☆小迫辻原遺跡
(おざこつじばるいせき)
豊後国日田郡
大分県日田市大字小迫
(広大な空地状なのでいくらでも路駐可)
邪馬台国の有力な候補地の一つ。
昭和の終わりに大分自動車道建設により
古墳時代前期の豪族居館が計3基が発見されました。
標高120m、比高差40mの台地上
一辺48m、39m、20mの超大型居館。
つまり邪馬台国かどうかはさておき、
邪馬台国とほぼ同時期に、邪馬台国を彷彿とさせるクラスの居館区があったということです。
発見当時は日本最古の居館跡、
今もそうなのかも。
遺跡の広さは東西700m、南北400mの平面三角形、現在は遺跡を表す大きな看板と、申し訳なさ程度の小さな案内板のみ。
ただただ広大な空地状になっています。
当地の旧石器時代から中世までの遺構を含め、
周辺には特に弥生時代から古墳時代前期の遺構がたくさん。
環濠集落は3箇所あるとか。
出土品も相当なものがたくさん。
周辺より40mほど高い広大な台地があり、
そこには祭司者の居館などがありました。
つまり周辺の一般の居住区とは明らかに隔離された特別な地であったと考えられています。
また北側には成務天皇の御代にこの日田地区に
鳥羽足尼(宿禰)を国造として派遣したとあります。
畿内系の土器も多く見つかっているとか。
さらに景行天皇が日田に立ち寄った際に
「久津媛」が出迎えたとあります。
この「久津媛」こそが卑弥呼なのかも…。
日高町のダンワラ古墳からは
「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてつきょう)という、とてつもない代物が発掘されています。
銅ではなく鉄ですが…
ま~往時のきらびやかな輝きといったら
この上ないものだったかと。
復元された画像を見たところ
それはそれはもう…筆舌に尽くす代物で。
訪れた5~6年前はとにかく
「ここが邪馬台国」かと興奮したことを鮮明に覚えています。
近年は纏向遺跡の方が有力なようですが、
ここを訪れると纏向など論外…とも思えたり。
ただ残念なのは地元での認知度があまりに低く、いくら道を訪ねても「知らない」ばかり。
日頃の神社参りで培った、地形などから探り当てていく「勘」で突き止めました。
当時はGooglemapなんて使ってなかったから
とにかく「勘」で(笑)
そうそう行けるようなところではないですが、
次回訪れる機会があれば、周辺調査から行っていきたいと考えています。
当時は日田から高良大社へ九州を横断し、
日田の地形などを確認していきました。
現地は2018年の大洪水で被災されたと伝わっています。
一日も早い復興をお祈りします。