昨日は大阪でプログラムの子たちと映画を一緒に観て来ました。
まー、気づきの多い映画というか。映画について一緒にシェアして話すことでたくさん感じることがありました。
で、対話の中で感じたことを今日も。
例えば、人から認められていない、と感じたとします。
何でそう感じるか。
一つには、自分が自分を認めていないからなんですよね。
結局、そこかな、と。
自分が自分を認めていないから、他者から認められることが必要になる。
他者から認められることが必要になると、どうなると思います?
なんかね、色々『複雑』になるんです。
考えすぎる。考えすぎることが必要になる。
例えば、誰かと会話するとするじゃないですか。
じゃあ、自分の発言に「価値」があるのかとか考え始めたり、
的を射ているのか、バカだと思われないか、大丈夫なのか…
色々、考え始めるわけです。
そうすると、
話せない。自然になれない。力が抜けない。ぎこちない。
その結果として、あまり人間関係が上手くいかなったり。
で、多くの人はそこで「会話のスキルが…」とかっていう話になるわけですけれど、
問題の本質は、自分が自分を認めていないこと。
なのです。
自分が認めていないから、認められていないように感じる。
認められていない「証拠」を集め始めます。
そこで他人から認められたって、それって一時的なことで。
だって、自分のことを認めない人なんて世の中にたくさんいるんです。
それは、世の中には自分自身を認めていない人だらけだから。
自分を認めない人は他人を認めません。
自分の弱さを許せない人は、他人の弱さを許せない。
自分がどうであるかとは関係なく、認められないことなど普通にあるし、
それは自分の問題ではなく、相手の問題なのです。
相手がその人自身を認められていないから、人のことを認められず攻撃したり妬んだりしてしまう。
で、それって相手の問題だから、自分にはどうしようもなくて。
その自分ではどうしようもない相手の評価を求めて生きたって、
つらいよね、という話で。
だってどうすることもできないんだから。
話を戻して、
何で人から認められることが「必要」になっちゃうかというと、
自分が自分を認めていないからなのです、ということです。
今日も、これからカフェセッションがあります。
最近、多いですよね。笑
そこでも、直接色んな話を聞きながら、個別にその子に合わせた形でこんなことを伝えたいと思ってます。
では、今日はこのへんで。