排除か包摂か! | キビコジのブログ

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自分と考えの合わないもの、立場の違うもの、反対者・・・
世の中は両極である。
神様とサタン、善と悪・・・・これらも両極である。

自分に合わないものは抹殺する。
某国では居眠りをしただけで、粉々に抹殺されるようである。
敵対するものや言うことに従わないものは、抹殺するのがその手法のようである。

永遠性を持つためには反対者をも包摂していかなければならないのが復帰の道である。道を外れたものをも、本来の道に戻すために粉骨砕身努力をしていかなければならない。

復帰節理の中心人物たちは常に反対者や敵対者を包摂するために自ら犠牲の道を歩んだ。
敵を愛する道が復帰の道においては避けられない道なので、神を愛する者たちは常に敵を赦し愛する道を歩んだ!
十字架上のイエスは「神よ彼らを赦したまえ!」と神の前に迫害する者たちをとりなした。

ヤコブは故郷に帰るときに自らを殺そうとしたエソウの前に自らの全ての財産をもささげながら愛する道を選んだ。
ヤコブ=イスラエルの12人の息子のうちヨセフは兄弟たちに妬まれてエジプトの商人に売られていったが神に守られエジプトの総理大臣にまでなるが故郷から来た兄弟たちを赦し愛し包摂した。ここからイスラエル民族の歴史が本格的に出発した。
再臨のメシアの文先生も恩讐の国の日本を愛し赦し、自らの生命をも狙ていた北朝鮮の金日成やソ連のゴルバチョフと会見、彼らを真の愛で包摂した。


神側に立つものは復帰節理の原則から常に敵を赦し、恩讐を愛し、包摂していく道を歩んできたのである。
歴史上の多くの聖人や義人の歩みもまさにそのようなものであった。

神様の前に絶対服従の道を歩むものは常に自らを犠牲にしながら恩讐を愛し、敵をも愛し赦す道を歩んできたのである。