自分を認めたり、大事にできないと、「どうせ」という言葉を使ってしまうようになります。
どうせできない
どうせ俺なんて
どうせ私には才能がないから
という感じで、すねてしまって、いじけてしまうのです。
自分自身に対して。
で、周りが「才能に溢れていて」「楽して何でもできて」というストーリーを勝手に作り上げて、
悲劇の主人公、悲劇のヒロインになってしまいます。
自分は可哀想な奴で、自分だけが不幸で。
で、自分がその「悲劇の」であることをアイデンティティにします。
すねて、ひねくれている自分が、「自分」になってしまう。
だから、周囲が「お前はできる」とか「やってみなきゃ分からない」といくら言っても、
大抵は無駄に終わってしまいます。
なぜなら、その「すねている」自分がアイデンティティだから。
「いやいや、でも…」
「んなことねえし」
と、認めているのになぜか怒ってたり。
むしろ、後押しをする人がその人にとって「優秀な」人であれば、
「お前だからだろ」「いいよな、お前はできるから」となっちゃう。
そこでもすねちゃう。のです。イライラしちゃう。
すねることをやめてしまったら、今までの自分を「情けなかった」と認めることになります。
そんなことはできません。
今までの自分を否定することは一番嫌なんです。
実は、「できる」と思いたくない。
「やってもできない自分」でいたい。
だから、その証拠を色々と見つけ出します。自分から探します。
で、「ほうら、やっぱり僕には才能がないでしょ。上手くいく人は才能のおかげでしょ」と自分を納得させます。
で、周囲がそんなことないよ、と言うとその必死で探してきた証拠たちでアピールしてしまいます。
全部、結局はすねて、いじけてしまっているだけ。
でも、ホントはどっかで「できるんじゃないか」とも思っている。
ホントは「欲しい」ものがある。
周りに自分が知っている自分の良さを本当は知って欲しい。
それを、すねることでアピールしている感じ。
例えば、子供たちでもそういう子っているじゃないですか。
お母さんにかまってもらえなくて、「もういいもん!」みたいな感じでいじけている子。
女の子で、好きな男の子にかまってもらえなくて「知らない!嫌い!」とすねている子。
その子たちの本当に気持ちって何でしょう?
本当は好き
でしょう。
好きだから、すねるんです。欲しいから、いじけるんです。
大事なことは、その好きだという気持ち、欲しいという気持ちに素直になること。
いじけてないで、すねてないで。
自分のその気持ちを大事にしてあげること。
その自分の気持ちを大事にするとは、前に向かってみることです。
周りの人なんてどうでも良くて、
ただ自分が欲するもの、好きだと思うものに素直になること。
いじけてないで、すねてないで、行動を起こすこと。
前に進んでいくこと。
できるできないじゃなくて。
「どうせ」とか言ってないで。
別に人より要領が悪くてもいいし、人より時間がかかってもいいし、
失敗したっていいんです。
失敗したっていいから、自分の本当の気持ちを大事にしてあげましょう。
それだけで、人生は少しずつ前に進んでいきます。
それでは、今日はこのへんで。