という本である。すでに30万冊を売ったという。この本は明智光秀の子孫である明智憲三郎氏が先祖の明智光秀に着せられた反逆者という汚名を晴らすべく、あらゆる資料を調べ尽くして、明智光秀が単なる怨恨で信長を撃ったのではないことを証明している。
最近明智光秀が築城した京都府亀岡市の亀山城址を訪ねる機会があった。現在は戦前大弾圧を受けた大本教(現(宗)大本)本部となている。ここで聞いたのは、地元亀岡市では明智光秀は名君として地元の人々から慕われているということだった。
今我々が知っている明智光秀像は、巧みに天下を簒奪した豊臣秀吉が書かせた「戦記物」、それ根拠に後の歴史小説家が作り上げた虚像がテレビドラマにもなり誤った光秀像が多くの日本国民の光秀観になってきた。

信長の実像をもっとも正確に書いているのは太田牛一が書いた「信長公記(しんちょうこうき)」であろう。「本能寺の変431年目の真実」を書いた明智憲三郎氏は「織田信長433年目の真実」という本を最新刊として著作した。その中でも信長に仕えた太田牛一の書いた信長記は、事実関係を克明に描いていることから多くを引用している。織田信長が「うつけ」を装ったのはなぜか?桶狭間の戦いをどのように勝利したのか?・・・・これまで我々が歴史小説や大河ドラマなどで抱いて来たとは違うイメージが本当の信長像であったことがわかる。

歴史というのは生き物のようである。どんなに文筆を駆使して、支配者の都合の良いように歴史を改竄してもいつかは真相が暴かれる時が来る。事実はあくまで事実なのである。虚偽はあくまで虚偽であって、どのように上手く書かれた「歴史」も偽り物は真実と事実に突き崩されて行くものである。
虚偽の歴史を捏造したものは必ずそれが暴露され歴史から葬り去られていくものである。

歴史を改竄して維持される政治権力は一時のあだ花のようである。詐欺や悪徳な商法で儲けた企業がいずれ社会的制裁を受けて滅んでいくのも同様である。

一国がその歴史を捏造し始めるときはその政権が末期の兆候である。
政権に力のある時は歴史を書き換える必要もない。歴史を書き換え、事実でないことを事実であると強弁しなければ維持できない政権は滅びの一歩手前だと認識するべきであろう。

虚偽と捏造が横行する時代は、既存の権威が崩壊し新しい歴史の訪れの到来の時であるとも言える。

偽りによる政権の獲得や維持、偽りによる利益や利潤の追求、いずれも真実が明らかにされる時には消えてなくなるものである。

後ろめたさのあるものは早く気付いて謙虚に悔い改めるが良いであろう!
ブログ村のブロガーも、何のためにブログを書いているのか!「真実を明らかにすること」なのか?何らかの「権威や権力を維持する為」なのか?それとも「何らかの利益を得るため」なのか?
自ずと明らかになってくるだろう。

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