「しがらみが色々とございまして・・・」北マケドニア共和国 | 河内マサヤンのブログ

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ズドラヴォ!

北マケドニア共和国(Република Северна Македонија)の前身はユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国で「マケドニア社会主義共和国」と名乗っていました。1991年に独立し、国名も❝社会主義❞を外しただけの「マケドニア共和国」としました。まあ多民族国家のユーゴスラヴィア連邦内では南の一地方であるマケドニアを明確に区別できるので「別にエエやん」状態だったのでしょうが、晴れて「国際デビュー」した後では話が変わってきます。お隣のギリシャから猛反発を食らったのです。「マケドニア」というと真っ先に思い浮かべるのはアレクサンドロス大王の古代マケドニア王国でしょう。首都であったペラや主要都市テッサロニキをはじめマケドニア地方の半分はギリシャ側なので、4割にも満たないマケドニア共和国に対して「本家本元はギリシャだす!国名にマケドニアを使うのはやめなはれ!」と主張したのです。マケドニア共和国側も「元々使ってたし、国名ぐらい自国で決めさせぇ!」と反発し、ギリシャから経済制裁やNATO加盟を阻止されると、マケドニア共和国側も国際司法裁判所に提訴する等いよいよ対立は深刻化していきました。しかし2019年に国名を北マケドニア共和国とすることで一応の決着をつけることになりました。(北マケドニア国内では大いに不満が溜まっているようですが・・・)

このように国名で「しがらみ」に悩まされた北マケドニアですが、公用語であるマケドニア語でも今度は東隣のブルガリアから「マケドニア語は独立した言語やのうて、ブルガリア語の一方言やんか」とクレームがついているようですねぇ・・・

さて、北マケドニアで著名人といえば首都スコピエ生まれの「聖人」マザーテレサでしょう。貧者救済活動に身を捧げ、インドのスラム街で始まったその活動は後進の修道女たちによって世界中に広がりました。彼女はカトリックの修道女でしたが、救済された人々にキリスト教を強要することは無く、亡くなった人に対してはその人の宗教で看取るなど「その人に合わせた」ケアを行っていたそうです。

彼女を生んだ北マケドニア共和国、ほろ苦い国際デビューでしたが、マザーテレサのような芯の通った信念と柔軟な思考があれば良い方向に進んでいけるのではないでしょうか。