◆小川清史『軍人によるウクライナ侵攻分析』を読む



副題→「日本のみらいのために必要なこと」



★要旨



・ロシア軍が黒海の制海権を握っている。



・アメリカ空軍とロシア空軍では、用兵思想が違う。



・日本の縦割りでは、独裁国家のハイブリッド戦に対抗できない。



・通信ひとつで部隊のレベルが丸わかりできる。



・練度の低い部隊は、すぐに集まろうとする。



・ウクライナ軍とロシア軍は全く違う戦い方をしている。

その両軍は同じような兵器を持って

戦闘している様子など、見た目は似ている。

しかし戦術、作戦、戦略など、

その戦い方は全く異なる軍隊だ。



・事態対処法が整備されてはいるものの、

国家非常事態つまり有事に備えて、

指揮系統つまり総理大臣、防衛大臣、

関係閣僚および各省庁が現実的で実際的な演習を

やっておかなければ、現実の有事には機能しない。



・平時の訓練でできなことは、

実戦では絶対にできない。



・私が習近平だったら、今回のウクライナの一件を

「ラッキー」だと考える。

ロシアが何かうまいことをすれば、

「あのやり方で台湾侵攻できる」と学ぶところがあり、

ロシアが苦戦し続ければ、

「みんな、ほら見ろ、これだけ厳しいことになるんだから、

俺に早く台湾を取れといったって無理だろう」

というエクスキューズにも使える。



・だから彼は今回のウクライナの一件のおかげで

「延命」できちゃうかもしれないし、

もっと時間をかけてサイバー攻撃で

台湾にいろんなことをやるかもしれない。



・結局、陸上戦闘が戦争全体を支配してしまうということ。



・ロシア軍にとっては狙撃による被害に加え、

パルチザンのように内側に入られて

ウクライナ側に情報を取られるという、

まさに独ソ戦の逆バージョンになっている。



・ウクライナ人はロシア語ペラペラだけど、

ロシア人はウクライナ語をしゃべれないから、

ウクライナ兵はいくらでも入り込める。



★コメント

やはり本職の軍人たちの発言は重みがある。








◆峯村健司『中国「軍事強国」への夢』を読み解く



著者→劉明福

翻訳→加藤嘉一

監訳→峯村健司



★要旨



★監訳者解説



・劉明福とは私が、

朝日新聞北京特派員だった時から

10数年来の知り合いで、

単独インタビューを何度かしたことがある。



・東京でのパネルディスカションで

「中国は台湾をどうしようとしているのか」

と尋ねられると、

劉はこう答えた。



「米国こそが我々のお手本で、

100年以上前に模範を示してくれた。

米国内で北部と南部に分かれて

4年間の戦争をして62万人が犠牲になった。

中国が台湾を攻撃するならば、

当時の北部が南部を打ちのめした先例を参考にする。

しかし、我々は犠牲者を出さないより

スマートな方法を採用するだろう」



・シンポジウムに参加した、

マイケル・ピルズベリーは、

情報機関にいた人物にしては珍しく、

興奮気味に筆者に語りかけた。


「今日の劉氏の応答は、

まさに本物の中国の政治将校のスタイルだった。

人民解放軍が訴えたいプロパガンダだけを主張して、

機微に触れる質問や話題は煙に巻く。

じつに見事なパフォーマンスだった」



・シンポジウムが終わった後、

劉と寿司を食べながら議論した。

劉は先ほどまでのパフォーマンスがうそのように、

米中、日中関係のほか、

人民解放軍が抱える問題点について

冷静沈着に淡々と語りだした。

オフレコだったので会話の内容は

ここに記すことは控えるが、

じつに意義深い意見交換ができた。



・胡錦濤政権は、

劉の著書『中国の夢』を発禁処分にした。



・「禁書」扱いにした前政権とは対照的に、

習近平政権は、「中国の夢」を

もっとも重要な政治スローガンに採用したのだ。

習は、重要会議において

「中国の夢」を連呼した。



・習の米国に対する強硬な発言や政策を見ても、

劉の思想の影響を強く受けていることが

うかがえる。



・習政権にとって最も重要な政治スローガン、

看板政策である反腐敗キャンペーンの理論的支柱の役割を

劉明福がはたしていたことがうかがえる。



・劉は、中国軍内の「異端のタカ派」ではなく、

習近平の「軍師」の一人と言っても過言ではないのだ。



★コメント

台湾政策について、

中国は相当深く研究していることを改めて知った。

さらに熟読して、分析を進めたい。






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◆宮家邦彦『台湾危機・驚愕のシナリオ。米中戦争』を読む



副題→「台湾危機・驚愕のシナリオ」



★要旨



・台湾は近代日本の安全保障にとって極めて重要な地域だ。



・いくら権力を集中しつつある習近平体制とはいえ、

一つ間違えば、台湾侵攻の失敗は、

中国共産党一党支配の「統治の正統性」を揺るがすリスクともなる。



・日本国内で「抑止」の議論を深め、

続けるだけでも「抑止効果」は十分にある。



・歴史は繰り返さないが、往々にして韻を踏む。



・要するに、

台湾と米国が現状維持のため最大限の「意図」を持てば、

中国による台湾武力侵攻を「抑止」することも

不可能ではないということだ。



・逆にいえば万一、台湾や米国が本気で現状を維持する

「意図」がなければ、対中「抑止」は減殺され、

中国の国家「目的」は成就するだろう。



・手前味噌だが、自衛隊関係者を除けば、

中国の安全保障上の脅威をもっとも早い段階で

懸念していた日本の文官組織は外務省北米局だったと思う。



・長い中国の歴史は、

各王朝の栄華と衰亡の歴史である。

王朝の衰亡にはいくつかのパターンがある。



・中国王朝衰亡の3つの共通項として、

「北方民族と宗教反乱、そして宦官の存在」

をあげる。



・中国は北方民族に何度も侵入され、完全に支配された。

王朝が混乱すると宗教反乱が起こり、

宦官や皇帝の外戚が権力を握ると、

その王朝は必ず滅びた。

古代史を見る限り、こうした見方は正しい。



★コメント

中国と対峙するには、その歴史を今一度くわしく

振り返ることが大事だ。

そこに勝利のヒントが詰まっている。






◆伊藤彰彦『最後の角川春樹』を読む




★要旨



・基盤となる会社を失い、がんに見舞われ、

獄に入るなど通常の人間なら絶望し、

そこで人生が終わってもおかしくない、

幾多の困難に直面しながら、

角川春樹はけっして屈せず、そのつど立ち上がった。



・私は、その人としての力が

どのように育まれたのかを知りたかった。



・私には、角川春樹という人物は

映画の側からだけでは、到底解き明かせない、

出版と映画と俳諧と民俗学の

交錯する「巨大なカオス」であると思えた。



・角川の人生の真骨頂は、

出獄後の再起にある、と私は考えた。



・角川の愛読書は、

岡本天明の『日月神示』なり。

「大きな生命に通じるものには死はないぞ。

通じなければ死はあるぞ」



・あるユダヤ人のプロデューサーが言った。

「アメリカに楯突いた日本人は2人いる。

田中角栄と角川春樹だ」


彼はそのあと、こう苦々しく付け加えた。

「角栄は死んだが、角川春樹は、

映画『男たちの大和』とともに復活した」



・角川春樹は、朝3時半に起床し、

地元の神社、上目黒氷川神社に行って、

神前の水を取り替える。


いつも通り6時に九段下の

角川春樹事務所に出社し、

神仏に祈ったあと、本やゲラに目を通す。



・1年に350冊の書籍を読み、

手帳にABCのランク付けして

これはと思った作家には、すぐさま会いに行く。

その席で、作家がこれまで書かなかった分野の企画を

提案するのが編集者の仕事だと語る。



・角川は、学生時代、

栗田書店の返品の山に囲まれた倉庫のなかで

『巨富を築く13の条件』という本を

たまたま読んだ。



・今から思えば、

「かならず成功すると潜在意識に刷り込めば、

実現しない目標はない」

と説く他愛のない本なのだが、

22歳の角川は感銘を受ける。


その日から、自分のベットのところに、

「角川は史上最大の出版業者になってみせる」

という言葉を書いて貼り、

それを毎日大きな声で読み上げていた。



・信念を潜在意識に叩き込み、

想念のエネルギーにする、

角川の思考・行動様式の原点は、

「巨富を築く13の条件」だった。


この本を読んでからは、夜の商売も止めて、

いろんな人に会い、やみくもに本を読み、

猛烈に勉強するようになった。



・横溝正史作品のなかで、最初の映画製作に

『犬神家の一族』を選んだ。

「犬神」という語感に惹かれたから。

タイトルも絵的にも良いと思った。



・1995年、角川は出所後、あらたな出版社

「角川春樹事務所」を設立した。

出版人として、ゼロから再出発した。


顧問には、辻井喬、紀伊国屋書店社長・松原治、

森村誠一、弁護士の河上和雄、

飛鳥新社社長の土井尚道など

そうそうたるメンバーが名を連ねた。



★コメント

すさまじい人生に学ぶことは多い。

真似すると火傷しそうだが、魅力的な生き方だ。








◆保阪正康『昭和史七つの謎2』を読む




★要旨



・昭和50年代に、

ある90歳を超えていた将官に取材した。

その将官が、私自身のことを実によく知っていて驚いた。


彼は言った。

「初めて会う人物のことは調べるよ。

まあ私も昔は陸軍中野学校に関係したこともあったからな」


しかも、

「彼らの調査網は、今も生きている」

と聞かされて、この社会には、

「情報流通の地下ネットワーク」

があるのだなと実感した。



・陸軍中野学校出身者は、

口が固いうえに、仲間意識が強い。



・ある中野学校出身者は、

何人かが集まり、

「占領軍監視地下組織計画書」

を練っていた。

ポツダム宣言の受諾後のこと。


米軍の占領が横暴なら、

武装抵抗を続けるつもりだったとのこと。



・情報を軽視する国家は、

独善と主観主義のワナに落ち、

情報のもつ冷徹さによって、

壊滅させられるというのが教訓である。



・吉田茂の歴史観の骨格は、

次の2点に見事に集約されている。


1、維新の大業を成し遂げた先達の描いた国家戦略は正しい。


2、昭和は、その国家戦略を歪めて「一時的な変調」を来した。



・かつて外務省の出世コースは、

ロンドン、パリ、ワシントンなど

欧米の主要都市を歩くのだが、

吉田茂は、そのコースではなく

「裏街道」だったと自らも回想している。


裏街道とは、中国勤務をさすが、

それも領事館勤務から始まった。

めぐまれたコースではなかった。



・少年期の環境に加えて、

大日本帝国の骨格を支える牧野伸顕との交流で、

吉田には、次第に強い使命感が生まれた。


それは天皇を支える感情、

天皇を君主と仰ぐ心情である。



・民主主義の制度を守るためには、

なんらかの道徳規範が必要であり、

それが王室であり、皇室だということになる。



・いわゆるA級戦犯で、最後まで生き残ったのは、

東條内閣の閣僚、企画院総裁だった鈴木貞一である。

鈴木は、生粋の職業軍人だが、政治活動もした。



・講和条約の発効後、

戦犯たちの獄中生活は、放縦に流れた。

麻雀を持ち込み、酒を飲むなど気ままとなった。



・鈴木貞一は、

そういう生活態度とは一線を引いた。

重光葵の『巣鴨日記』には、

鈴木が毎朝経文を唱え、

自ら作った体操を大声を出しながら、

繰り返していたとある。


そのあとは、

座禅と読書に時間を費やした。



・鈴木は、巣鴨プリズンを釈放になったあと、

代議士への勧めには応じず、

「電力の鬼」といわれた松永安左ェ門の主宰していた、

産業計画会議の委員をつとめて、

財界のシンクタンクのような役目を果たしていた。

松永は、自由主義経済を唱えていた。



★コメント

戦犯からの復活を成し遂げるには、

それなりの情報力と人間力が必要になる。

学びたい。









◆北野幸伯氏『最高レベルの戦略家。徳川家康』を読み解く



★正式タイトル

→平和な時代を創った「最高レベルの戦略家」徳川家康。



★雑誌ルネサンス14、「救国の英雄たち」より

(国難を救った7人の素顔)

北野さんコラム記事より。



★要旨



・戦略家ルトワックは、

著者『日本4.0』の中で、家康について

「最高レベルの戦略家」と絶賛している。



・徳川家康が、

織田信長との同盟(清州同盟)を決断したことは、

「最良の選択」だったといえる。



・というのも、

信長は、家康との同盟締結後、

日本最大の戦国大名に成長していったからだ。



・信長は、室町幕府将軍の足利義昭と結び、勢力を拡大。

その後、義昭を追放して、新政権構築を開始した。



・今川家の人質だった家康は、

1562年から1582年まで続いた清州同盟で、

有力な戦国大名になった。



・どの人、どの国を同盟者、同盟国に選ぶかで、

命運が決まる。



・私たちも家康を見習って、

なるべく穏便でいることが大切なり。



・家康の歩みは、ゆっくりだが、

着実に勢力を増していった。



・家康とその子孫が創った「江戸幕府」というシステムで、

250年以上平和な時代が続いた。



・ルトワックが称賛する、

徳川幕府のシステムのポイントは、以下のとおり。



1、大名を温存しつつ、

彼らを完璧にコントロールできる仕組みをつくった。

親藩、譜代大名、外様を巧みに配置した。


2、街道、関所の整備と管理。


3、参勤交代。



・家康は、豊臣秀吉への臣従と忠誠によって、

「五大老筆頭」の地位を得た。



・家康は、

耐えて、待って、勝機を逃さなかった。



★コメント

家康の戦略と考え方は、今の時代にも十分通じる。

海外から学ぶことも大切だが、

自分たちの足元である日本史から

国際政治を学ぶことも十分可能だ。

そのことを北野さんの論文から知ることができる。







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◆峯村健司さん監訳『中国「軍事強国」への夢』に注目します。


著者→劉明福


★ポイント


・2020年に中国で出版された。

人民解放軍を世界一流の軍隊にするための戦略を綴ったものだが、

台湾統一のシナリオなど中国の安全保障戦略の機微に触れる部分は、

掲載の許可が下りずに大幅削除となっていた。 

今回、監訳者の峯村健司氏、訳者の加藤嘉一氏は

削除された部分を含む完全版原稿を入手。



・世界初公開となる台湾統一シナリオとはどのようなものか。

劉氏は本書で、

1861年に米国で起こった「南北戦争」を引き合いに出している。



・北軍がどのように国際世論を味方につけたのか、

戦略面で南軍をどう攻略したのか、

南北戦争の歴史が細かく分析され、

そのうえで台湾統一実現に向けた衝撃の戦略と戦術が明かされている。



・習近平強軍思想とは何か

解放軍の戦略新思考

強軍化事業への道



・習近平国家安全戦略の4大転換。

反台湾独立から祖国の完全統一へ。



・イデオロギー戦で打ち勝つために

新時代の中国が直面する8つの戦場 

世界一流の軍隊になるための戦略



・科学技術の振興こそが強軍化への近道。

富国強兵の鍵となる軍民融合。

世界一流軍隊建設の要は海洋にあり。



・21世紀の人民解放軍は国土内には留まらず







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◆外山尚之『南米。ポピュリズム大陸』を読み解く



★要旨



・南米大陸の現状は、

財政状況が危機的で通貨安が

深刻になりつつある中にも関わらず、

主要政党がそろって票欲しさのために

現金ばらまき策に走る、

というものだ。



・本書は日経新聞のサンパウロ支局長として、

2017年4月から2021年9月にかけ、

ブラジルを拠点に南米大陸各国で

取材してきた経験をもとに執筆している。



・スマホ1つで世界中の情報が手に入る世の中だが、

私は特派員として、

可能な限り現場におもむき、

現地の人々の声を聞くように心がけた。



・そこには既存の政治や社会に対する人々の怒りがあり、

絶望があり、

そして希望があった。



・中南米はかつて米国の「裏庭」と呼ばれ、

よくも悪くも米国の影響が大きい地域だ。



・言論面でも国内外問わず反米・親米といった、

イデオロギーに縛られがちだが、

それが現実に即していないことは明らかだ。



・ブラジルが誇る天然資源や広大な農地が持つ、

ポテンシャルは疑いようもない。



・鉄鉱石や穀物、食肉などの1次産品は

世界的にも高い競争力を有しており、

ロシアによるウクライナ侵攻で揺れるエネルギー市場でも

ブラジル深海油田産の原油の重要性は増している。



・IT産業でも世界中から投資マネーを取り込み、

ブラジル発のユニコーン企業が多数誕生している。



・問題は政治であり、社会であり、

それを構成する人々ある。

大きすぎる格差、政財界の汚職体質、悪化する治安。

課題そのものは何十年も前から

問われ続けている。



・日本に住んでいるとおどろしいニュースや、

映像ばかり飛び込んでくるブラジルだが、

実際に住んでみるとこれほど素晴らしい国はない。

人々は子どもたちに優しく、多様性に満ちている。



・カーニバルの時期になればサンバのリズムが

街角に鳴り響き、週末のサッカーの試合のたびに

街中が歓声に包まれる、

愛すべき人々が暮らすのが、ブラジルなり。



★コメント

やはり、南米は面白い。

訪れてみたい場所である。







◆保坂三四郎『諜報国家ロシア』を読み解く



副題→「ソ連KGBからプーチンのFSB体制まで」



★要旨



・本書は、なによりも自分のために書かれた。

私は2000年ごろ、モスクワに1年間留学した。

まだ20歳だった私は、ロシアでの体験に感化されて、

「ロシアかぶれ」となって帰国した。



・2014年、わたしは、

ロシア語やロシア政治・文化を教える教師、有識者が

ロシアの違法なクリミア併合を、

正当化こそしないが、ロシア側から見た歴史・文化的視点、

危険なウクライナ民族主義の台頭、

欧米諸国の「偽善」を持ち出して、

これを必死に相対化しようとする姿を見て

違和感を持った。



・免疫(予備知識)を持たない状態で

ロシアの研究やビジネスに取り組む若者が行き着く先は、

だいたい相場が決まっている。



・ロシアに対して、激しく抵抗し、

独立運動を繰り広げてきたウクライナ人は、

ロシアという国や人々を最も肌身で知っている。



・逆に、ロシアは、

ウクライナのことをほとんど知らない。



・1985年、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、

ブレジネフ期のソ連社会・経済の停滞からの

脱却を目指し、「ペレストロイカ」と呼ばれる、

改革を提唱した。



・ソ連の経済自由化にともない、

小規模な民間ビジネスが許可された。

貿易が開放されるにあたり、

チェブリコフKGB議長は、

対外経済活動の発展と両立できる防諜体制の

「抜本的なペレストロイカ」が必要であると説いた。



・ソ連では、

国家保安機関に勤務する者のことを、

「チェキスト」と呼んだ。



・そこで、東欧に駐留していたソ連軍が撤退すると、

軍内部で防諜に従事していたチェキストは、

ビジネス・貿易分野での防諜担当に

配属替えされた。



・1989年、クリュチコフKGB議長は、

チェキストが新しい民間の職業に習熟する必要性を訴え、

KGB内部では、経済・ビジネス専門の養成に力が入れられ、

若手には企業で研修を受けさせた。



・市場経済の仕組みについて幹部研修が行われ、

経済防諜を担当する第6局は、

闇経済の実態を詳細に分析した。



★コメント

やはり、ソ連やロシアの歴史は、

KGBや情報機関を抜きには語れない。






◆ムック『古今亭志ん生。落語の神様』を読み解く



★要旨



・彼が志ん生を襲名したのは、

昭和14年3月、すでに48歳だった。



・ようやく客をつかんだというときに、

戦争が烈しくなり、

世間はもう寄席どころではなくなったのである。



・敗色濃厚な昭和20年5月、

空襲の怖さから逃げるつもりで

「満州」巡業にくわわって、終戦を迎えた。



・それこそ餓死か凍死か、

というすれすれまで追い詰められて、

約1年半も帰国できない羽目に陥った。



・しかし、そんなときでも

志ん生は稽古を怠らなかった。



・昭和22年1月、

志ん生は、げっそりとして東京へ帰ってきた。



・志ん生が本領を発揮して

燃え上がったのは、それからである。



・芸界用語で、芸風が変わって

急に人気が出ることを「化ける」というが、

志ん生は、決して化けたのではない。



・彼は辛酸をなめつくして、

蓄えた力が溢れ出したのだ。



・志ん生は、71歳で脳出血で倒れた。

しかし、年齢など問題ではなかった。

医者に止められた酒も飲み続け、

あくまで自我をつらぬいて高座の上で生きようとした。

まさに、落語家・志ん生の真骨頂である。



・八方破れ、天衣無縫といわれたその芸は、

落語の世界というより志ん生の世界で、

あるいは志ん生が落語そのものであり、

志ん生の中にしかない落語の世界だった。



・志ん生は、本当に酒が好きだった。



・志ん生は、遅咲きの花だった。

ヨゴレになりかけて、

あまり面白くなかった志ん生の芸が、

一変したのは、

第二次大戦中の満州慰問をきっかけにしている。



・8月15日の敗戦で状況は一変する。

ひとことで言えば、

志ん生は、

満州で人間の生と死をしたたかに見てしまった。



・生きるためには何でもするという、

人間の醜さ、欲の深さ。

死ぬときには、あっけなく死んでしまうものだという、

世の無常。



・「生への断念」

ともいうべきものを、志ん生は見た。



・落語も含めて、人間の営みのすべては

そうした断念の上に

築かれているのだと悟ったとき、

志ん生の芸が、変わった。



・「うちのおとうちゃんは、

お酒を飲んでいるときばかりじゃない、

ひまなときも、公園にいったり、

神社に行ったりして、稽古をしていた」

(志ん生夫人・りん)



・いつも稽古ばかりしていたというのは、

息子の志ん朝からも聞いたことがある。



・「いよいよ苦しくなって、

これじゃいけねえと思ったら、

旅にでるんですよ。ドサ回りですよ」(志ん生)



・ひとりで日本中をドサ回り。



★コメント

志ん生伝説は、数多くある。

まだまだ読み込みたい。