悪習から解放された老父 | キビコジのブログ

キビコジのブログ

ブログの説明を入力します。

いい話を聞いた。
「悪習から解放された老父」
70を越えた老父の飲酒癖が治らない。このまま飲酒を続けたら身体に良くない。そう思った息子娘は何とか父親の飲酒癖を直そうとするがどうにも治らない。
一計を案じた息子は、自分の給料日、買えるだけの酒を買って帰り、神前に供え、父親に「お父さん、これまで自分は酒は身体に良くないと、何とかお父さんに酒を止めてもらおうと思ったけれど、お父さんの好きな酒を止めるのは、お父さんの気持ちを思うと忍びない思いがしてきた。そこで今日は買えるだけのお酒を買って来たから、お父さんの気の済むまで飲んでほしい。」
父親はとても喜び、息子の買ってきてくれた酒を本当に嬉しそうに飲んでいた。そうすると、その息子が買ってきた酒が尽きる頃にはすっかり酒癖が無くなり、その後一切、酒を飲まなくなった。
そこで知ることが出来るのは、悪い癖があるからと言って、それを無理矢理強制的に変えようと思ってもなかなか人の悪習というのはあらためられない。
やはり、そういう悪習に陥るにはそれなりの、理由や原因があるのである。その事を悟って、本当の深い愛情をその人にかけた時に、不思議と悪習からも解放されて行くものである。
犯罪行為や過ちに対しても、とかく我々はその過ちに対して攻撃や追及だけしてしまう傾向がある。
福音書に、イエスが淫行を犯した女を石で打とうとした人々に「あなた方のうち罪の無い者から打て」と言われて皆が去ったあと、「私も打たない。これからは過ちを犯さないように」と諭したという話がある。

悪習にせよ、過ちにせよ、人はしたくてしているわけではない。そういう行為に走らざるをえない、その心まで受け止めて、深い愛情をもって接する時に、人はその心の奥底の本心が顕になり、自ずと過ちから解放されて行くのである。
様々な奇跡や美談はそのようにして、成立して行くのである。