(みみなしやまぐちじんじゃ)
大和国十市郡
奈良県橿原市木原町490
(耳成山の山頂、耳成山公園Pが南100m足らずに有)
■延喜式神名帳
耳成山口神社 大 月次新嘗 の比定社
目原坐高御魂神社 ニ座 並大 月次新嘗 の論社
■旧社格
郷社
■祭神
高御産霊神
大和国14山口社の一。「延喜式祈年祭祝詞」で称えられる大和国6山口社の一でも。当社も例外無くして式内大社であり、月次新嘗の幣帛を授かっています。
三山はかつて「大和湖」に浮かぶ小島であったと思われます。「耳成山」はそのうちもっとも美麗で美しい三角錐、いわゆる神奈備山形をしています。死火山であり、かつてはもっと高かったとのこと。
◎山の口に鎮座するはずの山口社が、山頂近くという不可解なことになっています。これを巡ってはいろんな見解が出されており、比定そのものが間違っているや、麓から遷座があったなど多様に。
◎「大和志料」は「本朝神社蝶」という書の記述に着目し、「耳成山」には「天神社(旧名 耳成山口神社)」と「耳成山天神宮」とニ社あったのではないかとしています。そして「天神社」は式内大社であり、現在の耳成山口神社は「耳成山天神宮」であったのではないかというもの。
◎その「耳成山天神宮」は式内大社 目原坐高御魂神社であると「本朝神社蝶」はしています。ちなみにここでいう「天神」とは天津神、高御産霊神のことであり、菅公ではありません。
◎なお氏子は8村に及んでいたようですが、そのうちの山之坊村が慶安四年(1651年)に神木を刈り荒らしたらしく、争いが起こったとか。当社を式内大社 耳成山口神社に比定することでそれが収束したとされていますが、山之坊村は当社より分霊を山之坊山口神社として祀っています。
*写真は2019年2月と2022年6月撮影のものとが混在しています。