復帰摂理は元帰しの道。
本来あるべき位置と状態に復帰していく道である。
復帰していくに順理と逆理がある。
道を間違って思わぬところに陥った場合、まっすぐ本来の道へ戻る道ができればいいわけだが、その道が塞がれていたり、通行不能になっていたら、別のコースをたどって行くしかない。時には今来た道を逆戻りしなければならないようなこともある。
現代の復帰節理の道もこのようなものかもしれない。
いずれにせよ道を間違ったらゆっくり落ち着いて帰るべき道を探らなければならない。むやみに人の声を聞かないほうがいい場合もある。
終末のこととして、マタイ伝24章には「ここに あそこにといってもそれを信じるな」とある。
人の声に惑わされるのではなく、自分自身の目と耳で確かめ、自分自身の判断力で行くべき道を探ることが大切である。もとより様々な情報を入手することは必要なことであろう。その時注意しなければならないのは、一方的な情報は疑ってみなければならないということであろう。客観的に様々な情報を収集して、その中で何が真実であるかを自分自身の知性と理性で判断していくことが大切である。
にせキリストたちやにせ預言者に惑わされないようにとある。
マタイ伝24章には「思慮深い僕」とある。
今の時代、思慮深い僕がどのくらいいるのか?そこが問題だと思う。