受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -8ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

今日は、先日Facebookに投稿した記事を転載します。


勉強系ではないですが、かなり大事な内容だと思っています。


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最近はとにかくプログラムに参加してくれている人たちと会っている。


で、とにかく話を聞いている。


その中で思うことは、自分をさらけだしてもいいんだ、という安心感がないと人は自分を出せないということ。


で、そんな本来の姿を出していない「自分」を受け入れてもらったって、本当の意味で受け入れてもらえた感覚はない。人とのつながりは感じられない。


いつも自分を守り、隠すことに精一杯になってしまう。


で、その守り隠したい自分は、自分自身が受け入れられていない自分だったりする。


さらけ出していいという安心感の中で、今まで「受け入れてなんかもらえない」と思っていた自分を出し、受け入れてもらう。そんな経験する。


すると、自分のことを愛することもできるようになっていく。


自分を受け入れられるようになるから。


自分でいいんだ、と思えるようになるから。


でも、大抵の人間関係は「守り隠した」自分が受け入れられているに過ぎなくて。


だからこそ上辺だけで、その関係が当たり前だから、相手を受け入れようとも思えない。


結果、人に無関心になったりする。そうやって周りに人はいるのに、精神的に孤立していったり。


本当の意味で受け入れてもらえた経験をすると、なぜか人のことも受け入れたいと思うようになってくる。


結局大事なのは、その連鎖なのかなとも思う。


受け入れ、受け入れられ、の連鎖。そうやってつながっていくこと。


その連鎖の中にいると、なぜか誰かのことを想う気持ちも強くなって、頑張りたいと思うようになってきたりする。


頑張る目的が、以前とは違うものになったりして。


頑張る理由も変わってくる。のかな、と思う。


今週もオフ会。最近は、「受け入れてやるぞコノヤロ」とか思ってる。笑

朝からサッカー観てました。負けてしまいましたね。残念です。


色々思うことはあるのですが、その一部はfacebookに書きました。


で、ブログでは全然関係のないことを。笑


えっとですね、今、思ったことなのですが、


やりたいことがあるとかないとかっていうことがありますよね。


で、7月22日発売の本にも書いたのですが、


多くの場合、やりたいことがないというよりも、やりたいことをやりたいと思うことに対する恐怖というか、


やりたいことをやれると思えていない部分があるんじゃないか、と思うんですね。


やりたいことをやれると思えない。


例えば、自分でビジネスがしたいなーとふと思ったとしますよね。


自分で仕事を創りたい、と。


でも、それを実際にやって実現する人って少ないわけですよね。


何で少ないかっていうと、そもそもやらないからです。


チャレンジして失敗するというよりも、そもそもチャレンジをしていない。


そういう人が大半なのではないかな、と。


思いを持っても、やれると思えないからそもそもやらないわけです。


で、やれないという範囲がどんどん広がっていくとします。


どんどん広がって、次第に「やりたい」の範囲まで浸食してくるわけです。


やりたいが、できないに浸食される。


で、やりたいことがない!と悩んだり。


やりたいことがない、というのはやりたいことをやりたいと素直に思えない、ということなのかもしれません。


それは、例えば過去に何かに失敗して傷ついてしまったり、


自分にはできないんだ、と人生のどこかで感じてしまったり。


スネ夫アイデンティティになってしまったり。


自分の望みに対して卑屈になってしまうんです。


どうせできない。という感じで。


で、それがあまりにも自動化されてしまっていて、


自分の望みに制限をつけるわけですね。


もう、それが当たり前の前提として制限がかかっている。


その制限の中で自分の望みを考えてる。


だから、本当はどうしたい、ということが見えてこないわけですよ。


一瞬見えたとしても、「いやあ、でも、やっぱりできないよなあ」となっちゃう。


だから、エネルギーも湧かないんです。


純粋で素直な状態だったら、できるかどうかをことさら気にせず、


「うおー!やりてー!」とか、「ほしー!」とかなるわけです。


で、がむしゃらに突き進む、みたいな。


でも、今はそうやって突き進んでいく人は少なくて、考える人が多いですよね。


何で考えるか?


不安だからです。できるかどうかか。


あとは、なぜかモチベーションが上がらないから、「これじゃないのかな?」と思っているんです。


「これ」という欲しいものが見つかったらエネルギーが出ると思っている。


でも、なぜ根本的にモチベーションが上がってこないかというと、


自分にできるかどうか疑いを持っているからなんじゃないか、と思うんです。


自分を疑っているから、自分の望みまで疑っちゃう。


あれこれ考えちゃう。


あれこれ考える必要がある。


で、こういう話をしていくと、行き着く先は


自己愛


になってくる。


自分を信じられるか。


自分ならできると思えるか。


できると思えたら、人はやります。


できるかどうか不安だから、尻込みするわけです。


例えば、勉強していて悪い結果が出たらやる気なくなりません?


なぜです?


「できない」という思いが頭をよぎったからじゃないですか?


できることへの疑いが芽生えたからじゃないですか?


で、そこで「いや、ここで失敗して良かった。そのおかげで成長した。これでいい」と思えたら、やる気回復しません?


なぜです?


大丈夫、できるぞ、と思えたからでしょう。


人はできると思えたらやる気が出て、できないと思ったらやる気を失います。


で、そのできるできないの考えは、ある意味自分で選択するもの。


最初から決まっているものじゃありません。


全ては自分で選択し、自分で決めるものです。


やってみないと分からない。


だから、できると信じることが大事なのです。


そして、自分の状態について正確に認識すること。


現状を把握すること。


この現状把握ができていないと、改善の方向も変わってきますから。


で、多くの人は自分を知らない。


自分に気づいていない。


だから、どうしていいか分からないのです。


ちょっと長くなってしまいましたね。


今日はこのへんにしておきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

結果を怖れて何もできない。


よくあることです。


で、スポーツの世界などでは「結果が全て」ということが言われますし、


結果が力を持つ世界は実際に存在するでしょう。


結果、大事です。


しかし、もしも、結果に縛られて行動できないでいるのなら。


結果に縛れて動けないでいるのなら。


結果に縛られて「生きる」ことができないでいるのなら。


結果のことを考えずに一歩踏み出すことが大事だろう、と思うのです。


私たちは、ビビっています。


上手くいくかどうか。


失敗しやしないか。


笑われやしないか。


損するんじゃないか。


何か言われるんじゃないか。


ビビってます。


いつも。


でも、人生において本当に大事なことは何?


それは、「生きる」こと。


失望や、悲しみ。喜びや、栄光。


あらゆる感情を感じながら、躍動して、生きること。


そこで何を「感じるのか」が大事なのです。


「生きる」という意味においては。


だから、結果にビビって何もできないでいるのなら、


結果のことなんて忘れてしまえ。


上手くいかなくてもいい。


失敗してもいい。


笑われてもいい。


バカにされてもいい。


傷ついてもいい。


大事なことは、やりたいことをやりたいようにやること。


好きなように生きること。


結果に縛られない。結果に縛られて、自分を縛らない。


大事なことは、何かを感じられる一歩を踏み出すことなんだから。


結果を忘れて、今に集中する。今に生きる。


その結果として、結果も出るから。


笑われたっていいから、やりたいことをやろう。


やりたいようにやろう。


失敗を怖れてビクビクして、何もやらずにいたら、


知らない間に年取って、できなくなっちゃうよ?

自分を認めたり、大事にできないと、「どうせ」という言葉を使ってしまうようになります。


どうせできない


どうせ俺なんて


どうせ私には才能がないから


という感じで、すねてしまって、いじけてしまうのです。


自分自身に対して。


で、周りが「才能に溢れていて」「楽して何でもできて」というストーリーを勝手に作り上げて、


悲劇の主人公、悲劇のヒロインになってしまいます。


自分は可哀想な奴で、自分だけが不幸で。


で、自分がその「悲劇の」であることをアイデンティティにします。


すねて、ひねくれている自分が、「自分」になってしまう。


だから、周囲が「お前はできる」とか「やってみなきゃ分からない」といくら言っても、


大抵は無駄に終わってしまいます。


なぜなら、その「すねている」自分がアイデンティティだから。


「いやいや、でも…」


「んなことねえし」


と、認めているのになぜか怒ってたり。


むしろ、後押しをする人がその人にとって「優秀な」人であれば、


「お前だからだろ」「いいよな、お前はできるから」となっちゃう。


そこでもすねちゃう。のです。イライラしちゃう。


すねることをやめてしまったら、今までの自分を「情けなかった」と認めることになります。


そんなことはできません。


今までの自分を否定することは一番嫌なんです。


実は、「できる」と思いたくない。


「やってもできない自分」でいたい。


だから、その証拠を色々と見つけ出します。自分から探します。


で、「ほうら、やっぱり僕には才能がないでしょ。上手くいく人は才能のおかげでしょ」と自分を納得させます。


で、周囲がそんなことないよ、と言うとその必死で探してきた証拠たちでアピールしてしまいます。


全部、結局はすねて、いじけてしまっているだけ。


でも、ホントはどっかで「できるんじゃないか」とも思っている。


ホントは「欲しい」ものがある。


周りに自分が知っている自分の良さを本当は知って欲しい。


それを、すねることでアピールしている感じ。


例えば、子供たちでもそういう子っているじゃないですか。


お母さんにかまってもらえなくて、「もういいもん!」みたいな感じでいじけている子。


女の子で、好きな男の子にかまってもらえなくて「知らない!嫌い!」とすねている子。


その子たちの本当に気持ちって何でしょう?


本当は好き


でしょう。


好きだから、すねるんです。欲しいから、いじけるんです。


大事なことは、その好きだという気持ち、欲しいという気持ちに素直になること。


いじけてないで、すねてないで。


自分のその気持ちを大事にしてあげること。


その自分の気持ちを大事にするとは、前に向かってみることです。


周りの人なんてどうでも良くて、


ただ自分が欲するもの、好きだと思うものに素直になること。


いじけてないで、すねてないで、行動を起こすこと。


前に進んでいくこと。


できるできないじゃなくて。


「どうせ」とか言ってないで。


別に人より要領が悪くてもいいし、人より時間がかかってもいいし、


失敗したっていいんです。


失敗したっていいから、自分の本当の気持ちを大事にしてあげましょう。


それだけで、人生は少しずつ前に進んでいきます。


それでは、今日はこのへんで。

昨日は大阪でプログラムの子たちと映画を一緒に観て来ました。


まー、気づきの多い映画というか。映画について一緒にシェアして話すことでたくさん感じることがありました。


で、対話の中で感じたことを今日も。


例えば、人から認められていない、と感じたとします。


何でそう感じるか。


一つには、自分が自分を認めていないからなんですよね。


結局、そこかな、と。


自分が自分を認めていないから、他者から認められることが必要になる。


他者から認められることが必要になると、どうなると思います?


なんかね、色々『複雑』になるんです。


考えすぎる。考えすぎることが必要になる。


例えば、誰かと会話するとするじゃないですか。


じゃあ、自分の発言に「価値」があるのかとか考え始めたり、


的を射ているのか、バカだと思われないか、大丈夫なのか…


色々、考え始めるわけです。


そうすると、


話せない。自然になれない。力が抜けない。ぎこちない。


その結果として、あまり人間関係が上手くいかなったり。


で、多くの人はそこで「会話のスキルが…」とかっていう話になるわけですけれど、


問題の本質は、自分が自分を認めていないこと。


なのです。


自分が認めていないから、認められていないように感じる。


認められていない「証拠」を集め始めます。


そこで他人から認められたって、それって一時的なことで。


だって、自分のことを認めない人なんて世の中にたくさんいるんです。


それは、世の中には自分自身を認めていない人だらけだから。


自分を認めない人は他人を認めません。


自分の弱さを許せない人は、他人の弱さを許せない。


自分がどうであるかとは関係なく、認められないことなど普通にあるし、


それは自分の問題ではなく、相手の問題なのです。


相手がその人自身を認められていないから、人のことを認められず攻撃したり妬んだりしてしまう。


で、それって相手の問題だから、自分にはどうしようもなくて。


その自分ではどうしようもない相手の評価を求めて生きたって、


つらいよね、という話で。


だってどうすることもできないんだから。


話を戻して、


何で人から認められることが「必要」になっちゃうかというと、


自分が自分を認めていないからなのです、ということです。


今日も、これからカフェセッションがあります。


最近、多いですよね。笑


そこでも、直接色んな話を聞きながら、個別にその子に合わせた形でこんなことを伝えたいと思ってます。


では、今日はこのへんで。

昨日は新幹線で東京に行き、今は大阪で、これから仲間たちと一緒に映画を観てきます。


かなり楽しみです。


こうやって最近は人に会いまくっているわけですけれど、そこで感じることがあります。


それは、「安心できる空間」の重要性です。


僕らって、生きている間に色々と『ダメ出し』されてきたと思うんですね。


お前のここがダメ


お前は○○が足りない


そんな自分には価値がない


といった感じで。


何か頑張らないと価値がない、という思いを抱かされるようになった。いつからか。


そうなると、価値ある自分になるための努力が始まります。


価値のない自分が価値ある自分になるための努力。


人と接するときもそう。


頑張らなければならない。良い子で、気を遣って、相手の表情を見て、機嫌を伺って。


そうやっていると疲れます。


いつも気を張っていなければならないし、ボロが出てはいけないと思うようになる。


休めないし、動いていないと不安だし、人が頑張っているのを見ると急かされた気持ちになる。


その状態って、何か絶対的な安心感、つまりは自分に対する自信、確信がない状態だと思うんです。


だから、不安がなくならない。


人と自分を比べる。


相手の言動が気になる。


逆に、自分のことを認めた上での成長って、もっと楽しいんですよね。


ワクワクする感じ、喜びを追い求めている感じ。


できるできないより、「やりたい!」が主体になる感じ。


で、そうやって楽しんでやっているから行動量も上がって、上手くいく。


日々が楽しい。


で、どうやったらそうなれるかって考えていたのですが、


一つは、今の自分をそのまま認めてもらえる「場」の存在が大事、と思うようになったんです。


自分を認めてくれる人の存在。


そこがあるから、絶対的な信頼感の中で生きていくことができる。


今の自分を認めてもらえることで、自己肯定感、自己愛が増す。


自己肯定感が増すから、より大きな目標を抱げてみたくなる。


そういうことだと思うんです。


今、多くの人は自分を責めています。


で、自分が責めているポイントを人の中に見出して、その人のことも責めます。


問題を見つけて、非難したくなってしまいます。


結果、言われた方も、自己評価が下がります。


ダメな自分、問題を持った自分、という自己イメージを持つようになり、


だからこそ人と比べ、優越感を感じるための努力が始まります。


優越感を感じるための努力って、余計自己否定を強めてしまったりするものなんですね。


自己否定を強めていくと、自分のことを信じられないので実は行動量も減ります。


別にそれが「悪い」ということではなくて、そういうものだということ。


そういうことを考えると、


やはり自己肯定感、自己愛を高めるということが大事だと思うのですが、


それには「今の自分を認めてくれる他者の存在」が重要だ、と気づいたんです。


だから、最近はプログラムに参加してくれる人たちとかなりの頻度で会っていて、


事実、会う頻度の高い人ほど変化が大きいんですよね。


これは絶対的な確信を持って言えること。


だから、これからもどんどん会っていこうと思っているし、


会う機会を作っていきたいなーと思ってます。


もし都合合えば、一回会いに来てみて欲しいな、とも思います。


で、そういうこともあって今日も仲間たちと映画を観に行ってきます。


もうあと30分くらいで時間なんで、今日はこのへんで。


では!

メルマガで公開した音声、ブログにも載せておきます。


かなり好評の音声。


感想メールも色々といただいています。


この「判断」っていう部分はあまり言われないところですけれど、かなーり大事です。


判断の力がないと、効率は上がらないし、「勉強したフリ」になってしまいますから。


聴いてみてくださいね。


音声『勉強の質を高めるための「判断する」技術』


で、昨日もメルマガ書いたのですが反響大きかったです。


結局、みんな色々と「やらなきゃいけない」という制約の中で物事を考えてる。


だから、なんか窮屈。


窮屈な感覚。発散できない感覚。エネルギー使えてない感覚。モヤモヤ。


今の時代、そういう部分があるかなって思ってます。


やりたい!と思っても、そこでモヤモヤ考え込んでしまったり。


ジャッジしちゃうんですよね。


「これ、やりたいって思っていいのかな…」とか。


「こんなことやりたいと思ったら成長できないじゃないかー!」とか。


成長って何なんでしょうね。


成長したいって意欲があったとして、何を持って成長と呼ぶのか。


楽しいことやっていたら成長できない、とかいう思い込みもありそうですが、


ホントかな。


昨日のメルマガの反響なんか見ていても、何か窮屈なんです。


思考とか、思い込みとか、色々あって。


もっと自由に、ハツラツと、楽しんで生きてもいいんじゃないかと思います。


まあ、ギリシャに引き分けて元気ないですけどね、今。


全然ハツラツとしていません。笑


ギリシャ戦終わって、何か意気消沈して、そのまま寝転がって寝てやりました。


で、ダラダラと起き出して、ちょっとやる気出たのでブログを書いてるわけです。


岡崎1トップとか、やったことないじゃん。調子悪かったじゃん!とか色々思ってます。


まあ、仕方ない!!切り替え!


コロンビア戦も応援します。


で、今日この後東京行かなきゃなのです。


来週もオフ会で行きます。


自由気ままに移動しております。


来週の東京オフ会が楽しみすぎてヤバイなーと思ってます。


仲間たちが集まるっていうのは最高ですね。


では、今日のブログはこんな感じで。


音声、聴いておいてください!


音声『勉強の質を高めるための「判断する」技術』

最近、何年も前からブログを読んでくださっている方からメールをもらったりコメントもらったりしています。


で、そういう方は感じると思うのですが、私の言っていること、考えていることも変化してきているはず。


それは当然で、もしも私が5年前と同じことを言っていたら、何の成長もないということ。笑


それはちょっと恐ろしいですよね。


例えば、本を書いている人の本を読んでみても、何年か前の本と今とでは言っていることが変化しています。


まあ、それは当然のことで。


個人的には、すでに1ヶ月前より考えが進化しているし、もっと言えば昨日と比べても少しずつ進化していっています。


進化というか、深化と言った方が正確かな。


人間の成長が終わることなどはなく死ぬまで成長し続けるもので、


だから変化を怖れることはないし、これまで信じてきたことを手放すことを怖れる必要もありません。


昔は、個人主義的なところが強かった部分がありました。


ただ、今、大切な仲間の存在ができることによって、人とのつながりを大切にしていきたいなーなんて思ってます。


かと言って、いつも一緒にいるとかではないんですけどね。


そういうのは、できません。


だって、やりたいことがあるから。


寂しさを紛らわせるために群れる、というのは根本的にはできなくて、


大切な仲間と会うのも月に1回とかそのくらい。


それでも別に寂しいとは思わない。何となく、心の中にいる気がするというか、


つながっている感覚はあるから。


そういうのが今はすごく心地よいです。


とは言え、プログラムに参加している子とは月2回ペースくらいで会っていて。


今週も映画一緒に観に行って、カフェセッションもあるし。


昔より確実に、人とのつながりは濃くなってきていますね。


で、さらに変化したことと言えば、


強がらなくなったこと。強がる必要性を感じなくなったこと。


てか、邪魔なんですよね。強がることって。


強がったり、格好つけたり、壁を作ったり。


そういうのは、人とつながる上で邪魔なんです。


人とつながりたいという思いがあって、邪魔なものがある。


じゃあ、その邪魔のものを手放してしまいたいと思うのは当然のことで。


だから、力を抜くようになりました。


もっとあるがままでいよう、と思うようになりました。


強がって、自分の強さをアピールしたって、それで人との距離を遠くしたのなら、


何のためにその強さはあるのか分からない。


でしょう?


だから、そういういらない思いを手放す。邪魔。ポイ。


で、身軽になっていく。


そんなことを今はしているし、もっともっと身軽になっていきたいと思うばかり。です。


このブログでも色んな自分を思いとか、もっと赤裸裸に書き綴っていきたいと思ってます。


これからもよろしくです。


あー、明日のギリシャ戦が楽しみ。勝て、ニッポン。


それでは。

先日紹介した加藤秀視さんの著書「自分を愛する技術」を読んでくださった方から、たくさんメールをいただいています。


わざわざ送っていただき、ありがとうございます。


最近はそういったメールばかりが本当にたくさん届き、私自身の活動する力になっています。


「加藤秀視さんの「自分を愛する技術」、読みました。


もう、・・・号泣でした。


ティッシュが、机の上で、山のようになりました。


本を読んで泣くなんて、おそらく10年ぶりくらいです。


両親の愛をはじめて深く感じました。


潤さんとこうして関わらなければ、絶対に手にとっていないであろう本です。


素敵な出会いをくださって本当にありがとうございました。」


「すばらしい内容の本でした!


本を紹介してくれたこと、ならびにこのプログラム(Self Training Program)をおこなってくれている潤さんに感謝の言葉をメールながら送らせていただきます。


ありがとうございます!


プログラム、加藤さんの本を通じてもっと愛について知り、広めていけるヒトになりたいと思います!」


「池田さんが紹介されてた【自分を愛する技術】を先日読了しました!


素晴らしい本でした。現在の自分の悩みの苦しみが、吹っ飛んでいくようでした。


本を読んでから、自分の根本的な考え方が変わった気がします。


完全に自分のものにしたいと思います。私は、変わりたいです。


池田さんのブログやメルマガ、YouTubeにもいつも励まされてます。


私自身も、大学受験で自宅浪人を一年間経験し第一志望の大学に入ったんですが、池田さんの考え方がものすごく好きです。


また、転機があったときにぜひメールさせてください。


いつもいつも発信ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!!」


また、こんな声も…。笑


「加藤さんの書籍を読んでいるときの話です。


主人公の青年(彗さん)が池田さんとダブってしまい、今読んでいる本の執筆者は「池田潤」ではないか?と。


書籍の表紙や背表紙の執筆者を2-3度、実際に確認したほどです(本当です、笑)」


ともかく、多くの人にこの本が届いていることを心から嬉しく思います。


今、多くの書店でランキングにも入ってきているようで、1週間で増刷2回とかなり売れているみたいですね。


こういった良い本はどんどん売れて、多くの人に届くべき。


と思っています。


まだ読まれていない方はぜひ。


今の時代、とにかく自己否定してしまう、自分を責めてしまう。その結果、自分がしたいことができない、望みを持てないという人が本当に多いです。


周りの評価なんか関係ないのに、気にしすぎてしまったり。


自分を愛していなければ、周りが自分を愛してくれているかどうかがいつだって気になります。


でも、周りに愛されるために何かをするのであれば、それは周りの価値観に従って生きるということ。


周りに愛されるために何かをするのではなくて、周りを愛するために何かをする。


その方が、よっぽど人生は上手くいきます。


自分への愛は、他人への愛に必ず繋がっていきます。


繋がっていかないことがあるとすればそれは、自分に恋しているだけなのに愛していると勘違いしているだけ。


恋と愛は違います。


で、何度も言いますが、いつも自分にしていることは人は他人にもしてしまう。


自己否定している人は他人を否定します。


他人が誰かを否定しているとき、それは「その人はいつも自分を否定している」ということを意味しているに過ぎません。


そして、その他者否定が自分を傷つけていることに気づけない。


脳は「主体」を認識することができません。


「あいつはダメ」と言ったとき、「ダメ」だけがイメージとして残るんです。「あいつ」は抜け落ちます。


だから結局、「自分はダメ」と言っているのと同じなんです。


自分で自分を攻撃し、自分で自分を延々と傷つけ続けることになってしまいます。


逆に、自分を愛すれば他人を愛することにもつながっていくというのも、同じこと。


自分を愛せない人は他人を愛せない、とよく言われますが、そういうこと。


「愛」という概念を自分に持っていないということは、それを他人に対して行なうこともできません。


ということは、自己愛がなければ人と心からつながっていくことなどできない、ということです。


と、こんな感じでどれだけ大事な概念か、ということが分かると思います。


まだの方はぜひ、手に取ってみてください。


このブログを読んでくださる方、メルマガを読んでくださる方の人生が少しでも良くなっていけば嬉しいです。


いつもお読みいただきありがとうございます。


メールとか、ホント嬉しいです。


では。

最近は毎日のように応援メール、感謝メール、報告メールが届いていて本当に嬉しいです。


オフ会で仲間たちと会うこともでき、多くの人とつながって、最近は良いことだらけだな、と感じています。


基本的に、ネガティブなことがない。


全ては自分の心の在り方次第で、幸せを感じるかどうかは状況ではなく、自分の在り方。そうであるからなのですけれど。

で。


急に話変わりますけれど、何となく私が大事だと考えている勉強法についてまとめたくなったので、まとめていきます。


よく分からないものもあると思いますが、押さえることができているかチェックしてみてください。


「形式と実質」

「なぜ思考」

「抽象化」

「意識的学習」

「基準の高さ」

「合格基準」

「当たり前レベル」

「勉強したフリからの脱却」

「目的思考」

「手段を目的化しないこと」

「反復周期」

「マシンガン×ショットガン」

「攻撃&守備のバランス」

「自問自答」

「思考の深さ」

「肉体(運動・食事・睡眠)」

「環境」

「自己愛」

「実感」

「小さな一歩」

「集中・成長・前進・興味」

「刻み込む」

「絶対的難易度」

「在り方」

「現実の創造」

「言語化」

「心の筋肉」

「逆境ウェルカム」

「自己信頼」


などなど。


まだまだごく一部ですが、今挙げたものはやっぱ大事だよなー、と思っています。


チェックリスト的な感じで捉えていただいてもいいかな、と。


ただ、細かいことを言い出すと、この100倍以上は言わないといけません。


かなり大雑把にまとめてみました。


去年のプログラムではその100倍以上のことを1年間かけて教えていた感じですね。その結果、国公立医学部や京大などの旧帝大、早稲田などの難関私学にも合格者が出ました。


今年は、本の執筆などその他の活動がありすぎて、受験プログラムまで手が回っていません。


で、本当にたくさんのお問い合わせ、メールをいただいており、そのご期待に沿えずで本当に申し訳ありません。


悲痛にも似たメールがかなり寄せられていて、やらなくては、と思うのですが、、、


私自身の次なるステップ、さらに3冊目の本の執筆も控え、できるかどうか分からない状況です。


やれるのであれば今すぐにでもやりたいのですが、


ただ、中途半端な状態で行なうことはできない、と思っています。


受験プログラムやるのって私も相当にエネルギーを使います。去年とかもやばくて。秋からは無限メール相談も始め、実は疲労困憊の状態。笑 


4月から本の執筆も始まり、そのタイミングの問題もあって受験プログラムはやらない方向で来ました。


で、やるとなると私も全力投球する必要があって、当たり前ですが手を抜くことはできない。


基本、一人でやっているので。


ということを考えると、指導のみに全力で当たる環境が必要なのですが、残念ながら今はその環境にないのが現状です。


私自身、周囲の声もあって、次なるステージに着々と進んでいるところです。


もっともっとより幅広く、多くの人とつながっていく、貢献していくために。


発信とか見てもらっていると分かると思うのですが、もはや受験生だけに留まるものではなくて。


現在、30代40代、もっと言えば60代の方までこのブログを読み、メルマガを読み、お医者さんやお坊さんまでプログラムに参加してくださっていたりします。


その状況の変化からも私自身、どんどんやることの幅を広げていき、ガンガンいこうと思っています。


なので、本当にたくさんの受験プログラム始動のお願いメールをいただいているのですが、今はどうなるか分からない状態です。


しかし、ブログやメルマガを通じてできることはやっていきます。


先ほどのチェックリストの詳細などについても書いていきます。


なので、役に立つ部分があれば、役に立てていって欲しいと思います。


昨日も「受験プログラムをやって欲しい」というメールをいただいたので、このことについて触れさせていただきました。


ご理解のほど、よろしくお願いします。


それでは、今日はこのへんにしておきます。


あと昨日、大学生になった子からメールが来て元気にやっているようで嬉しかったので、過去の合格者の声なんかも載せてしまいます。笑


「東京大学合格!


現在、東京大学文科3類に通っています。昨年の3月10日に合格しました。そうです。私もまた、潤さんのおかげで最後まで戦いぬけた者の一人なんです。
 
当時の手帳には潤さんのブログの言葉をメモしまくっていました。それを励みに自分を鼓舞して信じました。単調で苦しい毎日。潤さんに支えてもらいました。本当に、本当に、ありがとうございました。
 
後悔しない人生。自分の感情に責任をもって、人生に責任を持って、幸せのために自分で努力しよう。変化する勇気をもとう。そして大切な仲間に囲まれて、かけがえのない人のために何か手を差し伸べられる自分になりたい。そう強く思いました。
 
お礼が遅くなり申し訳ありません。潤さんに支えられている人はすごくたくさんいます。私もその一人です。会ったことは一度もないのに、全然そんな気がしません。おもしろいですよね。これからも潤さんも、潤さんの読者も、そして私もみんなが自分が望むような人生を送れることを祈っています。
 
最後までお読みいただき、貴重な時間をありがとうございました。」


「慶應義塾大学合格!


本日、慶應義塾大学に合格しましたので報告します!!
 
私は一浪の女の子ですが、地方国立大の一年生でもあります。


高校入学後、両親には地方国立大以外は受験しないように厳しく言われ続けた結果、現役で地元の国立大に入学することになりました。


しかし私は慶應義塾大学を志望していた上、受験すらできなかったことを非常に後悔しました。


大学入学後も後悔の気持ちがとても強く、無気力な状態が続いていました。気持ちもどん底でした。


そんな時に潤さんのブログと出会ったのです。本当に衝撃的でした。


両親と衝突して辛いこともありました。浪人することが決まって塾に行かずに宅浪することになった後、一人で寂しい気持ちでいっぱいでした。しかし潤さんのブログを毎日読んでたくさんのことを学びました。


潤さんのブログから学んで今後の私の人生をもっと輝かせたいと思います!!本当にありがとうございました!!!」