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受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

今日はこれから東京に向かいます。今、新大阪。


今日気づいたのですが、3連休らしいですね。人が多いわけです。


で、本題。


今日、本を読んでいたら、あるボクサーがこんなことを言っていました。


「才能がある人はたくさんいて、自分にはその才能はないかもしれない。


でも、大事なことは、自分のスタイルで、自分の闘いをすること」


といったようなことです。


人と比べたり、羨んだりではなく、自分を貫く。


自分は自分だ、という潔さ。


それが「強さ」につながっていくんだと思うんですね。


逆に、自分を疑い、自分を失うことで、「弱く」なっていく。


例えば、


自分には魅力がないとか、価値がないと思っている人は、


そう思っているがゆえに本来の魅力が発揮されず、価値を感じてもらえないわけです。


自分には魅力や価値がないという考えが、本当にそのような雰囲気を醸し出す。


周囲の人は、自分が自分に対して持っているイメージを感じ取り、


それと同じように扱います。


例えば、価値がないと思い込んで必死で自分の良さをアピールする人がいたとしましょう。


一見、自信があるように見える。


でも、心の底で無価値感を感じている。


そして、周囲の人も無意識にその無価値感を感じ取る。


アピールする人に、周りの人は辟易として、次第にその人を軽く扱うようになりますよね。


結局、その人は自分には価値がないという思いを、現実のものとしてしまうんです。


自分が自分を大事だと思っていれば、周囲に必死にアピールする必要はないはず。


恋愛でも同じで、自分には価値がないと思って焦れば焦るほど、相手から軽く見られてしまったりしますね。


自分が自分を大事にしていないから。大事な存在として認識できていないから。


だから、相手からも大事にされないのです。


自分を大事にする人は人からも大事にされますが、


自分を大事にしない人は人からも大事にされません。


何度も言います。


全ては、自分の内側の問題です。


外に原因はありません。


その外の出来事を創り出しているのは、自分の内側だから。


自分を大事にし、自分を愛すれば愛するほどに人生は上手くいくようになりますが、


今回の話で、少しだけその理由が分かるのではないか、と思います。


今日はこのへんで。


今から新幹線に乗って東京に行ってきます!

今日はちょっと、私が好きな曲を紹介したいと思います。


この曲は、今やっているプログラムに参加してくれている子が、カラオケに行ったときに歌っていた曲。


そこから好きになって。


今の自分の心境を上手く表現してくれているなーと思うんですね。


メロディもいいし。


ぜひ一度、聴いてみてください。


最後のサビなんかは、個人的にウルルときます。


「現実という名の怪物と戦う者たち 高橋優」


ホント、ここまで来れたのは多くの人の支えあってこそだし、


今頑張れているのは、仲間のおかげ。


みんながいるから頑張ろうと思えるし、そういう人たちに出会えたというだけで、生きていて良かったと思える。


究極、人との出会いがあるだけで生きている価値はあると思うんですよね。


昔は一人で、孤独で、意固地なところがありましたが、


今は仲間とか、人とのつながりとか、そういうものが何よりも大事なことのように思えます。


だからこそ今は、そういう出会いが生まれるような場をつくったりしています。


ということで、聴いてみてくださいね。

勉強でも何でもそうですが、結果を出していくためには、自分の力を発揮していかないといけません。


そして、そのときに大事なのは、自分にできることにフォーカスし、自分ごとで考えることです。


誰かや何かに責任を押し付けるのではなく、自分が主体となっていくこと。


それが、成長スピードを速め、現実を動かしていく際に最も重要な心の在り方。


逆のケースになると、なかなか人生が変わらない、ということが起こります。


少し、その話を。


人はときに、自分に自信がなく、劣等感が強い場合ほど、「自分は正しい」と思いたくなります。


「自分は正しい」と思うために必要なことって、なんだと思いますか?


それは、「相手が間違っている」ということです。


自分が正しくあるためには、間違っている何かが必要になります。


相手が間違っていることで、自分の自意識を強くでき、優越感を感じることができます。


言い換えると、


自分には価値があると思うために、「間違っている何か」を欲するのです。


その間違っている何かは、人であったり、状況であったり、時代であったり、様々です。


例えば、いつもイライラしていたり、いつも批判的だったりする人がいたとして、


その人は、自分に価値を感じたくてたまらないのです。


目的は、自分に価値を感じること。


自分に価値があると感じたい。だから、「自分は正しいのだ」と思いたい。


自分は正しいのだと思うためには、「間違っている何か」が必要になる。


で、間違っている何かを探す。


その姿勢が「イライラ」だったり「批判的」だったりするわけですね。


その姿勢でいると、現実を自分ごととして受け取れなくなるし、


自分を省みることができなくなります。


なぜなら、いつだって、「人や状況や時代のせいで、自分は上手くいかない」と考えるようになってしまうから。


今の上手くいかない現実は、○○のせいだ!!


と思ってしまう。


ある意味、そういう人は深く傷ついてしまっているのですね。


だから、そうなってしまっていたとしても、そんな自分を責める必要はありません。


一番の根本原因は「自己無価値感」です。


自分が、嫌い。自分を認められない。自分には価値がないのではないか、という怖れ。


誰かのせいにしなければ、自分を保っていられない。


今の上手くいかない現実を、自分の行動の結果なのだと受けとめるのが、怖い。


誰かや何かのせいにしていないと、やってられない。


誰かや何かのせいにしてしまう人も、心の底では、そんなことをしても意味はないと実は分かっているものです。


しかし、それを認めることができない。


怖い。


自分と向き合うということは、そんな自分を認める、ということ。


どんな自分も受けとめる、ということ。


自分から目を逸らしていれば、ずっと問題は残り続けるし、人生は前に進みません。


「青天の霹靂」という映画があります。


その主人公は、人生が上手くいっていないと感じていて、劣等感も強いです。


で、彼は、こう思っているわけです。


出来損ないの親から生まれた、出来損ないの俺


自分の人生が上手くいかないのは、出来損ないの親から生まれたからだ、と思っているわけですね。


つまり、自分の問題を親のせいにしている、ということです。


親を恨み、憎み、「お前のせいだ!」と思っている。


それは、今の上手くいかない現実を自分の行動の結果と受けとめるのが怖いからです。


誰かのせいにすることで、何とか自分を保っている。


そうすることでしか、自分を保っていられない。


親のせいなのだから、仕方ない。と思いたい。


そして、そうしている間は、自分は言い訳を続けることができるのです。


自分の価値を感じることができます。自分を保つ気休めになります。


そうすることでしか自分を保てないのですから、


「正義」の名のもとに、親を非難するしかないわけです。


そうしたいというよりも、「そうするしかない」という表現の方が適切でしょう。


ですが、自分の人生は一向に上手くいきません。


それは、当然です。何かのせいにしている限り、人は本気にはなれないからです。


そして、映画の中では、そういった被害者意識はただの幻想だった、ということが分かります。


面白い映画なので、ぜひ観てみてください。


実は、私たちも同じようなことをして、生きています。


世の中のあちこちで、今言ったような心と闘いながら生きている人がいます。


そして、その人たちは、深く傷ついています。


上手くいかないことが多い。あいつだけ楽して上手くいっているように見える。


自分に自信がない。価値がないのでは、という怖れ。


ボールの中に、刃が入っている状態をイメージしてください。


そして、その刃がボールの中からにょきにょき出て来ているところをイメージしてください。


人を傷つける。人を責める。


そういう人の精神状態が、それです。


ボールは、自分の心です。


つまり、刃は先に、自分を内側から傷つけます。


そして、自分を傷つけた刃が、そのまま外の世界に飛び出し、人を傷つけることになるのです。


刃は、自分の内側にしかありません。


自分を傷つける人しか、人を傷つけることはできないのです。


つまり、自分の内側にある刃と向き合うことが、根本的な問題解決のために必要なこと。


自分の人生を創るのは、自分しかいません。


そのことが深く理解できたとき、成長スピードも速くなり、人生も変わっていくだろうと思います。


そんな自分がいたら、自分を責めるのではなく、ただ気づき、そのままを受けとめてあげてください。


それでは、今日はこのへんで。

今、自分が強くやりたいと感じていることは、


とにかく人の持っている力を解放すること。


それは、色んな意味で。


心の解放もあるし、潜在意識の解放もあるし、思い込みからの解放もある。


今は多くの人が自分に自信を持てず、自分を好きになれず、様々な幻想や思い込みの中で生きてます。


そうであるがゆえに、自分が欲することができないし、夢を実現させることもできない。


受験勉強を教えるということから始まっていった私の仕事は、


その幅がどんどん広がり、今は「その人が持っている力を発揮させる」「本当の望む人生を生きてもらう」ということが大きなテーマになっています。


まさに、コーチとしての仕事、という感じです。


7月22日に発売される「未来の自分をつくる勉強法」も、まさにそういうテーマ。


受験勉強の方法論については一切書かれてありません。


いかにして自分の人生を生きるか、がテーマです。


ただ、そうやって思い込みから解放されることは受験勉強にも役立つものだと思っています。


というか、学生時代から学んだり、知っていくべきことだと思うんですね。


そうすれば、己がよく分かるから。


己と向き合うことで己を知って、己を知るからこそ、進路なんかも自分に適した道を選べるわけです。


己を知るという作業について言うと、


時にそれは、楽なものではないこともあります。


それは、自分の負の面を見るということでもあるから。


人は誰しもが負の面を持っています。


そして、自己肯定する、自分を愛するというのは、その自分の負の面も受け入れるということです。


よくあるのは、自分の負の面を受け入れられないがゆえに、不自然な「正義感」を持ってしまうケース。


あまりにも正義を振りかざしすぎてしまうのは、


自分の中にある負の面を強く否定しているから。


昔は、私もそうでした。


いつも言っていることですが、全ては自分の内側の問題なのです。


自分の中にある負の面を否定したいから、正義を強く語る、ということがあります。


そして、他人の負の面も許せない。


糾弾し、非難したくなる。否定したい強い衝動に駆られる。


「お前は間違っている!!」と言いたくなる。


(もう一つは、強い劣等感から、他人を否定することで自分の価値を高めたい、という気持ちもあります。これも、昔は私もそうだったからよく理解できる感情です)


そこで、争いが起こるわけです。


自分と向き合っている人は、そのメカニズムにも気づくようになっているので、


その衝動から距離を取ることができるし、その衝動も結局は「自分」の問題だと知っているから、


ただ、己を見直す良い機会、と受け取ることができます。


「ああ、俺にもまだ、受け入れられていない自分がいたのだな」


と感じます。


その衝動をもとに行動する、ということはしません。


相手の問題ではなく、自分の問題だと気づいているからです。


相手を非難したところで、それは問題の本質ではないことを知っています。


もちろん、そんな相手を非難したい自分を責める必要はありません。


その気持ちは、分かります。


ただ、「ああ、そうなんだ」と気づくだけでいいんです。


気づくことで、変わっていけるから。


気づくことで、人生が生きやすくなっていくんですね。


これからもこんな感じで、色々と思うことを綴っていければと思います。


それでは、今日はこのへんで。

何かに取り組んでいて、つまづいたとします。


難しいところにさしかかったり、いくら考えても分からなかったり。


そういうときっていうのは、なかなかつらいものです。


で、ときにそこで、「こんなのやって意味あんのか」と思ってしまうときがあるかもしれません。


何かに取り組んでいて、やっている最中に壁にぶつかり、そして意味を問い始める。


これはよくあることですが、


大抵の場合、その壁から目を逸らしたいから、そうなる。


壁から目を背ける理由探しとして生まれる「意味を問う問い」。


その壁と本気で向き合いたくない。


本気で壁にぶつかって、ダメだったら、それは自分がダメだということになるのではないか。


適当に手を抜いてやっていれば、


「本気を出せば出来た」


と自分に言い訳をすることができる。


自分にはまだ秘められた力があって、それを「いつか」発揮すればいい。


そう思って、目の前のこの瞬間に全力を発揮することから逃げる。


自分に嘘をつき、自分を欺き、欺きながら生き続ける。


そのままでは、どこにも辿り着かないとどこかで感じながら。


そんな自分と向き合う勇気は、出ない。


本気でぶつかっている人をバカにしたり、


失敗しながらも、ボロボロになりながらも、前に進み続ける人を斜めから見てみたり、


「あんなのやっても意味ないよ」


「どうせ、運がいいだけ」


と思ってみたり。


口から出てくる言葉や、浮かんでくる思い、思考は、


そのときの自分を明確に映し出している。


その言葉、思いは、その人を表しているのではなく、自分自身の姿を映し出している。


誰かに向けた評価は、その誰かを表しているのではなく、その評価をした人間の「人物」「人格」を表している。


何が見えるか、何を感じるかは、人それぞれだから。


その人の中に見ているものは、自分に対して見ているもの。


自分を否定していれば他人を否定したくなり、自分を肯定していれば他人を肯定したくなる。


そういう視点で世の中を眺めてみれば、今の世の中、どれだけ多くの人が自分を否定しているがゆえに他人を肯定したくないかが、よく分かります。


話を戻していけば、


自分と向き合い、自分に嘘をつかないこと。


目の前の壁に、真摯に向き合ってみること。


失敗してもいいし、上手くいかなくてもいい。


そこで壁と向き合って試行錯誤することが、成長につながっていくから。


気をまぎらわせても、本当の問題から目を背けている限り、心はモヤモヤしたまま。


結局、全ては「自分」。


自分が自分を肯定し、自分が自分の人生をつくっていると自覚して生きていくこと。


が、大事であって。


問題の責任を誰かに押し付けても、人生は変わらなくて。


自分を欺かず、弱さも受け入れながら、一つ一つ壁をクリアしていくことが大事なのだと思います。


今日は、このへんで。

今日は大阪で2時間、カフェセッションを行ってきます。


超楽しみです。


やはり直接会って話すと、変化は大きくて。


これまで、ネットだけで、ということも多かったのですが、今後は会って個別に話をする機会を作っていこうと思っています。


当然ですが、その方が効果が高いということを肌感覚で分かってきたので。


思うように結果が出ない場合、「会っていない」ということもあって。


だから、今後そんな機会を作っていきます。


また、そこで生まれる「つながり」も大事なもの。


ちょっと昨日、facebookに記事を書いたのでこちらに転載しますね。


<損得を越えた何か>


「大学生とかと接することが多いのだけど、今や大学生ですら「損得」の人間関係ばかりだったりする。


そいつといたら時間が潰せるとか、遊べるから気分がごまかせるとか。


別に「そいつ」である必要はなかったりとか。


真剣に語り合うでも助け合うでもなく。


そういう関係だけだと、他人に関心がなくなるのは当然のこと。


人が本当の意味で人のことを考えたり好きになるのは、人と強く関わったときなのかも、と思う。


関わって、色んなものを受け取る。


そうすると、受け取ったものを与えたいと思う。その循環。


で、その輪がどんどんでかくなったり。


どんな関係も、傍から見れば結果的に損得につながっているのかもしれない。


でも、その瞬間、「損得を越えた何か」を、言葉にはできないけれど感じること。


そういうものを感じられる瞬間。それは絶対にある。存在する。


そして、その感覚を持てれば、それだけで人は変わっていける気がする」


そいつといて、別に何か得をするわけではないけれど、なぜか一緒にいたいと思う。


なぜか分からないけど、そいつのことが気になる。


純粋に、良くなって欲しい、幸せであって欲しいと思う。


その感覚を取り戻すことができれば、人はそれだけで変わっていける。


そう感じます。


てことで、カフェセッションに行ってきます。

7月22日発売の新刊ですが、こちらから無料で1章読めるようになっているのでゲットしておいてください。


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昨日のメルマガで少し触れたことなのですが、


大きなものばかりを求めると、小さなことに対する関心を失うもの。


例えば、東大を目指していたとします。


実力は全然足りていないとしましょう。


そうすると、何か1日12時間くらいの勉強をしないと意味がないのではないかと思ったり、


難しいものを勉強しないといけないのでは、と感じてしまったりするものです。


そうなると、例えば細切れで空いた30分が疎かになったりします。


基礎的な内容がどうでもいいようなものに思えてくる。


もっと難しい、複雑なものを勉強しないといけない、と思うようになる。


しかし、何事も小さなことが土台になっている。


30分あればかなりのことができますし、


当たり前ですが、基礎が分かっていなければ複雑な問題は解けない。


意識が高い。目標が高い。


でも、なかなかそこに到達できない。


そういうケースで多いのは、大きなことばかりを見て、小さなことを疎かにすることです。


大きなことを見ることは良いことでしょう。


しかし、その大きなことを実現するのは、今日の小さな一歩。


私の場合で言うと、本を書きたいな、と以前から思っていました。


ただ、そのためにできることは「日々書き続けること」でしかありません。


毎日ブログやメルマガを書いて、文章力や分析力、表現力、言語化の力を磨くこと。


その日々の積み重ねの結果として本を書けるようになるのであって、


それがなければ書かせていただく機会は訪れなかったでしょう。


何かを実現するということは、そこには普通の人はやらない「何か」が隠されています。


そしてそれは大抵、大したことじゃありません。


目立つことでも、カッコイイことでも、褒められることでもない。


大抵、人には見えないし、やっている人ほど見せないもの。


ただ、たとえ見えなくてもその影の部分を想像できることが大事。


勉強も全く同じ。


小さな一歩の積み重ねでしかないわけで。


ある人が結果を出しているのなら、


それは小さなことを積み上げてきた結果としての「結果」だということを忘れないこと。


勉強で結果を出すためには、30分を無駄にせず、基礎を甘く見ず、


小さなことを積み上げていくことが大事です。


大きなものを見ている人ほど、それができなくなってしまいやすい。


なので、今日はこのことについて書かせていただきました。

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今日はちょっと「定義された世界」っていう話をしたいと思います。


私たちは、色々と定義されてしまった世界に生きてると思ってて、そうであるがゆえに色々と苦しむ。


常識とかもそうですけど、「こうするべき」というものがあるがゆえに、


そうでない自分を否定してしまうわけですよね。


これは自己愛の話にもつながってくると思うのですが、


「こうすべき」というものがあると、そこからズレた自分を責めてしまう。


で、大体その「こうすべき」って、誰か他人のフィルターを通して見たものを押し付けられているわけです。


最初は、やはり親でしょう。


親が期待する子供像。


そういった子供像を作ってしまうのは、親自身が劣等感に苦しんでいるケースが多いのですが、


その子供像を作り上げてしまうがゆえに、そうでない部分が子供にあると否定してしまうわけです。


そして、コントロールしようとする。


これは、学校の先生にも言えることでしょうし、


友達関係の中でも言えることでしょう。


「定義の押しつけ」がなされているわけです。


「良い悪い」についてもそうで、本当の意味で何が良いか悪いかなんて分からないのに、


勝手に定義された良い悪いまで押し付けられている。


よく「長所と短所を書きなさい」なんてのがありますが、


見方によっては全てが長所です。


自分の全てが長所だと思ってもいい。


でもそういう風に考えることができないのは、


長所と短所を分ける基準を、私たちは与えられてしまっているからです。


「こういうものは長所」「こういうものは短所」と決められている。


その決められた世界、つまりは「定義された世界」から自分を判断しているんです。


先に定義された世界があって、決められた基準があって、


そこから自分をジャッジしている。


だから、自己否定とか自己愛の欠如とかも起こるんじゃないかと思うんですね。


例えば、「学歴が高い人は偉い」という定義があると、そこからもしズレたら、自分を否定しますね。


で、何が何でも高い学歴を得なければと思う。強迫的になる。


しかし、本当は偉いかどうかではなく、そこで学びたいことが学べるか、そこに行くことで自分が生きたい人生を生きられるかが大事。


もし思っていた大学に行けなくても、そこで自分の生きたい人生を生きられるならそれでいいはず。


なのに、「自分の価値」と関連づけてしまうわけです。


他にも山ほどの「定義」が存在します。


そして、私たちはいつだってその定義と自分を照らし合わせては、自分をジャッジしてる。裁いている。


こんな自分はダメだ


こんな自分はおかしいんじゃないか


もっとちゃんとしないと


そうやって自己否定を始めるのです。


しかし、本当に大事なことは、


自分で定義を創ること、です。


もっと言えば、


定義から自分を判断するのではなく、


自分が定義を判断することです。


ここは、赤線です。


大事なので、もう一度言います。


定義から自分を判断するのではなく、自分が定義を判断する。


自由に生きている人は、それができている人。


縛られ、不自由で、誰かを妬み、自己愛が欠如し、他人への愛も欠如してしまうのは、


定義から自分を判断し、自分を否定しているからです。


色々言いたいことはありますが、今日はこのへんで。

昨日公開した新刊についてですが、サンマークさんの「サキ読み」コーナーから第1章を無料ゲットした方からたくさんメールをいただいています。


新刊の内容、かなり好評です。


嬉しい。


まだの方は、無料で1章読めるようになっているのでゲットしておいてください。


:池田潤の新刊の全貌をチェックし、第1章を無料で読んでみる


で、mail@junmethod.com まで感想なんかくれると超喜びます。


では、本題へ。


今回、本のタイトルに「未来」とついてますけど、未来をつくっていくのはやはり「今」、つまりは現在なんですよね。


今をないがしろにしてつくられる未来はなくて。


だから、本の内容においては、めちゃくちゃ「現在」を大事にしているんです。


いかに今を生きるか。今の中に喜びを見出していくか。


それが一つ重要なテーマだったりします。


我慢して何かをする、っていうのは限界があって、それでは人よりも突き抜けることはできない。


もちろん、それでもある程度のところまではいけるでしょう。


でも、結局は我慢してやっているわけで、嫌々やっているのですから、


最大限のエネルギーを込められるわけがなくて。


逆に、好き好んでやっている人からすれば、やることが当たり前で、そうしたいと思っているからやる。


だから、自然と最大のエネルギーを込めることができる。


イメージで言うと、


でこぼこでくねくねした砂利道を車で走るのと、キレイで平らな高速道路を車で走るのでは、


どちらが速いのか、という感じ。


自分の中に抵抗するものがない人ほど、スムーズに生きられるわけです。


自分の中に抵抗するものが多くあれば、いちいち立ち止まり、ガス欠になり、しんどい思いをすることになる。


これは、現実世界の障害という意味ではなくて、自分の心の中の話。


自分の心がスムーズでも、障害が現れることはいくらでもあります。


でも、心がスムーズだったら前に進める。


逆に、他人からの押しつけや、そこまでやりたくもない、欲しくもないものを追いかけていたら、


自分の心の中に抵抗があるから進めない。


心の中の抵抗を減らして、自分の心に素直に従って生きられるようになってもらう、ということがこの本に込めた私の思いの一つです。


多くの人は、自分の中の思いはあるのだけど、それが色んな物に邪魔されてしまっている。


「これでいいのかな?」


「あっちの方がいいんじゃないかな?」


「これっておかしい?」


などと考えてしまう。


誰かが決めた答えに従うだけになってしまう。


誰かに評価されるために自分の心を押し殺す。


言いたいことも遠慮して言えない。


そうやって、心にブレーキがかかっているから、突き抜けることができないんです。


で、何かモヤモヤする。


もっとできるのに、できていない気がして。


なぜかは分からないのだけど。


エネルギーはあるのに、持て余している感じがする。


それは、自分の心がスムーズじゃないから。


余計なものに邪魔されているから。


その邪魔なものを捨てていくことで、今を大事にできるようになって、その結果自分の未来もつくられていくんですね。


そんなことを、書かせていただきました。


てことで、1章をサキに読んでおいてくださいね。


:発売前に第1章を無料でサキに読んでみる

7月22日の新刊についてですが、これまでタイトルも何も公開してきませんでした。


その新刊について、ついに公開したいと思います。


今、サンマーク出版さんのHPにて、この本の第1章の一部が無料で読めるようになっています。


発売前に、無料で、読めちゃう「サキ読み」というコーナーがあるんですね。


今回の本、かなり気合いを入れて書きました。


どんな本なのか。


何が書かれているのか。


タイトルは?


表紙はどんな感じなのか?


その全てを、サンマークさんのHPで確認できるので、ぜひチェックしてみてください。


:池田潤の新刊の全貌をチェックし、第1章を無料で読んでみる


では、今日はこのへんで!