殉難の歌 | キビコジのブログ

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「殉難者の歌」は倫理研究所の創設者丸山敏雄が「ひとのみち教団事件」に際して、真摯に弁護を担当してくれた5人の弁護士への感謝の心から、その感恩報謝の至情と覚悟を長歌に読み書作品にして贈呈したものであった。「倫理運動の原点に迫る 殉難の歌」山口健次編著(倫理研究所)からその冒頭の部分を引用させていただく。

果て知らぬ大宇宙 悠久の時の流れ 限りなき現世に 限 り身の日止と生まれ来て 修め理(つく)る人類の歴史 固めなす時代の文化 そが中に 時に逆らいて大義を辞し 勢ひに抗して尊王を叫びし 偉人傑士 何れかも 苦節受難の険路や 経ざる 

権勢に屈せず 刀かく(金偏に蒦)に脅えず 妖雲を一掃して 天日之嗣 世御宸極 終古不易と 仰ぎまつりし 純忠無比の臣 清磨公は 大隅に流され 臣道に徹し 清節を貫きし 官公は 筑紫に貶せられて (・・・以下略)

この後 「忠臣の亀鑑 楠公は ・・・」 と続く、さらには 山鹿素行 竹内式部・・・・勤王の志士 吉田松陰など忠臣の道、皇国の道を生きた人々を取り上げ・・・
日蓮 法然 親鸞 日本の宗教史の殉難者
イエスキリスト パウロ ペテロ・・孔子 マホメット など世界的な宗教家の道  
ソクラテス クリトン ガリレイ  ・・・と哲学者や科学者など真実や真理に生きたがゆえに迫害や受難の道を歩んだ人を取り上げそれらの人々の時の権力や世の人々の時流に流されず真理や真実に生きた様をその歌に詠み込んでいる。

丸山敏雄はその父親から「信を取れ」と教えられ続けたそうである。生涯「信とは何か」を問い続け洋の東西を問わず「信」のために生きてきた人々の歩みを学び、自ら「信」を求め続けて来た。
裁判事件は凄絶な拷問や不当な裁判を被ったがそのような困難のなかにより深い真実を見出すことが可能になったのであろう。


「天宙的葛藤」という深刻な混乱期を通過している統一家であるが、その葛藤の克服の道は何か!
「信とは何か、「真」を問い続ける道、「真」を貫く道、それ以外にはありえないことを私たちは知らなければならないのではないか!

丸山敏雄は「殉難の歌」の中に数多くの忠臣や宗教家、哲学者・科学者を取り入れながら信を問うているが、これらの「真実」に生きた人々があればこそ今日の国や世界があることを本当に感謝しなければならないと思う。そしてまた我々もそのような人々の歩んだ道を慕い従って行こうとする勇気と信念が求められているように思う。

今回「渦中の人」郭錠煥先生が来日、各地で「真相」「真実」を語って行かれた。これまで統一家の中では様々な「噂」が流布されてきた。その「噂」を信じる人たちはまた何かの弁明でもしに来るのでは!と思ったのかもしれないが、実際の内容はそのようなものではなかった。
今回参加した人はそう多くはなかったかもしれないが、たった一人でも真理に目覚め真実を貫こうとする人がいれば歴史は確実に変わって行くのである。

丸山敏雄が「殉難の歌」で最初に取り上げたのが「和気清麻呂」である。
歌にも詠まれているように「道鏡事件」で大隅に配流された。その途上命も狙われた。
清麻呂は時の天皇、称徳女帝に仕え信任の篤かった姉の広虫に代わって宇佐八幡から来た「道鏡を天皇に」という神示が本当かどうか確かめに行ったのである。宇佐に赴いて得た神示は「皇統を守るべし!無道のものは去れ!」というものであった。先に伝えられた「道鏡を天皇に」という神示は偽りだったわけである。称徳天皇の寵愛を受け時の権力をほしいままにしていたのが道鏡であった。「神示」を奏上した清麻呂は女帝の後ろ盾を得ている道鏡の怒りを受けて大隅国に流されることになったのである。このとき姉の広虫も同様に備後(現在の広島県東部)に流されるのである。清麻呂の子の時の心境を表す言葉がある「我独慙天地(われひとりてんちにはず)」ただ一人天に向き合い真実に生きようとする清麻呂の心境をよく知ることができる。
この絶体絶命の和気清麻呂を支援したのが和気氏と密接なつながりを持っていた秦氏の一族であった。その後称徳女帝は亡くなり道鏡は失脚、清麻呂は都に帰るが、桓武天皇の時代には天皇の側近として新しい都、平安京の企画と建設に貢献していくのである。また平安京建設にあたってはこれまでの古い宗教勢力(南都―奈良の仏教)を排し遣唐学僧として新しい仏教思想を学んできた最澄や空海を重用して国家鎮護の精神的バックボーンを確立したのも和気清麻呂の果たした大きな歴史的功績であった。
平安京は明治維新により皇居が東京に移される(今でも京都御所が正式な日本の御所と言われているが)まで1000年以上の歴史を綴って来たのである。
宗教的には弥勒の来臨を標榜し神と仏が習合して一体となって来たのが平安京の成り立ちであった。
戦前の日本の最高額紙幣は「イノシシ」と呼ばれその肖像は和気清麻呂であった。
戦後の歴史教育ではほとんど教えられなくなっているので、今ではその名前を知らない人も増えていますが、和気清麻呂とその姉の広虫、そして清麻呂の子供たち(清麻呂亡き後、最澄や空海を支援しつづけたのが和気の一族だった)とその歩みがなければ今日までの日本の文化と伝統、その中心にある皇室の存在と比叡山や高野山を中心に日本の伝統的宗教文化が育んできた日本のよき精神風土は存在しえなかったとも言える。

あらためてより真実を求めて生きる生き方の大切さを思わされる。

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