「生存」を越えた何かを持てるか | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

これだけ豊かな社会の中で、「生存」することは誰にでもできる時代になりました。


生存する事が目的だった時代は、余計なことを考える必要もなく、


ただただ今を生きることができた。


だけど、今はそうじゃない。


生存が難しいものではなくなった時代で生存を目的に生きるとどうなるかというと、


無気力になります。


なぜなら、特に何もする必要がないから。


何もしなくても、今生きることはできているから。


もちろん、将来の不安などはあるかもしれませんが、そこまでリアルじゃない。


だから、将来のことを考えてあれをしておけばいいだろう、これをしておくべきだろうと考えたって、


なかなかできるものではありませんし、一時的にできたとしても続きません。


だから結局、することがなくなる。


人間にとって「することがない」というのは結構キツい状態で、


だからこそ多くの人が「やりたいこと探し」を始めるわけです。


で、


今の時代に必要なのは、生存を越えた目的、だと思っています。


生存を越えた、自分なりの目的。


その目的が何であるか、どこに向かうか、それは各人が決めること。


どう生きるかは、完全に各人に委ねられている。


自由。


自分の感覚に従って、自分の感性で、自分の人生を創っていけばいい。


でも、多くの人はそれをしないで、誰かの真似をしたり、常識にただ従ったりしています。


だから、「その人らしさ」と呼べるものが感じられなかったり、


その人が本来持っている魅力を全開で出すことができていない。


いつも遠慮している。


いつも伺っている。


いつも誰かの機嫌を損ねないように気を遣っている。


自分を押し殺している。


だから、生きている実感も湧かない。


何か、つまらない。


で、それが当たり前になっていたり。


自分の気持ちにさえ、不感症になってしまう。


自分が何をしたいのか分からない。何が好きで、何が嫌いか。


それすらも、分からない。


私自身は、ここまでの人生、自分のハートに従って生きて来たつもりです。


その結果、多くの人とは全く違う人生を歩むことになりました。


まさか25歳で本を2冊書くことになろうとは、という思いもあります。


でも、同時に、それが自分の望んでいたことだ、という思いもあります。


もしも自分が、自分を押し殺し、誰かの価値観や常識に流されるだけでいたならどうなっていたか。


それは誰にも分からないけれど、


今より楽しいということはなかっただろう、とは思います。


私たちは生まれ、そして死んでいきます。


いつかは死ぬし、それがいつかは誰にも分からない。


でも死ぬときに、自分の人生を生きて来なかったと感じることだけは嫌。


それじゃあ、何のために生まれてきたのか分からないでしょ。


他人の人生を生きたって、意味ないでしょ。


自分が感じたままに、自分なりの善悪で、自分なりの好き嫌いで生きていく。


そうやって生きれたら、そうやって生きているというただそのことだけで、


結構いい感じになります。


では、今日はこのへんで。


最近結構人に会っていたので、今日は一人静かに過ごしたいと思います。