◎幽閉の地?「畝傍山」へ!(令和二年5/20)
大和国高市郡
奈良県橿原市大谷町・山本町・畝傍町・慈明寺町
*今回も登拝のみの記事とし、各社は後ほど記事UPします。
「畝傍山」は子供の頃の「庭」みたいなものでした。
当時土曜は半ドン。
お昼ご飯を食べたら自転車に乗って、とにかく「畝傍山」へ。
…何~にも考えず(笑)
友達と行くこともあれば、一人だけでも。
博物館なんて100回以上は遊んでた。
展示物は見飽きたので、埴輪に乗っかったりして(笑)
「畝傍山」も数十回は登っていたものです。
ところが…
その頃から薄々感じてはいたのですが、
この山は「幽閉の地」ではないか?
「大和三山」の中でも異質の山であると思っています。薄暗くて、恐い(畏れ多い)イメージ。
それもそのはず、
この山の周囲には次々と御陵が築かれました。
しかも「火」が「うねる」ことからの山名。
曰くありげな感じ…。
死火山です。いつの時代に噴火したのか資料は見当たらず不明。
子供の頃に見た案内板には書いてあったような気も…。
古代人には噴火する山という認識があったのかな?
大人になってから登拝していないのは、
そんな感情が邪魔をしていたように思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200526/23/keith4862/b3/2a/j/o1080081014764771600.jpg?caw=800)
ま…でも…行っちまえ~~~!…と(笑)
登拝口はいくつかあるが、
やはり子供の頃からの慣れたところから。
畝火山口神社の脇から。
当時とずいぶん変わってます。
周囲はほとんど砂利道やったはず。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200526/23/keith4862/c8/fe/j/o1080081014764771613.jpg?caw=800)
なんか池らしきもの。
かつての集落跡のようです。
これが噂の「洞村」やな!
でもお目当ての社が見つからない…。
この集落跡の付近のはず!
30分ほど藪を掻き分けウロウロと。
あとはもう気力と根性と!
…同じか(笑)
意地かな?
あった!あった!
見つけてしもたがな!(笑)
石柱に「宮」と刻まれているのが見えるでしょうか?
5~6本の石柱で囲われています。
これこそが神武天皇の宮址ではないかというもの。橿原神宮なんて明治政府が仕方なく拵えたもの。
そしてなんといっても
神武天皇の本当の御陵ではないかと!
そもそも神武天皇陵は、こちらも幕末に幕府が仕方なく拵えたもの。
かつての牛の糞塚を、政強引に治定したといういきさつがあるようです。
さっきの池といい、
レンガ造りのほにゃらら~といい、
そしてこの「宮址」といい、
かつての「洞村」の方々が1500年ほどの間、
大事に大事に守っておられたもの。
御陵がさらに麓の平地に治定されたため、見下ろすことになるから…
アカン!出て行け!…って。
これが同和地区、部落差別の歴史です。
丁重に拝し、一旦神武天皇陵の参道へ。
こちらはコロナの問題もあるので拝していません。
本当の畝火山口神社(東大谷日女命神社)を参拝し~
そしてまた「畝傍山」登拝!
山の反対側の畝火山口神社に車停めてるから。
本日3度目やがな(笑)(笑)(笑)
たかだか200m足らず言ぅても
×3で600m分(笑)
そっからまた歩いて
スイセン塚古墳や慈明寺町の天神社へ。
歩数計は1万5000歩越え!
この日もよく歩きました~(笑)
《今回もまた長い記事にお付合い下さいましてありがとうございます》