皆さま、今日は。

新撰組マニア

旅するコピーライターのふじやんです。

 

1月20日(土)から一泊二日で、

19年ぶり2度目となる

山梨県の下部温泉郷へ行ってきました。

帰りに乗り換えの甲府駅前で観光

 

武田信玄公銅像の銘板

信玄公の死後、

長篠・設楽原の戦いで、

大打撃を受けた武田家。

その長篠の戦いで

武勲をあげた奥平家が、

徳川幕府体制下において代々受け継いだ

官名も、同じく大膳太夫です。

 

甲府城

 

武田氏滅亡後、紆余曲折を経て、

豊臣政権化で本格的に築城が始まる。

 

内松陰門

二之丸とその北側にあった屋形曲輪を繋ぐ門

 

天守台

1590年代に築城された当時のままの

野面(のづら)積みの石垣が存在する。

 

天守台

しかしながら天守台はあるものの

天守閣が作られたのかは、不明。

 

明治天皇御登臨之址

1880(明治13)年、

明治天皇は山梨県巡幸の際、天守台に登られた。

それを記念して、1938(昭和13)年に石碑を建設。

 

稲荷櫓

内部は甲府城の資料館になっています。

入場無料。

 

甲府城主となった

代々の大名の家紋

そう言えば、柳沢吉保が甲斐一国を

拝領していた時期があったんだな。

あらためてすごい出世。

 

ところで、新撰組マニアな私にとって、

甲府城は、新撰組による甲陽鎮撫隊が、

新政府軍に先を越されて占拠された城。

新撰組のとほほな晩年の黒歴史。

 

新政府軍を率いる板垣退助は、

鮮やかな無血入城を果たしたわけですが、

甲府進軍に際し、乾(いぬい)姓から、

先祖の板垣姓に戻しています。

 

武田家重臣であった

板垣信方の末裔を表明することで、

武田信玄公時代の治世を懐かしむ、

甲斐の領民の支持を得るためです。

これは、絶大な効果を発揮しました。

 

こういう事例って結構あるんですよね。

相模国主としての正当性を示すため、

伊勢氏北条(後北条)氏に改姓した事など。

 

人心掌握の戦略って、興味深い。

 

では、甲府駅前グルメに続きます。

それでは皆さまも、酔い旅を。

 

下部温泉・甲府編シリーズはこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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