(阿知使主を祀る大和国高市郡 於美阿志神社)





■表記
七姓漢人(シチショウカンジン)
七姓


■概要
古代の中国系帰化氏族。
◎紀の応神天皇二十年の条に、「倭漢直(ヤマトノアヤノアタイ)の祖 阿知使主(アチノオミ)とその子 都加使主(ツカノオミ)が十七県の党とともに帰化した」とあります。
◎また続紀の延暦四年(785年)の条に、坂上苅田麻呂の上表文が記されます。「私たちは後漢の靈帝の曾孫である阿智王の子孫です。漢氏(アヤノウジ)の祖 阿智王は東国(日本のこと)に聖主(聖人君主)がいると聞き、帯方郡から七姓民とともに来朝し帰化しました」と。
◎これは一族が後漢の靈帝の子孫であるにもかかわらず、忌寸(いみき)という卑姓であるため、改姓を上表したもの。坂上苅田麻呂は蝦夷征討で知られる坂上田村麻呂の父。
◎両書を合わせると、阿知使主(=阿智王)が応神天皇二十年に「七姓民」を率いてやって来て帰化したということに。

◎「新撰姓氏録」を引用した「坂上氏系図」には、
七つの姓(かばね)は「段・李・皀郭・朱・多・皀・高」であるとし、各々に説明を加えているようです。
【段】… 高向村主(タカムクノスグリ)・高向史(フヒト)・高向調使(タカムクノチョウシ)・評首(コホリノオビト)・民使主首の祖
【李】… 刑部氏(オサカベノウジ)の祖
【皀郭】… 坂合部首・佐大首の祖
【朱】… 小市・佐奈宜の祖
【多】… 檜前非調子の祖
【皀】… 大和国宇太郡佐波多村主・長幡部の祖
【高】… 檜前村主の祖

◎当初は大和国高市郡今来郷(檜前郷)を拠点としました。それが於美阿志神社とかつてあった檜隈寺。キトラ古墳や高松塚古墳など一族の古墳もすぐ近くに。その後、全国各地に散らばっていきます。
これら一族が「いまき(今来)」とされたのに対し、後発の秦氏は「あらき・さらき」とされたようです。河内国讃岐(ささらのこほり)、大和国葛上郡の「蛇穴(さらぎ)」もその名残のように思います。


(河内国石川郡 高向神社)
 
(刑部氏が奉斎した河内国若江郡 御劔神社)


(坂合部氏が奉斎した河内国若江郡 阪合神社)