☆懿徳天皇 畝傍山南繊沙溪上陵
(いとくてんのう うねびやまのみなみのまなごのたにえのみささぎ)


大和国高市郡
奈良県橿原市西池尻町401
(P有るもののいつも閉鎖されて利用不可、敢えなく側に停めて足早に)



第4代懿徳天皇の治定墓。
「畝傍山」の南西、また父の安寧天皇陵の南東300mほどにあります。

◎「真名子山」というのが通称。記には「畝傍山の真名子谷の上」と記されます。
これを当御陵の西隣とする説があります。現在の安寧天皇神社が鎮座する丘陵。

「真名子」とは、安寧天皇の御子である懿徳天皇に対してのものかと思われます。
少なくとも記紀編纂時には、この辺りを「マナゴ山」と称していたことかと。

◎これらとは別にイトクの森古墳(池田神社)を御陵ではないかとする説も。
こちらは「畝傍山」の北側にあり、記紀に記されるものとは異なりますが。

◎なお懿徳天皇の事績は記紀には何も記されていません。欠史八代とも言われ実在を疑われています。

和風諡号 … [紀] 大日本彦耜友天皇、[記] 大倭日子鉏友命

父 … 安寧天皇
母 … [紀] 渟名底仲媛命、[記] 阿久斗比売

皇后 … [紀] 天豊津媛命、[記] 賦登麻和訶比売命
子 … 観松彦香殖稲尊(孝昭天皇)、武石彦奇友背命

◎母の渟名底仲媛命は天日方奇日方命(事代主命の子または孫)の娘。阿久斗比売は師木県主波延の娘。
◎皇后の天豊津媛命は息石耳命の娘。記の賦登麻和訶比売命や、紀の一書に見える二人の皇后はいずれも磯城県主(師木県主)の系譜。


*写真は2019年6月と2022年11月撮影のものとが混在しています。


冒頭の写真の右背後に見えるのが「畝傍山」


築造当時の周濠ではなく、後から造られたものと思われます。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。