自由の翼 Die Flügel der Freiheit -2ページ目

自由の翼 Die Flügel der Freiheit

日々感じること、思うこと、考えること、私が私であること。

 

前回の記事「罪悪感と無価値感⑤」の続きです。今回は、罪悪感と無価値感があると、なぜ他人からコントロールされやすくなるのかについて考えてみたいと思います。

 

以前、心理学理論のご紹介の記事で何度か取り上げた、エリック・バーンの交流分析という理論の中に、人生の初期に子供が確立する人生に対する4つの構えという考え方があります。4種類の構えは以下の通りです。

 

1 私はOK、あなたもOK。
2   私はOKだが、あなたはOKでない。
3 私はOKでなく、あなたはOKである。
4 私はOKでなく、あなたもOKでない。

このうち、罪悪感と無価値感が自罰的方向性を持つと3番か4番、他罰的方向を持つと2番および隠れ4番ということになると思います。なぜ「隠れ」と付けたかというと、一般的には4番は自閉的で拒絶的、人生にも自分にも絶望している状態だとされているからです。ところが、無意識下の罪悪感や無価値感と「戦う」タイプの人は、「私はOK」だと自分にも他人にも証明しようとしているのだと思っています。

 

証明しなければいけないということは、実際には「自分はありのままでOKだとは本心では信じられていない」ということなので、言動としては2番のようでありながら、実際には4番という可能性も少なくないかもしれないと私は考えています。

 

どちらにしても罪悪感や無価値感が潜在意識下に存在しているということは、基本姿勢として自分はOKではないわけなので、OKになるために自分には何かが足りないので、何かを得なければいけないという思い込みが生じるでしょう。これは幼少期に「ありのままの自分自身であってはいけない」というメッセージを養育者や大人から受け取ってしまったことに起因すると思います。

 

実際はといえば、ありのままの自分で良いのだと思えない人は、たいていの場合は何かが「足りない」というよりも、むしろ、ものごとに過度に意味を与えすぎてしまう、過度に重要だと思い込んでしまう、など「過剰」なのだろうと私は考えます。ありのままの自分で良いと思えるということは、自分が自分であることに対して、何も過不足は感じ無いということだと思うからです。

 

「自分には何かが足りない」という漠然とした不安や焦燥感があると、自分に何かを与えてくれると思える、または言ってくる人や集団や物に対して依存が起こりやすくなるでしょう。逆にコントロールしてくる側は、他者の中にある罪悪感や無価値感を上手く刺激します。

 

潜在意識下に隠れている罪悪感や無価値感は、まるで頭の中のフックのようなものです。自分が見る世界や他人に何かしら引っ掛かりがあれば、すぐにそのフックで釣り上げられてしまいます。そのフックに引っかかるような何かしらの出来事、他人の言動、状況などに、フックを持つ人は自ら引っかかりに行ってしまうということが起こりがちなのではないかと私は考えています。

 

この連投の記事の最後に1つ。私自身の考えなのですが、今、世の中で「罪悪感」「価値」という言葉があまりにもあふれかえっているように感じます。簡単な例で言うと、低カロリーレシピの紹介に「罪悪感なし」ですとか、「あなたの価値を上げる」などの謳い文句をSNSなどで日常的に目にします。こういった言葉に無意識に引っかかってしまうのが頭の中のフックです。何かを食べること(生命維持のために必須)に罪悪感を感じることの方がおかしな話ですし、「人の価値」という考え方は私は持っていません。

 

「価値」というものは、時代によっても場所によっても状況によっても変わるものです。これは人間の考え出す「自分にとって損か得か?」という損得勘定に過ぎません。ですから「価値」とは誰かや何かにとって利益をもたらすか、役に立つかというように、道具や仕組みなどに対する言葉だと思っています。対して人の存在そのもの、つまり命は、通常の妊娠・出産を経ずに人工的に作り出すことのできない、安易な価値などという評価が不可能なものだと私は考えています。

 

私が今この世界に生きて存在していること。それは揺るぎのない事実です。そこに他人であれ社会であれ評価できることは何もありません。誰であっても人の存在はそれくらい大きく重いものだというのが私の感じていることです。ですから私自身の基本的な生きる姿勢は、つねに上記の1の「私はOK、あなたもOK。」でありたいと思っています。

 

 

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前回の記事「罪悪感と無価値感④」の続きです。今回は、自分の中に罪悪感と無力感を抱えている場合、どうすればその影響を軽減できるのかについて考えてみたいと思います。

 

前回の記事からの引用ですが

基本的には「過剰」というのがキーワードになると思っています。

と書きました。この「過剰」というのは、「重要視し過ぎている」と言い換えることもできるかもしれません。たとえば、罪悪感であれば自分が正しいか間違っているか、良い人間か悪い人間か、無価値感であれば自分に価値があるかないか、などをつねに意識の最重要な場所に置き、自分にも他人にも証明するという言動に突き動かされてしまうという感じです。

 

その結果が上手くいったら上手くいったで、いかなかったらいかなかったで、ずっと頭の中でぐるぐる回しながら自己正当化や価値の証明ができる何かを探してしまうということに、大きなエネルギーを使い続けることになってしまいます。そういったことに自覚のないままで振り回されている状態は、心身にはあまり良いことでは無いだろうなと思います。

 

また、無自覚なままで罪悪感や無価値感に振り回されている人は、他人の中にも同じものを探そうとします。つまり、罪があるか無いか、価値があるか無いかを、一方的に勝手に決めつけて評価してしまいがちだということです。これはけっこう大きな認知の歪みの原因になるのではないかと思いますが、他人の内面や置かれている状況、今まで経験してきたことから得た学び、何を信じているのかなどは、外側からはまず分かりません。分からないことを分かっている気になるというのは人間関係を歪める大きな原因の1つであると思います。

 

それでは、自分の無意識下にこの罪悪感や無価値感があった場合、どうすればその影響を防ぐことができるでしょうか。

 

私は、そういうものが自分の内面にあるかもしれない、その影響で今こんなに気持ちが追い詰められたり、執着したり、他者や状況をコントロールしたくなったり、何かを証明しないといけない感覚に陥っているのかもしれない、と、まずは「気付く」だけで大きく変わっていくきっかけになるだろうと思っています。

 

それは、「気付く」というのは問題と自分が分離できていなければできないことだからです。たいていの場合、人は問題と自分を一体化させてしまうことで解決不能なような気持ちになってしまったり、どうすればいいか分からない状態になってしまったりするように思っています。

 

ですから問題の外側に出て、問題そのものを客観的に観察することができて初めて、この「気付く」状態になるのではないかと私は思います。一体化してしまっている時には過剰に反応してしまう自分をどうすることもできないかもしれませんが、問題と自分を切り離すことができれば、どこからが過剰なのかも見えてくるかもしれません。

 

たとえば、誰かが私に酷いことを言ったとします。それに対して「酷いことを言われた私」として考えたり振る舞ったりするならば、私が問題と一体化しているということになります。さらに私に無自覚な罪悪感や無価値感があったならば「私が悪いから」「私が無価値だから」と、そちらも一体化したままでこの出来事と結びつけてしまうということも起こるでしょう。

 

問題の外側に出ると、「酷いことを言って来た人がいる」ことと、自分という存在を分離させることができます。酷い言葉は受け取らなければ言った人間のもののままです。私に投げられたものでも、受け取るか受け取らないかは私が決めることができます。受け取って自分のものにしないなら、それは私の問題ではないということになります。

 

酷いことを言ってきた人の抱えている問題や、そうしたくなる理由は私には分からないものです。分からないものは評価できませんし、他人は変えられません。「酷いことを言われた私」として振る舞わなければ、自分のものではない問題に対して、もともと自分の中に抱えている問題を短絡的に結び付けて過剰に反応する必要は無いことに気付けるでしょう。

 

その上で、自分自身に質問するというのはとても良い方法だと思います。これは私も毎日、常にやり続けていることです。

 

「私は何故、これがこんなに気になるんだろう?」

「私は何故、このことにこだわりたくなるんだろう?」

「私は何故、焦りを感じたり追い詰められている気になるんだろう?」

「私は何故、申し訳ない気持ちになるんだろう?」

これらの質問は、すぐに答えるためのものではなく(無理に答えを探すと自己正当化になりやすいです)、ただ言動を起す前に自分に静かに問いかけるだけで良いと思っています。それを繰り返しているうちに、さらに何かに気付けるかもしれないですし、そうでないかもしれませんが、少なくとも無自覚に感情や思考が操られる感じにはなりにくくなるだろうと思います。

 

次回の記事「罪悪感と無価値感⑥」では、罪悪感と無価値感があると、なぜ他人からコントロールされやすくなるのかについて考えてみたいと思います。

 

 

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前回の記事「罪悪感と無価値感③」の続きです。今回は、乳幼児期に言語化されないまま植え付けてしまった罪悪感と無力感が、その後の人生でどのように影響を与える可能性があるかを考えてみたいと思います。

 

傾向としては自責方向、他責方向の正反対の現れ方になると思いますが、どちらも基本的には「過剰」というのがキーワードになると思っています。どの要素も人の性格的な傾向として誰もがどれか、もしくは複数持ち合わせているでしょう。それが本人や周囲にとって、生き辛さや強いストレス、そこからくる心身の不調にまでつながらないのであれば、それほど問題にはならないかもしれません。

 

ただ、それが自覚なく駆り立ててくる罪悪感や無価値感によるものである場合、自分の思考や感情が制御できないということになります。制御ができないので結局「過剰」になってしまうという感じですが、その過剰さも自覚できないということになってしまいます。この2種類の方向性の具体的な現れ方について挙げていきたいと思います。

 

自責方向(落ち込み傾向が強い)

 

 

罪悪感と無力感をつねにそのまま感じてしまいやすい方向です。何に対しても論理的な理由はないままで「自分が悪いのではないか」と感じたり、どんな場面でも「自分には価値がない」と決めつけたりしがちになります。

 

・すみません、ごめんなさいといった言葉が口癖になっている

・謙遜し過ぎる

・他人の気分や感情をつねに気にする

・褒められると否定したくなる

・新しいことにチャレンジ出来ない

・習慣化がとても苦手

・他者やものごとなどへの依存が強い

・素直に喜んだり楽しんだりできない

・不安や恐怖心が強い

・関係無いことにまで責任を感じる

 

他責方向(攻撃傾向が強い)

 

罪悪感や無力感と戦う方向です。自責とは正反対に主張が強かったり、テンションが高かったり、世話焼きだったり、といった感じなので、自他ともに幼少期からの罪悪感や無価値感が潜んでいるとは気づき難いだろうと思います。

・批判や非難が多い

・成功へのこだわりが強い

・負けず嫌い

・完璧主義

・正義感が強すぎる

・他人や状況へのコントロール欲求が強い

・自己正当化が多い

・被害者スタンスを取りやすい

・常に忙しくする

・成功しても幸せを感じにくい

 

これらの傾向が、たいていの場合は複数組み合わさって現れるという感じだと思います。また、正反対の傾向も、1個人において1つの方向だけとは限らずに、ある部分においては自責傾向、また違う部分においては他責傾向といったように、一貫していない場合の方が多いかもしれません。

 

全てにおいて共通するのは「過剰」であるということと、生き辛さを感じやすいということだと思います。罪悪感や無価値感を内包しているならば、自己肯定感は当然低くなるだろうと思いますが、自分でも気づかずに無理を重ね、社会的な「価値」を追い続けて結果を出すことで、自分では自己肯定感が高いと思っているという場合もあるかもしれません。その場合は、他者、社会、世界に対する評価をひじょうに低くするということもあるでしょう。

 

他者、社会、世界に対する評価がひじょうに低いと、自分が馬鹿にされているという根拠のない思い込みに繋がりやすいので、切れやすかったり、クレーマーになったり、マウントを取りたがったり、ヘイト的な言動をしがちだったりということにも繋がるのではないかと思います。

 

また、罪悪感と無力感を抱えている人にとって1番危険なのは、これらの感情を刺激されると他者のコントロールに従ってしまいやすくなることだと思います。カルト宗教などはその典型で、「ご先祖が苦しんでいる」という何の根拠もない話で罪悪感や無力感を刺激して、その供養が必要だと言って入信を促し、高価なものを売りつけるといった手法になっているようです。

 

冷静に考えられるのであれば、そのような根拠のない話は信じるに値しないものですが、罪悪感と無力感を抱えている人にとっては、そのせいで自分は幸せではないのだと短絡的に結び付けて焦燥感を抱きやすく、救われたい一心で信じてしまうということも起こり得るでしょう。

 

次回の記事「罪悪感と無価値感⑤」では、自分の中に罪悪感と無力感を抱えている場合、どうすればその影響を軽減できるのかについて考えてみたいと思います。

 

 

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前回の記事「罪悪感と無価値感②」の続きです。

 

今回は、乳幼児期子供に対する、養育者のどのような対応や態度が罪悪感や無価値感に繋がりやすいのかについて考えてみたいと思います。

 

肉体的、精神的な虐待があった場合、乳幼児のメンタルに問題が起こるのは一般的に広く知られていることだと思いますので、今回は養育者なら誰でもやってしまいがちな、ごく当たり前に思えるような言動や態度についていくつか挙げてみます。

 

 

「良い子」「悪い子」という言い方

 

この言い方をしてしまうと、子供は自分の言動について言われているのではなく、自分の存在自体について評価されるように感じてしまうかもしれません。褒める時も叱るときも、子供の言動について言っているということをきちんと伝え、あなた自身は何があってもOKなのだと、そのつど言ってあげるといいかもしれません。

 

 

○○したら××してあげる

 

こういった、何かをしてあげることや認めることに条件を付けてしまうことで、子供の受け取り方によっては「あなたはありのままではいけない」というメッセージとして伝わってしまう可能性があります。また、養育者が望むようなことは毎回できることではないのがむしろ当たり前なので、○○できないことに罪悪感を覚えたり、無価値感を感じたりする可能性が高いです。

 

 

思い通りにしたくて褒める

 

子供は褒められれば喜ぶと思いますが、実際は言葉の内容だけではなく表情、態度、声のトーンなどの非言語コミュニケーションの情報の方が大きく伝わってしまいます。養育者の褒めたりおだてたりが純粋な本心でない場合、または褒められた内容と自分は違うと子供自身が感じた場合、罪悪感を感じてしまったり、褒められる子にならないと受け入れられないというメッセージとして伝わる可能性があります。

 

比較する

 

なにげない言葉であっても、兄弟や同年齢の友達などと何かを比べるような言葉は、子供にとってはひじょうに大きく響いてしまう可能性があります。その比較された対象の子供よりも、もっと認められないといけないと感じたり、そうでない自分はダメな子だと思ったりなど。ただ、そういった感情をまだ言語化できないので、そのままモヤモヤした感じを内面化してしまうということもあるでしょう。

 

枠にはめる

 

お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから、男の子だから、女の子だから、など、自分で選んだものではない枠にはめて、「だからこうしないといけない」といった伝え方をすると、それらしくない自分には価値がない、それができない自分は悪いのだと感じさせてしまうことがあります。

 

表情、態度、声のトーン、動作などで子供を動かそうとする

 

子供は言語がまだ未発達な分、養育者の非言語コミュニケーションによる情報に敏感です。特に子供が好ましくない行動をした時に、何がどう悪かったのかを説明しても伝わらないからといって、睨んだり、ため息をついたり、大きな声を出したり、無表情になったり、無視したり、ものを乱暴に扱って見せたりなどといった非言語コミュニケーションによって子供を罰する、もしくは脅してしまうと、子供はその後の人生で同じようなことをする人に支配されやすくなるか、もしくは同じ方法で他人をコントロールするようになってしまうかもしれません。

 

争いを見せる

 

養育者間の喧嘩、言い争いなどが起こりやすく、それを子供が目にしやすい場合、子供は自分が悪い子だからだ、自分のせいだ、と思うことがけっこうあるようです。自分にとって安全で安心できる場であって欲しい家庭があまりそうではないことに対して、他の事情は何も分からないので、原因を自分だとする極端な思い込みをしてしまうことが起こりやすいのかもしれません。

 

このような言葉や態度は世代間連鎖といって、自分の親(養育者)がしていたことを自分が親になったときに同じように繰り返すという傾向があります。その場合は、親である自分自身が無意識下に罪悪感や無価値感を抱えていることも考えられるので、子供を上手く育てないといけないと過剰に責任を感じてしまうということもあるかもしれません。そして、この場合の「上手く」というのは、子供自身にとってというよりも、実は周囲の評価を気にしてということもありがちなのかもしれません。

 

ただ、乳幼児期の子育ては本当に体力が必要で、睡眠不足や肉体疲労が慢性化してしまいますし、人間にはバイオリズムがあるのでずっと心身が安定した一定の状態でいるということは不可能です。罪悪感や無力感を抱えている人は他人に頼るのが苦手だったり、体調が良くないときも頑張り過ぎてしまうことが多いだろうと思います。体調が悪いときは素直に子供にそう伝えて、「それはあなたのせいではない」と言葉にして言ってあげると子供も安心するかもしれません。

 

次回の記事「罪悪感と無価値感④」では、乳幼児期に植え付けられた罪悪感と無価値感が、その後の人生でどのように影響するのかを考えてみたいと思います。

 

 

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前回の記事「罪悪感と無価値感①」の続きです。

 

今回は、罪悪感と無価値感とはいったいどのようなものなのか、なぜ乳幼児期にそれらが植え付けられてしまいがちなのかについて考えていきたいと思います。

 

まず、心理学用語として、それぞれの言葉がどう説明されているかを、心理学辞典(有斐閣)厚生労働省のサイト内の健康用語辞典から引用します。

 

 

罪悪感:罪の意識あるいは罪責感ともいう。法律上の犯罪ばかりではなく倫理的、道徳的、宗教的規範に背き過失を犯したあるいは犯そうと欲した時に感じる自己を責める感情をいう。こうした感情は、自尊心を低下させ、罪滅ぼしをしようという感情を起こす。一般的には、些細な過失を気にする神経質な性格の人にみられやすい。

 

 

無価値感:自分やものを過小評価し否定的になる状態。うつ病などで見られる症状のひとつ。「自分は生きるに値しない」「自分は何の役にも立たない」といった自分の能力や健康、財産、境遇などを否定する感情を言います。

 

自分が何か悪いことをしたという事実があって、それを自覚して「悪かった」と感じるのは健全だと思いますが、自分が何もしていないのに、自分の影響が及ぶ範囲でもないのに、なんとなくすべてにおいて自分のせいではないか、自分が悪いのではないかと感じてしまう場合、もしくは、そこまで言語化は出来なくても常に何か申し訳ないような気分になってしまう場合は、潜在意識内に幼児期に植え付けられた罪悪感が隠れていると思います。

 

また、この罪悪感は自己否定につながり、そこから基本的に自分を認めない、否定する、批判する、などを常に行って、無価値感を増大させていってしまうということも起こりがちだと思います。そういう意味で、相乗効果のあるこの罪悪感と無価値感はセットで存在していると私は考えます。

 

乳幼児期にこういった罪悪感や無価値感が植え付けられやすい理由は、乳幼児にとっては養育者や身の回りの環境が世界のすべてであり、そういった最も身近な他者から得る言葉や態度、起こる出来事の傾向、日常的な環境の居心地などから「世界とはこういうもので、自分とはこういう存在」という基本的な世界と自分に対する認識に繋がっているということがあると思います。

 

発達心理学分野ではボウルビィによる愛着理論というものがありますが、その中の「内的作業モデル」という理論では、乳幼児期の養育者との関係性が内在化し、その後の人生において自分と他人との関係性の枠組みの基本となると説明されています。

 

この乳幼児が感じる感覚は、客観性も論理性もまだありませんし、うまく言語化もされていない状態なので、そのまま潜在意識に送り込まれて、その後の人生においてもあらゆる場面で何かと影響を与えることになります。成人後はその感覚をそのまま解釈せずに受け流すことは難しいので、そのときの状況や他人の言動を過度に深読みしたり歪めて解釈して、罪悪感や無価値感を支えてしまうような理由付けをするということも起こるかもしれません。

 

このように考えると、たとえば多くの1歳後半~3歳児に起こるイヤイヤ期、第一次反抗期といわれるものも、単に自我が芽生えて自己主張が激しくなったというだけではなく、自分がどこまでこの世界に受け入れられるのか、どこまで主張が通るのかを無意識にチャレンジして探っているという可能性も考えられるのではないでしょうか。

 

乳幼児と接したことがある方は経験されたことがあるかもしれませんが、乳幼児の認識というものはひじょうに極端ではないでしょうか。欲しいものがもらえない、注目してもらえない、思い通りにならないときに、他の事情という理解ができないために「自分が嫌いだから」と受け取ってしまうことも少なくありません。そしてそれは1人で生きていくことのできない乳幼児にとっては、他者の反応が生死に関わるほど重みがあるように感じてしまうからなのだろうと思います。

 

こう言った時期に、養育者のどのような対応や態度が罪悪感や無価値感に繋がりやすいのかを、次回の記事「罪悪感と無価値感③」で考えていきたいと思います。

 

 

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エリック・バーン人生脚本のすべて 人の運命の心理学――「こんにちは」の後に,あなたは何と言いますか?

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最近ちょっと大きな気づきがありましたので、こちらにアウトプットして言語化しておきたいと思います。私が学んできた心理学の知識がベースではありますが、どの理論のどんな研究からのものだと明確に分類できるものではないので、カテゴリーは「心理学」ではなく「ブログ」にしておきます。

 

私たちの誰もが、幼少期の環境、大人との関係、世界の認識の仕方によって人生脚本という形で思い込みの世界観を形成し、大人になってもその歪んだ認知に基づいてものごとを見てしまうというのは、過去にいくつか「交流分析」という心理学理論の記事で書いてきました。

 

今回の気づきは、そこからもう一歩進んだ感じです。誰かの言葉、誰かの態度によって人が幼少時に人生脚本を作り上げる際に、おそらくなのですが、現代社会を生きる私たちのほとんどは、多かれ少なかれ周囲から「罪悪感と無価値感」を植え付けられたところから人生をスタートさせてしまうのではないかと思い至りました。

 

この、罪悪感と無価値感が植え付けられている場合、それらは相乗効果となって自己肯定感を著しく低下させてしまうでしょう。また、乳幼児期に植え付けられたものであれば、それらは言語化も自覚もされておらず、何かの出来事との記憶と紐づいていない場合も多いので、潜在意識下、つまり通常の思考ではアクセスできないエリアに一定の割合で存在して、成人後も何かとそこからの影響を受け続けてしまうということも起こるのかもしれません。

 

このテーマは大変長くなると思いますので、今後いくつかの記事に分けてしっかりと考えていきたいと思っています。1つだけ、自分の中にこの罪悪感と無価値感があるかどうかを知るためには、今の自分の思考の傾向を探ってみるということが役立つかもしれません。基本的にはどれも生き辛さに影響しているのではないかと思います。

 

 

他者からの承認欲求、自己正当化、自罰傾向、勝敗へのこだわり、完璧主義、不安や恐怖心が強い、焦燥感、攻撃性、ストレス耐性が弱い、何かしらへの依存、被害者意識が強い、素直に喜んだり楽しんだりできない、などなど。

 

 

これらの傾向が自分にあると思われるのであれば、罪悪感と無価値感の影響を何かしら受けている可能性が考えられます。

 

また、幼少期になぜ罪悪感と無力感を植え付けられてしまいがちなのかといえば、それによってコントロールすることが容易になるからです。つまり、この罪悪感と無価値感が成人してからも無意識下で影響し続けている場合、他人のコントロールにハマってしまいやすいという問題があると思っています。

 

最近大きな社会問題となったカルト宗教なども、まさにこの罪悪感と無価値感を刺激することで信者を獲得する仕組みになっているのではないかと私は考えています。この辺りも後の記事で丁寧に考えていきたいと思っています。

 

次回の記事「罪悪感と無価値感②」では、この罪悪感と無価値感について、また、なぜ幼児期に植え付けられやすいのかについて、もう少し詳しく考えていきます。

 

 

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最近ストレスの影響や軽減方法などについていくつか記事を書きましたが、ある周波数の音楽や音のストレス軽減効果についての論文を見つけたのでここでシェアしておきたいと思います。

 

論文は順天堂大学によるもので、2018年の研究になります。リンク↓

 

Effect of 528 Hz Music on the Endocrine System and Autonomic Nervous System
(内分泌系と自律神経系に対する528Hz音楽の効果 )

【要約】

本研究では、近年「癒し」の音楽として注目されている周波数528Hzの音楽の内分泌系や自律神経系へのストレス軽減効果を調べました。 9 人の健康な参加者 (男性 1 人、女性 8 人、年齢 26 ~ 37 歳) が、528 Hz と標準の 440 Hz の音楽を別々の日に聴きました。 音楽にさらされる前後に、ストレスの唾液バイオマーカー(コルチゾール、クロモグラニンA、オキシトシン)を測定し、自律神経系の活動を継続的に記録しました。 気分状態のプロファイル、第 2 版も、ストレスの主観的指標として管理されました。 528 Hz の条件では、コルチゾールの平均レベルが大幅に減少し、クロモグラニン A が減少する傾向があり、オキシトシンは音楽にさらされた後に大幅に増加しました。 ただし、440 Hz の条件で唾液バイオ マーカーに有意な変化は観察されませんでした。 両方のタイプの音楽にさらされた後、低周波と高周波の自律神経系活動の比率が大幅に減少し、R-R 間隔の変動係数も大幅に減少しましたが、それは 528 Hz の音楽にさらされた後でのみでした。 緊張不安と総気分障害のスコアは、528 Hz の音楽にさらされた後に大幅に減少しましたが、440 Hz の音楽にさらされた後では有意差はありませんでした。 これらの結果は、音楽が自律神経系と内分泌系に与える影響は、音楽の周波数によって異なり、さらに、528 Hz の音楽は、わずか 5 分間の曝露でも、特に強いストレス軽減効果があることを示唆しています。


唾液バイオマーカーで測定されているコルチゾールはストレスホルモンクロモグラニンAは交感神経-副腎髄質(SAM)系の活動指標オキシトシンは脳の下垂体後葉から分泌される愛情ホルモンと言われているものです。

 

また、比較で使用された周波数440Hzは、一般的な調律の際の標準です。こちらの周波数の音楽には聴く前と後で変化はほぼ無かったのに対し、周波数528Hzでは聴く前と後でコルチゾール大幅減、クロモグラニンAも減少傾向がみられ、オキシトシンは大幅に増加と大きな差が確認されたということです。

 

つまり、通常私たちが好きで聴いているような音楽には、短時間ではストレスを軽減する効果はあまり期待できないかもしれない、個人差が大きい可能性が高いということだと思います。ただ、そもそも音楽がストレスを軽減することについては多くの研究がありますので、音楽を聴く時間の長さや、その音楽が好きかどうかなどの他の要素がストレス軽減の程度に影響するのではないかと思います。

 

それらに対し、この研究によると周波数528Hzの音楽はたった5分聴くだけでも効果があるということなので、ぜひ1度試してみてはいかがでしょうか?ということで、音楽ありバージョンと音楽なし(音だけ)バージョンのYoutube動画を貼っておきます。

 

 

音楽あり

 

 

音楽なし(森林の音と周波数528Hzの音叉の音)

 

 

 

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私の愛読書です。時間をおいて読み直すごとに、違う学びを得ることが出来ると思う本を4冊
ピックアップしました。自分と向き合うために特に役に立つ本だと思っています。

 

 

 

前回の記事まで数回にわたって、ストレスホルモンのコルチゾールが肥満や老化にも悪影響を与えている可能性について考えてきました。今回は、それではどうやってそのコルチゾールのレベルを低く保つか、ストレスの悪影響をなるべく減らすことができるのかについて、科学的に証明されている方法をもとに考えていきたいと思います。

 

1)マインドフルネス瞑想:マインドフルネス瞑想は、今現在の状況に注意を向け、自分の感情や感覚に気づきながら呼吸することに焦点を当てることでストレスを軽減する方法です。数多くの研究でマインドフルネス瞑想がストレスや不安、うつ病などの症状を軽減することが示されています。

2)身体運動:運動は、ストレスを軽減するために最も効果的な方法の1つです。運動はストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を減らし、脳内のエンドルフィンやセロトニンなどの神経伝達物質の分泌を増やし、ストレスや不安を軽減することが示されています。

3)睡眠:睡眠は、ストレスを軽減するために重要な役割を果たします。十分な睡眠はストレスホルモンの分泌を減らし、脳や体をリフレッシュし、ストレスを軽減することが示されています。実はコルチゾールは全く出さなければいいというものではなく、分泌には日内変動があって朝方は高くて夜間は低いというリズムが一般的なようです。このリズムを安定的に、身体に負担なくストレスに対処できるレベルでコントロールするためには質の良い十分な睡眠が必要だとされています。

 

4)音楽: 音楽療法は、ストレスの軽減に効果的な方法の1つであることが多くの研究によって示されています。実際にコルチゾールの値が減少するという研究も多く、効果が高いのは何かしらの特定の音楽というよりも「本人が好きな音楽」を聴いた時のようです。

 

5)食品やハーブなど:ダークチョコレート、フィッシュオイル、日本茶、レモンバームやカモミールなどのハーブがコルチゾールを減らすために効果があるという研究があります。また、総合的にビタミンやミネラルが不足しないような食事を心がけることは有効だろうと思います。


これらの方法は科学論文として発表されているストレス軽減方法の一部です。ただし体内の状態にもストレスへの感受性にもけっこう大きな個人差があると思いますので、すべての人に同じような効果があるというわけではないでしょう。

 

ストレスの悪影響を軽減するためには自分に合った方法を見つけることと負担感が無い範囲で定期的に続けることが大切だと思います。短期間だけちょっとやってみるということではなく、日々の生活習慣として続けることが重要だろうと思います。

さらにこういった方法でストレスを軽減することを目指すだけではなく、自分にとってストレスとなる原因を特定して対処するということも重要だろうと思います。

 
私自身はストレスを減らすために、話をした後、聞いた後、見た後、読んだ後に気分が良くない、モヤモヤが残るものとの接触をなるべく減らすこと、距離を置くことを心がけています。TVやネットなどから簡単に入って来る音や映像、文字などには特に気を付けています。
 
また 「ストレス太り」について考えるという記事でも書きましたが、悪気は無くても「太ったね」などと簡単に言ってきたり、余計なことをわざわざ伝えてくるような人との会話はそもそも楽しくないだけでなく、ストレスになって健康に悪影響にすらなってしまうわけですから、そういった状況を作らないことも大事だと思っています。
 
 

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今回は、私が今とくに関心があるストレスと老化の関係について考えてみたいと思います。

 

ストレスと老化に関しては、多くの研究によってストレスが免疫系を弱めて細胞の老化を促進するということが分かっているようです。長期的なストレスを受け続けた人は免疫が低下して疾患にかかりやすくなり、身体の老化のプロセスが加速される可能性があるということです。

 

昨年7月に京都府立医科大のグループが「血管が老化していると新型コロナウイルスで重症化しやすくなる仕組みを解明した」と発表し、報道もされました。→記事はこちら

 

糖尿病や高血圧、肥満、動脈硬化などの基礎疾患があると重症化しやすいというのは第一波のころから言われていましたが、血管老化で800倍も感染しやすくなるというのはけっこう驚きました。この血管老化というのは通常の加齢だけでなく、実際はそんなに高齢でない場合でも起こっているようですが、血管が老化しているのかどうか気付くのはなかなか難しいように思います。

 

そういう場合には、自分の見た目年齢が実年齢を上回ってしまっていないかも判断材料の1つにできるのではないかと思います。


ストレスと肌の老化に関する研究は多数あって、ストレスが皮膚の老化に悪影響を与えることが示唆されています。具体的な影響としては、炎症反応や免疫機能の低下、透過バリアの損傷、細胞老化の促進などが挙げられています。

 

いろいろと調べてみると老化は加齢だけでなく、長期的なストレス→長期的なコルチゾール分泌→体内と見た目の老化という繋がりも1つあるのかなと思われますので、見た目に急に老いが現れた場合には、体内も同様に老化していると考えた方がよさそうです。

また、ストレスホルモンであるコルチゾールと肌の老化についての研究も多数あり、コルチゾールが皮膚の老化に悪影響を与えることが示唆されています。具体的な影響としては、長期的、継続的なストレスが過剰なコルチゾールを分泌させ、肌のバリア機能を低下させたり、肌の若々しさの質感を担うタンパク質であるコラーゲンとエラスチンの損失を加速するとされています。これにより、肌のしわやたるみが早まる可能性があるようです。

 

アンチエイジングに意識が向いている人なら、肌の老化と言えば紫外線の影響は今は誰もが知っていると思いますが、そういった環境からのストレス、または肉体疲労などによる身体的なストレスだけでなく、精神的なストレスによって分泌されるコルチゾールも長期にわたると肌をダイレクトに老化させるのだと知って、歳を重ねるにしたがって同じ年齢でも見た目にずいぶんと差が出ることにも納得ができた感じです。

 

アンチエイジングの効果を謳った化粧品は多数ありますし、もちろん私もそういった商品を使っていたりもしますが、それ以前にできることとしてストレス対策をしっかりすることが重要なんだなということを再確認しました。

 

次回の記事では、肥満や老化にも関係が大きそうなストレスやコルチゾールの悪影響を軽減するための方法について考えてみたいと思います。

 

 

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私の愛読書です。時間をおいて読み直すごとに、違う学びを得ることが出来ると思う本を4冊
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前回の記事「ストレスホルモン(コルチゾール)とセロトニンやドーパミンとの関係」ではコルチゾールというストレスホルモンとドーパミンやセロトニンとの関係について考えてみました。今回はこのコルチゾールや報酬系の脳内物質であるドーパミンが一般的に「ストレス太り」と言われている状態に何かしら影響しているのではないかということについて考えてみたいと思います。

 

実は私が大学で「健康医学」という講義を受けていた時のことですが、講師の医者が「ストレス太りなんて無い。それはただの食べ過ぎによるカロリーオーバーで本人の意志の弱さだ。それをストレスのせいにして言い訳をしているだけ。」という話をしていたのが強く印象に残っています。その時にも私は、橋本病のような甲状腺機能低下症では基礎代謝が下がったり強いむくみが出たりして体重が増加するという話を思い出して、肥満にホルモンや脳内物質などの影響もあるのではないかと疑問を抱きました。

 

そこで今回はストレスホルモンのコルチゾールと、脳の報酬系の脳内物質であるドーパミンがストレス太りに影響している可能性を考えてみようと思ったわけです。

 

前回の記事でも書きましたが、コルチゾールは、副腎皮質から分泌されるストレスホルモンの一種であり、ストレス反応や免疫反応に関与しています。コルチゾールは、ストレスによって放出され、体内のエネルギー源を増やし、免疫反応を抑制することで、ストレスに適応する役割を持っています。

いくつかの研究によれば、長期間にわたるストレスにさらされるとコルチゾールの分泌が増加し、脂肪細胞の増殖や代謝の変化などが引き起こされることが報告されているようです。また、過剰なコルチゾール分泌は食欲を司る脳の視床下部を刺激することがあるため、肥満のリスク増加とも関連するとされています。

 

そもそもコルチゾールにはストレス下においてエネルギー源を増やすために血糖値を上げる働きがあるということを考えると、上がった血糖はインシュリンが余計に出て糖を蓄えやすい脂肪に変えて身体に取り込むわけですから、ストレスが長期間続けば肥満に繋がるのは当然そうなるのだろうなという感じです。


一方、ドーパミンは中枢神経系において重要な役割を持つ神経伝達物質の一種であり、報酬系や運動制御などに関与しています。ドーパミンの欠乏は、うつ病やパーキンソン病などの神経精神疾患の原因の一つとされています。

肥満においては報酬系の異常が関与しているのではないかとされています。具体的には食事や脂肪摂取によって報酬系が活性化され、快楽や満足感を得ることができるため、食べ過ぎが生じることがあるということです。

いくつかの研究によれば、ストレスを感じているときに食べ物を摂取することで脳内のドーパミン放出が増加し、快楽や報酬を感じることができます。一方で長期間にわたる食べ過ぎによってドーパミン受容体が減少し、報酬系が異常な状態になることが知られています。

このような状態はドーパミン受容体の減少に伴って起こり、繰り返せば繰り返すほど食べ物や脂肪を摂取しても以前ほどの快楽や報酬を得られなくなるためにより多くの食べ物を摂取することが必要となるということです。このような脳の報酬系の異常といったネガティブな影響が肥満のリスク増加につながる可能性も否定できないのではないでしょうか。

その他、コルチゾールの過剰な分泌は肥満以外の健康問題、たとえば心血管疾患や糖尿病、高血圧などのリスク増加とも関連することが報告されていますし、またドーパミンの過剰な分泌については以前の記事でも書きましたが、依存症、 幻覚や妄想、不安感、興奮などの症状が現れることがあるようです。

 

このようなことも併せて考えると、無理なダイエットのリバウンドは依存症の再発とも似ているように思えますし、楽しく続けられる範囲を超えた過度な運動は逆にストレスになってしまい、コルチゾールを増やしてリバウンドに繋がるという可能性もあるように思われます。

 

また、これもストレスの影響と言えるだろうと思いますが、最近いくつか「他人から太ったと言われると余計に太る」という結論の論文を目にしました。これは「ファットシェイミング (太っている人をけなすこと) 」といわれており、コルチゾールの増加が体重増加の原因として挙げられていました。

 

とても近しい関係、親子や兄弟、仲の良い友人などの間では「貴方のことを気遣っているよ」というつもりで「太った」「痩せた」「顔色が良くない」などの言葉をつい言いがちになりますが、こういった言葉は相手にとってストレスとなって余計に太る、体調について不安にさせるなどの悪影響も実際に起こるだろうということです。

 

まとめますと、ホルモンや脳内物質の影響によるストレス太りは実際に存在するでしょうし、単なる本人の意思の弱さだけで太ったりリバウンドしたりするわけではないかもしれません。つまり摂取カロリーの収支だけで体重の増減が決まるわけでは無いのだろうというのが私の結論です。

 

ストレス太りを避けるには、まずストレスの多い状況から脱することでコルチゾールレベルを下げること、人間関係を含めて長期的なストレス過多の状態を避けること、またストレス発散のために食欲を満たすことを繰り返し、それを報酬にしないということが大切なのではないかと私は思います。

 

 

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