前回の記事「罪悪感と無価値感①」の続きです。
今回は、罪悪感と無価値感とはいったいどのようなものなのか、なぜ乳幼児期にそれらが植え付けられてしまいがちなのかについて考えていきたいと思います。
まず、心理学用語として、それぞれの言葉がどう説明されているかを、心理学辞典(有斐閣)と厚生労働省のサイト内の健康用語辞典から引用します。
罪悪感:罪の意識あるいは罪責感ともいう。法律上の犯罪ばかりではなく倫理的、道徳的、宗教的規範に背き過失を犯したあるいは犯そうと欲した時に感じる自己を責める感情をいう。こうした感情は、自尊心を低下させ、罪滅ぼしをしようという感情を起こす。一般的には、些細な過失を気にする神経質な性格の人にみられやすい。
無価値感:自分やものを過小評価し否定的になる状態。うつ病などで見られる症状のひとつ。「自分は生きるに値しない」「自分は何の役にも立たない」といった自分の能力や健康、財産、境遇などを否定する感情を言います。
自分が何か悪いことをしたという事実があって、それを自覚して「悪かった」と感じるのは健全だと思いますが、自分が何もしていないのに、自分の影響が及ぶ範囲でもないのに、なんとなくすべてにおいて自分のせいではないか、自分が悪いのではないかと感じてしまう場合、もしくは、そこまで言語化は出来なくても常に何か申し訳ないような気分になってしまう場合は、潜在意識内に幼児期に植え付けられた罪悪感が隠れていると思います。
また、この罪悪感は自己否定につながり、そこから基本的に自分を認めない、否定する、批判する、などを常に行って、無価値感を増大させていってしまうということも起こりがちだと思います。そういう意味で、相乗効果のあるこの罪悪感と無価値感はセットで存在していると私は考えます。
乳幼児期にこういった罪悪感や無価値感が植え付けられやすい理由は、乳幼児にとっては養育者や身の回りの環境が世界のすべてであり、そういった最も身近な他者から得る言葉や態度、起こる出来事の傾向、日常的な環境の居心地などから「世界とはこういうもので、自分とはこういう存在」という基本的な世界と自分に対する認識に繋がっているということがあると思います。
発達心理学分野ではボウルビィによる愛着理論というものがありますが、その中の「内的作業モデル」という理論では、乳幼児期の養育者との関係性が内在化し、その後の人生において自分と他人との関係性の枠組みの基本となると説明されています。
この乳幼児が感じる感覚は、客観性も論理性もまだありませんし、うまく言語化もされていない状態なので、そのまま潜在意識に送り込まれて、その後の人生においてもあらゆる場面で何かと影響を与えることになります。成人後はその感覚をそのまま解釈せずに受け流すことは難しいので、そのときの状況や他人の言動を過度に深読みしたり歪めて解釈して、罪悪感や無価値感を支えてしまうような理由付けをするということも起こるかもしれません。
このように考えると、たとえば多くの1歳後半~3歳児に起こるイヤイヤ期、第一次反抗期といわれるものも、単に自我が芽生えて自己主張が激しくなったというだけではなく、自分がどこまでこの世界に受け入れられるのか、どこまで主張が通るのかを無意識にチャレンジして探っているという可能性も考えられるのではないでしょうか。
乳幼児と接したことがある方は経験されたことがあるかもしれませんが、乳幼児の認識というものはひじょうに極端ではないでしょうか。欲しいものがもらえない、注目してもらえない、思い通りにならないときに、他の事情という理解ができないために「自分が嫌いだから」と受け取ってしまうことも少なくありません。そしてそれは1人で生きていくことのできない乳幼児にとっては、他者の反応が生死に関わるほど重みがあるように感じてしまうからなのだろうと思います。
こう言った時期に、養育者のどのような対応や態度が罪悪感や無価値感に繋がりやすいのかを、次回の記事「罪悪感と無価値感③」で考えていきたいと思います。
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