ご訪問ありがとうございます。

 

不登校になった次男の話の途中ですが、

私の事をお話しようと思います。

 

 

  ネガティブ思考の過去

 

過去の私は、自己肯定感がとても低かったなと

今だから思います。

それは私に限らず、私と同年代なら

結構あるあるだと感じています。

 

今でこそ個性を大事にされる時代ですが

子供の時はみんなと一緒が当たり前。

そこから少しでも脱線すると

「●●してはいけません」と

学校でも家でも言われてきました。

 

子育てを通して思うのが、

「私」を形成するにあたり、

親の影響ってかなりあるなって思うんです。

 

当然と言えば当然ですが。

 

親の言葉がいつまでも潜在意識の中に残っていて、

それが大人になっても自分の中にあり

それが何かを考えたり行動したりする時に

ふと出てきます。

 

あなたは精神的に弱いから

昔母に言われた言葉です。

高校生の時に最初に言われました。

 

私の潜在意識の中にしっかりと

インプットされてました。

何かあると私は精神的に弱いんだと

自分でも思ってしまう。

 

ただ、これを肯定してしまったのは自分なので、

何度も思うのは自分の問題。

 

現実は自分で起こしている

母の言葉はキッカケでしかなかった。

だけど何度も思うに変わってしまったのは、

自分が肯定し、理由に使っていたんだと

今なら思います。

でも当時はそんな事全く思えない。

私は●●なんだ…と思い込んでいたものが

たくさんあります。

だから自分に自信が持てず

自己肯定感が低かった。

 



思い込みって刷り込みなんですよね。

 

昔は否定的な言い方が多かった。

もちろん今でもそうかもしれないけれど。

だから否定が入ってしまった人は多いです。

 

でもその否定を選んでしまったのは自分。

だから母の所為でなく、自分ですね。

 

 

  自分と向き合う事がコワかった

どうせ私が悪いんだからと思う

発達障害と分かるまでの中でも、

この事はお話しましたが、

私の根底に「どうせ自分が悪い」

という思い込みが強くありました。

発達障害と分かるまで、

子育ての事で誰かに相談してもこう言われるの違いないって

本気で思ってました。

 

根本的にネガティブ思考でした。

 

数日間どよーんとなる

ある時、ママ友とちょっとした事がありました。

考え方の違いで起きたことだと今なら思いますが、

その当時は、3~4日落ち込んでました。

 



旦那さん曰く、

空気が全く違っていたみたいです。

 

この時って、無理にママ友と

付き合おうとしていました。

そうじゃないと一人になってしまう恐怖心が

きっと合ったんだと思います。

 

 

  変化

変化変容していったのには、過程があります。

 

若い時は全ての事に自信が持てずにいました。

それは仕事の事もそうだったし、

もっと言うと恋愛に対しても臆病でした。

 

発達障害を知り、

臨床心理士さんのカウンセリングを受け、

そこからまず最初の変化でした。

そして二度目が、旦那さんとお店を始めて

1年半くらい経った時にうつ状態になりました。

 

そこから何か好きな事をしようと

何か学ぼうと思いました。

そのタイミングでスピの師匠に出会い、

ヒーリングを学びセルフヒーリングや

グラウディングをして

教えてもらったネガティヴ、

ポジティヴワークをして…

 

そうしたらネガティブな部分が消えた。

全部ではないですよ。少し。

それを何回か繰り返し、

今度は自分で前世リーディングをしました。

 

エゴ

自分と少しずつ向き合い、改善。

そうするとまた別のネガティブな事が

出てきます。

「エゴ」が次から次へと顔を出してきます。


そして自分と向き合うことが

加速したのはレイキを取ってからです。



レイキって言葉が要らない。

ただ宇宙エネルギーを自分が導管となって

流していくもの。

ただレイキをするだけで

深い部分を癒してくれて

余計な部分がなくなるので、

物事を客観視出来るようになっていきます。




  ​結論


ネガティブな思考の時の私は、

心に余裕が全くなかったです。

余裕がないから、

周りをよく見渡すことはできなかった。

それが癒しながら自分と向き合う事を

選んだ結果、

「まぁ、いっか」って言えるになりました。


子供に対してもそうです。

⚫︎⚫︎してはいけない…ではなく

他と比べることでもなく、一人一人違う。

性格も考え方も。

親子だから似ている部分はあるけれど。


次男が不登校になって、

最初は戸惑いましたが、

こちらが焦っても仕方ないし、

これというものを一つ一つ試して、

違うなと思えば、

また別の方法を考えればいいし、

一緒に考えればいい。


過去のネガティブな私だったら、

もしかしたら不登校は長引いたかもしれません。


不登校の期間は短いです。


教室には行かれなくても、

校舎がコワイと言っていた次男が、

6年では毎日保健室登校でした。

先生達の協力もあったからこそでもあります。


次男の話はまだちょっと続きます。

この続きはまた今度…

 

 

 

 


最後までお読み下さり

ありがとうございましラブラブ

 

 かお

自己紹介

 

私が周りの方に支えられてきた事を

今度は私も誰かのお手伝いが
出来たらと思います。

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