青海神社 (高浜町)
(あおうみじんじゃ・せいかいじんじゃ)
若狭国大飯郡
福井県大飯郡高浜町青宮脇15-1
(P有)
■延喜式神名帳
青海神社の比定社
■旧社格
郷社
■祭神
[合祀] 應神天皇 神功皇后 比咩大神 倉稻魂命
飯豊青皇女(天皇)が禊をしたという「窪池(禊池)」をご神体とする社。北西に霊峰「青葉山」が聳え、こちらが神奈備山であったと考えられています。つまり「青葉山」に向かって祭祀を行い、禊をした池であると推されます。
◎当地は現在でこそやや海から離れていますが、9世紀頃までは海に面していました。それが当社を探る上で重要な鍵となりそうです。
◎当社案内では「青海首」の祖神とされる椎根津彦命が祀られているとしています。ただしこれは伴信友氏による解釈であり、谷川健一氏などは祭神不詳とすべきだとしています。
そもそも伴氏は「青にます海神社」であると解釈すべきだと唱えており、そうすれば海人族が奉斎した社であって「青海首」が奉斎した神社ではないというのが谷川説。
氏は当地「青郷」、東の「大島」(大飯原発のある半島)がかつて「青島」であったのではないか、さらに東の「蒼島」(若狭湾の島)、そして富山県と新潟県の県境に鎮座する同名の「青海神社」までを含めて海人族の足跡としています。つまり「青」による関連付け。非常に説得力のある説であり、そして海神との関連が強い若狭彦神社についても検討が必要かも。
◎一方、飯豊青皇女はこの地に御名代を有していたとされています。大和国忍海郡(おしみのこおり)を拠点としていますが、「忍海」は「大海」の意と考えられまさに当地のこと。御子神の弘計王・億計王(ヲケオウ・オケオウ)の二皇子が雄略天皇からの殺害から逃れたのは、当地より目と鼻の先である舞鶴や宮津。一帯に痕跡が点在しています。
◎飯豊青皇女と「青郷」とを結び付ける「青」、これの研究については谷川氏がオハコとするところ。「青」も「飯豊」、「忍」、「多」もいずれも「オウ」という読み。最後の「多」は多氏のこと。多氏が斎祀った総本社とも言える多坐弥志理都比古神社の「弥志理都比古」と椎根津彦命とは、同類であるとしています。
◎この多氏は、3~4世紀頃に帯方郡より渡来した阿知王が引き連れてきた、七姓民の一人ではないかと。これらは大和国の高市郡や忍海郡に大量に居住しましたが、当地にも住みついたようです。それで大和国の忍海郡にあった飯豊青皇女と、当地「青郷」が結びつきました。
◎神奈備山である「青葉山」について地元の伝承では、村人の山越えを邪魔した大蛇がいて退治すると、尻尾が飛んで青海神社の禊池に飛んで来たというものがあります。また朝鮮半島によく見られる石剣と石戈を重ねたものが出土しています。
*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。