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河内マサヤンのブログ

私が作成した創作花札を掲載しています。創作花札とは花札の形を借りた「書」「イラスト」「言葉遊び」が三位一体となった作品です。

今回は三十年程前❝鈴木悠斎❞の作品をご紹介します。

ハワイアンのスタンダードナンバーです。
碧水の上に珊瑚礁、下に藤浦洸氏の訳詞を書きました。
 
珊瑚礁と言えば、先日妻がシュノーケリングをしに沖縄へ行っておりました。
「綺麗な海と珊瑚と魚が見たい」との事でしたが、那覇到着時は警報が出るほどの大雨。風と波も大きく「海に入るの厳しいかも…」と危惧しておりましたが、泳ぐ日になると奇跡的に天気は回復、波も穏やかになり、美ら海を堪能できたそうです。
金鎚のマサヤンはお家で大人しく動画を見ていました(最後はビクッとしました…)

 

 

ンボテ!

コンゴ共和国は中部アフリカに位置しますが、東隣には「コンゴ民主共和国(旧ザイール)」があります。両国の違いはコチラをご参照あれ↓

 

コンゴには「世界一オシャレな男たち」がいるそうです。

年収の約4割を高級ブランドに費やすオシャレ泥沼にハマった猛者たちは『サプール』と呼ばれています。これは「オシャレで優雅な紳士達の協会」を略しているとのこと。しかしながら高級ブランドに身を包めば『サプール』になれる訳ではありません。3色以内での洗練されたコーデが必須、さらに立ち振る舞いも重要で「ディアダンス」と呼ばれるステップを踏みながら歩き、民衆の注目を浴びることも忘れません。『サプール』の起源はコンゴの伝説的社会運動家アンドレ・マツワが関係しています。彼がパリからブラザビルに降り立った時、本場パリ仕込みのオシャレファッションを見た民衆に衝撃を与えた事が起因だと言われています。『サプール』は何より❝平和❞を尊びます。「争い?服が汚れちゃうじゃないか…」との考えのもと彼らはオシャレを楽しみ、エレガントに振舞うのです。

さて今回のはめ込みは「体を洗う女性」です。男性はファッションセンスを磨くのですが女性は肌で勝負、美肌を磨いているのでしょう。

ボンジュ!

マルタ共和国はシチリアの南に浮かび、面積は東京23区の約半分程の島国です。

地中海の中央に位置する為、古くから交易の重要地点でしたが。故にカルタゴ、ローマ、アラブ、スペイン、オスマントルコ、フランス、イギリスなど多くの外憂に曝されました。「防御の歴史」を歩んできたマルタは16世紀の対オスマン帝国「マルタ包囲戦」や第二次世界大戦での対枢軸国「第二次マルタ包囲戦」で鉄壁の守りを見せつけました。16世紀の「マルタ包囲戦」で当時不敗を誇ったオスマントルコを退けたのが「マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)」です。40年前オスマン帝国に「ロードス島」を追われ、『毎年鷹1羽』という破格の賃借料でマルタ島に入った聖ヨハネ騎士団は以後「マルタ騎士団」と呼ばれ、現在でも13,500人もの騎士が在籍(日本人も1名在籍)しています。ではマルタ共和国の首長はマルタ騎士団長なのかというと、そうではなく、オスマン帝国を破った騎士団長「ジャン・ド・バレット」にちなむ首都バレッタに本部を置いているわけでもありません。本部はローマにある「マルタ宮殿」です。実は「マルタ騎士団」はイタリア、ドイツ、スペインをはじめ世界112ヶ国との外交関係を持つ『領土無き独立国』として扱われているんですね(ただし日本やアメリカは国家として認めていません)。

さてさて、今回はネコちゃんをはめ込みましたよ。マルタ島は「猫島」と呼ばれ人口の二倍のネコが闊歩し、地元猫が集まる猫ポイントなど記した「ネコMAP」も発行されている超猫処。特に青が灰色の短毛なのは「マルタネコ」や「マルティーズキャット」と呼ばれています。ところで「マルティーズ」って聞き覚えありませんか?実は犬の「マルチーズ」もマルタ島原産なんですねぇ。じゃあ犬もはめ込みたいところですが、はめ込みスペースが足りずネズミに・・・「マルチーズ」ってことで「チーズ」はめ込んどきますか(笑)

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久々の創作花札です。やはり季節を楽しみたいですね。

千万ドルの夜景と神戸市花である紫陽花です。酸性土壌で寒暖差が大きい六甲の紫陽花は「六甲ブルー」と言われ、三宮の文具店では「六甲フォレストブルー」という万年筆用インクも売られています。そして六甲は酒処「灘」を育んだ『宮水』、そして「赤道を越えても腐らない」と各国の船乗りから絶賛された『KobeWater』の産地です。梅雨入りも近いですが、名水湧き出す六甲のマイナスイオンたっぷり空気と紫陽花を堪能しながら千万ドルの夜景を眺めるのも良いですねぇ。

 

サワディーカップ!

タイは長い間他国の植民地になっていない国です(16世紀から19世紀の300年以上長きにわたり繰り広げられたビルマとの争い『泰麺戦争』では首都を占領され属国になったこともあります)。今回のはめ込み地図はタイの北部と東部を大きな耳、マレー半島を長い鼻にして、タイの国獣ゾウにしました。

さて「長い」という言葉がよく出てくるタイですが、実は首都の名前も長いのです。タイ国外ではバンコクと呼ばれていますが、正式名称は非常に長く(以前少しご紹介しましたが、長くなるので意味は割愛しました…)

「クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラッタナ・コーシン・マヒンタラー・ユッタヤーマ・ハーディ・ロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニー・ブリーロム・ウドムラー・チャニウェート・マハー・サターン・アモーン・ピマーン・アワターン・サティット・サッカタッティヤ・ウィサヌカムプラシット」で
意味は「インドラ神がヴィシュヴァカルマン神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インドラ神の戦争のない平和な、インドラ神の不滅の宝石のような、天使の大都」とのこと。
地元タイの人々はこの長い正式名称を正確に言えるのでしょうか?Youtubeで検証していましたが、間違えずに言えた方は10人中1人でした。タイの人は「クルンテープ」と呼んでいるようですね。

 

改めまして「はめ込み地図と花札展」が無事に終わり、御礼申し上げます。ご覧になった皆様は珍しがって喜んでくださいました。おそらく世界でこんな妙なことをやっているのはマサヤンくらいでしょう。まあ当たり前に珍しいのだと思います(笑)

実は百数十か国の大使館や領事館に案内を出しておりましたが、スロベニアとカメルーンから御礼状を頂きました。

スロベニアはアシカの曲芸にしましたが、あちらではニワトリと言っているそうです。多くの国ではこのように自分の国は何々に似ていると言っているんじゃないでしょうか。世界はめ込み地図もこれからもっと広まってくれればと思います。

そしてこのブログをご覧になっている方々、「はめ込み地図と花札展」にご来場いただいた方々、応援下さった方々、皆様のお陰で本当に励みになっております。ありがとうございました。

「カメのように歩み、ウサギのように休みながら」ではございますが、引き続き精進して参ります。

 

         河内マサヤン

ガラブ・ワナークサン!

ジブチはアフリカ北東部、紅海の入り口に面した国です。『世界一暑い国』と言われ年間平均気温は34℃、71.5℃という最高気温に達したこともあるとか!「暑すぎて蚊も飛ばない」とか「ジュースの瓶が溶けた」などのエピソードもあるそうです。

さて日本との関係といえば唯一の自衛隊海外拠点がジブチにあることでしょうか。元々ジブチ国内にはフランス軍の基地がありましたが、ソマリア沖の海賊が活発化し各国も多く基地を設け、海上自衛隊も2011年自衛隊初の海外拠点を設置しました。

ジブチは紅海の重要地点に位置するので番犬(ジブチ犬という犬種は多分いません)をはめ込みました。

アッサローム・アライクム!

今回はウズベキスタン。

中央アジアに位置する世界的にも珍しい二重内陸国です。海に出るために国境を二つ以上越える必要がある国で他にはリヒテンシュタインのみになります。

ウズベキスタンの歴史的有名人といえば『破壊と創造の支配者』ティムールでしょうか。サマルカンド近郊に生まれ、一代わずか30年程で中央アジア、西アジア、南アジア、南ロシアにわたる巨大帝国(モンゴル帝国の半分)を築き上げました。

さて、地図にはめ込んだのはペガサスです。ティムールの電撃的征服は機動力に優れた騎馬のおかげでしょうか。ウズベキスタン東部にはフェルガナという都市があり、かつては大苑と呼ばれ「一日千里を走り血のような汗を流す」汗血馬を産しました。前漢の武帝はこれを欲するあまり二度の遠征を行い、汗血馬を得た喜びで歌まで作らせ「天馬」と褒めたたえました。ちなみにこの汗血馬、多乳頭糸状虫などの寄生虫によって本当に血の汗を流していたのではないかという説もあるそうです。

 

ズドラヴォ!

北マケドニア共和国(Република Северна Македонија)の前身はユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国で「マケドニア社会主義共和国」と名乗っていました。1991年に独立し、国名も❝社会主義❞を外しただけの「マケドニア共和国」としました。まあ多民族国家のユーゴスラヴィア連邦内では南の一地方であるマケドニアを明確に区別できるので「別にエエやん」状態だったのでしょうが、晴れて「国際デビュー」した後では話が変わってきます。お隣のギリシャから猛反発を食らったのです。「マケドニア」というと真っ先に思い浮かべるのはアレクサンドロス大王の古代マケドニア王国でしょう。首都であったペラや主要都市テッサロニキをはじめマケドニア地方の半分はギリシャ側なので、4割にも満たないマケドニア共和国に対して「本家本元はギリシャだす!国名にマケドニアを使うのはやめなはれ!」と主張したのです。マケドニア共和国側も「元々使ってたし、国名ぐらい自国で決めさせぇ!」と反発し、ギリシャから経済制裁やNATO加盟を阻止されると、マケドニア共和国側も国際司法裁判所に提訴する等いよいよ対立は深刻化していきました。しかし2019年に国名を北マケドニア共和国とすることで一応の決着をつけることになりました。(北マケドニア国内では大いに不満が溜まっているようですが・・・)

このように国名で「しがらみ」に悩まされた北マケドニアですが、公用語であるマケドニア語でも今度は東隣のブルガリアから「マケドニア語は独立した言語やのうて、ブルガリア語の一方言やんか」とクレームがついているようですねぇ・・・

さて、北マケドニアで著名人といえば首都スコピエ生まれの「聖人」マザーテレサでしょう。貧者救済活動に身を捧げ、インドのスラム街で始まったその活動は後進の修道女たちによって世界中に広がりました。彼女はカトリックの修道女でしたが、救済された人々にキリスト教を強要することは無く、亡くなった人に対してはその人の宗教で看取るなど「その人に合わせた」ケアを行っていたそうです。

彼女を生んだ北マケドニア共和国、ほろ苦い国際デビューでしたが、マザーテレサのような芯の通った信念と柔軟な思考があれば良い方向に進んでいけるのではないでしょうか。

ご機嫌麗しゅう、河内マサヤンでございます。

長いようで短かったGWいかがお過ごしでしたか?

私は「はめ込み地図と花札展」三昧(笑)

先ほど撤収作業も無事終了いたしました。

連日多くの方々にご来場いただき、私自身本当に楽しませていただきました。
作品をご笑覧頂く姿を拝見し、「またやりたいなぁ」という気持ちも沸いてまいりました。
事情によりご来場できなかった方からも励ましのコメントを頂戴し、モチベーションやエネルギーを高める事ができました。この場をお借りして心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
 
さて最新作の「世界はめ込み地図」もブログ、個展ともに発表している作品はまだまだほんの一部ですので、引き続き本ブログにてアップしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。