プールサイドの人魚姫 -53ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-お相撲さん

千秋楽を待たずして早々と優勝を決めてしまった白鵬であるが、彼の強さだけが際立った夏場所だったと言えようか。

朝青龍が土俵を去った後、一人横綱として大相撲を牽引して行かなければならないプレッシャーがあるにしても、横綱が強すぎるのかそれとも他の力士が弱すぎるのか…。

この夏場所は特に波乱もなく淡々と勝負が進み、いつの間にか13日目を迎えた時点で、あっさりと優勝を決めてしまう白鵬。

琴欧州との一戦はそれでも見応えはあったものの、やはり粘り強さで定評のある白鵬の前に力尽きた琴欧州。

それにしても、結局のところ土俵を湧かせているのは外人力士たちばかりであり、大関に昇進した把瑠都がどこまで優勝戦線に食い込むか注目を浴びた場所でもあった。

そんな外人力士の話題ばかり目立つ中で、相撲ファンを喜ばせる唯一の話題は、魁皇の1000勝達成だっただろう。

元横綱・千代の富士に続く史上二人目の記録は見事であり、相撲の歴史をまた一つ塗り替える予感を感じさせる大記録である。

このようにベテラン力士が頑張っている中で、若手力士たちの低迷ぶりに相撲ファンから落胆のため息が聞こえてきそうである。

相撲界の人材不足も深刻であり、国外に人材を求めるのもやむを得ないが、一昔前のような力士の育つ土壌が失われつつあるもの事実であり、それが相撲の国際化に拍車を掛けているのだろう。

金髪や茶髪のマゲに違和感さえ抱かなくなってしまい、最近では日本人よりマゲが似合う外人力士たちの台頭に危機感さえ覚えないというのは、日本人の相撲が失われてしまった事に対する嫉妬ではないだろうかと思ったりもする。

日本人力士で一番強いのは一体誰なんだろう…。

この際、日本人力士場所を新たに作って争ってみては如何だろう。

そうすれば少しは発奮してやる気を出す力士が増えるかも知れない。

ところで、某週刊誌のネタにされている琴光喜の今後が気になるところ。

野球賭博に手を染めた事が事実であれば、土俵外での乱闘騒ぎでは済まされない相撲界の汚点がまたしても相撲道を汚すことになる。

朝青龍が去っても相撲界の闇は消える事はないのだろうか?


プールサイドの人魚姫-口蹄疫

「総理・・・、九州方面で感染が確認されたようです」

「感染?何の感染?インフルエンザはもう終わっただろう・・・」

「いえ、総理、どうも家畜のようなんですが・・・」

「家畜?鳥インフルか・・・」

「いえ、それがどうも口蹄疫のようでして・・・」

「口てい疫??聞いたことないねぇ、新種か」

「まあいい、専門家に任せておいてくれ、わたしは普天間で手一杯だ」

「何か問題が発生したら赤松君に回してくれ」

こんなやり取りが首相官邸であったかどうかは別にして、ウイルスの強襲を受けた宮崎県の畜産農家から悲鳴が届く。

家畜伝染病に指定されている口蹄疫(こうていえき)だが、専門家や業者でなければこの名前を知っている人は非常に限られると思う。

わたし自身も今回のニュースで初めて耳にしたのだが、家畜を生業とする人たちにとっては致命的な伝染病のようだ。

口蹄疫に罹患した牛や豚は発見されしだい殺処分されるという。

この病気の特徴は非常に伝播力が強く、幼獣にいたっては高致死率という、おそろしいほどの破壊力を持つウイルスである。

問題が起こる度にその対応が遅いなどと批判を受けるが、政党が変わってもその対応振りは変わらなかった。

これは役人や政治家全体に広がる危機管理意識の低下や欠如であって、責任の所在云々以前の根本的問題だからなお更始末が悪い。

口蹄疫に最も有効だと言われる消毒剤「ビルコン」であるが、本数が大幅に不足しているため、ワクチンとビルコンの確保に翻弄されていて、実際に防疫が完了するには随分先の話になりそうだ。

口蹄疫に関するニュースはこれまであまり話題に登っていなかったが、感染がここまで拡大してしまうと、さすがに沈黙と言う訳にはいかなくなる。

先日、ニュースに登場していた東国原知事の引きつった表情が、混乱と暗雲垂れ込む宮崎の現状をよく映し出していたと思う。

報道の垂れ流しも困るが、抑制することもある意味では必要かもしれない。

被害が日本全国に及ぶような事になれば、わたしたちの食生活も大きく変化する事は避けられない。

黒マグロだけでなく、牛や豚肉まで簡単に食べられなくなる時代がやって来るとしたら・・・。

免疫力が低下しているのは人間だけではなかったという事でしょう。




 

プールサイドの人魚姫-墓参り


 

5月3日、浜松まつりの熱気を背中に感じつつ、磐田から郷里の藤枝に向かった。

東京などの都会暮らしに慣れてしまうと、地方のゆったり流れる時間に苛立ちを感じたりする時がある。

5分に一本電車が来る分けではないから、家を出る時には時刻表を確認しなければならない。

時刻を気にする事無く駅へ向かうのと、時刻表を見つめながら予定を立てるのとどちらがより人間的かと言えば、時間に流されずゆったり予定を立てられる方が、時間を操っているのが自分自身であると言う、ある種の開放感のようなものを感じる。

東海道線も昔と違い、ステンレスの車両になってしまったから、東京を走る地下鉄と見た目は殆ど変わらなくなってしまった事に若干の寂しさを感じてしまった。

電車に乗っている間に「勇樹」からメールが届いた。

「いま、どこにいるの」

「磐田、藤枝に向かっているところ」

「墓参りしないの?」

墓参りの事はまったく予定に入れていなかった。

3日の予定は「博ちゃん」に会った後、東京に帰る積もりでいたからだ。

「分かった、じゃぁ明日」

「明日、何処で待ち合わせ?」

「その前に、泊まれる場所を探さないと」

「博ちゃんと言う人の家に泊まるんじゃないの?」

「いきなりだから、まだ分からん」

「ホテル探さなきゃ」

「藤枝には泊めてくれる所たくさんあるから」

こんなやり取りを交わしているうちに電車は藤枝に着いた。

藤枝駅も昔の木造姿はすっかり消えていたが、駅前は昭和30年代の面影を僅かながらも残していたことが、救いだった。

博ちゃんに会うのは25年ぶりになるだろうか。

わたしにとっては兄のような存在だった博ちゃん、車越しにわたしを見つけ笑顔を見せたその表情に、歳月の長さと同時に昭和へタイムスリップする自分がいた。

博ちゃんの母である「菊江おばさん」がGWの間だけ、博ちゃん宅に腰を下ろしていると言う。

おばさんに会うのも25年ぶりだ。

わたしが産まれる以前から、神戸家とは親戚のような関係にあったから、自分の事や母親、父親のことなど様々な話を聞かせてくれる。

今年95歳になるが、何でも食べるし、ビールさえ飲むと言う。

腰を悪くしてから横になっていることが多いが、5年ほど前は自転車に乗っていたと言うから驚きだ。

服部家の人たちに会えば必ず父親の話しが出る。

生前の父については話題が尽きない。

博ちゃんの家から動く気になれず、無理を言って泊めてもらうことにした。

勇樹には藤枝駅北口10時に待ち合わせと伝えておいた。

駅に迎えに来た勇樹の車に乗り、一路長楽寺を目指す。

藤枝駅から旧東海道を静岡方面へと進むが、わたしの記憶も当てにならず、話し込んでいる内に長楽寺の入り口を見逃してしまい、車は「大手」を当に過ぎ「左車」あたりまで来てしまった。

東海道の中でもこの藤枝の宿は短い。

スピードを出して駆け抜ければあっと言う間に通り抜けてしまう。

Uターンし、ゆっくりと進んで行くと、長楽寺商店街の文字を発見。

左に曲がり狭い路地に入った。

漸く勇樹に「神戸家の墓」の場所を教えることが出来た。

藤枝は「神戸(かんべ)」の苗字が非常に多い土地だ。

寺だけ教えても、おそらく本人はどの「神戸」なのか疑問だらけになり、自分の目指す「神戸」を探し出せないであろう。

墓を見つけると腕まくりをし、墓石の掃除を始めた勇樹。

こんな風景をわたしはいまだかつて見たことがなかったので、勇樹の行動は意外であり驚いてしまった。

父はこの墓に眠っているが、母はこの中にはいない。

つまり、内縁だったのでる。

どんな事情で神戸の籍に入れなかったのか、疑問は残ったままであるが、由緒ある血縁の神戸家にとって、母の血は容易く受け入れられるものではなかったのだろう。

幼少の頃からこの墓を見慣れていたが、墓石の掃除は記憶にない。

磨き込んで行くと、墓石本来の姿(色や質感)等が現れて、更に驚いてしまった。

本来ならわたしか、この墓を守っている伯父さんや親戚の人たちがやらなければいけないことなのだが、神戸家の人たちは自分も含め、先祖に対して無関心過ぎるのかも知れない。 

勇樹の一生懸命に墓石を磨く姿を見て、改めて反省させられた。

墓石に彫られている「神戸家の墓」という文字は、祖父「貞一」の直筆である。

日本屈指の書道家と言われる「沖六鵬」の下で、書道を習っていたので達筆だ。

その隣のもう一つの墓には、戦争で若くして亡くなった伯父さん二人が眠っている。

そちらの墓石を磨いた時に、汚れが赤錆のような色をして、まるで血のように墓石を流れ落ちて行った。

「父さん、これ血だよ…」

勇樹の言葉にわたしは深く頷いてしまった。

戦争の苦しみからいまだに解放されていない二人の伯父さんたちの無念さが、水を血の色に染めたのだろうと思った。

墓石は昭和8年に再建具されている。

墓の場所はこの場ではなく、昭和60年頃までは別の場所にあった。

長楽寺の中で最も見晴らしの良い一等地。

銀杏の大木が生えるその傍らに在った。

墓の前は畑と田圃が空の彼方まで広がり、その中を地平線のような線路が真っ直ぐ伸び、その上を時々、一両編成の「軽便」が行き来していた。

墓から約一キロ程度の所には、大蛇伝説で有名な「青池」が緑の水を豊かに育んでいた。

「墓を移転する事になった」という話しを伯父さんから聞いた時、一体何事かと驚いたが、行ってみるとなるほど頷けた。

大木の根が墓の方にまで伸びてきており、その根っこの為、墓自体にひび割れが生じてしまったのだ。

しかし、祖先たちの声は墓の移転を非常に残念がっていたのだろうと思う。

この地に墓を建ててからどれほど長い時間が経過しただろうか。

江戸の初期には既にこの藤枝を永住の地とした神戸の祖先たち。

400年を越す歴史を刻んだ苔むした墓石が語りかけて来たのは、「平家物語」の一節だった。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ

 

 

プールサイドの人魚姫-子守唄

 

 
 

母の日が来ることを

待ちわびたまま

少年は

いつしか大人になった

思い出せない子守唄を

口ずさみながら

あなたの乳房に

夢を見る

大人になっても

停まった時間は

幼子のまま

聞こえぬ子守唄を

待っていた

寝息も立てずに

待っていた

 


プールサイドの人魚姫-ムー

決着どころか益々混迷の度合いを増す普天間基地移設問題は、宇宙人鳩山総理もお手上げ状態。

先日の徳之島でも完全拒否されたが、これは既に分かり切った上での訪問で、自分の努力を国民にアピールする為のパフォーマンス。

普天間基地移設は日本とアメリカそして、中国・ロシアとの軍事バランスを含んでいるので、厄介な代物だろう。

仮に自民党政権下であっても答えを出すのは簡単ではなく、同じように県外と県内を行ったり来たりで、県民を納得させるだけの材料もなく、反発のみを招き結果支持率は急降下する。

この問題は民主党鳩山政権だけの問題と捉えるのは無責任な話しであり、国の防衛を左右しかねないリスクを伴う問題であるから、野党も批判するだけでなく、無い頭を振り絞って協力し合うのが本来の政治である。

これは基地移転にのみ拘っているところに大きな落とし穴がある。

それ以前に提案する問題はある筈で、極論を言えば、問題となっているヘリコプター部隊を無くしてしまえばよい。

つまり軍事削減である。

イラク・アフガン戦争で、アメリカは在庫武器を一掃したから、新たに兵器を量産し軍需産業によって経済の上昇を企んでいる。

日本がそれに加担する必要は何もなく、核兵器削減ばかりを訴えるオバマ大統領の腹のうちは、後退する景気に歯止めを掛ける手立てを探ることで手一杯である。

アメリカにとっては基地が何処に決まろうと大した問題ではなく、日本に金を使わせればそれで満足なのである。

さて、沖縄再訪問を控えた宇宙人鳩山総理は、この問題について最後の切り札を使うのだろうか。



独身になってから迎えるゴールデンウィークはこれで2回目になるが、昨年は退院したばかりであり、自宅療養を余儀なくされていたため、何処かへ出掛ける予定など全くなかったので、自宅で大人しくしていたが今年は違った。
身体が元気になってくると人間は不思議なもので、ジッとしていられなくなる。
精神も肉体も活気ある物を求めたくなるのだろう。
1日に東海道新幹線に乗り、一路浜松方面へ。
途中の掛川で下車、友人と合流。
車で友人宅の磐田へ。
わたしの思い付きで飲み会に出席しそうな友人たちに声を掛け、2日の夕方浜松駅北口集合となった。
昨年11月の同窓会から半年余りで御馴染みの顔ぶれが数人集まり、再開の祝杯を上げた。
浜松市内は3日から始まる「浜松まつり」の準備で、街のあちこちから「前夜祭」の掛け声が響き渡っていた。
ほろ酔い気分で店を出た矢先、前夜祭の集団に遭遇した。
すかさず、カメラを向けハイビジョン撮影。
太鼓やラッパ、威勢の良い掛け声にファインダー越しに見とれていた。
幼い子どもの無邪気な姿のなんと愛らしいこと。
記憶にはなかったが、わたしが3歳の頃、藤枝大まつりに半被を着て参加した時の写真を思い出した。
浜松祭りは3日から5日まで、中田島砂丘で凧揚げ合戦が行われる事で有名。
実際にその凧揚げを見たことはないが、6畳ほどの大凧が砂丘の空を埋め尽くす。
壮観な空の舞であるが、実際は喧嘩凧であり、単なる凧上げとは異なる。
相手の組の凧糸(ほぼ太いロープ)を切り合うという凧同士の壮絶な争いだ。
おそらく三方ヶ原合戦に由来するものだろうと勝手に思っている。
静岡県の西部地区には、わたしの友人が多くいる。
こちらに帰省し、友人たちに会うたびにわたしは元気を貰う。
支えてくれる人たちがいる事に感謝しながら、一路藤枝に向かった。



プールサイドの人魚姫-辞任

面の皮が厚い、図々しいと言った表現がぴったりの小沢幹事長。そしてタイトル通りのおこがましい奴。

小沢氏本人だけの中では一件落着した筈の政治資金問題が再浮上。

おそらく本人は腸が煮え繰り返る思いだろう。

国民がノーと言っている事に耳を傾けないからこのような事態に発展する訳で、当然ながらこのままでは、参院選は乗り切れない、それどころか民主党は益々窮地に追い込まれ、小沢幹事長と一緒に心中でもする積りなのか。

どちらにしても海の藻屑となって消え失せるのは時間の問題。

自業自得といえばそれまでだが、ここまで追い込まれなければ眼を開かない鳩山総理や民主の議員たちはもしかすると、自民よりたちが悪かったりするのだろうか。

結局は同じ穴の狢と言うことに尽きる。

ところで、「検察審査会」なるものが在ることを政治や裁判に疎いわたしは知らなかった。

有権者である一般市民が検察を審査するとう機関が、公になるような事件・事故が過去にあったか記憶になかったので、今回の件でその存在を初めて知った訳である。

いずれにしろわたしの勉強不足であるが、これでまた一つ知識が増え、だから人間は生きている価値があり、楽しいと思えるのだが。

検察と言えば有能なエキスパートの集団であるが、それ故に固定観念を排除出来ない頭の固さも持ち合わせている。

あらゆる角度から事象を捉える柔軟な視座を持ってこそ、「灯台もと暗し」にならずに済む。

市民の目線で捉えれば、どう考えても納得が行かない事件であり、政治の背後に複雑なカラクリと権力の亡霊が見え隠れして仕方がない。

再審査を経て、小沢氏不起訴がひっくり返る確率は低いだろうが、国民は納得していないのだから、小沢氏は責任の所在を明らかにし、潔く幹事長を辞任すべきだろう。

鳩山総理率いる民主党の支持が風前の灯になっている今、総理がリーダーシップを発揮し、小沢氏を切れば、国民も少しは鳩山総理を見直すだろう。

肉を切らせて骨を断つではないが、小沢氏に翻弄されてばかりいる鳩山さんが実にみすぼらしく、国を代表する顔としては貧弱でならない。

それに比べると、小沢氏のふてぶてしさには開いた口が塞がらない。

夏の選挙は台風になること間違いなしだろう。


プールサイドの人魚姫-谷垣

野党に転落した自民党の勢いは下降の一途を辿っているが、それは与党に登り詰めた民主党も同じことが言える。

どんな政党が政権奪取しても、勢いは最初の内だけで、我儘な国民を十分納得させることなど土台無理な話しである。

谷垣総裁になってからの自民党は、一致団結どころか内部分裂ばかりを繰り返し、谷垣氏に対する不満が蔓延。

そしてこの体裁ばかり気にする政党では、これからの選挙を有利に闘えないと判断するや、離党する議員が続出し、それに留めを刺したのが舛添要一氏。

総理大臣になって欲しい政治家ナンバー1の彼が、堰を切ったように「新党改革」を結成。

全面に掲げた「金のかからない政治」「企業献金の禁止」などだが、理想論に酔ったようなマニフェストは民主だけにして貰いたい。

期待感だけ抱かせて後に簡単に裏切る口先だけの政治家が多い中で、舛添氏にはそうなって欲しくないと切に願うばかりなのだが。

今この国に不足しているのはバイタルな政治家だろうと思う。

一心不乱に打ち込む姿勢は活気に満ちており、「政治が好きでたまらないから政治家になった…これはわたしの天職である」くらいの言葉を聞きたいもの。

改革を前面に掲げている新党の諸君には、捨て身の覚悟がおありだろうから、とことん信念を貫き通し、国民に全てを捧げる気迫で政治に取り組んで貰いたい。

日本を取り巻く新党乱立の渦は、政治を更にカオスの世界に引き摺り混むリスクもはらんでいる。

自民は野党の意味を履き違え、民主は与党になり切れない。

これほど低レベルの政治に国民を付き合わせなないでくれ。

支持率が20%を切ったら、自動的に解散総選挙という法律でも作れば、政治家たちも変わるだろうか。


プールサイドの人魚姫-ファッションマスク

去年から今年にかけて、世界中をパニック状態に陥れた「新型インフルエンザ」も終息し、厚労省が国外から取り寄せ備蓄したワクチンが大量に残り、それらが有効期限を過ぎてしまい廃棄処分する結果となってしまったが、これは多額の税金を溝に捨てたようなものである。

インフルエンザに対し過剰反応した結果だが、ある意味それも仕方のない事かも知れない。

政治家たちが無意味な税金を使い捨てるよりはまだマシな方である。

わたしは心臓疾患を抱える身だから、真っ先にワクチンの接種をするべきだったかも知れないが、結局受けないまま何事もなく済んでしまった。

さて、インフルエンザの脅威から完全に脱した訳ではないものの、街中を歩いていると一つだけ減らない物がある。

そう、マスクである。

爽やかな春風に乗って気分は上々と行きたい所だが、この季節が苦手な人も多い。

花粉の舞い散る午後に、恋人とマスクをしながらお茶や歓談は少し色気がなく、くしゃみや鼻水が止まらず、会話にならないというのは、些かいただけないがこればっかりは仕方がない。

ならばせめてマスクをオリジナルに変えて気分をリフレッシュしたいものだ。

マスクの売れ行きが好調という背景もあり、各メーカーからは様々な形態のマスクが最近では見かけることがあり、マスクを購入するのにどれにしようか等と迷ったりと、これまでにはなかった選択を迫られてみたりする。

女性向けや子ども用などでは、かわいい花柄があったり、色も豊富でピンク、ブルー、イエローとカラフルになってきた。

ただ気になるのはどれも割と大きめのサイズであり、顔の小柄な人だったりすると、顔の半分以上がマスクに覆われてしまい、せっかくの美貌が発揮出来ないなんてこともある。

男性の場合は特に気にすることもないが、女性は意外と気を使っているのだろうと思う。

マスクで気をつけなければならないのは、その殆どが使い捨てタイプなので、一日一枚を心がけてもらいたい。

多少値段が高いものや、丈夫そうで何度か繰り返し使用できそうでも、見た目は汚れていなくとも、一度使ったものには雑菌が繁殖するので、口元や肌のトラブルを招く恐れがある。

これからのマスクは魅せるもの、ファッションマスクとして定着して行くのではないだろうか。

アレルギー性鼻炎で、マスクが手放せないわたしでした。


プールサイドの人魚姫-鳩


現在の日本には残念ながら政治の道標となれる人物が存在しない。

日本政治の混乱はこれが致命傷となっている為、いつまで経っても纏まらない。

野党は相も変わらず与党の批判を繰り返す。立場が逆転しても旧態依然として全く同じ国会の姿しか見えてこない。

夏の参議院選挙が目前に迫りつつある中、一向に国民が自民党に傾かない事に憂いとしびれを切らした人たちが、土の中から春の日差しを待ちわびた虫たちのように蠢き出している。

平沼赳夫、与謝野馨、この両氏を代表とした新党「たちあがれ日本」が誕生したばかりだが、聞こえて来るのは落胆のため息や批判などで、国民の殆どが期待を寄せていないようだ。

この新党はネーミングから既に失敗している。

応援団長が石原都知事?結局のところ中身は「旧自民党」であって、名前が変わっただけである。

しかも、垢抜けないネーミング。

メンバーの顔ぶれを見ても迫力のない人たちばかりで、全くインパクトと言うものが足りない。

頼りないのである。

政治はある意味ギャンブルだとわたしは思っている。

一番分かり易いのは、丁半博打だろう。

国のトップである総理が親でサイコロを振る。

それに賭けるのが国民(客)で、他の議員は子分と言うところか。

親が勝ちすぎると、客は文句を言い、親を引きずり降ろそうとする。

不平不満が起こらないよう、親は適当に勝ったり負けたりを繰り返し、客の顔色を伺いながらゲームを進めていく。

しかし、ゲームを面白くするのも親の役目。

時には一か八かのハッタリを喰らわせて、その場に緊張感を与えてやる。

盛り上がりのないギャンブルやゲームほど詰まらないものはなく、人は直ぐに飽きてソッポを向いてしまう。

国民を飽きさせない政治、或いは政治家が今最も求められているのである。

真っ先に自民党を離党した鳩山邦夫氏であるが、たちあがれ日本からは何のお呼びも掛からなかった。

彼も新党を立ち上げる事を前提に離党したのだが、「友人の友人はアルカイダ」なので、そんな物騒な人に着いて行く人も声を掛ける人もいない。

孤立した感のある鳩山氏だが、これからは無所属で活動するのか、或いは由紀夫氏に世話になるのかどちらにしろ、飛べない鳩である事は間違いない。

協調路線を敷いてお互い日本をどう良くしていくか、政権奪取ばかり考えていては何も変わらないし、国民はとっくに立ち上がっていて、立ち上がっていないのは政治家だけである。

だからこんなネーミングを着けてしまうのだ。