テコンVとマジンガーZ -『ロボット テコンV』45周年を記念して(5)-
第5回 テコンVとマジンガーZ目次5-1 テコンV裁判5-2 神と悪魔の間に5-3 マジンガーZの受容5-4 テコンVの誕生5-5 まとめ5-1 テコンV裁判2018年7月31日、韓国アニメのロボットキャラクター・テコンVを巡って争われた、とある民事訴訟の判決が出た。テコンVに関する美術・映像の正規ライセンスを当時持っていた(株)テコンVが、テコンVに酷似したブロック玩具「Vロボット」を無断で販売した玩具業者に5000万ウォンの損害賠償を求め、民事裁判に訴えたのだ。訴えられた玩具業者は、「テコンVは日本のマジンガーZまたはグレートマジンガーを模倣したものであり、著作権法によって保護される創作物とは言えない」と主張して争った。しかし、ソウル中央地裁のイ・グァンヨン裁判官は被告玩具業者の主張を認めず、4000万ウォンの損害賠償支払を命じた。この判決はその後、控訴審・上告審を経て賠償額が2500万ウォンにまで減額されたものの、事実認定と法的判断は原審のまま維持され、確定した。このソウル中央地裁の判決に関する韓国メディアの報道と、それを受けた日韓のネット世論の反応は爆発的だった。韓国の主要メディアは一斉に、「『韓国のテコンV、日本のマジンガーZの模倣物ではない』 初の裁判所判決」(中央日報オンライン日本語版、2018年8月1日)、「テコンV、裁判で『マジンガーZのパクリ』の汚名晴らす」(朝鮮日報オンライン日本語版、2018年7月31日)と、大喜びでこの判決を伝えた。これらの第一報を受けた日本のマスコミも、「地裁は、胸部の赤い板状の部分が分離したマジンガーZに比べ、テコンVは分離していないV字形だと指摘。『外観上、マジンガーZと明確な違いがある』と退けた。」(朝日新聞オンライン版、2018年8月1日)と、マジンガーZはVの字が離れているがテコンVはくっついているからパクリではないという判断を韓国の裁判所が下したと報じた。テコンVに強い愛着を持つ人々や、日本文化に敵愾心を抱く人々の多くが、これらの報道を見聞して、大いに溜飲を下げた。左派寄りのハンギョレ新聞までが、軍事政権に迎合した反共映画キャラクターであったはずのテコンVの裁判結果を、韓国文化の日本文化に対する大勝利として誇らしげに報道した。「『テコンV-マジンガーZ』戦えばどっちが勝つか?』80年代最大の難題に解答」(ハンギョレ新聞オンライン版、2018年7月31日)と題する記事でコ・ハンソル記者は、“「国産」と思ったマジンガーZが「日帝」だったという事実が知られ、失望感は勝利欲に変わった。30余年ぶりの「民事裁判」で、初の勝敗が出た。もちろんテコンVが勝った。”と、興奮した調子で書き立てた。一方、「テコンVはマジンガーのパクリ」の一言を以ってその存在意義を否定してきた嫌韓派の日本人だけでなく、テコンVに特段の思い入れがなく知財意識にも敏感な若い世代を中心とする韓国人の間にも、ソウル中央地裁の判決を政治的に「反日」へ傾いた事実無視の不当判決とみなし、メディアの報道姿勢をクッポン(過激な韓国至上主義)的な偏向報道と捉えて、批判する論調が高まった。「テコンVはVの字が左右くっついているからマジンガーZのパクリではないと言うが、だったらグレートマジンガーはどうなんだ?」「裁判官はグレートマジンガーも知らないのか!」と、たちまち炎上が広がったのである。思わぬ国内世論の反発を受け、翌日のハンギョレ新聞では文化部のソン・チェギョンファ記者が、「『テコンV=マジンガー剽窃』ではないという裁判所判断、『クッポン判決』か?」(ハンギョレ新聞オンライン版、2018年8月1日)と、当初の同紙の報道姿勢をやや軌道修正するかのような穏便な内容の記事を出している。しかし判決文をきちんと読めば、そもそもこの訴訟は、著作権関連の裁判としては全くありふれた、極めて国際的常識に沿った内容のものであったことが分かる。主要メディアが報道し、名だたるネット論客たちが我先にと話題に採り上げ騒いでいたような内容は、判決文の中のどこにも書かれてはいなかった。裁判官がグレートマジンガーを無視した事実もない。大部分、マスコミの誤報とミスリードだったのである。まず話の大前提として、この裁判は、テコンVとマジンガーZが争った裁判ではない。マジンガーZの権利者が訴訟の当事者でない以上、テコンVがマジンガーの「パクリ」かどうかを裁判所が確定的に判断する必要性はないから、そのような判断は当然何も下されていない。したがって、「反日」で「事実無視」の不当判決なるものも、そもそも存在すらしていない。本訴訟の事件番号は「2017가단5200699」であり、ソウル中央地裁の判決書の原文(全文)は、韓国の「判決新聞」のサイトで読める。裁判官はまず、テコンVとマジンガーシリーズの関係について、判決書の中で次のように述べている。“テコンVが日本のロボットキャラクターであるマジンガーZの影響を受けたものであることは原告も認めている。しかし、テコンVは、美術著作物と映像著作物として登録されている著作物として、別紙1図のようにマジンガーZまたはグレートマジンガーと外観上明確な違いを見せている(テコンVは、大韓民国の国技であるテコンドーを元にしており、日本文化に基づいて作られたマジンガーZまたはグレートマジンガーとは、キャラクター著作物としての特徴や個性にも違いがあると言える)。そうであるならば、テコンVは、マジンガーZまたはグレートマジンガーと区別される独立した著作物[一次的著作物(原著作物)]、またはこれを変形・脚色した二次的著作物に該当すると言える。”つまり、テコンVはマジンガーZの影響を受けて作られたのは確かだが、新たな著作物としての法的な登録手続きも既に終えている。そしてマジンガーZやグレートマジンガーとは頭部・顔などの外見に違いがあるから全くの同一キャラクターを「複製」したものとまでは言えないし、テコンドーを使うなどの設定・ストーリーにも、テコンVには独特のものがある。以上の理由から、裁判所は以下の判断をした。テコンVは、1か2のどちらかであって、3ではない、と裁判官は述べたのである。マスコミが報道したように、テコンVが上記1の「独立した著作物」「一次的著作物(原著作物)」であると、判決書が断定した事実はない。そして、1か2のどっちなのかは、この裁判に関係がないので、裁判所は判断を保留しているのだ。ここで、「二次的著作物」とは何か、言葉の定義を明確にしておこう。「人間の思想または感情を表現した創作物」を、著作物という(韓国著作権法2条1項)。たとえばアニメキャラクターの絵は、美術の著作物である。ある著作物を元にして、それを翻訳・編曲・変形・脚色・映像制作するなどの方法で新たな創作物を作成した場合、元になった著作物のことを「一次的著作物(原著作物)」と言い、新たに作成された創作物を「二次的著作物」と呼ぶ。「二次的著作物」もまた、独自の著作物として保護される(韓国著作権法5条1項)。著作権の中には、その著作物から「二次的著作物」を作成する権利が含まれる。これを韓国著作権法では「二次的著作物作成権」と言う。日本著作権法の「翻案権」と同じである。「一次的著作物」の著作権者から許可を受けて他人が作成した「二次的著作物」は、IPコンテンツとかメディアミックス作品などと呼ばれるが、「二次的著作物」の作者も、自分の作品としてその「二次的著作物」に著作権を主張できる。一方、「一次的著作物」の著作権者から許可を受けていない「二次的著作物」は、「一次的著作物」の著作権者から「二次的著作物作成権」の侵害として損害賠償を請求される可能性がある。しかし、それにもかかわらず、許可を受けていない「二次的著作物」の作者も、第三者に対しては、その「二次的著作物」を自分の作品として著作権を主張できる。たとえば、Aという漫画のキャラクターや設定を一部流用して改作したパロディ同人誌Bを作ることは、Aの著作権者から見れば「二次的著作物作成権」の侵害となる可能性がある。しかし、そうした可能性があるからと言って、その同人誌Bを第三者cが勝手に複製して売りさばいて良いわけではない。同人誌Bの作者は、自分の同人誌を無断で複製して売った第三者cを訴え、損害賠償請求することが可能である。「一次的著作物」を翻訳・編曲・変形・脚色・映像制作するなどの方法によって生み出された新たな作品が「二次的著作物」であるのに対し、ある著作物をそっくりそのままコピー・トレースしたものは「複製」と呼ばれる。「複製」は、新たな作品としての著作権を主張することができない。無許可で複製する行為は「二次的著作物作成権」ではなく、「複製権」の侵害となりうる。裁判官は、テコンVがマジンガーZやグレートマジンガーの二次的著作物か否か、著作権者の「二次的著作物作成権」を侵害しているかどうかについては判断を保留した。一方、被告玩具業者による玩具の販売行為は明らかにテコンVの「複製権」の侵害であると断じた。その玩具とテコンVの外観が、ほぼ全く同じだったからである。判決書はこう述べている。“被告製品は胸部に刻まれた赤いV字型[その位置や大きさのため最も目立ちやすい特徴の一つとして、胸部に断絶されていない(マジンガーZの場合は中央部分が切れていて形もテコンVのと若干異なる)Vが刻まれたロボットキャラクターは珍しいと思われる]だけでなく、テコンVのいくつかの特徴、すなわち、頭の上の赤い角、額の部分にヘッドバンドを巻いたような形状と帯の上の赤い点、頭両脇の中間部分の角形、赤い顎の部分とその中の黄色い点、腕の部分にある2つの角形などの形と色をほぼ同じようにブロック状に再現しており、テコンVと実質的に似ていると言える”ゆえに、この玩具は無断で販売されたテコンVの「複製」に他ならないとして、被告に損害賠償支払いを命じたわけである。「裁判官はグレートマジンガーも知らないのか!」と日韓のネット世論が騒いだ「Vの字がくっついているか、離れているか」という論点は、実は判決書の中では、「テコンVはマジンガーのパクリ」かどうかを判断する基準ではなく、テコンVと被告玩具業者の玩具の同一性を示す根拠の1つとして言及されたものでしかなかったのだ。このようにソウル中央地裁の判決は、「もし公式から許可を受けていない二次創作物であったとしても、著作物には著作権が発生する」という、ごく当たり前の常識を単に敷衍したものであったに過ぎなかったのだ。日本の著作権法でも、この原則は全く同じである。ソウル中央地裁の判決に怒っていた人はもう一度冷静になってよく考えてみて欲しい。著作権法制が「二次的著作物(翻案)」の著作権を保護しなかったら、コミケ文化を支えるパロディ同人誌の類は作者に無断でコピーして転売してもお咎めなしということになってしまい、アニメ・マンガのファンダム活動は危機に瀕するのである。だが、こうした法的真実をよそに、この「テコンV裁判」は、主要メディアが韓国国民のナショナリズム感情を刺激する方向性で大々的な報道を行った結果、かえって日本の嫌韓派をも勢いづかせることになった。また韓国国内においても、テコンVという古典的アニメ作品への思い入れの度合いには世代間の大きな断絶が存在することを、改めて可視化したのである。5-2 神と悪魔の間にテコンVやマジンガーZのような、人間がロボットに乗り込む「搭乗型ロボット」が出てくる長編アニメーション作品の起源は、フランスのポール・グリモ―監督の『やぶにらみの暴君』(1952年)であると言われている。この作品は、タイトルを『王と鳥』に変更した改作再編集版で現在では広く知られている。■『王と鳥』日本では戦後、ロボット漫画が流行し、自律型の『鉄腕アトム』(原作1952年、アニメ化1963年)、遠隔操作型の『鉄人28号』(原作1956年、アニメ化1963年)などのヒット作が生まれた。これと前後して、搭乗型の巨大ロボットが登場する漫画もいくつか生まれていた。また、実写特撮では巨大怪獣・巨大ヒーローの継続的ブームがあり、ヒーロー役や敵役の一類型として自律型・遠隔操作型の巨大ロボットが出てくるようになった。■『ジャイアントロボ』(1967年)。こうした流れを受けて、実写の巨大ヒーローに対抗しうるアニメならではの新しいヒーロー描写が模索された結果、漫画では既に出始めていた搭乗型の巨大ロボットが、アニメにも登場するようになった。1967年の『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ1期6話には、怪獣を倒す搭乗型ロボット「鉄の大海獣」が出てきた。1972年10月、主人公が搭乗型ロボットへ乗り込む最初の連続アニメシリーズとして、『アストロガンガー』のTV放送が開始された。搭乗型と言っても、ロボットのガンガーは、自律型ロボットの性質も有している。主人公が合体することでパワーアップする設定だった。同じく1972年の12月に永井豪の漫画を原作とする『マジンガーZ』のアニメ放映が始まった。『マジンガーZ』では、生身の人間である主人公が巨大ロボットに乗り込み、どう動かすかは人間が決める。搭乗型ロボットは、人間によって操作される機械である。『マジンガーZ』において、搭乗型ロボットは新しいアニメジャンルとして成立を見たと言える。『マジンガーZ』の原作者である永井豪はMOVIE WALKAR PRESSのインタビューに答えて、『マジンガーZ』のアイデアが生まれた時のエピソードを次のように語っている。“「僕自身『鉄腕アトム』や『鉄人28号』が大好きでしたから、いつか自分のロボットを見つけたいと思っていました。でもアイデアがないまま、ほかのロボット漫画の後追いで描き始めたら、それは先人の先生方にも申し訳ない。ファンだからこそ、先生方が怒るようなことはしたくなかった。いつか違う形のアイデアが生まれたら…と思っていたんです」。そしてある日、交通渋滞に巻き込まれた際に「車から脚が伸びて、ほかの車を乗り越えられたら、どんなにいいだろう」と“乗り込み型ロボット”のアイデアが思い浮かび、「これならアトムとも鉄人ともぶつからない。これだ!と思って。急いで仕事場に戻って、スケッチブックにあらゆる絵を描きました」”『マジンガーZ』が描写したのは、現代のマイカー文化・モータリゼーション社会が行き着く先の未来だった。科学技術の発展が生み出した究極の乗り物が巨大ロボットであり、またそれは、兵器としても容易に転用されうるものである。いま現に存在している車や飛行機や動力船の延長線上にあるものが、「搭乗型ロボット」なのだ。搭乗型ロボットは人間が自分の肉体の限界を拡張するためのツールで、主体はあくまでも人間である。そしてパイロットとロボットの間には、乗っているロボットが傷つけばパイロットも傷つき、パイロットが成長すればロボットも強くなるという、一種の運命共同体の関係が生まれる。『マジンガーZ』第1話では、兜十蔵博士が主人公・兜甲児にマジンガーZを託して「お前は神にも悪魔にもなれる」と言い遺す。「神にも悪魔にもなれる」という言葉から、永井豪が1972年10月に週刊少年ジャンプで『マジンガーZ』の原作漫画連載を始める少し前から、ほぼ同時進行で『デビルマン』(週刊少年マガジンで1972年6月開始)を連載していたことが思い出される。『デビルマン』では、悪魔たちが人類を滅ぼそうと総攻撃を始めた時に、ただ1人の裏切り者の悪魔として不動明が人間を守ろうと戦う。しかし、人間の中にも善と悪が同居しており、人間こそ本当の悪魔かもしれないという現実を不動明はまざまざと見せつけられる。そもそも人間は守られるに値する存在なのか?という重い問いが作品のテーマとなっていた。人間は結局、個人個人の意志によって、神にも悪魔にもなれる存在である。その選択の責任は、どこまでも選択した本人が負わなくてはならない。確かに、避けられない運命というものは存在するだろう。『デビルマン』においても、悪魔が人類を攻撃して世界が終末に向かいつつあるという時代の大情況や、不動明が悪魔の力を身に受けてしまう悲劇は、作品の中で避けようのない運命として描かれているように見える。しかしそんな情況の中でも、運命にただ流されるのではなく、自分はどのように生きるべきか、自分の意志と責任でその未来を選んでいくところに人としての価値があるのだと、永井豪は『デビルマン』において読者に強く訴えかけていた。『マジンガーZ』も、人間は強大な力を手に入れた時、それをどのように使うべきかという問題を採り上げたところに、デビルマンとのテーマ的共通性がある。「お前は神にも悪魔にもなれる」つまり、人間は科学の発展に伴って、ますます巨大でダイナミックなパワーとスピード、破壊力・生産力・機動力、そして暴力を生み出せるようになった。その力の権化こそが搭乗型ロボットだ。マジンガーZにしても、光子力エネルギーと超合金Zといった先端技術の結晶として描かれている。しかしその力をコントロールする主体は、やはりどこまでも人間である。力は、正義ではない。力そのものは善にも悪にも使うことができる。善のロボットもいるし、悪のロボットもいる。その実相は何かと言うと、他ならぬ人間の中に善と悪が混在しているということである。かつて哲学者パスカルは、「人間は神と悪魔の間を揺れ動く」と言った。人間は、善悪という波の間を頼りなく漂う葦の葉のような存在でしかない。しかしその人間が、巨大ロボットをどう使うか決める立場に置かれる。ここに危うさ、恐ろしさがあり、未来への責任が存する。だからこそ人間は、その力を何のために使うのかよく考え、その運命を、自らの意志で選び取っていかなくてはならないのだ。これが、『マジンガーZ』において確立された、搭乗型ロボットアニメのジャンル的基本定式と言えるだろう。画期的作風で新ジャンルを確立した『マジンガーZ』のTVアニメは、平均視聴率22.1%を記録する人気番組となった。「超合金」というヒット商品を生み出し、玩具メーカーが企画段階からTVアニメに関わるビジネスモデルも以後定着した。後続シリーズは『グレートマジンガー』『グレンダイザー』から近年の『マジンガーZ / INFINITY』(2018年)に至るまで続いているし、マジンガーに対抗して出てきた他の「搭乗型ロボットアニメ」からも、綺羅星のように名作が生まれた。一方、『マジンガーZ』に対して、暴力的描写一辺倒だとか、ストーリー性が薄いという批判が、現在の日本でもしばしば見られる。キム・チョンギ監督も1975年から始まった韓国でのTV放映に対して、そういった反感を抱いていたようである。2017年の韓国映像資料院のインタビューで、彼はこう述べている。“内容もなく、ただ勧善懲悪、単純なそういうストーリーで、何か打って壊して、勝って終わる。だから我々の子供たちにとって情緒的に大いに問題がある。それで社会的にも、新聞紙上でも「あれは全て子供たちにとって情緒的に良くない」と、そういう新聞の論調も出てきた。また、私たちが見ても「あれは違う」と。また、韓国語を使って、何と言うか、韓国語で吹き替えをしているということを、子どもは分かってないんじゃないか。我が国の事だと思いながら観て育つじゃないか。”マジンガー以降の搭乗型ロボットアニメは、単に『マジンガーZ』の成功パターンを模倣するだけでなく、「アンチマジンガー」を意識したストーリー性重視の傾向も強まっていくことになった。乱暴に言えば、ガンダムもエヴァンゲリオンも全て、「マジンガーオマージュ」と「アンチマジンガー」という二重の意味で、『マジンガーZ』の強い影響の下に生まれた作品と言えるだろう。『ロボット テコンV』も、そうした流れの中の1つの特異事例としてアニメ史上に位置づけることができるかもしれない。ただ、『マジンガーZ』のストーリー性が薄いというのは、誤解ではないかと私は思っている。『マジンガーZ』は、「お前は神にも悪魔にもなれる」という根幹部分のテーマにおいて、非常に確固としたものがあった。だからこそ、子供視聴者へのサービスとして毎話の戦闘シーンを大幅に増量することができたし、個々のエピソードのプロットが多少浅くても全体の物語進行じたいは破綻することなく、2年間に及んだ長期シリーズを全うすることができたのである。5-3 マジンガーZの受容ひと昔以上前になるが、2006年頃、KBSテレビのお笑い番組「ギャグコンサート」の네박자(ネバクッチャ、四拍子)というコーナーで生まれた「親父が買ってくれたマジンガー」というギャグが、韓国国内で一世を風靡したことがあった。■KBSギャグコンサート:2006年10月15日放送分コントの途中で突然流れをぶった切って、男子レスリングのユニフォームをピチピチに着込んだコメディアンのキム・ジンとユン・ヒョンビンがステージに現れる。ユン・ヒョンビンは、マジンガーZのフィギュアを手に持って、無表情で口を開く。ユン: キム・ジン!キム: 何だ、ヒョンビン?ユン: お前、国会議事堂の屋根が開いたら、何が出てくるか知ってるか?キム: マジンガー1号だっけ?ユン: 違う、マジンガーZ。キム: おっと。そして2人は左右にヨロヨロとステップを踏んで踊りながら、「マジンガーソング」(마징가 송)と呼ばれる歌を歌い出す。アボジガ サダジュシン マジンガ マジンガマジンガ マジンガマジンガ 親父が 買ってくれた マジンガー、マジンガーマジンガー、マジンガーマジンガー아버지가 사다주신 마징가,마징가마징가,마징가마징가それまで別のコントを演じていた他のコメディアンも全員つられて踊り出し、客席は手拍子しながら大爆笑となる流れである。韓国ギャグはツッコミなしで進行することが多く、このギャグも私には正直言って、いまいち笑いどころが分かりにくい。だが、大人になり切れていなさそうな男2人が語り合う『マジンガーZ』が絶妙な立ち位置の回顧ネタとして人々に記憶されていたことが、このギャグを大ヒットに至らしめた大きな理由の1つだと思う。韓国の国会議事堂こそ、テコンVの頭にどことなく形状が似ているが、「国会議事堂からテコンV」では、ガチ過ぎて面白くない。日本アニメのマジンガーZが出るというところに、哀愁を交えた滑稽さが漂う。■韓国の国会議事堂『マジンガーZ』が韓国に入ってきた1975年当時、韓国の政治体制は維新体制と呼ばれる第四共和国憲法の下で、朴正煕大統領が独裁を強化していた。朴正煕大統領は満州国軍士官の出身であり、また、独立後は左翼の南朝鮮労働党で一時活動して摘発され、死刑になりかけたこともあった。そこで独裁政権に反対する人々は、こうした「親日派」かつ「容共派」とみなし得る大統領の過去の経歴をオーバーラップさせながら、1965年の日韓基本条約締結や1972年の南北共同声明などの政府の外交政策を攻撃した。批判を払拭するために朴正煕大統領は政権当初から、国内向けには強い「反日」「反共」のポーズを貫いた。法律上の根拠なく、日本の大衆文化を排除するという建前を堅持し続けた。1965年、朴正煕政権は国民の反対を押し切って性急な日韓基本条約の締結に踏み切り、日本から韓国に対する総額8億ドル規模の「経済協力」が始まった。植民地統治の賠償なのか、新たな経済侵略を狙ったものなのか、今一つ性格がはっきりしなかったこの援助事業の一環として、TVアニメーションの分野でも、日本の第一動画による綿密な技術指導の下で、サムスン系列の韓国のテレビ局・東洋放送(TBC)に『黄金バット』『妖怪人間ベム』のアニメーション制作業務が発注されることとなった。『黄金バット』『妖怪人間ベム』は東洋放送が自ら下請として関わったので、「国産アニメ」に準ずるものと見なされ、問題なく韓国でのテレビ放送が実現した。だが、その後の日本アニメの韓国への流入は、発覚するたびに政権への批判を招いた。■東亜日報1970年4月22号、「童心に日本色汚染」日本アニメ『悟空の大冒険』をKBSが放映したことに対する批判記事。テレビの普及が進むにつれ、子ども向け番組の必要性も増加した。しかし、必要な量の子ども向け番組を韓国独力で作り上げるノウハウも資金もなく、第一動画が東洋放送から撤退して以降は、純国産TVアニメ製作の実現も夢のまた夢となった。テレビ局はさまざまなルートから海外アニメ番組を安価に入手して、番組表を埋めるようになっていた。その中心となったのが、ご禁制の日本アニメだった。幸い、日本アニメの側もまだコンテンツ輸出について著作権管理の意識が低く、海外での流通は権利の一切を外国企業に譲渡して任せてしまう事例が多かった。韓国のテレビ局は、欧米諸国からの迂回ルートを通すなどして日本アニメの産地を偽装し、韓国語の吹き替え音声を付け固有名詞も韓国風に改変して、日本アニメであることを隠しながら放映を続けた。朴正煕政権も、「日本文化禁止」の看板は掲げたまま、一方で新聞報道を統制し、テレビ局の産地偽装行為を容認した。■韓国でテレビ放送された日本アニメのリスト(『黄金バット』から『マジンガーZ』まで)たとえば『海底少年マリン』は、新聞紙上では韓日合作と書かれたり、アメリカのワーナー社製作とも書かれたり、説明が二転三転した。『鉄腕アトム』はアメリカのNBCテレビの人気アニメ、『鉄人28号』は単に外国製のアニメとのみ発表され、それ以上の詳細な説明は省略された。こうした状況の中で、『マジンガーZ』の放送開始4か月前に当たる1975年4月5日に中央日報が載せた「『日本低質』氾濫・・・テレビ子供漫画」と題する記事が興味深い。「いま放送中のTVアニメ8本のうち3本は日本製だ!」と、報道統制の隙をついて「国家機密」を暴露している。中央日報の記者は、“現在国内で放映中の作品はTBCが『魔術王シャザーン』『ラッシー救助隊』『宇宙三銃士』、KBSが『ハッチの冒険』、MBCが『宇宙少年パピイ』『流星仮面』『西部少年チャドル』『漫画の園』”で、その中の“『西部少年チャドル』『ハッチの冒険』『宇宙三銃士』”の3作品が実は日本製であると断じた。しかしながら答え合わせをしてみると、『魔術王シャザーン』=大魔王シャザーン(アメリカ)『ラッシー救助隊』=Lassie's Rescue Rangers(アメリカ)『宇宙三銃士』=ゼロテスター(日本)『ハッチの冒険』=みなしごハッチ(日本)『宇宙少年パピイ』=遊星少年パピイ(日本)『流星仮面』=遊星仮面(日本)『西部少年チャドル』=荒野の少年イサム(日本)『漫画の園』=The Disney Afternoon(アメリカ)実際は日本アニメは「8本中3本」ではなく、「8本中5本」だった。“米国の映画配給会社を通じて間接輸入した日本製品である。米国作品と日本作品を区別する方法は実に簡単だ。 主人公たちの動作がどこか硬く見えて韓国風の名前が付いていれば日本製と見て間違いない”と、アニメ通ぶってみせた中央日報の記者だったが、2本見落としている。この勇気ある記者氏の想像以上に、日本アニメは韓国のTV界を席巻していたようである。中央日報の記者は、日本のTVアニメが産地偽装してまで韓国へ続々輸入され始めた原因を、3つ挙げている。1.日本語と韓国語は語順が同じで翻訳が簡単2.映画は規制が厳しく、日本アニメの劇場公開は困難。そこにTV局が目をつけた3.国内製作より輸入した方が費用が千分の一以下また、韓国へ輸入される日本アニメの作品傾向について、“日本臭を漂わせてはならないという鉄則があり、作品選定に障害が多い。その結果、国籍不明の荒唐無稽な科学空想物や冒険物しか輸入できない”とも分析している。日本アニメであることを極力隠したい韓国の国内事情から、日本アニメの中でも無国籍風のSFアニメは、優先的に輸入される傾向があったわけだ。既に韓国に下請拠点を持っていた東映側の売り込みもあっただろうが、『マジンガーZ』が「搭乗型ロボット」という未知のジャンルの作品にもかかわらず、韓国側がこの年の8月からあっさりと放映に踏み切ったのは、「SFアニメなら『倭色』を避けやすいから」という点に、どうやら最大の動機があったと言えそうである。京郷新聞1975年8月7日の「興味・スリル溢れる空想科学漫画映画」と題する記事では、『マジンガーZ』を「アメリカン・ピクチャー」という会社が製作したアニメだと紹介している。4日後の8月11日から、『マジンガーZ』は毎週月曜18時に韓国MBCテレビで放送された。「搭乗型巨大ロボット」という、今まで観たこともないような驚天動地のヒーロー像に、日本と同じく韓国の子供たちも、たちまち熱狂した。玩具やグッズが飛ぶように売れた。しかし、なぜか放送は途中で打ち切られた。1976年1月26日に第25話を放映して以降、2月に入ると過去の人気エピソードの再放送に入り、2月23日の第7話再放送を最後に、この枠での『マジンガーZ』の放送はそのまま終了した。残りのエピソードが解禁されたのは、後年のことである。報道統制が徹底されていたのか、打ち切りの理由は何も公表されていない。しかし恐らくは人気上昇と共に、口コミレベルで国民の間に日本アニメであることが知られ始めたこと、『マジンガーZ』に対してキム・チョンギが抱いた前述のような違和感を多くの大人が感じていたことなどが、影響したものと推測される。もともと『マジンガーZ』は、アメリカ製アニメだと韓国国民にウソをついて放映が開始された。そのため、今さら「日本アニメだったので打ち切ります」「暴力的だから中止します」と政府自ら管理不行届を認めることは、維新体制の下では事実上不可能だったに違いない。公に認めれば、独裁者の権威が傷つく。だから、黙ってひっそりと打ち切ったのであろう。こうした大人たちの思惑をよそに、娯楽が限られていた70年代後半の韓国の子供たちは、闇に射す光を見たような大きな喜びをもって『マジンガーZ』を迎え入れた。『マジンガーZ』は、その後続いて現れた『テコンV』と並ぶ思い出のロボットアニメとして、今も多くの韓国人の心の中に生き続けている。5-4 テコンVの誕生テコンVの頭部のデザインについて、キム・チョンギ監督は2000年代以降、スタジオの近くにあった光化門の李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像を参考にしたと繰り返し語ってきた。李舜臣将軍は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の時に抵抗して善戦した朝鮮水軍の名将である。この銅像は、朴正煕大統領が1968年に建立したものだ。自分の軍事独裁政権を正当化するために、「救国の武人」である李舜臣将軍の偉大さを強調し、神格化を進めたのだ。「反日」の英雄・李舜臣将軍を担ぎ上げれば、大統領の後ろめたい「親日」疑惑を打ち消せるという計算もあったのだろう。時は流れ、『ロボット テコンV』のマジンガーパクリという疑惑を打ち消すために、またもや李舜臣将軍が持ち出された格好となった。テコンVは、確かに後頭部から肩にかけて大きく垂れた兜の錣(しころ)のような部分がある点だけは、李舜臣将軍の像に似ている。しかしそれはグレートマジンガーにも共通する特徴である。李舜臣将軍の兜には二本の角などないし、小型機がパイルダーオンしたりもしない。何を下らない言い訳をしているのだろうと私は長年思っていた。だが、実際に光化門へ行くと、李舜臣将軍の像は台座と合わせて17m以上もあり、地上から見るとかなりの威圧感がある。通勤時や昼休みに李舜臣将軍の像を毎日見上げながら、巨大ロボットが街に降り立つ情景のイメージを膨らませたという意味であれば、「李舜臣将軍の銅像を参考にした」というのも、全くの嘘ではなかったのかもしれない。キム・イルファンが企画し、ジ・サンハクが脚本を書いた『マジンガーテコン』のアニメ映画製作をユ・ヒョンモクがソウル動画プロダクションに依頼したのは、1976年1月のことだった。キム・チョンギ監督はインタビューで、プライドにかけても「マジンガー」をそのまま盗作するようなことはできないと断り、タイトルを『ロボット テコンV』に変えさせた、と回想している。だが、実際にはタイトル変更までにしばらくタイムラグがあったようである。春川アニメーションセンターに、마징거 태권(マジンゴテコン、マジンガーテコン) というタイトルの、마징가(マジンガー)の가(ガ)の字を거(ゴ、またはマジンガーを英語風に発音した時のMazingerの「ger」)へと一字改めただけの初期シナリオが、保管されているからである。表紙には「脚本 ジ・サンハク 監督 キム・チョンギ』と記され、マジンガーの絵まで描かれている。一見して分かる通り、この企画段階でキービジュアルとして描かれていたロボットは、胸のV字が左右くっついており、顔の左右に突き出た棒もL字型に曲がっているなどの特徴から、マジンガーZではない。明らかにグレートマジンガーである。敵キャラも、暗黒大将軍の色違いだ。前述の通り1976年の時点では、『マジンガーZ』最終回92話も『グレートマジンガー』も、韓国のテレビではまだ放送されていなかった。グレートマジンガーのデザインは、海賊版・二次創作コミックや、日本から密かに持ち込まれた正規版コミック・釜山地域で受信可能だった日本のテレビ放送などを通じて、一部の業界人や漫画マニアに知られてはいた。しかし、TVの『マジンガーZ』人気に便乗しようという依頼を受けたこの段階で、なぜマジンガーZではなく、韓国ではTV未登場のグレートマジンガーを描いたのだろうか。キム・チョンギ監督は、この時誰がグレートマジンガーを描いたのかについて具体的な個人名を明らかにしていない。しかし、恐らくこの人がグレートマジンガー風にデザインしようというアイデアをソウル動画プロダクションに持ち込んだのではないかと、思い当たる人物が1人いる。広告アニメーター・デザイナーの、イ・チュンウ(이충우)監督である。イ・チュンウはもともとTBC(東洋放送)の背景美術スタッフで、『黄金バット』『妖怪人間ベム』でも背景を描いた。TBCを退社してからはキム・チョンギと同じパク・ヨンイル監督のチームに入り、『孫悟空』『好童王子と楽浪公主』などにスタッフ参加した。その後はパク・ヨンイル監督やキム・チョンギ監督と一緒に先進文化社でアニメーションCFや広告イラストの制作業務に従事し、徐々に広告業界でその地位を築いていった。■先進文化社制作による韓国ロッテのお菓子「ラミョンタン」などのアニメーションCF彼は、グレートマジンガーが大のお気に入りキャラクターだったようだ。「マジンガーZ」の名を冠した三養食品の商品パッケージに、グレートマジンガー風のキャラを描いてしまうほどだった。1976年1月1日東亜日報11面の三養食品の広告欄にも、イ・チュンウが描いたと思われるイラストが載っている。ここでもやはり、「マジンガーZ」という商品名なのに、グレートマジンガーっぽい絵を描いている。1976年3月12日東亜日報3面広告には、『マジンガーZ』のテレビ放送終了直後に出版された絵本の広告が出ている。「出た!TV史上最高の人気番組 グレートマジンガーZ 特殊セル絵本 文・絵 イ・チュンウ」というコピーが踊っている。マジンガーZでもグレートマジンガーでもなく、『グレートマジンガーZ』である。本来は、『マジンガーZ』ロス状態につけこむ便乗出版企画だったのだろう。なのに、当時の韓国の子供たちの大多数が知らないグレートマジンガーの絵を、またもや描いている。これほどまでにグレートマジンガーに偏執的にこだわり続けた彼が、実は昔のよしみで『ロボット テコンV』の製作にもノンクレジットで参加していた。2019年12月のアイラブキャラクターのインタビュー記事で本人がそう証言している。『マジンガーテコン』の依頼を受けたキム・チョンギ監督に、このイ・チュンウがグレートマジンガーのデザインを使わせようと勧めた可能性は高い。テコンVの最終デザインにおける胸のV字のデザインが、グレートマジンガーに近い「左右が離れていないV字」という形になったのも、イ・チュンウの激烈なグレート推しの成果だったのではなかろうか。玩具やグッズを作って売りたいスポンサーたちは、マジンガーの名をそのまま使って劇場用アニメ映画を作ってほしいと望んでいた。当時の韓国のTVアニメがまだ白黒放送だったのに対し、劇場用アニメは、「カラー作品」であるという絶対的優位性を持っていたからだ。TVで人気のマジンガーがカラーで観られるとなれば、話題を呼ぶのは確実と思われた。ユープロダクション側は(本当にそんなことが可能だったのかは分からないが)、盗作と言われるのが心配ならマジンガーZの韓国版権を取るとまで言ったという。それでもキム・チョンギは首を縦に振らなかった。もともと、自分のアニメ映画を作って「ディズニー」になりたいのが彼の夢であって、他人の作品を作る仕事にはとことん関心がなかったのだ。東亜日報1976年2月14日号には、『ロボット テコンV』が製作に入った旨を伝える記事が出ており、キム・チョンギ監督は「高度な機械文明によってもたらされた人類の終末を描いて人間の尊厳性を強調し、ロボット テコンV、金博士などを通じて大いに平和守護の意志を植え付ける事」が企画意図だと、キリスト教的終末思想と物質偏重批判の姿勢が露骨なコメントを出している。この記事に出てきたスチル写真では白髭のカープ博士が、今にも胸からミサイルを出しそうな謎の女ロボットをけしかけている。この時点では、まだメリーのキャラクターデザインが出来ていなかったのだろうか。2週間後の京郷新聞1976年3月2日号の「SF漫画映画 韓国でも本格製作 TV子供番組『マジンガーZ』を契機に調査 空想科学世界が主舞台」という記事に掲載されたスチル写真では、ミニスカート・ポニーテールと、だんだんメリーのキャラが固まってきている。しかし、まだ「絶対領域」がない。ライバルのテコンドー選手は黒人だったようだ。そして記事をよく見ると、作品名が「ロボットテコンV」(로보트 태권V)ではなく、「ロボットテコンドーV」(로보트 태권도V)となっている。これは単なる誤字なのか、企画段階では「テコンドーV」というタイトル案もあったのか、良く分からない。この記事では、韓国アニメの歴史をまず説明し、マジンガーZの大ヒットをきっかけに本作が製作開始されて、6月に公開予定であることを報じている(実際に公開されたのは7月)。当時の韓国人は『ロボット テコンV』映画公開前の時点で、マジンガーZとテコンVの関係などは、新聞を読んでみんな知っていたのだ。もし『ロボット テコンV』が単なる盗作で何も見所のない作品だったら、その後の公開時にあのような成功を収めることなどありえなかっただろう。「テコンVはパクリだから売れた」というのは、いかにも見方が浅い。「パクリ」と一言で言っても、著作権法上でも「複製」と「二次的著作物作成(翻案)」では扱いが違うし、単にヒントを得た・インスパイアされただけであれば、アイデアは著作物ではないので、著作権法上の問題は生じない。論じるならばしっかり区別して論じるべきだと思う。「パクリ」はしっかり指摘すべきだと思うが、オマージュ・引用・パロディ、あるいは「影響を受けた・参考にした」という程度にとどまる「パクリ」までをも全部否定して葬り去ろうとする近年の風潮を、私は非常に憂慮している。「オリジナリティ」の幻想にとらわれすぎではないだろうか。文化とは、血液循環や呼吸のようなものだ。常に出入りし、行き交って混ざり合いながら成長していくものである。その流れを止めれば、文化は死ぬのだ。京郷新聞1976年5月15日号には『ロボット テコンV』の製作完了を伝える記事が出ている。 「MBCテレビの人気アニメ『マジンガーZ』の姉妹編と言える『ロボット テコンV』が、6か月の製作期間を経て完成した」「マジンガーZの旋風的な人気に便乗して制作されたこの映画は」と、「姉妹編」や「便乗」という言葉を使ってイジっている。なかなか辛辣な報道姿勢である。キム・チョンギ(金青基)監督の名前を「李青基」と間違えたり、記事の結びに「テコンドーを身につけた勇敢な少年ロボットテコンVが縦横無尽に敵を打ち破る物語だ」と書いていたり、信用ならない記述も色々とある。「少年ロボットテコンV」(소년 로보트태권V)。ぜひ一度、観て見たいものだ。この記事では『ロボット テコンVの』製作費を4500万ウォンと報じている。だがキム・チョンギ監督のインタビューによれば、実際には製作期間中、ユープロダクションからキム・チョンギ監督には前払い製作費として月50万ウォンしか渡されず、残りの製作費はソウル・釜山以外での地方興行権を売って資金を調達していたという。それでも足りない分は全て持ち出しとなった。作画枚数へのこだわりが、キム・チョンギ一家の借金を膨らませた。セルの入手が困難となり、かつて『少年勇者ギルドン』(1967年)でシン・ドンホン監督らがそうしていたように、軍用航空フィルムやX線フィルムを入手して、写真を洗い流しながら再利用した。結局、映画のタイトルも、ロボットのデザインも、「マジンガー」色を薄める方向に変更されたため、失望したスポンサーの多くが『ロボット テコンV』から手を引いた。それでも、京郷新聞1976年6月28日号の「童心傷つける浅はかな商魂 筆箱・消しゴム・ノートなど学用品に漫画」という記事の中では、マジンガーZグッズと共に、まだ映画が未公開だった『ロボット テコンV』のグッズも既に店頭に並んでいると書かれている。マジンガーグッズは当然99%がパチモンだっただろうが、テコンVも、映画第1作当時は、こうしたキャラクター商品は全て業者が勝手に作ったものだったようで、キム・チョンギには1ウォンも入らなかったという。映画公開前に早くもグッズが出ていたということは、『ロボット テコンV』の地方興行権を買って作品の情報を事前に得ていたスポンサー会社が作らせていたのだろう。キム・チョンギ監督は、元弟子の縁とユ・ヒョンモクの紹介によってチェ・チャングォンという当代最高の作曲家を音楽監督に獲得し、SF作品には欠かせない効果音作りにも、東亜放送ラジオの音響スタッフだったキム・バルレというスペシャリストを雇い入れた。キム・チョンギ監督の「音」に対する鋭敏さが、こうした点によく表れていると言える。吹き替え収録の演出指示にも力を入れた。主人公キム・フンの声優には、『マジンガーZ』韓国語吹き替え版の主人公カン・セドル(=兜甲児)と同じ、キム・ヨンオクが起用された。2021年のNetflixのドラマ『イカゲーム』でも熱演していたあのキム・ヨンオクの、若かりし頃の仕事である。キム・ヨンオクの起用は、製作陣が『マジンガーZ』との差別化を意識しながら、やはり便乗をちゃっかり狙っていた証拠でもある。■『イカゲーム』で主人公の母親役を演じるキム・ヨンオク1976年7月24日、『ロボット テコンV』はソウルの大韓劇場と世紀劇場の2館で封切りされた。映画館には大行列が生まれ、空いているほうの映画館へ観客を運ぶためのシャトルバスまで稼働するほどの大ヒットとなった。『ロボット テコンV』の観客数には諸説ある。キム・チョンギ監督は2館で合計28万人は入ったと主張している。1976年12月17日の朝鮮日報では、『ロボット テコンV』の観客数は119,037人で、1976年の韓国映画としては第2位の成績だったと述べている。同日の京郷新聞では観客数を133,600人としている。当時は全国の映画館の観客を客観的にコンピュータ集計するシステムはなく、観客動員数として発表されているこうした数字は、すべてソウルの映画館だけの合計人数である。そして、製作会社側は宣伝のために誇大に発表するし、映画館は製作会社側への支払いを誤魔化そうとして、少ない数字を出してくるのが常であった。キム・チョンギ監督にはソウルでの配給収入の半分が取り分として与えられたが、借金返済には足りなかった。映画は大入り満員だったのに、家を手放す羽目となった。お金よりも作品性を優先させた結果だったと私は思う。お金を最優先に考えるならば、スポンサーの要求通りに「マジンガー」を作り、作画枚数を抑えれば、利益が出たかもしれないのだ。キム・チョンギ監督は、あえてそれをしなかった。『ロボット テコンV』を「マジンガーのパクリ」の一言で切り捨てることに私が疑問を感じるのは、こうした経緯があったからである。なお、『ロボット テコンV』について、東映動画から『マジンガーZ』の製作を下請していた人たちが作った映画ではないかとの俗説がある。スタッフ個人レベルでそういう経験のある人が紛れ込んでいた可能性もゼロではないだろうが、キム・チョンギ監督を始め、少なくともソウル動画の中心メンバーには、『マジンガーZ』の下請作業を経験した人はいない。2017年12月のソウルアニメーションセンターでの講演でキム・チョンギ監督は、マジンガーZのイメージをそのまま描くことも、当時の技術力や実力面で無理だったので、その特徴だけを簡略化しながら描いたと語っている。ロボットを描くのが得意な下請経験者が揃っていたわけではなかったのである。■ソウルアニメーションセンターで講演するキム・チョンギ監督(2017年12月)またこの講演後の質疑応答で、東映動画の社員が『ロボット テコンV』の公開後にソウル動画を訪ねてきて「良く出来た映画だった。我が社のアニメーションをやってみないか?」と誘ってきたものの、キム・チョンギ監督は断った、という話も紹介されている。盗作云々といった発言は東映側からは何もなかったという。あまりにも話が出来過ぎているような気もするが、この逸話は、キム・チョンギ監督の漫画家時代からの仲間で、テコンVにも第1作からノンクレジットで参加(第3作からクレジットが入る)していたチョ・ハンリ(조항리)監督の自叙伝『あまりしたくない話』にも書かれている。下請仕事にもTVアニメにも関心がなかった、キム・チョンギ監督らしいエピソードだと思う。父に絵を褒められた、幼い日の思い出。その父との悲しい別れ。絵に打ち込んで漫画家デビューを果たしたものの、漫画を低俗扱いする社会の風当たりは厳しかった。漫画を否定されることは、父親を否定されるのと同じだった。絶望の淵で『白雪姫』と出会い、アニメーション監督という新たな夢が生まれた。幾重もの規制の網をかいくぐって、ようやくキム・チョンギ監督は「自分のアニメ映画」を完成させたのだ。自宅が人手に渡っても、彼はどこまでも前向きだった。「さあ、家は無くなったが、キム・チョンギの名前は残ったじゃないか。これからこの名前を使って、何でもどんどんやればいい」5-5 まとめ■『ロボット テコンV』製作当時のキム・チョンギ監督(朝鮮日報1976年6月20日号より)以上、全5回にわたって、1976年公開のテコンVシリーズ第1作『ロボット テコンV』と第2作『ロボットテコンV第2弾 宇宙作戦』について、設定・ストーリーの考察と製作当時の時代背景を概説してきた。 最後に、この初期二部作の核となった構成要素として、次のAからDを指摘しておきたい。A.監督とプロデューサーの共通体験として、「朝鮮戦争で実の父親を失った経験」があったことB.監督とプロデューサーの思想的共通点として、キリスト教信仰があったことC.監督はディズニー『白雪姫』を見てアニメの道を志し、常にディズニーアニメを手本としていたことD.政府のテコンドー普及政策・TVでのマジンガーZ流行など、当時の世相への便乗を狙った作品であることテコンV第1作と第2作の骨子は、このAからDの四つの要素の組み合わせから出来ている。すなわち、連載第1回「テコンVと外見至上主義」で検証した『ロボット テコンV』の隠しテーマとしてのルッキズム批判の問題意識は、Bにもとづく監督の聖書解釈から出たものだった。『ロボット テコンV』は、後年のキリスト教アニメ『ダビデとゴリアテ』と表裏一体の関係にある。また、Cの『白雪姫』も外見至上主義をテーマとする物語であったことが、今後の研究課題として注目される。第2回「テコンVとキリスト教的反共主義」では、キム・チョンギ監督が共産主義者に強い怨恨を抱くに十分な理由があったことを確認した。にもかかわらず『ロボット テコンV』においては、軍事政権の思惑通りにプルグン帝国を単純な絶対悪とはしなかった。ディズニーアニメやプロデューサーのユ・ヒョンモクの影響の下で、同情の余地ある存在・浄化し得る存在として悪役を描き、一筋縄ではいかない晦渋なストーリー構成と演出を採用した。これは、Aの個人史とBの宗教的ヒューマニズム、そしてCのディズニー的手法の複合的産物と言える。第3回「テコンVとフランケンシュタインコンプレックス」で考察した通り、キム・チョンギ監督はBの信仰上の立場を堅持しながら自律型ロボットを作品内で描くにあたって、その矛盾解決のアイデアをCのディズニーアニメに求めようとした。そこからメリーという、テコンVシリーズ最大級の人気ヒロインが生みだされた。『ピノキオ』は「死と復活」を描くキリスト教説話的側面があったし、『白雪姫』もその点は同じである。それらがメリー2部作の原型となっている。第4回「テコンVとテコンドー」と今回の第5回「テコンVとマジンガーZ」で明らかになったことは、『ロボット テコンV』の二大テーマと見なされてきた「テコンドー」と「ロボット」は、元々は単なるDの「世相への便乗」の域を出ないものだったと言うことである。『マジンガーテコン』の台本を持ち込まれるまで、キム・チョンギ監督はテコンドーとは全く無縁だった。搭乗型ロボットアニメを作りたいという強烈な情熱を持っていた様子もない。単に、長編監督デビューという目の前のチャンスに否も応もなく飛びついたように見える。『マジンガーテコン』という企画と脚本がユープロダクション側でまず用意され、キム・チョンギ監督はそのアニメーション製作を持ちかけられた。当初は全くの受け身から、本作への関わりが始まっている。そして、監督が「テコンドー」と「ロボット」にあまりこだわりがなかったからこそ、両者をアニメーションで融合させる方法論としてCの『白雪姫』伝来のロトスコープを使うという、大正解を選ぶことができたのだ。最初からメカや格闘技に強い思い入れがある人なら、一から作画して描き込もうとしたかもしれない。しかし、資材も人員も極端に不足していた当時の製作環境でもしそれをやれば、さらなる作画クォリティの低下を招いただろう。『ロボット テコンV』(1976年7月公開)と『ロボットテコンV第2弾 宇宙作戦』(1976年12月公開)は、「ロボット」と「テコンドー」がメインのアニメというよりは、Dとして与えられた「ロボット」と「テコンドー」という枠組みの中で、キム・チョンギ監督が自分の長編初監督作にどうしても入れたかったA・B・Cの要素をギュウギュウと最大限に押し込んだ、彼の一世一代のビックリ箱のようなアニメ映画だったと私は受け止めている。色々なものを盛り込み過ぎてやや統一感に欠けた感もあるこの2部作は、構成上、まさに破綻ギリギリの様相を呈している。しかし、そのギリギリのところまで攻めた多重的な物語構造は私のような考察厨の心を強く惹きつけるし、そこから、製作当時の韓国映画界・韓国社会の複雑怪奇な事情も透けて見えてくる。見返せば見返すほど、どこまでも興味が尽きない作品である。『ロボット テコンV』は賞こそ取れなかったものの、観客動員で好成績を収めた。続く『ロボットテコンV第2弾 宇宙作戦』(観客数約60,000人)は、著作権管理の失敗とフィルム散逸のため、ごく最近まで人々の記憶から完全に忘れ去られる悲運に見舞われていたが、実際に作品を観てみると、「メリーの物語」を締めくくる後半部分として、キム・チョンギの作品世界を照射する非常に重要な内容を含んでいたことが分かる。第1作・第2作では、テコンVのデザインがマジンガー風であるとは言っても、まだ模倣の度合いは「全くの同一キャラではない」と言い切れる程度だった。しかし、テコンVが海底王国の内紛に介入する第3作『ロボットテコンV第2弾 水中特攻隊』(1977年、観客数55,000人)では、第1作・第2作で作画監督の役割を果たしたイム・ジョンギュが抜け、『UFOロボ グレンダイザー』のメカニックデザインの安易な流用が擁護不能な段階にまで深刻化した。『黄金の翼1.2.3』とのクロスオーバー作品である第4作『ロボットテコンVと黄金の翼の対決』(1978年)は、過去作のフィルム使い回しが目立つ。宇宙人が建てたバベルの塔を守る3体の手下と戦うというストーリーは『バビル2世』の設定の単純な裏返しである。70年代最後のテコンV作品となった『飛べ!宇宙戦艦亀甲船』(1979年)ではキム・チョンギがとうとう監督から外され、シリーズの新展開が試みられた。しかし、ストーリーの大筋は『宇宙戦艦ヤマト』をなぞったもので、人気回復は成らなかった。■『飛べ!宇宙戦艦亀甲船』テコンVでの借金を反共アニメ『トリ将軍』シリーズでようやく返済したキム・チョンギ監督は80年代に入ると、玩具会社ポパイ科学を安定した大口スポンサーとして獲得し、日本のロボットキャラクターを模した玩具を韓国国内で売るための販促アニメとして、再びテコンVの映画を撮り始めるようになった。『スーパーテコンV』(1982年、観客71,768人)でユン・ヨンヒはようやくテコンドーの飛び蹴りを披露したが、この当時はもう、現実世界の女子テコンドー人口が大幅に増えており、ワールドゲームへ参加するまでに規模が成長していた。女子がテコンドーをするのは、もはや何も珍しいことではなくなっていた。アニメが時代の進歩に追い抜かれたのである。■スーパーテコンV全斗煥政権がカラーテレビを解禁したため、劇場版アニメの優位性も既に無くなっていた。純粋に作品の質で勝負しなくてはいけない時代が来ていた。そんな80年代に、頭部だけ70年代のままで、手足・胴体をマジンガー風のデザインからザブングルのコピーに入れ替えたスーパーテコンVが、スクリーンに現れた。敵キャラのデザインも、機動戦士ガンダムや伝説巨神イデオンから取っていた。『'84テコンV』(1984年、観客数21,583人)は、日本の東映動画の下請を多数こなしてきた教育動画社を制作協力に迎え、原画マンの1人には後に『オセアム』でアヌシー国際アニメ映画祭グランプリを獲得するソン・ベクヨプも起用されており、高い作画レベルが維持された。しかしストーリー展開はフランケンシュタインコンプレックスをそのまま描いた単純な筋書きにとどまり、肝心のテコンVも手足・胴体はダイアクロンシリーズのダイアバトルスを元にしたものだった。■'84テコンVその後、80年代後半にアニメーションと実写特撮のミックス作品『宇宙からきたウレメ』シリーズを成功させて自信を回復したキム・チョンギ監督は、同じ手法をテコンVで試みて1990年に『ロボットテコンV90』(観客数5,399人)を発表した。テコンVの新デザインにオリジナリティの発揮が見られたが、ストーリーと演出は第1作・第2作の焼き直し劣化版だった。フン役のイ・スンヒョン(이승형)が今も脇役俳優として地味に生き残っているのは不幸中の幸いと言える。■『ロボットテコンV90』こうして、『水中特攻隊』以降のテコンVは、それぞれに部分的な見どころはあるものの、他人の作品からのキャラクターデザイン模倣が目立つか、脚本・演出が十分に練られていないか、あるいはその両方の理由のために、興行的にはことごとく敗北を重ねた。『ロボット テコンV90』を最後に、テコンV関連ではさまざまな新作企画が立ち上がっては消えている。ウェブ漫画では『V』や『テコン高等学校』などが出たが、長編映像作品は現在に至るまで何一つ完成には至っていない。ソウル動画ピクチャーズの新作TVアニメ企画『スペースレンジャー』は、キム・フンとユン・ヨンヒの娘ソルビがロボットに乗り込む3Dアニメである。もし完成すれば韓国初の女性単独主人公ロボットアニメとなる見通しだが、2020年にパイロット映像が発表されたきり、その後の進捗は情報が流れて来ない。■スペースレンジャーキム・チョンギ監督の代表作と言えるテコンVが、今後もしもシリーズ復活を図るならば、日本アニメの影響から一段と意識的に差別化を図った新型テコンVのメカニックをデザインするだけでなく、何よりもまず第1作・第2作の原点に立ち返って、設定とストーリーを骨太なものにしっかり組み立てていく必要があるだろう。やはり課題は脚本力である。映画・ドラマの分野では、既に「韓流」の脚本力は世界のトップクラスと言ってよい水準に達している。韓国アニメ界も、これからはどんどん韓流脚本術を導入していくべきだろう。作画だけ良ければ良いという時代は終わった。第2のジ・サンハクの登場が待たれる。テコンVを世に送り出したキム・チョンギ監督は、毀誉褒貶の激しい映画人生を送ってきた。だが、ようやく今年2021年10月に、国産アニメーション発展に対する長年の功労が韓国政府から認められ、宝冠文化勲章を授与された。上から順に金冠・銀冠・宝冠・玉冠・花冠と5種類ある韓国の文化勲章の中では3番目のランクで、韓国アニメ界全体を勇気づける快挙と言える。改めて心からお祝いを申し上げたい。■宝冠文化勲章受章を発表するキム・チョンギ監督キム・チョンギ監督の末永い健康と活躍を祈り、後進の方々が監督の志をしっかり支えて韓国ロボットアニメの新たな歴史を切り開いてくれることを強く願いながら、テコンV45周年を記念する私の今回の拙いシリーズ記事を終えたいと思う。