自由の翼 Die Flügel der Freiheit

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日々感じること、思うこと、考えること、私が私であること。

 

日本は酷暑でコロナ感染も広がっていると聞きました。それぞれ基本的、直接的に防御する方法はあると思いますが、ストレスのダメージから心身を守り、体内の免疫力を向上させられる方法をシェアしたいと思います。それは呼吸瞑想です。

 

 瞑想というと精神的なものというイメージを持たれている方も少なくないと思いますが、世界的に瞑想が広がっている理由は健康にとても役立つという側面も少なくないと思います。瞑想について近年では科学的な研究も進んでおり、様々な効果についての報告も存在しています。例をいくつか挙げますと… 

 

1)深呼吸による酸素供給 

 

→血液循環を高め、新陳代謝を促す。

 

2)ストレスやネガティブ思考の軽減効果 

 

→脳の扁桃体(不安や恐怖を感じる部位)の活動を抑制。ストレスホルモンであるコルチゾールの減少 

 

3)免疫力向上効果 

 

→一酸化窒素(NO)の血管拡張効果と抗菌作用。白血球やNK細胞の活性度が高まる。 

 

4)リラックス効果 

 

→交感神経優位から副交感神経優位へ(身体の緊張を解く) 

 

5)姿勢改善 

 

→横隔膜(呼吸筋)の運動による脊柱への刺激。 

 

これら以外にも多くの良い効果が報告されていますので、試してみるといいかなと思います。ただ座って鼻から深呼吸をして、その呼吸に意識を向けるだけなのでとても簡単に行うことができます。 慣れていない方は動画や音声のガイドを使われると楽にできると思います。

 

 

 

 この動画は15分で、音声が水滴音のみで呼吸のタイミングのガイドになっています。また、水滴が落ち波紋が広がっていく映像なので、その広がりに合わせて自分の心身も広がっていくイメージを感じることができれば、よりリラックス効果が高まるように思います。映像の水色と水滴音による冷感効果もあるかもしれません。

 

 簡単に無料でできる方法なのでシェアしましたが、注意点が1つあります。それは呼吸は必ず鼻で行うということです。口呼吸は健康に悪影響が大きいということはよく知られていますが、癖や習慣で口呼吸になっている方も少なくないと思います。深呼吸の瞑想で意識的に練習することで、日常的な呼吸にも意識を向けられるといいですね。

 

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前回の記事 フィルター越しの世界① の続きです。

 

 

人の思い込み、先入観、決めつけ、常識などの多くは、基本的に幼児期に周囲の大人から、または目にして自分の内に受け入れたものによって基本的に創り上げられている

私はこれらを、人があらゆるものを見る視界に自動的にかかっているフィルターのようなものだと考えています。あらゆるものですので、自分自身に対してもこのフィルター越しということになります。心理学理論で言えば、エリックバーンの人生脚本や禁止令、ドライバーと似たものだと思います。

 

人生脚本の過去記事はこちら↓

交流分析(TA)~エリック・バーンの「人生脚本」~(1)

交流分析(TA)~エリック・バーンの「人生脚本」~(2)

 

幼児期からずっとこのフィルター越しに物事を見ているので、自分の視界(意識)にフィルターがかかっているとはなかなか気づき難いものです。気付いていない場合は自分の意識とフィルターが一体化しているので、自分に見えているものが「現実」「事実」だとそのまま受け止めるでしょう。

 

私自身、このフィルターに気付けたのは10年ほど前から徐々に…という感じです。その前に大学で心理学を学んだことと、この時期に病院でも原因が分からない全身痛でその後5年くらいほぼ寝たきりになり、自分自身と向き合い続けるしかない状況だったので、いろいろなことに気付くことができたように思います。

 

発症から5年で痛みは嘘のように消え、今は至って健康なのですが、ドイツに移住したすぐ後からのコロナ騒ぎで、またもや自分と向き合う時間をたくさん得ることができたと思っています。

 

大学で学んだ理論はひじょうに役に立ちましたが、在学中には単に覚えた知識でしかなく、実際に自分と向き合っていろいろな理論を試しながら今もまだ学び続けている感じです。なので、一般的にはフィルターの存在に気付くこと自体が相当難しいであろうことは理解しています。

 

健康で楽しく暮らせている方にはこういった情報は必要ないだろうと思いますが自分が何をやっても結局はうまくいかない、誰からも理解されない、自分で自分を信じられないし受け入れられない、世界は地獄のようで生きるのが辛い、他人が許せない」といったような気持ちを抱えていらっしゃる方には、少しでも何かの役に立つと良いなと思っています。

 

カウンセリングに通うほどではないが、今の自分をなんとかしたいと思われる方に私がお勧めしたいのは、すべての思考(自動思考含め)、感情に対して「自分に質問し続ける」という方法です。コツは質問しっぱなしで答えを探さないということです。

 

たとえば何かに意識が向いて、それについて自分が何かを考えたときに「なぜそう思うの?」「なぜそれが重要なの?」「それは事実に基づいているの?」「考えることで私は何を得ようとしているの?」といった具合です。

 

たいていの場合は、人は意識を向けた対象(人でも物でも組織でも)に対して「なぜ?」と思いますよね?自分の思い通りではない、気に入らない、受け入れがたいことに対して人は「なぜ?」と思いがちですが、この「なぜ?」はその対象に直接そう質問しないのであれば意味のない問いです。

 

そして、自分に「質問しっぱなしで答えを探さない」のには理由があります。自問自答した場合には、私たちは理性(顕在意識)で答えを導き出そうとしますが、この理性がフィルターの影響を大きく受けているからです。ですので、答えはフィルター越しのままになり、見えているものをただ説明するだけになってしまうからです。

 

質問しっぱなしで放置することによって、その質問は顕在意識ではなく潜在意識に向かうことになります。潜在意識とは無意識領域のことであり、言語化されないままで見たもの、聞いたもの、接したあらゆる情報が蓄積されているとされています。ですので、フィルターの影響を受けていない生情報が大量に保管されていると考えられるわけです。

 

この場合の「質問しっぱなしの質問」は、検索のスイッチのようなものであり、質問を受け取った瞬間から、無意識領域で勝手に検索が始まります。ただ、言語化されていない情報ですから、すぐに何かを言語化できる状態で明確に気付くということではなく、ただただずっと検索が続いていくという感じでしょうか。

 

この作業をなるべく頻繁に習慣化して続けることで、まず感情が暴走するということが起こりにくくなります。意識を向けた出来事がフィルターを通して即座に理性の解釈となって、その解釈によって「感情」という反応を反射的に引き起こしてきた今までの状態から、「質問」によって「いったん保留される」ことになるからです。

 

そして、ある程度の期間、コツコツとこの質問を続けていくと、ある時ふと、何かしらの客観性を持った「気付き」が起こる…これが私が経験したことです。そこからフィルターと私自身に隙間が生まれて、フィルターを「フィルターなのだ=私自身ではない」と認識できるようになりました。

 

次回に続きます。

 

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5年前、私はこのブログで「人の数だけ世界がある」という記事を書いたことがあります。

 

人の数だけ世界がある 前編

人の数だけ世界がある 後編

 

この記事の中で説明しきれなかった「そもそもフィルターとは何で、どうして誰もがそれを通してしか世界が見られないのか?」について、最近考えたことがあるのでまたシェアしたいと思います。

 

最近ひじょうに強く感じていることですが、人の思い込み、先入観、決めつけ、常識などの多くは、基本的に幼児期に周囲の大人から、または目にして自分の内に受け入れたものによって基本的に創り上げられているように思っています。

 

なぜ幼児期の世界や自分や他人に対する幼い理解がその後の人生にずっと影響し続けてしまうほど強力なのかといえば、それは幼児期にこの世界をどのような場所だと「決めた」のかを、ほとんどの人は覚えてもいないでしょうし、その影響の大きさを理解もできていないからだと思います。

 

幼児にとっては養育者の言葉や態度や行動が、自分の生死を握るほどの大きな影響力を持ち、養育者や教育者が自分をどう評価するのかが基本的な「自分はどのような存在なのか?」を知るための手掛かりとなってしまうわけです。

 

自分が生まれて生きていくこの世界が、この環境が、そして自分自身がいったいどのようなものなのかをまったく分からない中で生きるのは、目隠しをして何の手がかりも無しに歩くようなもので、あまりに頼りなく恐ろしく不安になってしまいますよね。ですからその時期にそうやって「決める」ことをするのは、至極当然なことだろうと思います。

 

しかし、これは幼児の理解ですので、養育者の気分や機嫌、その養育者自身が持っている先入観や思い込みなどによる養育者自身のフィルターの存在、その時の家庭状況などのベーシックな生育環境などを慮ることはできません。ただ、自分が言われたこと、されたこと、教えられたこと、養育者など接する大人の態度や様子などから、安全に生き延びるために「この世界はこういう場所である。自分はこういう存在である、こうすればこの世界に受け入れてもらえる、もしくは自分がこうだから受け入れられない」などを幼児なりに「決める」ということが起こります(もちろんここまで明確にではありませんが)。

 

たとえば親が他人になにげなく言った「この子は恥ずかしがり屋で…」という言葉を聞けば「自分は恥ずかしがる必要がある」と「決める」かもしれませんし、「なんでこんなことも出来ないの?」という言葉に「自分は何も出来ない」と「決める」かもしれません。

 

このような幼児期の決断は、本人もまったく記憶に残っていない場合がほとんどでしょうが、その後の長い人生において、自分をどう見るか、世界をどう見るかのフィルターとして機能し続けるのだろうと思っています。

 

以前の記事で「人の数だけ世界がある」と書いたのは、それぞれの人の生まれながらの機嫌の傾向(心理学では「気質」といいます)、日本ではあまり多くないかもしれませんが宗教などの特定の方向性(信仰)、そして個々人の幼児期の経験や決断から、またはその後の人生において受け入れてきた他人の考えや言葉(幼児期の決断を強化するものが多い)=「自分や世界を見るフィルター」越しに常に見て理解することになるので、すべての人の見ている世界が違うのは当然のことだろうという考えに基づいています。

 

この世界で起こる出来事としての現実は1つかもしれませんが、それを写真や動画で撮るようにフィルター無しで機械的に見る人は誰一人いません。そして誰もがその出来事そのものに自分のフィルターによって重要性の度合いや意味付けなどをしてから見聞きすることになるので、自分の見ている世界がフィルター越しであることにすらほとんど気付けません。

 

このフィルターが自分の人生をサポートしてくれる、良い世界観を持てるように機能すれば良いのですが「幼児の理解」がベースなので、たいていの場合は極端な決めつけになりやすく、精神的なストレス、自己肯定感の低さ、世界や他人への失望や無力感など、マイナスに働く場合が多いように思います。

 

ですので、自分が何をやっても結局はうまくいかない、誰からも理解されない、自分で自分を信じられないし受け入れられない、世界は地獄のようで生きるのが辛い、他人が許せない、というようなネガティブな生きる姿勢は、このフィルターによって引き起こされている可能性が高いのではないかと私は考えています。

 

このような、自分の生き辛さに繋がる「フィルター」を、それではどうすれば良いのか?どうすればもっと生き易くなるのか?については、次回の記事でまた考えていきたいと思います。

 

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四季シリーズ3曲目は「春の川」ブーケ2"Spring River”というワルツの曲です。早春の雪解け水が小川に流れ込み、踊るように軽快な水の流れが徐々に大きな川に合流していく様子をイメージして作りました。

 

四季シリーズ4曲の中で、ワルツ初挑戦ということもあって、作るのが最も難しいと感じた曲です。 オーケストラバージョンとピアノソロバージョンの違いを聴き比べて頂けると嬉しいです。 

 

私と同じようにピアノをまったく弾かれない方も、また、実際にピアノを弾かれる方には特に、ご意見や感想を頂けるととても励みになりますし、もっとこうすれば良いよというアドバイスを頂けると大変勉強になります。ぜひコメントをよろしくお願いします。

 

 次回作は「夏の月」お月様"Summer moon"という曲です。一般的な「明るい夏」というイメージではなく、夏の夜の静かな海に浮かぶ月の光キラキラをイメージして作りました。ぜひこちらもまた聴いて頂きたいです。 

 

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四季シリーズ2曲目は「冬の空」雪の結晶というタイトル通り、冬の澄んだ星空から始まり、強い北風によって雪雲が流れ込み、雪が降り始める場面をイメージして作りました。四季シリーズ4曲を聴いて下さった方には、最も好きだと言って頂けた曲です。

 

オーケストラバージョンとピアノソロバージョン、違いを聴き比べて頂けると嬉しいです。

 

私と同じようにピアノをまったく弾かれない方も、また、実際にピアノを弾かれる方には特に、ご意見や感想を頂けるととても励みになりますし、もっとこうすれば良いよというアドバイスを頂けると大変勉強になります。ぜひコメントをよろしくお願いします。

 

 次回作は「春の川」ブーケ2"Spring rever"という曲です。この曲はワルツ初挑戦ということもあり、四季の4曲の中で1番作るのが大変だった曲です。ぜひこちらもまた聴いて頂きたいです。

 

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私は今までピアノを弾いたことも習ったこともありませんが、なぜだかすごく作りたくなってDTMでピアノ曲を4曲一気に作りました。

DTM歴は5年で、今までは歌入りのポップスを作っていました。使用しているのはSutdio Oneという無料のDAWソフトと、ソフトに無料で付いている音源のみです。

今回は四季シリーズで最初に作った曲で、晩秋の風に鮮やかに舞い散る落ち葉をイメージしています。オーケストラバージョン、ピアノソロバージョンをUPしましたので、違いを聴き比べて頂けると嬉しいです。

私と同じようにピアノをまったく弾かれない方も、また、実際にピアノを弾かれる方には特に、ご意見や感想を頂けるととても励みになりますし、もっとこうすれば良いよというアドバイスを頂けると大変勉強になります。ぜひコメントをよろしくお願いします。

次回作は「冬の空」"Winter Sky"という曲です。そちらは四季の曲をすでに全部聴いてくれた友人も家族も1番好きだということでしたので、ぜひまた聴いて頂きたいです。

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何年か前から、自分の誕生日に自作の新曲をYoutube動画にUPしています(昨日)。今年の曲は「Believe in me」というアップテンポな曲で、曲を聞いても分からない程度の音量で周波数528Hz入れておきました。

 

この周波数については、今年の4月に ストレスを軽減する周波数の音楽や音(論文と音楽の動画リンクあり)  という記事で、どのような効果がどんな研究で明らかにされたのかを書いています。

 

記事中には

 

この研究によると周波数528Hzの音楽はたった5分聴くだけでも効果があるということなので、ぜひ1度試してみてはいかがでしょうか?

と書いたのですが、私の曲は3分弱しかないので、ストレス軽減効果を得るには2回続けて聴いて頂くか、他の528Hz の音楽と組み合わせて5分聴いて頂くことをお勧めします。

 

この曲は歌詞にも工夫を施しています。自然な感じですがアファメーション(肯定的な自己暗示)の効果があるように作ってみました。

 

音楽に何かを変える力があるかどうかは私には分かりませんが、少しなら気分だとか感覚だとかを変えることができるのではないかと、私は自分自身の経験から考えています。そして、せっかく自分で曲を作るのなら、そういった効果で科学や心理学で実証されているものを組み合わせて曲に盛り込んでみたらどうかなと思って作りました。

 

 

聴いて下さった方に、ほんの少しでも、何かを伝えられたら嬉しいなと思います。

 

 

 

 

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私の愛読書です。時間をおいて読み直すごとに、違う学びを得ることが出来ると思う本を4冊
ピックアップしました。自分と向き合うために特に役に立つ本だと思っています。

中林 香のmy Pick

Amazon(アマゾン)

自分の小さな「箱」から脱出する方法

80〜4,350円

Amazon(アマゾン)

ニュー・アース

1,960円

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エリック・バーン人生脚本のすべて 人の運命の心理学――「こんにちは」の後に,あなたは何と言いますか?

3,690〜11,880円

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グラッサー博士の選択理論

3,200〜12,500円

 

 

人が他人をコントロールしたいと思った時に、使う方法は2種類あります。それは、報酬を見せるか、不安にさせるかです。

 

たいていの人間関係でも、この方法は日常的に使われています。たとえば幼児はコントロールするのが難しい存在ですが、親や養育者などの大人は幼児をある程度コントロールしなければ、その子を危険から守れないと考えているでしょう。

 

幼児の場合、言葉の理解がまだ難しいので、きちんと説明して理解させるということもままなりません。その場合、「これをやったらお菓子を買ってあげる」(報酬)、「これをやらないなら何もしてあげません」(不安)といった具合に、報酬か不安によって簡単にコントロールするという方法が採られやすくなります。

 

そして人は、幼児期に不安によってコントロールを受け続けると、自分を不安にするものに対する冷静な判断や耐性が低下してしまいます。以前、記事にも書きましたが、潜在意識という脳の領域で、不安→反応というアルゴリズムが出来上がってしまっているためです。これはつまり、成人した後もその人は「不安」によって誰からも何からもコントロールされやすいという結果に繋がってしまうでしょう。潜在意識のアルゴリズムについて書いた記事は↓です。

 

思考の癖について考える②潜在意識と自動思考

思考の癖について考える③自動思考と現実と経験

 

このように親子関係でまず植え付けられた報酬か不安によるコントロールは、その後の人生では友人、恋人、学校のシステム、就職先、自分の家族など、あらゆる場面で報酬と不安によってコントロールされるということに繋がっていくでしょう。

 

さらに、TVやラジオから流れて来るCM、本や雑誌などの活字媒体、ネットからあふれる情報、それらのほぼすべても、この「報酬」か「不安」によって、その情報に接した人をコントロールしようというものです。今のままでは駄目だ、変わる必要がある、これを使えば思い通りの結果になる、使わなければもっと酷くなる、などなど。または、不安の一種として焦らせるというものもあります。今だけ、限定、先着○○名のみなど。普通に生活しているだけでも、こういった言葉が滝のように絶え間なく耳や目から流れ込んできます。

 

自分が自分の意志で選んでいるようでも、実際は誰かや何かの情報からの不安に踊らされているだけかもしれません。前回までの6回シリーズで書いた、罪悪感と無価値感を潜在意識内に抱えている場合は、頭の中にフックがあるようなものなので、何かしらのキーワードになる刺激に対して自分から引っかかりに行ってしまうということも起こるでしょう。

 

また、それとは正反対のように見えますが、たとえば健康問題、原発や放射能問題、最近では新型コロナなどのリスクについて言及する人に対し「不安を煽るな!」「デマだ」などと攻撃的に否定する人が大勢いました。これらの人たちも実際は、自分の頭の中のフックで引っかかっているからこそ見逃せない、徹底的に黙らせたいという気持ちになるのではないかと私は思っています。

 

もしも絶対にありえない、まったくそんな可能性が無いと心から信じているならば、他の人がどう考えるかは放っておけばいいだけのことです。それでも、そのデマを信じ込む人がたくさん出て、それで社会不安が起こるからと考えるのであれば、その人は他人や社会をその程度だと見下す判断をし、逆に自分が自分の思い通りにコントロールしたいという欲求があるということになります。

 

それがたとえ、自分が考えるところの「良い目的」のためだと思ったとしても、他人を、社会を、世界を、自分の思うように動かしたいとなれば、それは支配欲であり、脅しや不安を使うのであれば精神的な暴力です。

 

こういった不安によって突き動かされる反応としての言動は、これもまた以前記事で書いたのですが、新たな不安を生む、または不安が倍増していくという結果に繋がっていきやすいと私は考えています。そのことの生む問題を説明した記事は↓です。

 

行動は動機を強化する

 

それでは巷に溢れかえる、こういった不安を使ったコントロール(宗教団体などの洗脳もその一種です)に影響を受けないためには、どうしたらいいでしょうか。

 

そのためには、自分の頭の中に何かしらのフックがあるのかどうか、冷静に考えることなく反応してしまいがちなことは何なのか、何が自分にとって「不利益」だと自分は信じているのかを、一度自分自身に問いかけてみて、非論理的なもの、不要なものはスッキリと捨て去るという「意識の断捨離」のようなことをしてみるのも良いだろうと思います。

 

次から次へとなだれ込んでくる不安の情報は、人の精神や身体の健康にも悪影響を与えます。なので、自分が不安な情報に反応しないでいること、フックで引っかからずに右から左へとただ流す程度にすること、それよりも自分が幸せな状態でい続けるために、今「自分がしたいこと、自分にできること」になるべく意識を向け続けられるようにしたいと私は考えています。

 

 

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前回の記事「罪悪感と無価値感⑤」の続きです。今回は、罪悪感と無価値感があると、なぜ他人からコントロールされやすくなるのかについて考えてみたいと思います。

 

以前、心理学理論のご紹介の記事で何度か取り上げた、エリック・バーンの交流分析という理論の中に、人生の初期に子供が確立する人生に対する4つの構えという考え方があります。4種類の構えは以下の通りです。

 

1 私はOK、あなたもOK。
2   私はOKだが、あなたはOKでない。
3 私はOKでなく、あなたはOKである。
4 私はOKでなく、あなたもOKでない。

このうち、罪悪感と無価値感が自罰的方向性を持つと3番か4番、他罰的方向を持つと2番および隠れ4番ということになると思います。なぜ「隠れ」と付けたかというと、一般的には4番は自閉的で拒絶的、人生にも自分にも絶望している状態だとされているからです。ところが、無意識下の罪悪感や無価値感と「戦う」タイプの人は、「私はOK」だと自分にも他人にも証明しようとしているのだと思っています。

 

証明しなければいけないということは、実際には「自分はありのままでOKだとは本心では信じられていない」ということなので、言動としては2番のようでありながら、実際には4番という可能性も少なくないかもしれないと私は考えています。

 

どちらにしても罪悪感や無価値感が潜在意識下に存在しているということは、基本姿勢として自分はOKではないわけなので、OKになるために自分には何かが足りないので、何かを得なければいけないという思い込みが生じるでしょう。これは幼少期に「ありのままの自分自身であってはいけない」というメッセージを養育者や大人から受け取ってしまったことに起因すると思います。

 

実際はといえば、ありのままの自分で良いのだと思えない人は、たいていの場合は何かが「足りない」というよりも、むしろ、ものごとに過度に意味を与えすぎてしまう、過度に重要だと思い込んでしまう、など「過剰」なのだろうと私は考えます。ありのままの自分で良いと思えるということは、自分が自分であることに対して、何も過不足は感じ無いということだと思うからです。

 

「自分には何かが足りない」という漠然とした不安や焦燥感があると、自分に何かを与えてくれると思える、または言ってくる人や集団や物に対して依存が起こりやすくなるでしょう。逆にコントロールしてくる側は、他者の中にある罪悪感や無価値感を上手く刺激します。

 

潜在意識下に隠れている罪悪感や無価値感は、まるで頭の中のフックのようなものです。自分が見る世界や他人に何かしら引っ掛かりがあれば、すぐにそのフックで釣り上げられてしまいます。そのフックに引っかかるような何かしらの出来事、他人の言動、状況などに、フックを持つ人は自ら引っかかりに行ってしまうということが起こりがちなのではないかと私は考えています。

 

この連投の記事の最後に1つ。私自身の考えなのですが、今、世の中で「罪悪感」「価値」という言葉があまりにもあふれかえっているように感じます。簡単な例で言うと、低カロリーレシピの紹介に「罪悪感なし」ですとか、「あなたの価値を上げる」などの謳い文句をSNSなどで日常的に目にします。こういった言葉に無意識に引っかかってしまうのが頭の中のフックです。何かを食べること(生命維持のために必須)に罪悪感を感じることの方がおかしな話ですし、「人の価値」という考え方は私は持っていません。

 

「価値」というものは、時代によっても場所によっても状況によっても変わるものです。これは人間の考え出す「自分にとって損か得か?」という損得勘定に過ぎません。ですから「価値」とは誰かや何かにとって利益をもたらすか、役に立つかというように、道具や仕組みなどに対する言葉だと思っています。対して人の存在そのもの、つまり命は、通常の妊娠・出産を経ずに人工的に作り出すことのできない、安易な価値などという評価が不可能なものだと私は考えています。

 

私が今この世界に生きて存在していること。それは揺るぎのない事実です。そこに他人であれ社会であれ評価できることは何もありません。誰であっても人の存在はそれくらい大きく重いものだというのが私の感じていることです。ですから私自身の基本的な生きる姿勢は、つねに上記の1の「私はOK、あなたもOK。」でありたいと思っています。

 

 

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前回の記事「罪悪感と無価値感④」の続きです。今回は、自分の中に罪悪感と無力感を抱えている場合、どうすればその影響を軽減できるのかについて考えてみたいと思います。

 

前回の記事からの引用ですが

基本的には「過剰」というのがキーワードになると思っています。

と書きました。この「過剰」というのは、「重要視し過ぎている」と言い換えることもできるかもしれません。たとえば、罪悪感であれば自分が正しいか間違っているか、良い人間か悪い人間か、無価値感であれば自分に価値があるかないか、などをつねに意識の最重要な場所に置き、自分にも他人にも証明するという言動に突き動かされてしまうという感じです。

 

その結果が上手くいったら上手くいったで、いかなかったらいかなかったで、ずっと頭の中でぐるぐる回しながら自己正当化や価値の証明ができる何かを探してしまうということに、大きなエネルギーを使い続けることになってしまいます。そういったことに自覚のないままで振り回されている状態は、心身にはあまり良いことでは無いだろうなと思います。

 

また、無自覚なままで罪悪感や無価値感に振り回されている人は、他人の中にも同じものを探そうとします。つまり、罪があるか無いか、価値があるか無いかを、一方的に勝手に決めつけて評価してしまいがちだということです。これはけっこう大きな認知の歪みの原因になるのではないかと思いますが、他人の内面や置かれている状況、今まで経験してきたことから得た学び、何を信じているのかなどは、外側からはまず分かりません。分からないことを分かっている気になるというのは人間関係を歪める大きな原因の1つであると思います。

 

それでは、自分の無意識下にこの罪悪感や無価値感があった場合、どうすればその影響を防ぐことができるでしょうか。

 

私は、そういうものが自分の内面にあるかもしれない、その影響で今こんなに気持ちが追い詰められたり、執着したり、他者や状況をコントロールしたくなったり、何かを証明しないといけない感覚に陥っているのかもしれない、と、まずは「気付く」だけで大きく変わっていくきっかけになるだろうと思っています。

 

それは、「気付く」というのは問題と自分が分離できていなければできないことだからです。たいていの場合、人は問題と自分を一体化させてしまうことで解決不能なような気持ちになってしまったり、どうすればいいか分からない状態になってしまったりするように思っています。

 

ですから問題の外側に出て、問題そのものを客観的に観察することができて初めて、この「気付く」状態になるのではないかと私は思います。一体化してしまっている時には過剰に反応してしまう自分をどうすることもできないかもしれませんが、問題と自分を切り離すことができれば、どこからが過剰なのかも見えてくるかもしれません。

 

たとえば、誰かが私に酷いことを言ったとします。それに対して「酷いことを言われた私」として考えたり振る舞ったりするならば、私が問題と一体化しているということになります。さらに私に無自覚な罪悪感や無価値感があったならば「私が悪いから」「私が無価値だから」と、そちらも一体化したままでこの出来事と結びつけてしまうということも起こるでしょう。

 

問題の外側に出ると、「酷いことを言って来た人がいる」ことと、自分という存在を分離させることができます。酷い言葉は受け取らなければ言った人間のもののままです。私に投げられたものでも、受け取るか受け取らないかは私が決めることができます。受け取って自分のものにしないなら、それは私の問題ではないということになります。

 

酷いことを言ってきた人の抱えている問題や、そうしたくなる理由は私には分からないものです。分からないものは評価できませんし、他人は変えられません。「酷いことを言われた私」として振る舞わなければ、自分のものではない問題に対して、もともと自分の中に抱えている問題を短絡的に結び付けて過剰に反応する必要は無いことに気付けるでしょう。

 

その上で、自分自身に質問するというのはとても良い方法だと思います。これは私も毎日、常にやり続けていることです。

 

「私は何故、これがこんなに気になるんだろう?」

「私は何故、このことにこだわりたくなるんだろう?」

「私は何故、焦りを感じたり追い詰められている気になるんだろう?」

「私は何故、申し訳ない気持ちになるんだろう?」

これらの質問は、すぐに答えるためのものではなく(無理に答えを探すと自己正当化になりやすいです)、ただ言動を起す前に自分に静かに問いかけるだけで良いと思っています。それを繰り返しているうちに、さらに何かに気付けるかもしれないですし、そうでないかもしれませんが、少なくとも無自覚に感情や思考が操られる感じにはなりにくくなるだろうと思います。

 

次回の記事「罪悪感と無価値感⑥」では、罪悪感と無価値感があると、なぜ他人からコントロールされやすくなるのかについて考えてみたいと思います。

 

 

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