受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -14ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

昨日のメルマガにたくさん返信いただきました。ありがとうございます^^嬉しいです。


昨日は「周囲の役に立つ」という話をしたのですが、


人間って、一人で生きているわけではなくて、自分が生きていることは他人がいることで実感できるものです。


人に認められたい!という場合にも、そこに人がいなければ認められるも何もありません。


無人島に一人でいたら、どんな行為にも意味を見出すことはできないでしょう。


結局、私たちは人の間で生きている。


そのことを忘れてはいけない、と思っています。


そのことを忘れると、「自分さえ良ければそれでいい」という思いが生まれてきます。


自分の人生を充実したものにするためには、周囲の人が必要不可欠で、もっと言えば周囲の人たちの幸せが必要なんです。


自分一人が幸せになるというよりも、周囲の人と一緒に成長し、お互いに貢献し合いで満たされていくイメージ。


特に、これからの日本を背負う若い人には、そのイメージを持って欲しいと思います。


そのイメージを持っている人の方が、自分の夢も叶いやすくなっていきます。


周囲の人が応援してくれるからです。


自分のことだけ考えているよりも、周囲の人のことをきちんと考えている人の方が応援したくなりますよね。


そういう人が、チャンスを与えてくれたりするんです。


私も、周囲の人に応援していただきながらここまでやってきました。


自分一人の力など微々たるもので、結局は周囲の後押しがなければ小さなことしかできません。


そして、周囲の人だって幸せになりたい、満たされたい、豊かになりたいと思っている。


そこに、どうやって貢献していくか。どうやって力になっていくか。


そんなことを考えていると、そんなことを考えていることそれ自体で自分が満たされていることに気づきます。


今、満たされない思いを持っている人がいたら、満たされないがゆえに自分のことばかり考えてしまうものなのですが、


少し周囲に目を向けてみてください。


周囲の人に貢献してみようとしてみてください。


自分のエネルギーがないから、周囲のために使うエネルギーはないと思うかもしれませんが、逆です。


周囲のためにエネルギーを使うと、エネルギーが増えます。元気になります。


不思議なことに。


そして、感謝の心が生まれたりします。


あー、この人のおかげで、とか、色々と思うようになる。


そしたら元気を取り戻し、エネルギッシュになっているはずです。


ぜひ、お試しあれ。


それでは今日はこのへんで。

少し、おかしなことがあるなーと思っているのですが、


何か目標を掲げたとき、その目標というのは本来、あなたが心から望み、掲げるものなはず。


となると、その目標のことを考えるだけでワクワクして、そこに自然に向かっていこうとするはずなんですね。


本来は。


しかし、この仕事をやっていると、多くの人はなぜか目標を持って苦しんでいます。


これ、本当はおかしいんですよね。


自分が進んで達成したいものであるなら、勝手にやっているはず。


でも、「モチベーションが上がりません」とか、「なぜかできません」という人が多い。


結局、そういうケースでは、目標を持たされている場合が多いんですよね。


自分の価値を認めるためには目標を達成しなければならない!とか。


んなわけないんです。


「あの大学に入れば、自分に自信が持てる!」


いや、大学に行っていない人で自信満々な人は山ほどいます。


デブでも、ハゲでも、チビでも、自信満々な人は山ほどいます。


(これ、悪口じゃなくて。私だって背は低いです。よく高いイメージ持たれていますが、170センチくらいです。実物見て幻滅される前に言っておきます)


一方で、それらの理由で自信を失っている人もいます。


結局、内面の問題であって、外面の問題じゃないんです。


自信を得るためになんちゃら、っていうのは実は不毛なことで、そんなことはする必要ないのだけど、

多くの人は自信をつけるために目標を持っちゃう。


自信をつけるための目標って、他人に見せびらかす、他人基準の目標になってしまいます。


自分を認められない人ほど他人に認められることを求めるからです。


結果、あんまりやりたいことではないことを目標にしてしまう。


だから、苦しむんですよね。


ここらへんが分かってくると、私が「自分を愛することが大事だ」と言っている意味も、より深く掴めてくるんじゃないかと思います。


私は、今この社会に蔓延している「大いなる思い込み」をどうにかしたいと思っていて、


それができれば必ず多くの人が救われる。


苦しむ人が絶対に減ると確信しています。


だから、毎日ブログも書いて、プログラムも準備してる。


そこにやりがいや生きがいも感じています。


ホント、もっと楽に生きられるし、楽しく生きられるし、何でも達成できるんです。


そのことを多くの人に知って欲しい。


私は今、すごく幸せで満たされていて、願ったことはどんどん叶っていっていますが、そうでない時期も長かった。


だからこそ、分かること、伝えられることもあります。


今、苦しんでいる人がなぜ苦しいのか、なぜ思うようにいかないのか、言語化できるようになりました。


なぜそうなっているのかが分かります。


で、結論としては、人は絶対に変われる。


変わるというのは受け入れるという意味も含めて。


だから、心配しなくてOKです。大丈夫なので。


ただ、これは私が変えるのではなく、あなたが変わるんです。


私はその手助けをするだけ。


最後は、あなたがあなたの力で変わっていく。


「潤さんが変えてくれる!」という風には絶対に捉えないでください。


そう捉える人は被害者意識を持ち続けることになります。


つまり、自分以外の誰かが自分を助けてくれる。自分の人生を変えてくれる。


これは他人依存なんですよね。そういう人は、すぐに愛が憎しみに変わります。


もしその依存していた人が何かをしてくれないと、「ぼく、被害者!」と騒ぎ始めます。


自分の人生が上手くいかないと、社会のせいにしたり、時代のせいにする。


自分以外の誰かに人生を変えてもらおうとする姿勢は、最終的に、被害者意識を増大させ、誰かのせい、何かのせいにする人間を生み出します。


世の中、そんな人が多いです。


「潤さんが助けてくれる!」という意識の人は、今回のプログラムには参加しないでください。


あなたが、変わるんです。あなたの力で。


私はその手助けをします。それができます。


しかし、あなたの人生は、あなたがどうにかするしかありません。


他人のせいにしても、他人に依存して、おんぶにだっこになっても、何も変わらない。


変わらないどころか、不満と愚痴の人生になって終わりです。


プログラムを有効に活用するかしないかも、あなた次第です。


何かに積極的に参加もせず、価値を受け取ろうとも、実践しようともせず、100%コミットメントもしていないにも関わらず、「価値がなかった」と言う人がいますが、そういう人はそういうことを言えないはずです。


そうでしょう?


通販でダイエットのマシーンを買った。一回使った。何か気に食わない。それ以降、何もしない。ちょくちょく月に1度やる程度。


で、「あのダイエットマシーンは最悪!欠陥品!だって私、痩せないしー。私は悪くないんだけどね、あのマシーンが超ダメなの。私、被害者!やんなっちゃう!」


という人と全く同じです。


で、残念ながらそういう人が世の中には実在します。信じがたいですが、それが事実。


全て、自分なんです。自分がどうするか。


私にできることは、あなたの人生を変えるためのお手伝い。そこまでです。


最後は、あなたがあなたの力で変わっていく。


そのことを、忘れないで欲しいと思います。


では、今日はこのへんで。

勉強しているときによくあるのが、「できない自分を責めてしまう」という状況。


難しい問題ができなかったり、やったつもりだったところができていなかったりで、自分を責めてしまう。


もう、そんなことしなくていいです。


ただ「ああ、これはできないのね」「あそこは、やったつもりだったのね」と事実を受け止める。


それだけでいい。


精神的に自分を責めて、自分を苦しめる必要はありません。


私はよく「勉強したフリはダメ」ということを言いますが、それは勉強の仕方についての良し悪しを言っているだけであって、


その人自身を否定しているのではありません。


「こうしたらいい」ということなんですよね。


ただ、自分に自信がなかったり、自己肯定しきれていないと、立ち止まってしまったりする。


「私なんて…」「他の人はもっと要領よくやっているのに…」「俺って理解が遅いなあ」とか。


そうやって考える必要はなくて、考えても意味のないこと。


自分は自分で、人は人。


人のペースとか、理解の早さとか、ホントにどうでもいいことなんです。放っておいたらいい。


比べる必要は微塵もない。


早いとか遅いとか、気にしなくていいんですよね。その基準は何なの?って考えたときに、結局それって相対的なものでしかない。


誰かと比べて早い遅いを論じているだけ。意味がないんです。


大事なのは自分のゴールなんだから。


これは人生においても同じで、誰かと比べたって仕方がないわけです。


自分には自分の人生があって、それを大事にすればいいし、そこに他人は関係ない。


他人からどう見えるか、ということも関係ない。


自分は自分。それでいい。自分だけのゴール、自分だけの生き方を大事にすればいいだけです。


他人のことを気にしているから苦しい。


他人に認められること、他人の期待に応えること、他人に評価されることを第一にしてしまうから、つらくなります。


そして、どんどん自分の人生から離れていく。


先生の期待や、親の期待にも応える必要はないし、自分は自分です。


別に無理に反発するでもなく、ただ自分はどうしたいのか、ということを大事にして生きていく。


勉強の話に戻せば、自分の課題を一歩一歩クリアしていくのみです。


自分にとって難しいのなら、それは難しいのだし、自分にとって簡単ならそれは簡単なんです。


誰かが「簡単だ」と言っても、自分にとって難しいならそれは難問。自分にとっての難問。


それが難問だと感じることで自分を責める必要もない。


そうやって一歩一歩階段を上がっていく。


自分だけの階段を上がっていく。


それでいいんですよね。


そうやって考えた方が楽になるし、壁を越えていこうと思うはずです。


できないことがあっても「これができないのか。どうすればできるだろう?」と、淡々と進んでいけばいいです。

これまでの自分、今の若い人たちを見ていてすごく感じることが、「奪われたもの」が多すぎるってことです。


筆頭は、「自信」と「愛」。


そして、自信と愛がなければ、自分の人生を生きている実感なんかも湧かないし、いつも他人の人生を生きている感覚になります。


自分を信頼していないし、自分を好きでもないわけだから、権威のある誰かの言う通りにしておこう、と思うわけですよね。


権威のある誰かというのは、社会のこともありますし、親であることもあります。


とにかくそうなると、高い目標を持つこともできないし、いつも人に合わせようとしてしまう。


しかも、謎の「出る杭を打つ」風潮が日本にはあったりして、ガンガン前に出て行ったら足を引っ張られたり。


そして、なぜかそれを怖れていたり。


怖れる必要なんてホントはなくて、他人の評価なんて関係ないんですよね。


他人の評価を自信の拠り所とするからダメになっていくわけで、自分が自分のことを信じていたらそれでいい。


そう自然に思えるくらいの自信と愛が必要なんです。


それが自然に思えるから、好き勝手に生きられるわけで。


そう思えないからいつも不安で、落ち込んで、戸惑って、立ち止まってしまう。


ただ、そういう人の気持ち分かるんです。


世の中の「成功者」とされている人って、そういう内面的な部分の悩みだったりつらさ、苦しさに無頓着な人も多いんですよね。


「とにかくやれ!」というのは確かにそうなのだけど、それができない人だって大勢いる。


やりたいけどできない、って人も大勢いるし、そういう人たちはできない自分を責めているから、余計に苦しくなってしまったり。


そしてそれは、自信と愛を奪われてしまったから。


成長の過程で、他人の価値観を植え付けられ、好きでもないことをやらされ、周囲との比較によって「評価」されてしまう。


条件付きの愛で育って来た。


そして、そのときの感情、受け止め方を今だに引きずってしまっている。


ホントは、未来において過去は関係ありません。


過去どうあれ、人は変わっていける。大事なのは今であり、今この瞬間にどんな未来を描くか、なんですよ。


大事なのでもう一度言いますが、過去は一切関係ありません。


人はいつだって変われます。


変われないのは、過去を引きずることを自分が選んでいるからです。


そして、自信と愛があれば、必ず未来を切り開いていける。


自信と愛のない人は、いつも他人を気にしている。


他人の人生をとやかく「評価」し、最悪のケースではそれをネットに書いたりして喜んでいる。


もう自分の人生に対して傍観者で、自分への愛がないから他人にも愛が注げない。


他人を傷つける人は、いつも自分を傷つけています。ルサンチマンに生きる人生。


そして、そういう人の声に耳を傾けている人も同じ。


結局、自分を傷つける人同士で群れて、人を傷つけるという「陰湿な遊び」に興じているだけです。


そして、そういうことが起こってしまうのは、自信と愛を奪われてしまったから。


自分を愛せない、自分を認められない、劣等感に苦しんでいる。


自信がない。


逆に言えば、自信と愛があれば、それだけで人生はバラ色。


全く違う人生になります。


人間関係だって変わるし、モテるようにだってなるし、経済的にも恵まれ、自分に忠実に生きられるようになる。


いや、ホントに180度人生が変わってしまうんですよね。


私のブログやメルマガを読み、プログラムにも参加して人生を変えた人が本当にたくさんいます。


そのことを私は誇りに思っているし、その経験から絶対に人は変われると確信しています。


この『価値』にどうか、どうか目を向けて欲しい。


人間の内面的な進化は、外の世界を飛躍的に変えます。


劇的に人生を変えたいなら、内面の進化が必要。


自信と愛を奪われた社会の中で、多くの人がその自信と愛を取り戻していくための戦いをしていきたい。


何度も言いますが、自分に本当の自信があり、本当の愛があれば、その分だけ人は人に優しくなれます。


他者に自然に目が向く。


そうなったら、社会は絶対に良くなっていくと思っています。


そのための戦いを、していきます。


よろしく!

プログラム生が、京都大学に合格しました。自分のところから後輩が生まれるのはすごく嬉しいですね。


「第一志望の京都大学工学部工業化学科に合格しました!


潤さんのおかげで、このプログラムのおかげで、充実した1年を送ることができました。

本当にありがとうございました。」


というメールも届きました。


プログラムから国公立大学医学部への合格者や京大合格者が出たことを嬉しく思っています。


また、ブログ、メルマガ読者さんから、東京大学合格の報告も受けています。メールの一部を抜粋させていただきます。


「今日、東京大学の合否発表があり、自分の受験番号を見つけることができました。


東京大学文科二類に合格しました。


僕は高校受験を控えた中学三年の夏に潤さんのブログを見つけ、それ以来、高校生活を通して潤さんのブログを見続けてきました。


僕は自分の人格形成において、このブログ・メルマガにかなりの影響を受けていると思います。


このブログは本当に支えになりました。


ありがとうございました。今後もブログの更新等、楽しみにしています。」


こういった報告も、嬉しいですね。


大学に入っても、己に忠実に、やりたいようにやって欲しいと思います。


大事なのは、合格後にどう生きるか、です。


これは志望校に合格した人も、していない人も。


残念ながら第一志望に合格できなかった人も、そこからどう生きるかの方が何倍も大事なこと。


学歴で人生が決まるとか、ないですから。


学歴しか見ない人間なんかもはやいないし、そんな人がいたら笑っていればいいと思います。


「学歴があれば人生順風満帆だ!」なんて先生がいたら、信じちゃダメですね。


ただ、だからといって学歴が無駄ということではなくて。


受験勉強をすることで、基礎学力、論理力、問題解決能力なんかを磨くことにもなります。


完全否定でもないし、完全肯定でもない。良い部分もあるし、ただその良い部分が完全ではないこと、その問題点も見ていく必要があると思っています。


京都大学の客員教授瀧本哲史氏は、


「大学の本当の価値は、一に同級生、二に図書館が充実していること」と述べています。


確かに、そういう見方はあるな、と思います。


後は、「時間」もそうですし、「経験」「学び」、色々と価値はあるでしょう。


そこに価値を感じないなら、無理に大学に行く必要もないですし。行きたいなら、行けばいい。


逆に言えば、学歴というものそのものの価値が薄れていることにもなりますね。


どの大学にいようが、どんどん積極的に動けば世界はいくらでも広がります。


旧来の価値観はもう変えていかないといけない。


学歴があるからって安住していたら置いて行かれるし、学歴がなくても自らの価値を高めることでいくらでも人生を充実させられる。


学歴はもはや言い訳にならないってことです。


とんでもなく古い会社とか業界に入りたいなら多少は別になってくるかもしれませんが、それだって今後、変わってこざるを得ないでしょう。


ただ、そんなことは少し本を読めば誰もが分かっていることだと思います。


だからこそ、大事なのは「大学入学後」なんですよね。


で、私は大事なのは、「人間力」を磨くことだと思っています。


定義や評価が曖昧な言い方になってしまいますが。


実はこの言い方は好きじゃないのですが、この言い方しか今思いつかないので仕方なく使っています。


もちろん、具体的なスキルや知識を学ぶのも大事です。


オールオアナッシングで、どちらか、というような話をしているのではありません。


知識やスキルも大事だけど、ただ根本に人間としての力がないと、やっていけないよねということを言いたいわけです。


というか、会社によってはスキルや知識なんか求めていないところだってあるでしょう。


素直に学んでくれるか、成長してくれるか、周りと上手くやっていける子か。


そういった部分も大事なんじゃないかと思うわけです。


だって、大学で学んだ知識というのは実社会で具体的に使えるかと言われると、そのまま使えるわけではない。


実際には、その知識それ自体では役に立たないことだって多いんです。


むしろ、学びによって「どういう人間になったのか」ということの方が大事なんじゃないかと、私なんかは思います。


ゼロからスタートしたときに、どう成長していくか。困難があったときに、どうするか。


人を貶める人か、問題を人のせいにする人なのか、自分だけが良ければいいと考える人なのか…


いくらスキルや知識があったって、そういう人間的な部分に問題があれば、


人生は上手くいきません。


で、じゃあ人間を磨くって具体的に何か、と言えば、例えば「自分を愛する」ことだったりするわけです。


だって、自分を愛せる人は簡単にくじけないし、自分を愛した分だけ人を愛せるから周囲と仲良くやれる。


「あなたがいると元気になる」と言ってもらえる人なわけです。


それって、すごく大事なことだと思うんですよね。何より大事。


というか、人生の根本。


人間力がなければ幸せにもなれないし、人と良好な関係も築けないし、すぐ落ち込むし、周りと衝突する。


それじゃ、上手くいかない。


誰もが、人間を磨くっていうところを考える必要があると思うんです。


だって、最高のリターンが待っているわけだから。


何よりも最初に投資すべき部分だと思います。


人間を磨けば、日々幸せ、恋人ができる、仕事が上手くいく、経済的に豊かになる、人生が楽しくなる…


などといったことを得られる。


だからこそどんどん、人間についての学び、理解も深めて欲しいなーなんて思います。


ブログやメルマガでもどんどんそういったことについても書いていきます。


ただ、長くなったので、今日はこのへんにしておきますね。

プログラム生が東北大学に合格したとの報告が届きました^^


「東北大法学部受かりました(;_;)


この1年受験コーチングプログラムに参加できて、学力だけでなく人間として大きく成長できました。


受験が終わった今、潤さんをはじめ支えてくださった周りのみんなにほんとに感謝しています。


大学生になっても志を高く持ち、外交官になるという夢を叶えてみせます。


潤さん、本当にありがとうございました。」


別の方で、直前期プログラムに参加してくれた方も、東北大学理学部に合格しています。


また、「大阪府立大学生命環境科学域獣医学類 合格しました!!センターリサーチD判定の時はかなり動揺しましたが、最後まで諦めずにがんばってよかったです^ ^」


「当初からの第一志望だった千葉大教育学部に無事合格することができました。


しんどいときに潤さんの言葉だったり他のプログラム生の存在が支えになってくれていました。


本当に感謝しています!ありがとうございました(>_<)!」


という報告も届いています。


もしブログ読者さんで合格した、という方がいらっしゃったらコメント欄などで教えていただけると嬉しいです。


今期は受験コーチングプログラムという年間受験プログラムはやらない方向で考えています。


やるとすれば、年間ではなく、2~3ヶ月単位の短期集中特訓という形を考えています。


また詳細が決まり次第ブログやメルマガで告知します。


と、前置きが非常に長くなってしまったのですが、今日は昨日のfacebookへの投稿を転載します。


「昨日は、自分のプログラムに参加してくれていた子たちと飲んでカラオケ行ってまた飲んで、してた。


20~21歳の子たちがほとんど。本来はあまり積極的に人に会おうとしないのだけど、どうしてるのか気になって。


嬉しかったのは、「軽く」なっている人が多かったこと。


何となく、その人の「重さ」っていうのを感じていて、負のオーラがあるときは重いと感じる。


物理的なものではなくて、感覚的なもの。


その重さが取れて、軽くなった感じになっている子が多かった。


最初に会ったときは、メガトン級に重い子もいたから。


とにかく昔は自分も重かった。その重さを自分でも感じてた。


で、今思えばその重さの根源っていうのは自分に囚われていることで、囚われざるを得ないくらいに、自分のことを認められないことから来るものだった。


自分を認めていなければ、他人に認められるため、気に入ってもらうために好きでもないことを好きと言ったり、やりたくもないことをやりたいと言ってしまったりする。


結果、どんどん苦しくなる。


人は他人の期待に応えるために生きているわけではない。


誰かが自分に何かを期待していても、自分がやりたくないなら、そんな期待に応える必要はない。


余計な期待に応えようとして重くなっている人も多い。


もっと軽くなっていいし、自分を認め、自分がやりたいようにやっていればどんどん軽くなって、上手くいくようになっていくものなんだと思う。」


この「軽い」「重い」というのは本当に感覚的なものなのですが、何か感じるんですよね。


で、幸せな人、満たされている人というのは軽やかなんです。


だから、周りの人も軽やかな気持ちにします。


逆に、重い人は、自分の中で色々と抱え込んでいるので、周囲にも重い印象を与える。


自分にとらわれ、自分のことしか考えられない状態なので、周囲の人と上手く人間関係を築けなかったり、


いつも警戒していて単純に純粋にその場を楽しめなかったり。


私は一人でいるのが大好きなのですが、みんなで騒ぐのも大好き。


どちらも好きです。


ただ、好きでない人と一緒にいたいとは思わないので、「誰と」というところは大事ですが。


そんな大好きな人といつも集まれるわけではないので、必然的に一人の時間は増えます。


会いたくないと思っている人はわざわざ会わないし、会いたいと思わない人と、とりあえず会うとかもありません。


話が逸れているので戻すと、


軽い自分になれれば、もっと人生は楽しくなる。


で、実際、SIPに参加してくれた人たちはどんどん軽くなっている。軽くなるから行動力も上がる。


考える前に体が動くようになっていく。昨日の内容とも、実はつながっています。


今回の新プログラムでも、そんな自分になっていただきます。その結果、行動力が上がるんですよね。


テクニックだけでない、本当の根本を見つめ直してもらおうと思っています。


では、今日はこのへんにしておきますね。


最後までお読みいただきありがとうございました。

昨日は、昨年の4月に行ったSIP(自己変革プログラム)でオフ会を開催し、ご飯を食べたりカラオケに行ったりしていました。


みんな一人一人成長していて、ある人は「以前、潤さんに相談したと思うのですが、その相談が何だったのか思い出せません(笑)」と。


悩みが何だったのか分からなくなるほど、その悩みと無縁の人生を送っている。こーいうのはすごく嬉しいですね。


ただ、色々と感じることがあったので書いていきたいと思います。


とにかく頭でごちゃごちゃ考えていると動けない。


で、頭でごちゃごちゃ考えているときというのは結局のところ、「やらない理由」を考えています。


何とか理由をつけて、言い訳を考えて、やらない方向に持っていけないだろうか、ということに必死になっています。


よくあるのは「やって意味はあるんだろうか?」というもの。笑


これはNo1に上がってくるくらい、誰もが考えること。あなただけではなく、誰もがそうやって考えて、やらない理由にしています。


で、大体の場合、実際にやってみたら意味が見つかります。


やってもないのに意味があるかないかと論じる必要はないケースが多く、やってみて初めて「やって良かったな」と思ったり、「自分には必要なかった」と思うわけですよね。


「自分には必要なかった」という気づきだって、それをやる意味だと考えることもできます。


まあ、要は「やっちゃえ」ってことなのですが、頭でっかちになるとなかなかそれができなくなってしまう。


で、そんな考えている自分に酔ってしまったりなんかすると、その頭で考えたことが至極まっとうなことに思えてくるわけです。


その「やらない」という選択が。


そういう人の口癖は、「いやあ、でも…」です。


何を聞いても「そうなんですよねえ…ええ……」みたいな感じで、聞いているのか聞いていないのか分からない。


他人事のようだったりします。


もちろん、全てを「やる」という選択にしろと言っているわけではなくて、やらない理由を探しているだけなのではないか、と向き合ってみることは大事なことだよ、ということ。


とかく人間は現状維持したがります。


そのことを忘れないこと。


自分にとって良い変化だと分かっていても、それができないのが人間です。


不幸を自ら選ぶ、ということがあります。


幸せになるのが怖いんです。だって、今までとは違う選択をしなければならないから。


違う発言、違う態度、違う人間関係、違う心構え、違う生活を選ぶということだから。


それが、不安なんですよね。


頭で先に考えすぎている人は「恐怖」が必要以上に大きい人です。


恐怖が大きいから、その恐怖を避けようとして、考える。


しかし、その恐怖を避けようとする気持ちが大きすぎることで行動できず、結果、成長できない。


その成長できない自分に不満を感じる。


で、どうやったら成長できるかまた頭で考える。


頭で考えると不安要素や恐怖が出て来て、またやらないことを選ぶ。


そして、また不満が増す。


結果、自己嫌悪、自己否定……。


悪循環。


という流れなわけですね。


だから、一旦考えることをストップすることも大事なこと。


考えることも大事だし、考えることをストップすることも大事。


矛盾するようですが、どちらも大事なんですよね。


どちらか一方だけをしていけばいい、ということではない。


自分はどちらに偏りがちなのかを考え、そのバランスを取っていくと良いです。

人間というのは、自分が何を目指しているのか、何を大事にしているのか、守りたいものは何か、譲れないものは何か、といったことが分かっていないと、


すぐに快楽に流れます。


短期的に自分を満たしてくれるもの。


今の時代は、この短期的な快楽が本当にパワフルなので、人間はどんどん思考停止になり、自分と向き合うことをせず生きるようになっています。


表層的に感覚的に深みのない生き方です。


その生き方をしていると、ハイになるときはあってもそれが終わると虚しさがつきまとい、いつでも自分をハイの状態に持っていかないといけなくなります。


ある意味依存状態であって、その状態だと「どこにも辿り着かない」ということが起こります。


いつだって自分の感情や欲求を単純な方法で満たすために生きているからです。


ただ、このブログを読んでいるような人は精神レベルも高いところを目指している人が多く、


それだけでは本当の満足は得られません。


どこかで「このままでいいのかな」とか、「俺はもっと色んなことができるはず」「このままで終わるのは人生がもったいない」と感じている。


しかし、短期的欲求を満たす手段はパワフルです。


スマホの登場もそれを後押ししています。


暇があればSNSのチェック。パズドラなどのゲーム。ネットサーフィン。


その行為を行なったところで自分を本当には満たしてくれないものに時間を使ってしまう。


結果、いつまでも経ってもどこにも辿り着いておらず、そんな自分に苛立ち、成功者を見て妬みの気持ちを持ってしまうのです。


だからこそ大事なのは、自分の人生にとって何が大事なのかを明確にすることです。


本当に望んでいることは何なのか。


これは、刺激や情報が多い現代社会の中では、思い出すようにしないと忘れてしまいがちです。


そして、多くの人はそんなことは考えていないので、あなたにも「流される」ように進めてきます。


流されている人は向き合っている人のことを理解できません。


意図的に流される、その場を意図的に楽しむのならいいのですが、本当にただ流されているだけの生き方は、私はしたいとは思いません。


そこからは本当の満足は得られないからです。


私にとっての満足は、こうやって書くことだったり、考えること、話すこと、自分を表現すること。


その精度を高めるために日々成長することです。


そこに静かな情熱を注いでいます。


今は、青い炎という感じ。誰にも見られるものでも見せるものでもなく、純粋に自分の内側で炎が燃えている状態。


それが私のやりたいこと。


自分を表現することが好きなんです。歌うことだって好きだし、自分の思いを表現してくれている歌なんかを歌いたいなーなんてことも思いますし、自分で歌詞を書いてみたりなんかもしているわけです。


もちろん、他にもやりたいことはありますが、これが軸で、これはないといけないもの。なんです。


そしてそれが、そのまま自分の自己実現につながっていっている。


私だって短期的なものに流されることはあるし、その楽しさも理解しています。


しかし、自分の本当の満足がどこにあるのかということは見失わない。


だから、日々ブログを更新したりもしているわけですね。


あなたにとって大事なこと、自分を真に満たしてくれることは何でしょうか。


それを、見失わないようにしてくださいね。

私は、自分にしか分からない成長というものを大事にしています。


大事にしているというか、意識してはいなかったのですが、大事にしていたのだなあ、という感じです。


誰にも分かってもらえない、分かってもらう必要のない、ただ自分だけが知る自分の成長。


小さな成長。わずかな進化。それも、内面的な。


そういったものを積み重ねてきたんだなーと、思います。


私は内面的な戦いを続けてきたので、一見、誰にも戦っているかどうかなんて分からない。


一人で葛藤している。


真似する必要は全くありませんが。


ただ、一人で葛藤を続けていると、あるときポンっと突き抜けるときが来ます。


「ああ、そういうことか」みたいな。


その繰り返しで、どんどん成長してきたな、と思うのです。


1年ぶりとかに会った人に、「すごく変わった」という事を言われることが多いです。


高校のときの頃の友達に会うと、別人のように感じると言われたこともあります。


それは、毎日毎日、自分の中での成長を大事にしてきて、それが楽しいと感じていたからだと思っています。


これ、受験勉強でも全く同じことが言えます。


勉強してすぐ成績にその結果が表れることはほとんどありません。


大体、数ヶ月はかかります。


しかし、その間成長が見られないかというと、全くそんなことはない。


日々、成長しているはずなんです。


「ああ、この問題ができるようになった」「ここが分かるようになった」「これを覚えた」


などなど。それは誰にも気づかれないものだけど、自分は気づいているはず。


自分にしか分からない成長というものが、あるはずなんです。


大事なのは、そこです。


その自分にしか分からない小さな成長に目を向けることができるかどうか。


そこが問われます。


そこを大事にできる人は、いちいち挫折しないし、いちいち立ち止まりません。


上手くいかないことがあったところで、その経験を通じて自分が成長していることを知っているからです。


しかし、自分の成長に目を向けていない人は、表面的な結果に一喜一憂。


一回の模試の結果が悪ければ、それだけで落ち込んでしまって勉強できなかったり。


そこでそういう過剰な反応をしてしまうことだけ見ても、普段の勉強の心構えを改善した方がいいことが分かります。


そういう人ほど、何ページ進んだとか、何題解いたとか、そんな形式ばかりを気にしているのです。


中身を見てない。成長しているかどうかを気にしていない。


で、誰かに意味もなく進んだことを報告したりとか。


「これだけ俺は勉強した!」と言いたいだけ。


自分の成長に関心のある人は、そんなことをしたいとすら思わないでしょう。時間の無駄だから。


根本的な意識改革が必要なわけです。


それが、私がずっと伝え続けていること。


どういう意識を持っているかで、勉強の質は変わります。


そして、その意識から生まれる日々の勉強によって結果が出るかが決まって来る。


ぜひ、誰にも気づかれない、でも確かに自分が感じている成長を大事にして欲しいと思います。

何でもそうだけど、壁にぶつかるときがあります。


で、受験勉強なんていうのは壁にぶつかりっぱなしなわけですよね。


分からない問題、理解できない事、覚えられないもの。


毎日毎日壁にぶつかるといってもいいくらいの状況です。


で、大事なのは、そこで自分の思考をどのくらい働かせることができるか。


「どうすればいいか」を突き詰めて考えることができるか。


そこで自分が何を感じて、どういう手を打っていくかが大事になってきます。


多くの人は上手くいかなかったときに立ち止まってしまうか、同じことを繰り返します。


勉強していても成績が上がってこないということは何らかの誤りがあるわけですが、それでも同じようなやり方を貫いてしまったり。


同じやり方をがむしゃらにやる方が楽なんですよね。


例えば、1日13時間を今までの「実質」を意識しない、思考することを意識しない勉強をするのと、


1日6時間、徹底的に頭を使って考える。自分の思考を重視する勉強をするのとでは、後者の方がきついんです。


だから、ただがむしゃらに勉強しているだけの人には「あなたは楽をしています」と言います。


長時間機械的に勉強をするよりも、自問自答して、己と向き合い、自分の勉強と向き合う勉強をする方が何倍もキツい。


だから、みんなやらないんですよね。


とりあえず授業を受けていればいいだろうとか、有名な参考書をやっていればいいだろうとか、とりあえず単語、とか。


そんなんじゃダメなんだよ!!!!ということを、ずっとお伝えしてきました。


それは、思考を放棄しているし、自分と向き合うことから逃げているんですよね。


自分と向き合わず、「一般論」に逃げているだけです。


よく言う「初見の問題を解く」ということをやっていると、必然的に自分と向き合わざるを得なくなります。


「あれ、できていると思っていたのに、実はできていないんじゃないか…」なんてことを考えるようになる。


それが向き合うってことですよね。


自分には何が必要なのか、何をしなくてはならないのか。


理解しているか、覚えているか、本当に解けるか。


そうやって自分の勉強と向き合いながら学習していくから、成績が上がっていくのです。


適当に形だけ、クールに決めようと思っても、できません。


大事なのは、自分と向き合う勉強を続けることです。


昨日は、かなり夜遅くまで起きていました。


映画も観ました。


基本となる生活習慣があって、基本的に寝る時間などもそれに合わせていくのですが、羽目を外すときには外せるようにしています。


やはり、いつも同じことばかりでは面白くないので、イレギュラーなことをしてみたり、様々な経験をしてみることも大事なことですね。


「基本となる生活+イレギュラーな経験」という感じが大事かなーと思います。