巴陵院から女人堂へ向かいます。
これまで結構な距離を歩いてまして、この時点でかなりヘロヘロになってます。
着いたでー。
皆さんもご存知の通り、高野山は明治の初めまで女人禁制だったため、女性はここまでしか入れなかったということです。
その昔、女性はここから弘法大師御廟に向けて、一生懸命祈りを捧げたのだそうです。
高野山への主要な道『高野七口』には、それぞれ女人堂が建てられていたそうですが、現在ではここの不動口の女人堂しか残っていないそうです。
お竹地蔵。
江戸時代に横山竹さんが私財で作ったお地蔵さんだそう。
今でもたくさんの方がお参りされています。
ちなみに『横山竹』とググると、京都の横山竹材店の情報がいっぱい出てきます。
ちげーよ。
来た道を戻って、行き損ねてた徳川家霊台へ向かいます。