久津媛神社(日田市日高)





◆ 土蜘蛛 十八顧 (「豊後国風土記」前編)





ヤマト王権に「まつろわぬ者」として、「土蜘蛛」という蔑称で一括りにされた古代の人々。

そんな「土蜘蛛」たちを一顧し、ささやかながらも光を当ててみようと企画したテーマ記事。

2022年の新春早々からスタートし、今回で18回目を迎えました。大変に中途半端ですが…。


記紀にみえる「土蜘蛛」、または「土蜘蛛」らしき者はおそらくすべて抽出を済ませました。
現在は各国の風土記や古文献を洗いざらい、北から東から順に抽出しています。

そして今回は「豊後国風土記」より。



*過去記事一覧は最下部に掲載しています。


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日田市石井に鎮座する石井神社(石井大明神)



■ 「豊後国風土記」(前編)

この書には多くの「土蜘蛛」が記されています。2回に分けて、今回は前編をお送りします。



◎日田郡石井郷

━━郡の南にある。昔この村には土蜘蛛の堡(をき、=砦)があった。石を使わず土を以て築かれていた。これによって無石堡(いしなきのをき)と名付けられたが、これが後の人の誤りによって石井郷と名付けられた━━(大意)

「石井郷」の地名由来の中で、「土蜘蛛」がさらりと登場しています。名前も無ければ、何時の頃のことかもありません。ただ存在したというだけで戦ってもいないのでしょうか。

日田市は数年前の線上降水帯による豪雨で、大災害に見舞われた記憶が新しいですが…。

山合いの中の盆地。
市内を「三隈川」が横断。

この川は九州一の河川「筑後川」の中流域。
「玖珠川」「大山川」「高瀬川」等が一気に合流して「三隈川」となり、市内の端でさらに「花月川」が合流します。

要衝であり、1万年前から稲作が始まったとも言われています。
日本最古の稲作開始の候補地の一。
また邪馬台国、卑弥呼の候補地の一でも。

この地を治めていたとされるのが久津媛(ヒサツヒメ)。景行天皇が球磨贈(熊襲)征伐を成し遂げた後、出会ったのがこの神。人の姿に化身して現れ天皇を迎え、この地域の状況を報告したと記されます。現人神であるということからシャーマン(巫女)であろうことが想像されます。

この久津媛の話が石井郷の直前に、日田郡の冒頭に記されています。
報告の中に「土蜘蛛」たちの情報があったことでしょう。久津媛も「土蜘蛛」と同列だったのではないか、ただし景行天皇に対しいち早く服従したために「土蜘蛛」とはならず神として扱われたといった具合に考えます。或いは「土蜘蛛」たちは製鉄鍛冶部族、久津媛は農耕部族だったのかもしれません。

【参照記事】




◎日田郡 五馬山

━━郡の南にある。
昔、この山には土蜘蛛がおりその名を五馬媛(イツマヒメ)と言った。これによって五馬山(いつまやま)という━━(大意)

日田市「石井」や隣接する日田市の中心部からは、南東10kmほどに日田市天瀬町「五馬市」という所があります。「三隈川」の上流、「玖珠川」「大山川」に挟まれた台地。

五馬媛をご祭神とする玉来神社が鎮座、こちらで間違いないかと思います。また元宮神社という社があり、元宮古墳(五馬媛命之墳墓)というものもあるようです。

こちらも何時の頃のことかも分からず、ただ存在したというだけで戦ってもいないのでしょうか。

久津媛と五馬媛、ともに「媛」でありながら、方や神で、方や「土蜘蛛」。
「媛」とは女性に対する美称ですが、この時代であると女神に対して用いるのが定石。これまで触れてきた女性「土蜘蛛」は名草戸畔、丹敷戸畔、井光(井氷鹿)、匹女と「媛」といった表記はなされていません(井光は厳密には「土蜘蛛」といった表記無し)。したがって異例のこと。ましてや美称などと。

ところで久津媛には卑弥呼ではないかという説があります。久津媛神社から北西3km余りほどに「小迫辻原遺跡」(おざこつじばるいせき)があり、こちらが邪馬台国、卑弥呼の居館跡とも言われます。そして南東1km余りのダンワラ古墳からは、1~3世紀の漢鏡と推定される「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)が出土。これが卑弥呼の鏡ではないかとも。

久津媛は比佐津媛とも表記されますが、そもそも「クヅヒメ」ではなかったのかも密かに考えています。「クヅ(クズ)」=「国栖(葛、九頭)」ではないかと。「玖珠川」も流れていることですし。


* 掲載写真は3枚ともすべて2014~2015年頃に撮影したものです。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。