「イスラム国」状態だった事変勃発頃の中国~きちんと歴史を検証したら日本の役割が明らかに | キビコジのブログ

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昭和12年日支事変(日中戦争)が勃発した。それからの日本は大陸での泥沼の戦争に巻き込まれていく。満州事変を起こし満州国成立に動いた石原莞爾将軍も中国の中原(大陸本土)への進出には乗り気でなかった。なのになぜ日本は泥沼の戦争にはまり込んで行ったのだろう?

当時の中国の状況はどうだったのだろうか、蒋介石の国民政府が一応中国の当時の主権を維持していたが、実際の中国は軍閥が各地に乱立して主導権争いを展開する事態であった。
中国は歴史的にも軍事力を持った集団(軍閥)の力が強く、中央政権はその力のバランスの上に成り立つ体制を長く続けてきた。特に中央政権の力が弱まってくるとそれぞれの軍閥が力を背景に主導権争いを続けるようになる。まさにいまの中東の「イスラム国」など軍事武装集団が跋扈して勢力争いを続ける状態によく似ている。

軍閥は自らの勢力の拡大と武器の調達その他の理由から外国勢力との連携を図るのが常である。
今は政権の座について「社会主義」を標榜する共産党も、日中戦争時は八路軍と称して直接日本軍とは対峙せず、常に国民政府軍の背後であわよくば政権自体を奪おうという軍閥の一つだったと言っていい。たまたま彼らはロシア革命後成立したソ連共産党政権、コミンテルンの支援受けて、日本軍が撤収した後の中国大陸の覇権をコミンテルンの支援の下で成し遂げたに過ぎない。
中国共産党が共産主義の看板は掲げていてもマルクス主義などはほとんどどうでもいいとしてきた集団に過ぎなかったことはその実態が証明している。共産主義の理論通りなのは暴力の肯定と政権に否定的な者に「反動」のレッテルを貼って除外していくことくらいかもしれない。

当時の中国の軍閥の中には日本に接近するものもあった。それまで日本政府の要人の中には孫文や蒋介石を支援したり友好関係を進めようという人々も多かったが、関東軍や陸軍の意向は蒋介石と対立して、中国大陸に直接進行していく方向に突き進んでいくようになっていった。
以来日本軍は泥沼状態の中国大陸に足を踏み入れ抜けるに抜けられない状態に陥って行った。

中国共産党が大陸における主導権を確立して行ったときに毛沢東は「日本のおかげで共産党が政権を樹立できた」という意味のことを言っていた。それはその通りで、毛沢東の一番の目的は大陸全体における主導権の確保であり、最大の彼らの敵は蒋介石の国民政府であった。日本との戦いで国民政府が疲弊してくれるとが最も彼らに都合のいいことだったのである。
戦局の進展の中で日本が劣勢になっていった段階で国共合作を策していかにも対日戦争で共闘するかに見せかけながら、確実に彼らの基盤を拡大していったのである。
当時日米戦争の推移の中で最終的に日ソ不可侵条約を破棄して参戦し、日米戦争の漁夫の利を得ようとしたスターリンが背後にあったことも間違いないであろう。

国民政府軍は日本軍との戦いに疲弊していっていた。戦後日本軍が撤退した後はスターリンの巧みな戦略が中国大陸においても展開されていった。東ヨーロッパが瞬く間に共産化していったように、アジアにおいて欧米連合国は日本との戦いに勝ったことに満足して中国や半島へ進出を企てていたソ連の動きに油断していた。結局中国おいては蒋介石は十分な連合国からの支援のない中でソ連の背後からの支援を受けて毛沢東は大陸における覇権を奪っていったのである。中国共産党政権の成立を許してしまったのである。

当時のアメリカはスターリンのソ連、共産党のソ連こそ最大の敵となることを見過ごしてしまっていたのである。

中国と北朝鮮の共産党政権の成立はかくのごとく始まった。

日中、日米戦争に日本を駆り立てたのもスターリン、ソ連の謀略があったからともいわれている。実際にゾルゲなどソ連のスパイが日本でも暗躍していた。米国でも同様の動きがあった。敵の敵は味方として、敵同士を戦わせてその力をそぐのは古来戦略の常道でもある。確実にソ連はその支配権を拡大し、「世界革命」=世界制覇に突き進んでいった。

その後ソ連邦は革命成立からほぼ70年を経て崩壊していった。中国共産党政権も、北朝鮮の政権もその成立からかれこれ70年を迎えようとしている。最近、その末期の症状が著しい。

日本は単純に日本が侵略国家であったというレッテルに惑わされないで、何が一番大きな間違いだったのかという検証を明らかにして行かなければならない。独裁政権の末期に来て、どのような謀略を展開してくるかわからないのが中国と北朝鮮である。いざとなれば暴力的手段、軍事力でも警察力でも、また歴史の捏造などあらゆる手法をほしいままで利用してくる。
日本はたの民主主義国家と密接に連携してこれら独裁的共産政権の動向をきちんと見極めていかなければならない。そして長い反省の歴史の積み重ねの上に、次の時代をどのように展開していくのかという使命が大きいことも自覚していくべきであろう。

「九条を守れ」というような呪文を掲げる、掛け声だけの平和主義は独裁権力に利用されるだけである。口先だけの友好も同様である。

かつて『政治は愛である』と私は主張してきた。

日本人の最も大きな特性とは「和」の精神であろう。それは長いものに巻かれるということではない。声が大きいもの、力の強いものに屈することでもない。万民がともに豊かに暮らすことのできる世の中の成立のためにそのことの実現のために個々人ができうる可能性に挑戦することである。

「愛」というのはその対象者の最大幸福を願うものである。愛するものが悪徳な者たちに騙され生命や財産や純潔を奪われようとしたらどうするのだろうか。命に代えてもその対象を守ろうとするのが本当の愛である。
またその対象が行く道を誤ろうとしたらどうするのだろうか?やはり命がけでその行く道を制止するのが愛するということであろう。

日本は数千年の古代から受け継いだ敬天愛国と和の精神を基準として世界万民を愛で抱擁する文化を模範として示す大きな役割を担っているのではないだろうか!

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