殉難の道 | キビコジのブログ

キビコジのブログ

ブログの説明を入力します。

企業倫理や家庭倫理の普及に貢献している倫理研究所の創立者丸山敏雄先生が戦前の宗教弾圧で、凄まじい拷問や取り調べ裁判の経過の中で担当弁護士に贈った「殉難の歌」という叙事詩がある。
昭和10年大本教への大弾圧のあった翌年の昭和11年、今度は「ひとのみち教団」(現PL教団の前身)が不敬罪の嫌疑により教祖の御木徳一師ほか幹部が逮捕され、激しい拷問を伴う追及を受けた。この時教団幹部のひとりであった丸山敏雄先生も凄まじい拷問を受けた。(教祖の御木徳一師はこの時の拷問により体力が衰弱その後死亡した。)
ひとのみち教団は敬神嵩祖を説き、教育勅語の実践を奨励してしかも皇室への崇敬も篤かった。そういう教団が何故不敬罪に問われるようになったのであろうか?その後教団は無実を訴えて控訴、しかし昭和19年に有罪確定のまま終戦。戦後GHQにより解放された。
丸山敏雄先生はこの裁判の経過の中で歴史に記されて来た内外の殉難者の無念の心情の数々を歌に記して、弁護士に贈ったのである。この歌に取り上げられたのは、国内では、和気清麻呂や楠木正成、法然や日蓮など、世界ではイエスキリストやキリスト教の歴史上の殉難者など多くの人物を取り上げている。
そこには、いわれなき不当な迫害や弾圧を被って来た聖人や義人の殉難の中にも真実を貫いて生きた魂の叫びが綴られいる。丸山敏雄先生はこのような殉難の中で大きな悟りを得て、戦後の混乱期の中で社会運動としての倫理運動を広く展開でした、戦後の日本人の精神復興に多大な貢献をするようになるのである。

今回郭先生の巡回講演があり、小生もそのお話しを聞かせていただいた。郭先生の誠実な人柄に触れましたまた話される真実の叫びに、丸山敏雄先生の「殉難の歌」の内容物が思い浮かんで来た。
いわれなき罪状を被せられ不当な裁きを受けながらもこれまで弁解や弁明らしいことを表だってして来なかった理由もそのお話しを伺ってよくわかった。
イエスキリストが十字架を背負われて行った時にそうであったように、文鮮明先生もあの梨花大学事件の時、西大門刑務所に引かれて行くとき抗うことをされなかった。郭先生のお話しを聞きながら文先生の思想と精神をそこに見る思いがした。

殉難は殉難で終わらない。その殉難を克服したところには大きな希望があるものである。今回郭先生のお話しの中にその大きな希望を感ずることが出来た。まだまだ克服する課題はあるであろうが、希望が喜びに代わる日はそう遠くないとの思いを強く
持たせていただいた。
ありがとうございます。感謝の気持ちである。