☆神武天皇 畝傍山東北陵
(うねびやまうしとらのすみのみささぎ)



初代神武天皇の御霊。
宮内庁は円丘であるとしています。「延喜式 諸陵式」には東西一町、南北二町と記されています。

その後、所在不明となり江戸時代に現地に治定、明治・大正・昭和に渡り現在の姿に。

この御陵については以下のように言われています。
◎本来の神武天皇陵は現地ではない。
◎現地は元々「糞田」と呼ばれた「牛馬の屎尿処理場」であった(古老談)。或いは、かつて当地にあった国源寺という仏教施設の基壇跡であった。
◎木が一本生えただけの、ごくごく小さな塚(4~5m程度)のように見えるものを神武天皇陵であるとした(江戸時代の図絵による)。

大正六年に、この御陵を見下ろす格好になるとされ、「畝傍山」北東麓の尾根裾にあった「洞村(ほらむら)」が集団移転させられています。移転先は御陵の東側の「大久保町」。被差別部落地であり、容赦なかったのかもしれません。

この「洞村」の村民たちが代々大切に守り抜いてきた「丸山宮跡」というのがあります。
こちらが真の神武天皇陵と思われます。村民たちはここが真の神武天皇陵だとされると移転を余儀なくされるため、一切の証拠書類を焼き払ったとのこと。結局は移転させられたのですが。

現在は「畝傍山」の山裾で藪中と化しており、踏み込む者はほとんどいない状態となっています。


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。








*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。