受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -7ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

面白い漫画や映画、ドラマに欠かせないものって何でしょう?


色々と要素はありますが、一つには「チャレンジ」というものがありますよね。


もし主人公が勇者の剣を手に入れて、それを物置に入れてテレビばかり観ていたらどうでしょう。


「魔王?ああん、誰かが倒してくれるんじゃないの」と言い始めたら。


その漫画は面白くありません。


ある男性が素敵な女性に恋をして、いつまでも遠くから見つめているだけで、目が合ってドギマギするだけのドラマなんて観る価値ありません。


魔物を倒しに行く。女性と関わっていく。


そこには「チャレンジ」の要素があって、だからこそ面白くなるわけです。


では、自分の人生についてはどうでしょうか。


もし、自分の人生が面白くない。退屈。つまらない。


何となく自分の人生に倦怠感を感じている。


それはなぜか。


チャレンジ、という要素が欠けているからかもしれません。


ほんの少しのチャレンジを毎日に取り入れるだけで、実は日々はかなり楽しくなります。


惰性で生きればつまらなくなる。チャレンジを取り入れると面白くなる。


単純な話です。


例えば勉強一つ取ってもそうで、毎日の勉強の中に少しチャレンジの要素を入れてみるのも良いですよね。


時間制限を厳しくするとか、少し難しめの問題に一問だけ挑んでみるとか。


それだけで普段の勉強のスパイスになりますし、


大学生、社会人だったら、普段は会わない人に会う。


女の子をデートに誘ってみる。


普段は食べないものを食べる。行かない場所に行く。普段は観ない映画を観る。


結構きつめの筋トレをしてみる。


何でもいいのですが、そうやってチャレンジの要素を日々に取り入れてみてください。


そうすると、「何かをする」ということに対してプラスのイメージを持てるようになります。


そして、それを続けていくことで自分のエネルギーが高まってくるから、


どんどん行動力も増すようになります。


つまらない、退屈、エネルギーが出ないのは、どこかで「チャレンジ」を避けているから。


怖がっているから。


ビビっているから。


なのです。


で、怖がって何もしないのだけど、何もしないがゆえにそこには退屈な人生が待っている。


で、刺激的な人生を送っている人を羨んだり、妬んだりして、やいやい言いたくなったり。


自分の人生が最高に楽しければ、そんなこと考えることもないし、時間の無駄すぎてそうする気持ちが理解不能になります。


それくらいが正常な状態。


だって、今日これから好きな子とデートだとして、他人の人生のこと気になります?


ならないですよね。そんな暇はない。


もっと自分の人生に興味を持ちましょう。


自分のやるべきことをやりましょう。


チャレンジしてみましょう。


自分の人生が最高に楽しければ、マジで他人がどうとかどうでもよくなります。


それくらい、日々を楽しめばいいんです。


そして、そうやって自分の人生に一生懸命だからこそ、無駄な時間やエネルギーを使うことなく、


自分が望む毎日を手に入れることができるんですよね。


では、今日はこのへんにしておきます。


この記事を読んで、あなたがちょっとしたチャレンジをしてみることで、ほんの少しでも何か気づくことがあれば嬉しいですね。

これだけ豊かな社会の中で、「生存」することは誰にでもできる時代になりました。


生存する事が目的だった時代は、余計なことを考える必要もなく、


ただただ今を生きることができた。


だけど、今はそうじゃない。


生存が難しいものではなくなった時代で生存を目的に生きるとどうなるかというと、


無気力になります。


なぜなら、特に何もする必要がないから。


何もしなくても、今生きることはできているから。


もちろん、将来の不安などはあるかもしれませんが、そこまでリアルじゃない。


だから、将来のことを考えてあれをしておけばいいだろう、これをしておくべきだろうと考えたって、


なかなかできるものではありませんし、一時的にできたとしても続きません。


だから結局、することがなくなる。


人間にとって「することがない」というのは結構キツい状態で、


だからこそ多くの人が「やりたいこと探し」を始めるわけです。


で、


今の時代に必要なのは、生存を越えた目的、だと思っています。


生存を越えた、自分なりの目的。


その目的が何であるか、どこに向かうか、それは各人が決めること。


どう生きるかは、完全に各人に委ねられている。


自由。


自分の感覚に従って、自分の感性で、自分の人生を創っていけばいい。


でも、多くの人はそれをしないで、誰かの真似をしたり、常識にただ従ったりしています。


だから、「その人らしさ」と呼べるものが感じられなかったり、


その人が本来持っている魅力を全開で出すことができていない。


いつも遠慮している。


いつも伺っている。


いつも誰かの機嫌を損ねないように気を遣っている。


自分を押し殺している。


だから、生きている実感も湧かない。


何か、つまらない。


で、それが当たり前になっていたり。


自分の気持ちにさえ、不感症になってしまう。


自分が何をしたいのか分からない。何が好きで、何が嫌いか。


それすらも、分からない。


私自身は、ここまでの人生、自分のハートに従って生きて来たつもりです。


その結果、多くの人とは全く違う人生を歩むことになりました。


まさか25歳で本を2冊書くことになろうとは、という思いもあります。


でも、同時に、それが自分の望んでいたことだ、という思いもあります。


もしも自分が、自分を押し殺し、誰かの価値観や常識に流されるだけでいたならどうなっていたか。


それは誰にも分からないけれど、


今より楽しいということはなかっただろう、とは思います。


私たちは生まれ、そして死んでいきます。


いつかは死ぬし、それがいつかは誰にも分からない。


でも死ぬときに、自分の人生を生きて来なかったと感じることだけは嫌。


それじゃあ、何のために生まれてきたのか分からないでしょ。


他人の人生を生きたって、意味ないでしょ。


自分が感じたままに、自分なりの善悪で、自分なりの好き嫌いで生きていく。


そうやって生きれたら、そうやって生きているというただそのことだけで、


結構いい感じになります。


では、今日はこのへんで。


最近結構人に会っていたので、今日は一人静かに過ごしたいと思います。

今日は、先日facebookに投稿した記事を転載。


ここ最近自分のプログラムを通じて多くの人と関わり、感じたことを書きました。


<どんどんバレよう>


「昔から、見抜く力のある人が好きだ。


というのは、分かってもらえている感があるからだと思う。


見抜く人っていうのはいくら隠しても本質にあるものを見ているから、たとえ自分を偽ったって無駄なわけ。


さらけ出すしかない。


で、最初はそこに抵抗があったりするんだけど、でもすごく楽であることに後で気づく。


実は一番つらいのは、さらけだしていない自分で「上手くやれちゃう」こと。


で、最近の若い人はこの「上手くやれちゃう」能力にすごく秀でているように感じる。


それは、学校社会の厳しい環境の中で生き抜くために身につけたスキル。


仮面を被るスキル。


最近はいじめとか陰湿だし、生きていくために必要だった人も多いのだと思う。


でも、仮面を被ったままだと何か孤独だし、人を愛することも、自分を愛することもできない。


結果、人とのつながりは分断されて、分離感が強まって、個人主義的な思考も強くなってくる。


周囲への関心も低くなる。


逆に、自分への関心だけは強まる。


ただ、それも「どう見られているか」という自己防衛の意味での関心。


愛ではなく恐怖に基づいた関心。だから、いつでも不安。


最近自分がやっていることは、とにかく見抜くこと。


隠しているその人の本質を見抜く。


簡単ではないけれど、仮面をどんどんひっぺがしていく感じ。


で、ひっぺがしたその人をそのままで受け入れる。それでいいんだって受け止める。


自分も、そうやって隠していた自分を受け入れてもらったときに楽になれたし、変われたと思うから。


どんどん、見抜く人と一緒にいよう。


そして、隠しても無駄だということを実感しよう。


どんどんバレよう。


弱い部分も、ダサい部分も、どんどんバラそう。


そうしたらもっと自分を好きになれて、人のことも好きになれるから」

例えば、これから勉強し始めよう、と思うときに億劫になってしまったとします。


少し考えてみて欲しいのですが、


なぜ億劫になったのでしょうか?


「億劫」とか「面倒くさい」って一体どういうことなのでしょうか?


色々な言い方ができると思うのですが、


一つは「エネルギーを使うのが嫌」ということだと思うのです。


何かをする、にはエネルギーを使いますよね。


エネルギーっていうのは別に深い意味はなくて、


車を動かすのにガソリンを使うのと同じような意味合いです。


で、なぜエネルギーを使うのが嫌なのかというと、


エネルギーを使うことに良いイメージを持っていないから。


エネルギーを使うことに良いイメージを持っていない、というのは、


先日からの記事で言っている、「楽を幸福の根源にする」ということです。


楽を幸福の根源においていれば、


何かをすることは幸福ではない、ということになりますね。


多くの人の心理パターンはこれです。


何かをすることを損だと思っている。


できればしない方がいい。動かない方がいい。


エネルギーは使わない方がいい。


それが幸福である。


無意識レベルでそう感じているから、何かをすることにネガティブなイメージを持っている。


アクティブに、アグレッシブに動いている人を見て、


行動力があるなあ、すごいなあ、という風に感じることはありますか?


しかし、彼彼女らは別に頑張っているわけではありません。


「動くこと」が彼彼女らの幸福の根源になっているだけです。


だから、自然に動くのです。


それが当たり前で、普通で、当然のことなのです。


その心理的な違いがあるだけ、です。


人は心の持ちよう、心の在り方によって全く違う行動を取ります。


そして、全く違う人生を歩み始めます。


私はもっと人の心を解放したい。


もっと人が自由に生きられるように、なぜ上手くいかないか、何が自分のブロックになっているか。


そのことを伝え続けてようと思っています。


そうしたら、もっと楽しく満たされて生きることができるはずだから。


では、今日はこのへんにしておきますね。

人生が退屈な人、なぜか変われない人、結果が出ない人、突き抜けられない人。


そういう人には共通点があります。


昨日の記事とも関係しますが、それは


楽を幸せの根源だと思っていること


です。


人間は基本的に「快」に向かっていく生き物ですが、その快の根源、どこに快を求めるかによって人間の行動は変わり、


楽が根源になっている場合には、基本的にあまり動かないようになります。


動かないし、傷つくたくないし、失敗したくないし、笑われたくないし、嫌われたくない。


そう思っているとしたら、どうすることが最もベストな選択肢だと思います?


何もしないことです。


何もしなければ、何も起こりません。


楽です。


このことと関連して、


運転免許にはゴールド免許というのがありますよね。


免許を更新するときに、無事故無違反だともらえる栄誉ある称号です。


この間、免許の更新通知が来て、


私、知らない街を走っているときにナビに気をとられて一時停止すべきところでせず、


ピーポーピーポーとパトカーが近寄ってきて、違反してしまったんです。


だから、ゴールドじゃありません。


で、ちょっと思ったのですが、


確実にゴールド免許を取る方法って何だと思います?


絶対にゴールド免許が取れる方法。


それは、


運転しないこと


です。


運転しなければ、事故を起こすことも、違反することもありません。


そうですよね。


でも、何かおかしいですよね。


それって免許取った意味がありません。


事故ったり、違反することを怖れて運転しないのであれば、


免許の意味はありません。


生きるということを考えたときにも、同じことが言えるのかもしれませんね。


今日は短いですが、このへんで。

私たちは豊かで、自分が何もしなくても勝手に新しいものがどんどん生み出される時代に生まれました。


食っていくためならバイトしているだけでも大丈夫だったりするし、


家族の元にいれば何もしなくても生きていけます。


それは一つの豊かさの形ではあると思うのですが、


しかしよく言われるように、その結果として私たちに精神的な倦怠感をもたらすことにもなりました。


必死に頑張らなくても生きていけるなら、その必要性がないのなら、人は楽に流れます。


どんどん楽に流れ、何かをすることが億劫になってくる。


何かを始めよう、目標を持とう、やろう、と思っても体が重い。


重い腰が上がらない。


何もかもが重たく感じられる。


そうやって行動力が下がることでさらに刺激がなくなります。


刺激がなくなると、感じる力、感性も鈍ってくる。


すると、何かを欲したり、感動したり、動きたいという衝動も減ってくる。


その結果、精神的な倦怠感、退屈、といった状態が生まれます。


その状態になると次に何が起こるかというと、より「楽なもの」を求めるようになります。


今すぐに自分の感情を満たしてくれ、退屈しのぎをさせてくれ、この現実を忘れられるものを求めます。


どんどん、刺激を待てなくなるのです。


プロセスを楽しむ力が失われ、今すぐに感情を動かしてくれるものを求めるようになる。


だから、「面倒くさい」と感じることが増えます。


この状態になると、人生のクオリティは著しく下がり、幸福感も減ります。


よくよく考察してみると、時代が進めば進むほど、利便性が増し、自分で何かをする必要がなくなってきています。


「待つ」必要もなく、今すぐ、簡単に、が誰でも手に入る。


つまり、生きることが楽になっているわけです。


しかし、楽なことが幸せなことではないのです。


楽を求めた先に待っているものが幸せな状態ではない。


私はそういう風に思っています。


多くの人が楽なこと、何もしなくていいことが幸福なのだという風に考えていますが、


楽を追求していけば前述したような状態に陥ってしまうのです。


日本は世界トップクラスに豊かな国でありながら、世界トップクラスに不幸感の強い国である理由、その本質は、


そこにあるのではないか、と勝手に考えています。


楽だから不幸。


何かをする必要があること。何かをしたいと思えること。欲するものがあること。


それが人をエネルギッシュにするわけで、何もする必要がなければ私たちは生きている実感を感じることができません。


今や「生活する」レベルでは何かをする必要はないわけで、


だからこそ求められているのは、より高次な欲求を持つこと。


自らするべきことを見出し、自ら動き出す力。


その姿勢。その生き方です。


周りに流されるだけで生きていたら、「楽」ばかりを求める生き方になるでしょう。


今の日本の多くの人はその状態。


だから、エネルギーがないのです。


与えられるのではなく、自ら作り出す姿勢。


待っていても何も起こらないし、何もする必要のない時代だからこそ、


自らの人生を輝かせるためには、自ら動き出すことが必要なのだと思います。

今日はちと肉体的に疲れを感じています。移動もあったし、睡眠時間短いし、ということで。


なので、今日は肉体にフォーカスしていこうかな、と思っています。


そんな感じ。


で、話が急に変わりますが、今日書きたいことを。


楽しく自分の人生を生きるコツは、全てはメッセンジャーだと考えてみることです。


さっきツイッターで書いたのですが、


「自分が自分に対して許していないことを誰かが自由にやっていたら、イライラするもの。ということはその人は、自分が何を自分に許していないかを教えてくれる先生なわけ。ありがたや。」


つまりこの場合で言うと、


イライラさせる他人がメッセンジャーなわけです。


メッセンジャーの役割は、「自分自身に気づかせてくれること」です。


イライラする、ということは何かそこに「反応する自分」がいるということ。


で、そこで自分と向き合ってみるわけです。


「俺は一体何に反応したんだ?」と。


その反応した部分っていうのは、自分に許していない部分だったりするわけです。


そこで一つ、自分に気づくことができますよね。


例えば、何かの出来事を通じて「悲しい」と感じたとします。


ということは、その悲しい出来事が教えてくれているのは、


それを自分は望んでいない、ということ。


ネガティブな感情は、「それを自分は望んでいない」ということを教えてくれているわけです。


過去の出来事も同じ。


過去の悲しい出来事、つらい出来事は全て「自分が望んでいないもの」は何なのかを教えてくれています。


自分を押し殺してつらい思いをしたからこそ、


自分を表現することの大切さが分かります。


孤独を経験したからこそ、人とのつながりを大事にできます。


だから、過去の出来事を恨まないことです。


そこから何を学んだのか。何を教えてもらったのか。


全てはメッセンジャーなのだと理解してみる。


そうすることで、より前向きに生きられるようになります。


望んでいないものが分かるから、望んでいるものも分かるのです。


簡単な構図です。


だからある意味、全ての出来事には肯定的な面があります。


「教えてくれている」という意味で。


ネガティブにも意味がある、ということです。


ネガティブな感情を感じたら、それは成長のチャンス。


成長というか、自分を知るチャンス。


自分は何を望んでいるのか、を知るチャンス。


自分を知れば知るほど、人と自分を比較することなく、自分の人生を生きられるようになります。

一昨日は、東京でオフ会。


昨日は東京で映画ツアー。


そして、その後は加藤秀視さんと飯食ってました。


かなり遅くまでいたので、今かなり眠いです。笑


一昨日の東京オフ会でのことなのですが、プログラムに参加してくれている子が名古屋からヒッチハイクで来てくれました。笑


高速の前で待機して、1時間ほどでつかまって、一人の人に東京まで乗せてもらったと。


二人で来たのですが、その一人はほとんどヒッチハイクをやったこともなく初体験。


結局、無料で、しかも人とつながりながら東京まで楽しくやってきたと。


結構、すごいことですよね。


多くの人がそんなことはできないと思います。


なぜなら、「できない」と最初から決めつけるから。


「無理でしょ!」と言って、最初からやろうともしないからです。


その内の一人は、帰りもヒッチハイクをして、見事にポルシェに乗って帰っています。笑


この例だけを見ても、私たちには「できない」「無理」と最初から決めていることが無数にあることが分かるはずです。


成功の反対は失敗という風に思われていますが、そんなことはなくて、


成功の反対は何もしないこと。


最初から結果を予想して、できないと決めつけ、自分を小さな殻に閉じ込める。


先日の記事にも書いた通り、何もしなければ何も起こらないわけですから、


苦しいことも、痛みも、批判されることも、何もかも避けることができます。


無難に生きられる。


でも、それって自分を押し殺しているってこと。


私たちは気づかないうちに年を取り、時間は過ぎ去り、


だんだんとしたいと思っていたこともできなくなっていきます。


できることも増えるけど、できないことも出てくる。


だから、もし「やりたい!」という気持ちが、その衝動が生まれたのなら、


その気持ちを大事にすること。


その気持ちに反射的に応えることが大事。


色んな言い訳、怖れが出てくるけれど、


そういった雑音は無視して、自分の心の声を聴いてあげてくださいね。


今日はこのへんで。


ちょっと寝ないとキツいっす。笑

今日は東京でオフ会です。35名ほど集まって、みんなでワイワイしたいと思います。


その翌日は約10名で一緒に映画を観に行って、


その後、大阪に戻って来て加藤秀視さんと晩飯を一緒に食べることになっています。


ちなみに、紹介させていただいている加藤さんの新刊「自分を愛する技術」はすごい勢いで世の中に広まっています。


発売から16日で5万部を突破。各書店でも続々とランキングにも入っていますね。


加藤さんの本が世の中に広がることで、自分のことを愛し、他人のことも愛せる人が増えることを願っています。


最近やはり思うのですが、


人間、あるがままを受け入れられる場っていうのが必要。


でも、それって今ある人間関係ではできないこともある。


だって、価値観が違ったりすると、普通は衝突したり否定し合ったりということが起こってしまうから。


で、自分を受容できていない人は、自分とは異質なものを受け入れることができず、


排除したい、その人を変えたい、と思うようになってしまいます。


しかも、よく感じることなのですが、今の日本の全体的な風潮として、


「悪い部分にフォーカスを当てる」という感覚がある気がしています。


例えば、何かの活動をしていて95%上手くいっていて、5%ミスしてしまったとします。


すると、その5%に徹底的にフォーカスされる。責められる。


その5%がその人の全てであるかのように扱う。


で、その風潮は日本国民全員の首を締めます。


動けなくなるのです。怖くて。


自分自身が。


例えば身近な人間関係を考えてみてもそうでしょう。


無難にしよう、って思いませんか?


目立ったり、角が立つと面倒だから、と思って無難に平凡で当たり障りなくしようと思わないでしょうか。


5%のマイナスに徹底的にフォーカスされてしまうとすれば、そりゃあ怖いですよね。


何かをするということそれ自体がマイナスなことになってしまいます。


で、そんなことをされていると、自分も誰かの「悪いところ」にフォーカスを当てるようになってしまいかねません。


そうすると、ある意味この世は地獄です。笑


どれだけ良い面があっても、悪い面ばかりを強調されてしまうから。


そして、あなたも何かをする前に「悪いこと」を予想するようになるから。


恋愛でいえば、断られるのでは、とか振られるのでは、とか。


最初からそこにフォーカスする。


結果、緊張する。迎合する。怖れる。


そうなると、上手くいかない。


そして、気づいたら年寄りになってしまいます。


で、


あなたは実はあなたで良くて、あなたが悪いと思い込んでいる部分にも必ず良い面があるのですが、


それを「悪い」「変えなければならない」と思い込まされてきたんですね。


だからこそ、あなたの良い面を見てくれる、あなたを受け入れてくれる人の存在が大事なんです。


そういう人といることで、自然に自己肯定感が増します。


だって、その人は自分の良いところを見てくれるわけですから。


そうやって「良いところを見る」という習慣が身に付くと、自分に対する捉え方、世界に対する捉え方も変わってきます。


何かにチャレンジしよう、という気持ちも自然に芽生えてくるんです。


自己肯定感、ホントに大事なものなのです。


この自己肯定感を増すための活動も、どんどんしていきたいと思っています。


それで少しでもあなたが自分の価値を認め、やりたいことにチャレンジしていけるようになれば嬉しいな、と思います。


それでは、今日はこのへんで。

何かを追い求めるということは、それが「手に入らないかもしれない」という怖れを伴います。


私たちはこれまでの人生の中で、上手くいく経験だけを積み重ねてきているわけではありません。


どこかで失敗したり、つまづいたりしながら、やってきていて。


ある人にとっては、その失敗がすごく自分の心を傷つけ、


もう同じことにはなりたくない、と思い、望むことやめてしまったりします。


どうせ自分にはできない、と思ってしまう。


どうせできない、という思いは、人間から「望み」を奪います。


しかし、望みを心の奥底では捨てきれないでいるから、誰かが羨ましくなって、嫉妬したりイライラしてしまうのです。


だけど、


世の中に存在するスーパースターの誰もが、


上手くいった経験だけをしているわけではなく、どこかで挫折を経験しています。


そのときはすごく傷つき、自分にはできないんじゃないかと頭をよぎることもあったでしょう。


でも、そこで簡単に諦めない。


そこで自分を裏切ったり、自分に嘘をついたり、自分をごまかしたりしない。


怖れ、恐怖、不安。


そういった感情がありながらも、それでも自分の望みに向かって行けること。


そのメンタリティが大事だと思うんです。


サッカー日本代表がグループリーグで敗退し、記者会見では多くの選手が、


自分の実力不足でした


といった発言をしています。


長友選手や内田選手の目には涙も見えました。


相当悔しかったはずだし、今も様々な葛藤があるでしょう。


しかし、それは自分の望みから目を逸らさず、真正面から戦っているからこそ、です。


最初から舞台に上がらないことを選んだ人にそういった葛藤はありません。


その葛藤は、ある意味、本当の意味で生きている証でもあります。


生き延びる、生き長らえるのではなく、生きている。


それぞれがそれぞれの課題を抱え、それを乗り越えようと戦っている。


普段からそうやって生きている人は、今回の日本代表の姿を見て、強く感じるものがあるでしょう。


間違っても責めたいとは思えないはず。


それは、普段から自分が戦っているから。


自分が、自分を少しでも成長させようと戦っているから、


同じように戦っている人の気持ちが分かる。


その悔しさ。無念さ。


それが分かる。


それが分からないのは、普段から自分が戦っていないから。


自分が自分を成長させようとしていないから。


今回のサッカー日本代表の姿を見てどう感じるか。


どういう発信をしているか。


それが、その人のこれまでの生き様を映し出しているように思えます。