現在の日本には残念ながら政治の道標となれる人物が存在しない。
日本政治の混乱はこれが致命傷となっている為、いつまで経っても纏まらない。
野党は相も変わらず与党の批判を繰り返す。立場が逆転しても旧態依然として全く同じ国会の姿しか見えてこない。
夏の参議院選挙が目前に迫りつつある中、一向に国民が自民党に傾かない事に憂いとしびれを切らした人たちが、土の中から春の日差しを待ちわびた虫たちのように蠢き出している。
平沼赳夫、与謝野馨、この両氏を代表とした新党「たちあがれ日本」が誕生したばかりだが、聞こえて来るのは落胆のため息や批判などで、国民の殆どが期待を寄せていないようだ。
この新党はネーミングから既に失敗している。
応援団長が石原都知事?結局のところ中身は「旧自民党」であって、名前が変わっただけである。
しかも、垢抜けないネーミング。
メンバーの顔ぶれを見ても迫力のない人たちばかりで、全くインパクトと言うものが足りない。
頼りないのである。
政治はある意味ギャンブルだとわたしは思っている。
一番分かり易いのは、丁半博打だろう。
国のトップである総理が親でサイコロを振る。
それに賭けるのが国民(客)で、他の議員は子分と言うところか。
親が勝ちすぎると、客は文句を言い、親を引きずり降ろそうとする。
不平不満が起こらないよう、親は適当に勝ったり負けたりを繰り返し、客の顔色を伺いながらゲームを進めていく。
しかし、ゲームを面白くするのも親の役目。
時には一か八かのハッタリを喰らわせて、その場に緊張感を与えてやる。
盛り上がりのないギャンブルやゲームほど詰まらないものはなく、人は直ぐに飽きてソッポを向いてしまう。
国民を飽きさせない政治、或いは政治家が今最も求められているのである。
真っ先に自民党を離党した鳩山邦夫氏であるが、たちあがれ日本からは何のお呼びも掛からなかった。
彼も新党を立ち上げる事を前提に離党したのだが、「友人の友人はアルカイダ」なので、そんな物騒な人に着いて行く人も声を掛ける人もいない。
孤立した感のある鳩山氏だが、これからは無所属で活動するのか、或いは由紀夫氏に世話になるのかどちらにしろ、飛べない鳩である事は間違いない。
協調路線を敷いてお互い日本をどう良くしていくか、政権奪取ばかり考えていては何も変わらないし、国民はとっくに立ち上がっていて、立ち上がっていないのは政治家だけである。
だからこんなネーミングを着けてしまうのだ。