☆仁徳天皇皇后磐之媛 平城坂上陵 (ヒシゲ古墳)
(ならのさかのえのみささぎ)



大和国添上郡
奈良市佐紀町字ヒシゲ
(P無し)



仁徳天皇皇后磐之媛命の治定陵墓。すぐ横の小奈邊古墳磐之媛命の陵墓参考地として、宮内庁管理下におかれています。

通称はヒシゲ古墳。全長219mの巨大前方後円墳。仁徳天皇陵の大きさを考えれば理解できるところ。ちなみに仁徳天皇陵は525m。

堤から円筒埴輪が出土しているらしく、5世紀中葉から後半に築造されたものと考えられています。

「佐紀盾列古墳群」の東端部に位置し、宇和奈邊古墳小奈邊古墳と当古墳の3基が寄り添うように配置。年代を一覧にすると(資料により若干の違い有り)
宇和奈邊古墳…4世紀末~5世紀前半
小奈邊古墳…5世紀前半頃
・ヒシゲ古墳(当古墳)…5世紀中葉~後半
小奈邊古墳の方が宇和奈邊古墳より先に築かれたとされる

当古墳のみが少し遅れて築かれたようです。磐之媛命が生きた時代は4世紀末~5世紀前半と推定され、わずかにズレがあります。
また再三指摘しているように、確執のあった磐之媛命と八田皇女の墓が寄り添うように築かれたということに対し、非常に違和感を抱きます。

古墳については甚だ浅学であり、常識的な感覚でしか何も言えませんが…。


前方部に拝所と堤があります。